短編小説 怪談・新潟の海
この作品は地獄ワイドショーで発表された短編です。
https://blogs.yahoo.co.jp/tamiyajirojiro/66341456.html
新潟の海
あれは私が社員旅行で新潟に行った1993年の話です。
長岡の旅館まで海沿いの道をバスに揺られ、私は車酔いを起こしてました。
海沿いが見える席に座りたかったんですが、まさか酔うとも思わなかったんで、旅館までの我慢です。
海が見える旅館に行きますと、日本海の潮気を吸いまして、少しは気分が良くなりました。製造2課の面々、野郎ばかりでございましたが、子供のように畳に転がって畳の匂いを楽しんだり、海に出たり、温泉に浸かって疲れを取りました。
さて、お楽しみの宴会は地元の海鮮料理に舌づつみを打ち、飲めや歌えの大騒ぎ。課長お得意のノーイエ節が始りまして、野郎しかいないもんですから、まあ飲むわ飲むわ。
ついに皆、寝込んだり泥酔状態になってしまいました。
私は酒には強い方でして、車酔いはするんですが、酒にはなかなか酔いません。それでもこの夜はだいぶ飲みすぎました。
酔覚ましに海沿いを歩こうと思いまして、玄関に向かいましたところ、後ろから女性の声が・・・
「どちらへ行かれるんですか?」
女将さんでした。
「ああ、酔い覚ましに海を歩こうと思いまして・・・」
すると女将さん、表情が曇りました
「お客さん、夜の海は危ないですから、歩かないほうがいいですよ」
「女将さん、浜辺にはいかないから大丈夫ですよ」
きっと日本海の海は荒いというし、その事を気にしてるんだろう。そう答えますと
「いや、6人以上で行かれるんでしたら、お留めしませんが、一人で行くのはちょっと・・・」
女将さんのあまりの不安な表情に、こちらも不安になってしまい、同時に好奇心が湧きまして
「追い剥ぎでも出るんですか?」
と聞いても、女将さんは返答に困るばかり、ついに不安が勝ってしまい、私は散歩を断念し、宴会場の日本酒を飲んで寝ました。
翌朝、朝風呂から1番に上がった私は部屋で一人、とても静かな日本海を眺めておりまして、女将さんとのやり取りを思い出しておりました。女将さんは何も教えてくれなかったので、好奇心が再燃してたのです。
ちょうどその時、部屋に仲居さんが入ってきました。私はノシ袋に5千円札を入れて見せ、仲居さんに渡して尋ねたのです。
「実は昨日、女将さんとこういうやりとりがありまして、何かご存知ないですか?」
すると仲居さんはのし袋を受け取りながら
「あまり大きい声じゃ言えませんが、この辺は夜になると、外国の人さらいが出るんですよ」
思わず吹き出してしまいましたが、直後に怒りが湧いてきました。
馬鹿にしてるのかこの仲居は。5千円も包むんじゃなかった!
素っ頓狂な答えに不愉快な思いで、バスに乗りました。今回は車酔いに備え、海が見える座席に座りまして、帰路に着きます。
バスの窓から海沿いを眺めてますと、浜辺に看板がちらほら見えます。
妙なことが書いてあります。
「外国籍の船に注意!」
「不審船、不審な人物を見たら110番!」
仲居さんの言葉を思い出しつつ、大げさだなと心でつぶやきました。
人さらいが出たら全国区のニュースになってるはずだ。違法漁船かなにかだろ
それから数年、北朝鮮が横田めぐみさんをはじめ、一連の日本人を新潟の浜辺で拉致した事件が明るみになり、あの看板を思い出して気味が悪い思いをしたものです。
最近のことですが、新潟から来た社員が居りまして、その話をした所、新潟では「夜はひとりで海に行ってはいけない」「子供がひとりで海に行くと外国の人さらいに遭うから行くな」と、親や先生から言われてるんだそうです。
北朝鮮の拉致の話は、テレビで騒がれるずっと前から、地元民では知れ渡っていたことだったようです。
あの時、女将さんや仲居さんの言った事は、決してふざけてた訳でもなく、正しかったのです。
おわり。
話のヒントになったのは小学3年の頃、数人の友人たちと夏休みに江ノ島まで行こうと友人宅で計画を立ていたら、友人の一人が「海へ行こうぜ」って言いだしたら、そばにいた友人の母親が「子供どうし海に言っちゃダメ」と言い出した。「どうして?」って聞いたら「子供どうしで海に行くと外国の人さらいが出るから」
これには一同大笑い。ところが友人のお母さんは「笑い事じゃない!オバさんの故郷じゃ海に行った子供が、みんな誘拐されてるの!」と怒り出して、海に行くのは頓挫した。江ノ島は行ったけどね。
その話を高校生になって、急に思い出して母親に話したら「ああ、○○君のお母さんは新潟の人だからね」と漏らした。「新潟の海は子供が一人で行くと朝鮮人に拐われると言われてる」と言ってた。
当時はまだ拉致が騒がれておらず、北朝鮮?何それ?って時代。何を言ってるんだと思った。
時は流れて、拉致問題が表面化し、新潟から来た人にその時の母親の話をしたら「ああ、その話はあまり人にしないほうがいいよ」って言われた。騒がれる前から新潟に住んでる人の間では知られていたことだったらしい。それが本作の原動になった。