第85話:狭間
「……ここは?」
歪んだ視界が元に戻った玲治は、周囲を見回して疑問の声を上げた。
それと言うのも、辺りの光景が数秒前にあったそれとは全く異なるものへと変貌していたためだ。
それは奇怪で、歪な空間だった。
全体的には橋梁と呼ぶべき形状をしているのだが、地面は深紫色のよく分からない質感の素材で構成されており、直線ではなくぐねぐねと歪んでいる。
灯りなど全く無いにも関わらず視界は不自然なほどクリアで、かなり先まで見通せた。
しかし、一番目を引くのは周囲の空間だ。
極彩色で塗り潰された目に優しくない景色が上下左右に広がっていたのだ。
まるでキャンバスに適当な色の絵具を叩き付けるようにして描いた空間の中、唯一つ架けられた橋の上に彼らは立っていた。
心の弱い者であれば、この空間に立っているだけで体調を崩し、発狂していたかも知れない。
もしもこの世界をデザインした者が居るのなら、その相手は間違いなくまともな精神をしていないことだけは断言出来る……この場に立つ誰もがそう考えていた。
「先程まで居た神殿とは全く別の場所のようですね」
「そも、尋常な空間には見えんな」
近くに立って同じように警戒した表情で周囲を見回していたオーレインとエリゴールが呟く。
その声を聞いた玲治は、ハッと我に返ってパーティメンバーの様子を確認し始めた。
周囲に居るのは六人。
先程声を上げたオーレインとエリゴール以外に、反対側にテナ、ミリエス、フィーリナ、そして仮面の女性アンリ。
それ以外にこの場に居る者は居なかった。
「ッ!? そ、そうだ!
闇神様は!? 闇神様はどうされた!?」
「聖女神様は!?」
他の人影が見えないことに気付いたミリエスとフィーリナが悲鳴じみた声を上げる。
先程石化させられてしまった管理者達の姿が何処にもないことに気付いたためだ。
信仰する神々の身に起こった災厄に、彼女達は取り乱さずには居られなかった。
「アンリ様も……」
「呼んだ?」
不安そうに胸元でギュッと両手を握るテナに、後ろから声が掛けられる。
従者である彼女にとって、その声は聞き間違えることなどあり得ない。紛れもなく、敬愛する彼女の主人のものだ。
「アンリ様、ご無事だったので──」
喜びと共に振り返ったテナの視線の先には、確かに彼女の主人であるアンリの姿があった。
但し、それは仮面を身に着けた人族のアンリの方だ。
当然、彼女もテナの主人であって大切な存在であることには変わりないのだが、今金髪の従者が心配していたのは石に変えられてしまった神族の方のアンリである。
ぬか喜びにガクッと姿勢を崩してしまった彼女のことを責められるものは居ないだろう。
「聖女神様に邪神のアンリさん、それに闇神アンバールは連れ去られてしまったと考えた方が良さそうですね」
「そ、そんな……」
「我々だけがこの空間に取り込まれ、闇神様達は元の場所にいらっしゃる可能性もあるが……そう考えた方がよいだろうな。
相手は闇神様を一方的に石化するような超常の存在だ。
最悪を想定しておいた方がよい」
エリゴールの言葉に、一行に暗い雰囲気が広がる。
信仰していた神々が石に変えられてしまった上に行方知れず、その上自分達は謎の空間に取り込まれてしまったのだから、そうなるのも無理は無い。
暗くなってしまった空気を変えるように、少女達は努めて明るい声を上げた。
「それにしても、ここは一体どこなのでしょう?」
確か、あの時の声は『こちら』に招待すると言ってましたが……」
「もしかして、ここがレージさんの居た世界なのですか?」
「いやいやいや、待ってくれ!?
俺が居た世界はこんなわけが分からない悪趣味なところじゃないって!」
テナの発したとんでもない言葉に、玲治は慌てて彼女の勘違いを解きに掛かる。
流石に、こんな空間の住人と思われるのはごめんだった。
「あ、やっぱりそうですよね。
びっくりしました」
「びっくりしたのはこっちだよ……」
「私もこんな世界の出身と思われるのは勘弁してほしい」
声の主である真・邪神は玲治達の世界の神族であり、その彼が「こちら」と言ったためテナ達がそう考えるのも無理はない。
ないのだが……目の前に広がる空間はどう見てもまともな神経の人族が住めるような場所ではなかった。
玲治と同じ世界の出身とされているアンリも肩を竦めて見せる。
「しかし、我々の世界にもこんな場所が存在するとは思えんが……」
「ええ、私も見たことも聞いたこともありません」
改めて周囲の光景を見回しながら告げるエリゴールに、オーレインも同調する。
この場に集まった者達の中で最も多くの場所を見聞きしているのは、勇者や冒険者として広く活動していた彼女だ。
その彼女が噂にも聞いたことがないという言葉は信憑性があった。
『どちらの世界でもないよ?
ここは二つの世界の狭間さ』
「──────ッ!?」
先程と同じように聞こえた声に、一行は身構えて周囲を見回した。
「さっきの声……俺をあの世界に放り込んだ邪神、だよな?」
『正確には召喚に乗じただけで僕が放り込んだわけではないけど……まぁ、そう解釈してもらっても構わないよ。
召喚の対象として君を選んだのは僕だからね。
そうそう、言い忘れるところだった。
やっぱり君を選んだのは正解だったよ。
予想以上に愉しませてくれて、ありがとう』
声は何処から聞こえてきているのか分からなかったが、取り敢えず上空に向かって玲治は問い掛けた。
そんな彼の声に、返ってきたのは愉快そうに嘲笑う邪神の言葉だ。
少々苛立ちながらも、玲治はそれを表に出さないようにして彼に対して対話を続けようと試みる。
「そうか。感謝しているなら邪神のアンリさん達を返して、俺を元の世界に帰らせてくれないか?」
「レージさん……」
『うーん、僕としては十分愉しませてもらったからそれでも良かったんだけど……折角のアンコールだからね。
彼ら三柱の考えた計画も面白そうだし、もう少し愉しませてよ』
一瞬だけ交渉が通るかと思った玲治達だが、続く言葉に内心で落胆する。
もっとも、最初から一筋縄でいくとはこの場の誰もが思っていなかったため、そこまで大きな衝撃はない。
警戒心から次の言葉に迷う玲治達だったが、アンリが一歩前に進み出て問い掛けた。
「ソフィアやアンバール、神族の私は無事?」
『勿論。石になってもらったけど、元に戻すのは簡単さ。
管理者である彼らが居なくなると、そっちの世界が崩壊しかねないからね。
ただし……石から戻すのが遅くなると同じ事だけどね』
「……今すぐ闇神様を元に戻してもらいたいのだが?」
『それは駄目だよ、折角の催しなんだからね。
世界が崩壊する前に頑張って取り戻して見せておくれ』
三柱を取り戻さないと世界が崩壊するという宣告に、その場に集まった者達の緊張感は一気に高まる。
内心の激情を抑えながらエリゴールが告げた要求は、あっさりとはね退けられた。
世界一つが崩壊しても、|そうなったらそうなったで構わない《・・・・・・・・・・・・・・・・》と言わんばかりの言葉に、玲治達は何も言えなくなる。
否、言わんばかりどころか実際にそうなのだろう。
少なくとも、良識や倫理の観点から幾ら言葉を投げ掛けても何の役にも立たないことは理解出来た。
「それで、取り戻すために俺達に何をしろって言うんだ?」
『この空間を探索して、石になった彼らを見付けだせばいいだけだよ。
君達が触れたら、自然と石化は解除されるからね』
「ダンジョン探索みたいなものか」
『そうそう、そんな感じさ。
この空間は四つの階層に分けてあるんだ。
一つの階層に石像を一つずつ、そして僕は最後の階層で待っている。
見事彼らを取り戻して僕の下まで辿り着いてよ』
その言葉を最後に、声は聞こえなくなった。
「……消えた、か。
これからどうしましょう?」
「悔しいですが、相手の言葉に乗るしかないでしょうね。
帰る術も想像も付きませんし……」
「闇神様をお救いせねばならん。
それに世界の命運が懸かっているのであれば、なおのこと」
玲治の問い掛けに、オーレインとミリエスは神妙な顔付きでこの空間に挑むことを提言してきた。
確かに、今彼らが居る場所にどうやって来たのかも分からなければ、どうやって戻るのかも分からない。
このままこの場所に居ても救援が来るとは思えないし、ジッとしていれば餓死が待つだけだ。
加えて、先程の声が正しければ三柱を取り戻すのが遅れるとテナ達の世界が崩壊しかねないという。
彼女達の言う通り、癪であっても思惑に乗る以外に道は無かった。
「そう、ですね。
アンリさん、エリゴールさん。手を貸して頂けますか?」
「いいけど……あまり期待しないで」
「無論だ、全力を尽くさせてもらおう」
その後、言葉を交わしたことが無かったメンバーの自己紹介を終えた彼らは『狭間』の探索へと乗り出した。
アンリ「あまり期待しないで(レベル1だし)」