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If You Can't Push It,Pull It~僕と先輩の密室~

作者: 彼我差日夜

 ハラリ、と。

 ページをめくる音が聞こえた。その音に僕は振り返る。

 先輩が、本を読んでいた。

 呑気に。


「先輩、本なんか読んでないで何か考えてくださいよ」

「あら、そんなに焦っても何も進展しないわよ、後輩くん」

「焦りもしますよ、こんな状況なら。なんで先輩はそんなに平然としてられるんです」

「平然なんて、心外だわ。これでも少しは冷や冷やして……ふわぁ」


 欠伸混じりに返ってくるその言葉は僅かでも冷や冷やしてる人の発言だとはとても思えなかった。


「少し眠るわ。後輩くん、それまであなたはそうして焦っていなさいな。あわよくばこの状況を解決してくれると更に良いわね」

「ちょ、寝るって! 先輩、やっぱり焦ってなんかないですよね? 待ってくださいよ、いくらなんでも果報を寝て待つような状況では……先輩ったら!」

「おやすみ〜」


 こちらの言葉も聞かずに、先輩は机に突っ伏して眠ってしまった。


「僕一人に押し付けて寝るとかさすがに酷いですよ、先輩」


 ぼやきながら、僕は教室のドアを振り返る。

 ドアを引く。

 が、ドアが開くことはない。


「こんなのどうしろって言うんですか……」


 僕らは、校内のある教室に閉じ込められていた。



 溜息。

 思わず僕が漏らしたそれは予想していたよりも大きかった。そりゃそうだ、よく知りもしない先輩と放課後に閉じ込められて憂鬱にならないはずがない。

 時刻は午後五時。先日貰った生徒手帳の通りなら、あと三十分もすれば最終下校時刻を告げるチャイムが鳴るはずだ。


「参ったな……」


 頭をかく。入学早々校則を破るのはまずい。いや、さすがに閉じ込められていたなら怒られはしないだろうけど、トラブルに巻き込まれた生徒というレッテルを貼られるのはそれはそれで嫌だ。先輩を放置しても自分だけはなんとかここから脱出しなければ。

 脱出手段としては、件のドアと窓のどちらかだけども、ドアは開かず、ここは四階で窓から脱出も難しい。というかここからの脱出を図るくらいなら、レッテル貼られるのもあまり変わらない。

 ならばやはりこのドアをどうにかする他にないわけだが……。ああ、考えている内に五分も経ってしまった……!


「駄目だ……。僕じゃこの手の謎解きは手元が狂っていけない」


 昔から迷路とかチェスのような客観的に答えを導くような類のものは得意だったけど、こういう臨場感溢れる脱出ゲームは僕の専門外だ。つい焦ってしまって、思考がまとまらない。

 予期せぬ専門外の問題にぶち当たった理不尽さに、イライラしながらポケットを漁る。僕の指は角ばった硬いものに触れた。……携帯電話だ。

 仕方ない、ここは『探偵』に丸投げするか。



「君さ、私のこと困ったときに便利屋のように使えばいいツールか何かと思ってない?」


 電話に出て開口一番これである。こちらは依頼者だというのに。


「アンタが勝手に人の電話帳に電話番号を登録して『困ったらここに』って言ったんだろ……」


 入学式の日に自宅に帰ろうとしていたら校門の前で捕まり、『実はこの学校で探偵部を作ろうと思ってるんだけど、その第一依頼者になってみない?』の一言とともに買ったばかりの携帯をひったくられ、ほとんど空の電話帳に電話番号を登録されたときは色んな感情が織り交じって眩暈すらした。


「あれ、君もしかして私の第一依頼者?」

「むしろ誰だと思ってたんだよ。というか案の定僕以外の依頼は来てないんだな」

「いや来てるよ? でも君を第一依頼者にするって言っちゃった手前他の人は後回しなんだよね」

「もっと早く連絡すればよかったよ! 僕の件を解決したらすぐその人の解決に当たってくれ、頼むから!」


 僕が頼ったのは能書きのために依頼を後回しにするとんでもない探偵だった。


「んで? どうしたのさ、連絡なんかしてきて。君のことだからきっと私がいなくても事件の一つや二つちょちょいのちょいでしょ? あ、もしかして容疑者になっちゃって動くに動けないとか?」

「いや、被害者だけど……」

「ぎゃー! ユーレイだー! ユーレイから電話が来てるー!」

「殺人事件のじゃねえよ!」


 そう突っ込むと、彼女は不思議そうな声に変わる。


「んん? なんだ人死には出てないんだ。じゃあなんで私に相談しようなんて考えたのさ? 人の生き死にが関わってないような事件なら一層君の専門分野じゃないの?」

「本来ならそうなんだけど……っておい待て。なんでアンタそんなに僕の専門分野に詳しいんだ」

「んー、探偵だから? あ、ケガしてない?」


 怪我? 怪我とはまた妙なことを聞くものだな。


「いや平気。んで依頼だけど」

「分かった、脱出方法ね」

「…………」

「あれ、当たっちゃった? やだなぁ、これくらい探偵を自称する者なら朝飯前だよ。呑気に電話出来る状況、怪我死傷者ともに無し、あともっと早く連絡すればよかったという言葉から君がその状態に陥ってから一定以上の時間が経っている、それだけなら探し物の可能性もあるけども、君を含む当事者たちが誰一人として解決できず赤の他人同然の私を頼わざるを得なかったという条件から可能性は低い。……ざっと、こんな感じ?」

「へえ、さすがだな」

「うへー、感情のこもってない称賛ー。それよりさ、君の知っていること、早く話してよ」

「……分かった、よく聞けよ?」



 ことの発端は僕が先輩に呼び出されたことだった。

『放課後、迎えに行くので教室で待っていてください』というその言葉を無視してもよかったのだけど、なにせ机に直接油性マジックで書かれてたので、一日忘れられず、結局言いなりになってしまった。

 それでこの教室に連れて来られた。一応言っておくと、僕は先輩とはほとんど面識がないし、この教室に来たのも多分始めてだと思う。

 教室で要件を済まされて、しばらく話していると『ちょっと肌寒いね』と先輩が言ったんで、僕は窓を、先輩はドアを閉めた。

 ああ、ドアと窓は僕が来た時から開いてたんだ。なんでも普段はあまり使わない教室だから換気をしていたらしい。

 ……今から思えばドアだけは開けておけば良かったと思う。そうしたら閉じ込められなかっただろうから。

 それからまた十分程度話して、さぁ帰ろうとドアを開けようとしたら開かないというわけだ。



「……実際のところ単に『閉じ込められた』っていう事実しか伝わらなかったと思うんだけど、どうだ? 分かりそうか?」

「まあ、君が思っている以上に色々な情報は伝わったよ。まず君があまりその教室のことをよく知らないこと、ドアを閉めたのは君の言う『先輩』で、多分君はその人がドアを閉めるところを見てはいなかったって辺りかな」

「? 一つ目は分かるけど、どうして僕が先輩がドアを閉めるところを見ていなかったことが分かるんだ?」

「普通に考えて学校の教室というのは大抵ドアと窓は向かい合うようについているでしょ? 当然窓を閉めるときはドアを背に閉めることになるってこと。……もちろん、ドアの方を見ながら閉めることにもできなくはないけど、普段使われない教室の窓なら鍵の作りも違うかもしれないし、そもそも窓を閉めた時点ではドアを気にする理由もないよね」

「長い説明ありがとう。とはいえ、その二点が分かったところで何の解決にもならないと思うけど」

「なるよ。充分なる。ところでさ、君はさっきからドアをどうやって開けようとしてる?」


 彼女の疑問に僕は思わず首を傾げた。どうやって? この状況においてドアを開ける際の仕草が何か関係があるのか?


「変なことを聞くな、そりゃもちろんドアを引いてるんだよ。けどいくら引いてもビクともしない」

「うーん、質問を変えようか。君が引こうとしてる『それ』は何? それは本当に引いていいものなの?」

「何言ってるんだよ。ふざけてるのか?」

「違うってば。君はドアを引くためにドアを直接持ってるわけじゃないでしょ、て話」

「当たり前だろ、ドアノブを回してから引いてるんだよ」


 僕がそう答えると、彼女はやっと望みの答えを引き当てたとでも言わんばかりに少し黙った。そして言った。


「やっと答えが出た。いい? 今から私の言う通りにドアを開けてね。まずは——」



 結局のところ、僕はあの日、校則を守ることはできなかった。といってもあの教室から脱出できなかったわけではない。単にその後自分のクラスの教室に荷物を取りに行っていたらタイムオーバーになってしまったのだ。

 脱出そのものは極めて簡単だった、僕が少し落ち着けば済んだ話。



「要は主観と客観の相違の問題なんだよ。なんて事のない勘違いが視点を変えただけで訳のわからない難問にすり替わる、今回はそういう話だったんだよ」


 ジュー、と。

 奥歯で噛んだストローでジュースを吸いながら『探偵』は言う。中身は僕がドリンクバーで汲んできたやったコーラだ。

 僕と『探偵』がいるのは学校から少し歩いたところにあるファミレス。事件解決のお礼をしろ、と、ここに連れて来られた。


「それにしてもあれだけの会話でなんでお前はあそこまで分かったんだ?」

「いや、むしろ私としてはいくら当事者とはいえあの状況の最中にリアルタイムでいたにもかかわらず、第三者に意見を求めなきゃならなかった君の方が謎だよ」

「仕方なかっただろ、普通あの状況で犯人探しは始めない。お前もいざ臨んでみれば分かるさ」


 そうあの一件には驚くべきことに犯人がいた。無論、鍵の故障でもない限り、非人為的に人が閉じ込められることはありえないんだけど、思わぬ状況で半パニック状態になっていた僕としてはそんなところまで頭を巡らせる余裕はなかったというわけだ。

 そして、その犯人は第三者ではなかった。


「いざ閉じ込められてみると、自分と共に内側にいる人間は間違いなく味方だと認識する。しかし今回は違った」

「そうだね、今回に限ってはそれは違った。彼女、君をあの場に誘った『先輩』こそが今回の犯人だった」


 考えてみれば簡単なことだった。いくらマイペースとはいえ、唐突に放課後の教室に閉じ込められてあの落ち着きっぷりはやはりおかしかったのだ。更にそもそもあの場に僕を導いたのは誰だったか、というところまで考えれば、状況証拠としては充分だろう。


「犯人を突き止めるのは割と簡単だったんだよ。そもそもあの教室がそんなに使われないのならば第三者が君たちを閉じ込める可能性は低いしね。ただ、問題はそこではない」


 そう、あのとき僕が知りたかったのはあくまで脱出方法だ。犯人ではない。


「ドアを開けなければ脱出ができないんだからまずはドアがどんな状態であるかを考えたというわけ。実際にはそれだけで答えになったんだけど」


『探偵』は最初、僕が開けようとしていたドアに対してある勘違いをしていたらしい。引き戸だと思っていたようなのだ。実際にはそうではなく、開き戸。ドアノブを回して押して開けるタイプのドアだった。


「散々君が『ドアを引く』って言ってたんだから、そりゃあそんな勘違いもするよ。開き戸に対してひたすら引くだけのことをするとは思わないでしょ。押してダメなら(イフユーキャントプッ)引いてみろ(シュイットプルイット)。そして、引いてダメなら押さなきゃ」

「一緒に閉じ込められた先輩がひたすら扉を引いてたんだから仕方ないだろ。そりゃ本来は引けば開くものだと思うだろ」

「おまけに君は唐突の事態に半パニックだったからね、たとえほとんど面識のない先輩でもすがりたかったんだろうさ」


 まあ、実際にはすがることすらできなかったわけだが。

 ちなみにその先輩はというと、あのあとどんな手を使ったんだか知らないけど、僕より先に帰ったらしく、校門の前で生活指導部の教員に僕がいくら彼女の名前を出しても取り合ってもらえず、挙句僕は『関係のない先輩に罪を押し付けようとした卑怯な男』という認識まで受けてしまった。もちろん実際にはその認識は真逆で、むしろ僕が罪を押し付けられた立場である。今となってはそれを知っているのは彼女と僕、それから。


「いやぁ、それにしても君は災難だったね、同情するよ」


 このろくでもない『探偵』だけなのだけど。


「ところで、私、この事件について一つだけ分からないことがあるんだよね」

「分からないこと? どういうことだ?」

「動機だよ。人は自分勝手に事件に巻き込まれないのと同じで無意味に事件は起こさない」

「あー、動機ね」

「もちろん、『先輩』がただ君をからかいたかったとかそういう無理やりな理由付けはできなくもないよ。けれど、それにしたってコストが大きい。普段使われてない教室に君を誘って自分も一緒になって閉じ込めるなんてからかうにしたって、意味がない」

「まあ、動機は僕を閉じ込めたその先にあったんだろうよ。何をするつもりだったのかは分からんけど」

「つまり今回の事件は『先輩』が君と二人きりになるためだけの手段だったってこと? でも君の話では彼女は途中から事態の解決すらも諦めて眠りだしていた、何かをしようとしていたとは思えないけど」

「……まあ、色々あったんだろ」


 平然なんて心外だ、少しは冷や冷やしている。先輩はそう言っていた。あれはあの状況に対する発言だったのか、あるいは。


「完全犯罪を起こせる人間なんてのはごく僅かで、それ以外は大抵計画通りになんていかない。今回のことはその一例だったんだよ」


 僕がそういうと、『探偵』はつまらなそうな顔でコーラをすすった。


「……けど私はそういうごく僅かを求めてるんだよ」


 一人のミステリ好きな少女の独白。

 そう捉えることにした。仮にも『探偵』が犯罪者を望むようなことはあってはならない。それではいつか手順が反転してしまう。

 お互い何を言い出すでもなく、しばらく無言の時間が続いた。口を開かない『探偵』を見ているのはなんだか気まずくて、僕は視線を周囲に泳がせる。じき日が暮れてくるからか、夕食をとりにきた家族連れが増えてきている。僕らのような若者がドリンクバーだけでいつまでも居座るのはそろそろ難しい時間帯だ。


「……出るか、もう」


 帰ろう、とは言わなかった。僕と彼女が帰るべきところはきっと違うところだから、僕が帰りを促すのは違うと思ったからだ。

 彼女は何も言わず、こく、と頷き立ち上がった。黒く長い髪がさらりと揺れる。無言で出口へ歩いていく。今日はもともと僕のおごりという手筈になっているので、ここでお別れでもまあ問題はなかった。

 彼女が店を出て行ったあと、ドリンクバーにコーラをとりにいった。コップ一杯分をぐいっと一口で飲み干す、ようやく喉が渇いていたことに気づいた。会計を済ませ、店を出た。

 そこに、『探偵』はいなかった。




 

読了ありがとうございます。最近ようやく話を終わらせられるようになってきました、彼我差日夜です。

些細な勘違いが思わぬ難問を呼ぶこともある、今回はそんな話でした。多分、閉じ込めのトリックについては割と使い古されてる形のものなんじゃないかと思います。ミステリーというよりもはや落語のオチようなトリックといいますか。

だいぶ調子も戻ってきたので、次辺りは長編でも始めてみたいなどと思っています。ネタだけはあるんですよ、ネタだけは。

今後ともよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 突如襲った密室事件。 トリック自体はワトソン役(になるのかな?)の後輩の勘違いに近い形でしたが結局「探偵」にも憶測でしか答えが出せないほど隙を見せなかった先輩は鮮やかでした。 しかし…
[良い点] RT~のツイートから来ました! この度は、RTしてくださりありがとうございました! なるほど…。 たくさんの作品を渡り歩いてきましたが、なかなか珍しい作風ですね! とても良いと思います!…
2017/05/04 18:12 退会済み
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