第87話:闇神の石像
「正直、気が滅入りそうだ」
「真っ暗で前の方が全然見通せないですからね」
「前と言うか、全部の方向がそうだけどな」
暗闇の中、揺らめく炎に照らされながら歩いていた玲治の独り言に、隣を歩くテナが確かにとばかりに頷いた。
周囲は光も音もない静謐な暗闇の空間であり、彼女の言う通り光源から少し離れると全く見通せなくなってしまう。
そのせいか、周囲の景色からどれだけ歩いているのかを察することが出来ず、感覚がおかしくなりそうな恐怖感がある。
もっとも、まだ大人数で光源を作り出す能力を有していたからマシとも言える。
もしも単独かつ魔法が使えない者が一切の刺激が存在しない空間に放置されたのなら、一刻ともたずに発狂していたのだろうから。
意図的に言葉を交わすようにしているのも、そうしていないと精神的に追い詰められてしまいそうだからだ。
現在、彼らの道程の光源となっているのは人間大の炎の塊だった。
先頭を歩く炎の人型から発せられる光が周囲や足元を照らす術となっている。
言うまでもなく、それはミリエスの得意とするフレイム・マリオネットだ。
最初は玲治やオーレイン、フィーリナの光魔法を光源として探索を行おうとしたのだが、手元から発せられる光で各人の足元を照らすためには、魔法を行使している人物が常に注意を割いている必要がある。周囲への警戒という点において懸念がある方法だ。
その点、ミリエスのフレイム・マリオネットならば前に立って歩かせれば通り道を照らすことが出来る。
ただし、この先のことを考えて魔力を温存するため、マリオネットは通常よりも小さいサイズで発現させていた。
「足元に穴が空いてでもいたら厄介でしたが、この分ではその心配もなさそうですね」
「いや、油断をするのはまだ早いだろう。大丈夫と思わせて……ということもあり得る」
「確かに……気を引き締めます」
フレイム・マリオネットに続いて一行の先頭を歩くエリゴールとミリエスが黒一色の地面を見ながら言葉を交わす。
視界の利きにくい暗闇の空間で足元に罠などがあれば厄介だったが、これまで歩いて来たところではその兆候はない。
しかし、彼の忠告も尤もだと考えたミリエスは気を引き締め直して周囲への警戒を強めた。
「………………」
「オーレイン様?」
「どうしたの?」
パーティの後方を歩くオーレインが周囲を警戒しながら何やら考え込む姿に、不思議に思ったフィーリナとアンリが声を掛けた。
問われた女勇者は誤解を生まないように慎重に言葉を選びながら彼女に答える。
「いえ、最初の場所との落差が激しいなと思っただけです。
もしかすると、あの場所だけが特別でこちらがこの階層の本来の姿なのかも知れませんが」
「こちらが本来の姿、ですか?」
「ええ。この階層が闇神アンバールの石像を納めるための場所なら、この暗闇の空間こそ相応しいと言えるでしょう。
それに比べて、最初に出くわしたあの意地の悪い場所は異質です」
聖弓の勇者オーレインに聖女フィーリナ、何れも人族として聖女神と崇められし光神ソフィアを信仰する者だ。
様々な経緯もあり聖光教による教えが必ずしも正しくはないことを知ってしまったが、彼女への信仰心自体は失せたわけではない。
しかし、同時に対立存在である闇神も決して単純に邪悪なる存在ではないことは、彼女達も理解しているつもりだ。
この静謐な暗闇が闇神由来のものであると言われればしっくり来るし、最初の性悪な嫌がらせの空間がそれとは性質を異にするものであることも納得出来る。
その存在との関係性が深い──当人は不本意だと言うだろうが──アンリも、オーレインの推測には同感らしく頷いた。
「多分、アレの趣味」
「そうですね。
おそらくですが、この『狭間』に来た時に声を掛けて来た邪神。
彼が置き土産とばかりに作って残していったのが、あの嫌がらせの場所なのでしょう」
「なら、この先はそこまで厄介なところは出てこないということでしょうか?」
「それは早計です。
あの邪神は常に私達……いえ、レージさんを見て遊んでいます。
この先もいつどんなちょっかいを掛けて来るかは分かりません。
ただ、最初に声を掛けて来たように何らかの兆候は見られるかも知れません。
それを見逃さないようにしましょう」
「わ、分かりました」
玲治達の一行はエリゴールやミリエスの感覚を信じて暗闇の中をひたすらに突き進んでいった。
◆ ◆ ◆
玲治達が歩く暗闇の空間は、一切の障害物などが存在しなかった。
勿論、ダンジョンのように壁があるわけでもない。
ただただ、平坦な地平が広がっており、そこには区切りなど一切なかった。
が、そんな彼らがとある地点まで到達した瞬間、存在しなかった筈の区切りが発現したことを感覚にて悟った。
別に壁が出来たわけでもなければ、線が引かれているわけでもない。
ただ何となく、これまでひたすらに歩いていた場所とは異なる空間……一種の「領域」のような場所に入ったことを自然と理解したのだ。
領域の広さは概ねダンジョン「邪神の聖域」のボスフロアと同程度。
そしてその領域の中心に立っている物があった。
しかし、一切の障害物が存在しなかった暗闇の空間に唯一つだけ立つ物が存在することに違和感は存在しない。
何故なら、ソレこそがこの空間を創り出している源であることを、誰もが一目で悟ったためだ。
「ッ!? 闇神様!」
それは、彼らの目の前で石へと変えられた闇神アンバールの姿だった。
石化される直前の忌々しいと言わんばかりに歪められた青年の表情が炎に照らされて浮かび上がる。
松明代わりのフレイム・マリオネットに続いて一行の先頭を歩いていたミリエスは、その石像へと駆け寄ろうとする。
彼の神を信仰する魔族であれば、それは当然の衝動だったと言えるだろう。
しかし、その動きは低い声で叱咤されることで制止された。
「待て! 迂闊に近付くな!」
ミリエスを止めたのは彼女の横を歩んでいたエリゴールだった。
同じく魔族である彼にとっても、闇神は信仰の対象。彼女と同じように即座に駆け寄りたい気持ちを彼も抱いている。
いや、むしろ先代とはいえ魔王の座にあった彼の方がその気持ちは強かったかも知れない。
しかし、敢えてその衝動を抑え込み、エリゴールはミリエスを止めた。
「闇神様を石に変えるような手合いがこのままあっさりとあの御方を返すとは思えん。
何が起こるか分からん、警戒しろ」
「し、承知致しました!」
教え諭すように低い声でミリエスに命じる彼の拳が血が滲む程強く握られていることに気付かぬ者など、この中には居ない。
玲治達は何が襲ってきてもよいように、戦闘態勢を整える。
実際、彼らもエリゴールの言葉が正しいと直感的に悟っていた。
このまま何事もなく闇神の石像を返すような相手ではないし、第一そうならこんな「領域」は必要ない。
目的を果たすには何かしらの試練を乗り越えることが必至だと覚悟を決めている。
果たしてそんな彼らの思惑が正しかったことを証明するかのように、彼の石像の周囲に魔法陣が浮かび上がった。
「ッ! 何だ?」
暗闇を塗り替える眩い光に照らされて、闇神の石像がすぅっと宙へと舞い上がる。
警戒して動けない玲治達の前で空中に静止した石化アンバール。
その周囲にノイズのように滲む何かの姿。
次第に実体化してゆくそれは巨大な漆黒の人型だった。
「ゴーレム、か?
いや、そもそも実体があるのか?」
「し、しかも闇神様が……」
外見だけで言えば、影で造られたゴーレムのようなもの。
頭部は流線型で前に突き出されており、まるで獣のような様相だった。目や鼻は無いが、口を模った切れ込みが深く根元まで広がっている。
人の三倍程度の大きさを誇るその胸部に埋め込まれる形で、闇神アンバールの石像の姿が見える。
その石化される直前の表情のせいか、まるで不自由を強制されて苦悶しているかのようにも受け取れた。
影巨獣アンバール……その実力は分からないが、少なくともこの演出を行った者の意図は明白だった。
「これと戦って取り返してみせろ、と言うことみたいですね」
「なるほど、それは引くわけにはいかんな。
まぁ、元々引く気は毛頭無いが」
「勿論です」
闇神アンバールを取り込んだ影人形に向かって、陣形を組んだ玲治達は挑み掛かった。
「行くぞ!」
「はい!」
◆ ◆ ◆
「───────ッ!」
「っ散れ!」
影巨獣はその両腕を交差させ無造作に払う仕草をする。すると、そこから左右三つずつ闇弾が放たれる。
一つ一つが人一人を優に呑み込んでしまいかねない、巨大な闇弾だ。
エリゴールが発した警告を受け、パーティは飛んでくる闇弾を回避や迎撃に走る。
エリゴール自身は大剣で闇弾を払い落し、アンリとテナは同じ程度のサイズの闇弾を放って相殺する。
他の者達は何とかその場から飛び退いて回避した。
「暗くて見づらいのは厄介ですね」
「ミリエスはフレイム・マリオネットを維持してくれ!」
「ああ、分かっている!」
まず厄介なのは、この「領域」もこれまで彼らが歩んできた空間同様に一切の光源が存在しない暗闇に満ちている場所だということだ。
加えて、相手は影の人型でありその身は漆黒で出来ている。
周囲に溶け込むその色は、ミリエスの炎のマリオネットによって照らされていなかったらあっと言う間に見失ってしまいかねないものだった。
加えて、放ってくる闇弾も周囲の暗闇に溶け込んでしまって見づらいことこの上無かった。
探索時には省力化のために小さいサイズで構成していたそれを、本来のサイズへと戻して周囲を照らすようにする。
勿論、それによる負荷は小さい時よりも増すが、敵の攻撃を見逃す危険性と比べれば迷うべきことではなかった。
依然として周囲が暗闇であることは変わらないが、少なくとも影巨獣の全容や闇弾を見逃さないで済む程度には炎に照らされて視界が確保出来た。
「アンリさんとテナは相手の攻撃を相殺することに専念してください」
「はい!」
「らじゃ」
アンリとテナの二人の主な戦闘手段は闇魔法。
しかし、相手は闇の頂点とも言える神であり、どれだけぶつけたところでダメージになるとは思えない。
それどころか、下手をすれば逆に吸収されて力を増してしまう恐れすらある。
それでも、闇巨獣の放つ闇弾を相殺することについては十分な効果があることは既に判明していた。
「相手の攻撃は私が止める」
「はい、お願いします! エリゴールさん!
オーレインさんは聖弓で、フィーリナは俺と光魔法で攻撃を!」
「分かりました!」
「任せてください!」
大剣を構えたエリゴールが直接攻撃を防ぐために一歩前に踏み出し、それを信じた玲治は光属性の攻撃手段を持つ者達へと指示を飛ばした。
相手は闇神の闇の力を源にした存在、であるなら逆属性である光属性が最も有効だろうと判断してのものだ。
「合わせてくれ! 三、二、一……」
玲治のカウントに合わせて、オーレインは構えた聖弓に渾身の魔力を注ぎ、フィーリナは杖を前に突き出して魔力を集中させる。
「ゼロ!」
合図と共に暗闇を斬り裂く光が放たれた。




