第95話:戦慄の邪神
無限に続いているのではないかと思える程の広大な部屋を、一枚の巨大な石板が猛烈なスピードで飛んでゆく。
最初は巻き起こされる風圧にとても目を開けてはいられなかったアトランダム一行だが、玲治が風魔法で石板上の風圧を緩和することで何とか状況を視認出来るようになった。
しかし、試練はそれを待っていたかのように彼らに向かって落ちる。
「ッ来るぞ!」
エリゴールが大剣を構えながら警告を発した次の瞬間、前方から無数の小さな紅い光が彼ら目掛けて降り注いだ。
二つ目の階層でも同様に狙撃されたが、その時とは異なり兎に角数が多い。
その上、乗っている石板が攻撃が飛んでくる方向へと猛スピードで前進していることもあり、体感的な早さは増している。
石板は彼ら全員が乗っても問題ない大きさを有しているが、それでもそこから落ちれば奈落の底に真っ逆さまとなると緊張感も大きい。
そして何よりも、光は直進せずに弧を描くような軌道で斜めから彼らを狙うものすらある。
流石にこのスピードで飛ぶ石板の後方から撃たれることは無いが、少なくとも真っ正面だけを防げばよいわけではないことは間違いない。
手数が必要だ──そう思った玲治は、パーティメンバーに指示を飛ばす。
「エリゴールさんとオーレインさん、アンリさんは正面をお願いします!
テナとミリエスは右、フィーリナは俺と一緒に左側を担当してくれ!」
「了解した」
「分かりました!」
最も経験豊富で安定感のある先代魔王と女勇者、そして経験は不明なものの魔力においては右に出る者が居ない仮面の女性に正面を任せ、残りのメンバーで側面をカバーする。
これまでの階層を共に攻略してきたパーティメンバーは彼の指示に即座に反応し、持ち場に就く。
なお、管理者の二柱には何も言わない。
指示に従ってくれるとは思えないため、そんな相手を組み込むのはリスクが高過ぎる。
取り敢えず自分の身だけ守っていてくれればそれで構わないと、彼は半ば諦めの境地で考えていた。
「!? こ、これは……」
「悪趣味だな」
各々が持ち得る遠距離攻撃の手段でそれぞれに襲い来る光を迎撃する玲治達。
攻撃が来ると認識した直後に迎撃に移った彼らだが、迎撃のための魔法などを放った後に初めてその光の正体に気付いた。
二つで一セットとなり襲来してくる紅い光……それは、頭部のみの骸骨が伽藍堂の眼窩に携えた瞳の光だった。
「アンデッド……まずい!
テナとアンリさんは防御に回ってください!
フィーリナは右側に!」
「はい!」
光の正体に気付いた玲治は、即座に追加の指示を飛ばす。
邪神と由縁のある二人が得意とするのは闇魔法であり、アンデッド相手には効き難い。下手をすれば、吸収されて敵の力となってしまう。
そのため、二人には防御側に回ってもらい、光属性の攻撃が放てる者を攻撃に回すように配置転換をする。
彼自身も迎撃の魔法を光魔法に切り換え、ばら撒くように放った。
「取り敢えず何とか防げたけど……一体、この部屋は何処まで続いているんだ」
「相当な距離を飛んだ筈ですけど、まだ果てが見えてこないですね」
髑髏を撃ち落としながら思わず口にした言葉に、フィーリナが横目で石板が飛ぶ前方をチラリと一瞬見ながら返す。
彼女の言う通り、彼らの前方には延々と続く闇が広がっており、終点は影も形も見えてこない。
前後左右は広大で、下は見通せない奈落。
天井があるから辛うじて部屋の中であることは分かるが、それが無ければ無限の荒野を進んでいるのかと錯覚してしまいそうだ。
しかし、これが試練であるならゴールがないということはないだろう。
これだけのスピードで飛んでいれば、遠からず終点が見えてくる筈。
そう考えた玲治は、ほんの僅かだけ肩から力を抜いた。
果たしてそれを察知したのか、それとも単なる偶然で時間が到来したのか──
猛スピードで飛んでいた石板が突然停止した。
「は?」
「え?」
発進時にも振り落とされなかったように慣性を制御する力が働いているらしく投げ出されることこそ無かったものの、突然の停止に石板の上に居た彼らは頭がついてゆかず、思考が停止してしまう。
その一瞬が徒となり、彼らは窮地に陥る。
先程まで、襲来してくる髑髏は前方と斜め前方からのみ警戒していればよかった。
凄まじいスピードで飛ぶ石板の横や後ろから襲われることはなかったためだ。
しかし、石板自体が空中に静止してしまえば話は変わってくる。
彼らが止まったと見るや、髑髏は軌道を変えて横や後方へと回り込むような動きを見せてきた。
「くっ!? まずい!」
「こ、こっちは大丈夫です」
幸いだったのは、テナとアンリに一歩下がって防御に回ってもらっていたことだろう。
彼女達は攻撃魔法で撃ち落とすことには不向きだったが、壁を作って襲来を一時的に止めることは出来た。
だが、同時にこのままでは埒が明かないことも玲治は理解している。
結局のところ、進まなければ一方的に攻撃を受けてしまう。
今は防げていても、魔力も体力も有限なのだ。
敵の総量は不明だが、神族の力を元に生み出されているのなら、無限もしくは限りなくそれに近いかも知れない。
敵の攻撃が尽きるのを待つというのは賭けにしても分が悪い。
「一体どうして石板が止まったんだ!?」
「まさか、故障!?」
もしそうなら、彼らの命運は絶望的なものになる。
脳裏を過ぎったその想像に背筋を冷やしながら周囲を見回した玲治の視界に映ったもの、それは……コイン投入口の上に浮かんで点滅する矢印の姿だった。
「……料金切れ?」
「追加で金貨を入れろってことかよ」
「まったく……」
小首を傾げながら仮面の女性が告げた言葉に、呆れたように頭を抱える管理者二柱。
しかし、そんな余裕のある彼らと異なり玲治達は必死だ。
慌てて財布から金貨を取り出して投入口へと投げ込むようにして入れた。
その途端、停止していた石板はそれが嘘であったかのように再び空を飛翔した。
「まさか、また途中で止まるのではないだろうな」
「金貨一枚当たりの起動時間が決まっているとしたら、また同じくらいのタイミングで止まりそうですね」
「なんて足元を見るダンジョンなんだ……」
石板が動き出したため、前方三方向のみの警戒で済むようになった玲治達は髑髏を捌きながら口々に愚痴を吐き出した。
しかし、今度は先程と異なり油断は無い。
また突然石板が止まったとしても驚きで動きを止めることは無いし、足元に次の金貨を用意して再投入の準備も万全だ。
問題があるとしたら手持ちの金貨がなくなって二進も三進もいかなくなることだが……それについては考えても仕方が無い。
その前に終点に辿り着けるか、何らかの救済措置があることを祈るしかない。
恐怖のシューティングコースター(有料制)が終着点に着いたのは、彼らが持つ金貨がゼロになったのと同時だった。
偶然とは思えないそのタイミングに、彼らは大きな溜息を吐く。
何処までも無限に続くように思えた空間は、距離ではなく所持金によって決まっていたのだろう。
手持ちの金貨を全て投じないと攻略出来ない、性質の悪い仕掛けだった。
◆ ◆ ◆
「どうもおかしいと思っていたが、やっぱりか」
「ええ。
これまでの道中、どうも彼女の意思が反映され過ぎていると思ってはいましたが……」
対岸に到着した石板から降り立った一行は、目の前の光景に唖然とした表情を浮かべる。
そんな中、驚愕が比較的小さかった管理者達が目を鋭くして言葉を発した。
闇神アンバールの力が流用されていた第一の階層、光神ソフィアの力が流用されていた第二の階層。
それらに対して、邪神アンリの力が流用されているであろう第三の階層は大分様相が異なっていた。
前者の二階層が何も無い広大な空間だったのに対して、第三の階層はダンジョンの体になっており、無数のアンデッドが飛来。挙句の果てに、彼女の意思を反映したかのような所持金を巻き上げる仕掛け。
ただ単に力を流用しただけではあり得ない、そう考えていた二柱の疑念はここに形となる。
「ア、アンリ様!?
その御姿は……?」
終着点に待っていた存在に、テナがようやく驚愕の声を上げた。
そこに居たのが単なる石像であれば、それは予想通りであり驚くほどのことではない。
実際、その通りでもあるのだ……但し、半分だけだが。
「たすけて〜」
棒読みで助けを求める言葉を述べる邪神アンリ。
その姿は、下半身のみが石化した状態だった。
否、玲治達は彼女が全身石化しているところを目撃しているため、上半身のみが石化から解放された状態と言った方が正確かも知れない。
人族や魔族であれば血が通わずに死亡しているところだが、神族である彼女はそんな状態でも平然と生きているようだった。
むしろ、平然どころか足が石化して動けない状態にも関わらず、上半身はお茶の入ったカップを傾けている余裕っぷりだ。
「ど、どうしてあんな状態に?」
「あの野郎とあいつは系統が一緒だからな、俺らよりも抵抗力があったんだろ」
「まぁ、流石に完全に自力で解放出来る程ではないようですが」
元々、彼女達に石化を施した邪神と邪神アンリは力を分け与えた者と分け与えられた者との関係。
その属性や系統は似通っており、石化を途中で解除出来たのだろうとソフィア達は推測していた。
おそらく、この階層があんな仕様になっていたのは、中途半端に解放された彼女の意思が混ざったせいだろう。
つまり、ここまでの苦労や金貨を巻き上げられたことは、彼女のせいだとも言える。
「たすけて〜」
お茶を啜りながら棒読みで助けを求める姿に、流石の玲治もイラッとした。
が、目的を考えればここで助けないわけにもいかない。
「取り敢えず、彼女を完全に解放させましょう」
「あ、馬鹿。待て!」
「迂闊に近付いてはいけません!」
今回は半分とはいえ管理者が目覚めているのでラクに済む筈。そう思って玲治が邪神アンリに近付いた瞬間、彼女の足元に魔法陣が広がる。
「あ、」
何かを言い掛けた邪神の少女が、その言葉を全て吐き出さない内に呑み込まれた。
ドクンと何かが脈打つような音がすると共に、部屋の中に無色の波動が浸透してゆく。
それが何かを悟る前に、玲治は心臓を握られるような怖気と全身が泡立つような感触を受け、半ば反射的に両の掌を床へと突いていた。
膝はとうに折れており、傍から見れば跪いて頭を下げているように見える。
そしてそれは、彼に限らずパーティメンバーほぼ全てにも言えることだ。
聖弓の勇者も先代魔王も聖女と呼ばれし少女も、皆、堪えられずに倒れ伏している。
立ったままで居られたのは、管理者の二柱に仮面の女性、そして金髪の少女だけだった。
魔法陣から浮かび上がり、邪神少女の全身をその内に収めたそれは……巨大な目玉だった。
人の身長を超える程の大きさの眼球は、普通ではあり得ないことに前後左右そして上下の何れの方角から見ても瞳の形をしている。
第三階層の最奥、最後の試練として立ちはだかった「邪神の瞳」の前に、これまで様々な試練を乗り越えてきたアトランダム一行は為す術なく蹲るしかなかった。




