第73話:帰還への思い
「あれ? ミリエスにフィーリナ?」
「む? レージか」
「お一人ですか?」
「ああ、宿で休んでたんだけど、正直暇で……」
第二十階層のボスを撃破した翌日、アンリニアの街を歩いていた玲治はカフェの店先に見知った相手が二人で談笑しているのを見掛けた。
第十階層の時もそうだったように、今回も一日の休息を置いてから次の階層に挑むこととなったのだ。
目に見えないと敵いう脅威に晒された精神的な疲労は大きく、パーティメンバーからも休暇について異論は出なかった。
玲治は当初宿でゆっくり身体を休めるつもりだったのだが、彼が元居た世界のようにテレビがあるわけでもないため、暇を持て余して外に出てきたところで、ミリエス達とばったり会うこととなった。
「それにしても、珍しい取り合わせだな」
「そうか?」
「フフ、そうかも知れませんね。以前の私だったら考えられません」
折角なのでと二人が座っていたテーブルの空いた席に座り店員に注文を頼んでから、玲治は二人に対して話し掛けた。
ミリエスは首を傾げていたが、フィーリナはおかしそうに微笑んだ。
玲治は単純にこの二人が行動を共にしているのが珍しいと言ったつもりだったが、どうやら彼女は別の捉え方をしたようだった。
片や魔族の四天王の一人、片や聖光教で聖女とも称された修道女、本来であれば不倶戴天の敵同士と言うべき間柄だ。それがカフェで同じテーブルを囲んで談笑しているのだから、巡り合わせというのは侮れない。
尤も、それを言い始めると彼らのパーティメンバーはあまりにも雑多であるため、誰と誰を組み合わせたとしても他では見られない組み合わせになってしまうのだが。
「そもそも昔の私だったら、此処に居る事自体があり得なかったと思いますし」
フィーリナは何処か眩しいものを見るような目で周囲の光景を見渡しながら、そう続けた。
アンリニアは邪神アンリを信仰する者達の街であり、魔族であるミリエスだけでなくこの都市自体が聖光教にとっては存在するのも忌まわしい土地である。
敬虔な信者であったフィーリナもかつてはそう考えていたのだが、実際この場所に来てみてそれが誤りであることを痛感していた。
陰惨なイメージを抱いていたその場所はとても明るく、人々の活気によって輝いてすら見える。とても邪教の本拠地であるとは信じられない様相だ。
とはいえ、これについては間違っているのはアンリニアの光景の方だったりもする。
本来の邪教徒は生贄も捧げたりサバトを取り行ったりする集団であり、フィーリナが抱いていたイメージの方が正しい。
その本拠地がこのような明るい場所になっている原因は、概ね彼らが信仰する邪神の気質が影響している。
「以前の生活に戻りたいとは思わないのか?」
「え?」
「あ、ごめん。つい……」
玲治が思わず問い掛けると、フィーリナは全く考えていなかったと言わんばかりに呆然とした表情で答えた。
先日の一件で周囲の環境が劇的に変化してしまった彼女にとっては、辛い質問だったかも知れないと考え、玲治は反射的に謝罪を口にする。
「あ、いえ、大丈夫です。
以前の生活にですか、正直考えたことがなかったのですが」
そこまで言うと、フィーリナはカップに口を付けて紅茶を一口啜ってから、微笑みながら答えた。
「やっぱり、戻りたいとは思いません。
色々と大変なことに巻き込まれてしまったとは思いますが、
ああならなければ、私は視野が狭いまま聖都で一生を過ごしていたと思います。
そしたら、こうしてお二人と一緒に過ごすこともありませんでした」
「フィーリナ……」「フフ、そんなことを言ってもケーキくらいしか出ないぞ」
「あら、素敵ですね」
照れ隠しのためか軽口を投げ掛けてきたミリエスに、フィーリナも楽しそうに微笑んだ。
店員を呼んでケーキを追加注文しようとする二人に一言断り、玲治はその場を後にした。
「……戻りたいとは思わない、か」
◆ ◆ ◆
ミリエスやフィーリナと別れた玲治は、冒険者ギルドの方へと向かった。
別に何か依頼を受けようと思ったわけではなく、彼にとってこの街で知っている場所というのは限られており、冒険者ギルドはその内の一つだったというだけの話である。
「オーレインさん、ギルドに来てたんですね」
「あ、レージさん。奇遇ですね」
冒険者ギルドで彼は、見慣れた薄紫髪の女性に出会った。
その女性──オーレインは彼の姿を見て嬉しそうに駆け寄ってきた。
なお、彼の行動範囲は限られているため実際には奇遇でもなんでもない。
「ギルドに何か御用ですか?」
「あ、いえ。そういうわけではないんですけど、宿に居てもすることが無かったので」
「なるほど」
「オーレインさんは何故ギルドに?」
「私ですか?
そうですね、情報収集といったところです」
玲治の質問に、オーレインはギルドの中を見渡しながら答えた。
ギルドは情報の集まる場所であり、そこに来れば様々な情報を得ることが出来る。得られる情報は、ダンジョン攻略に関するものから、周辺各国の情勢まで様々だ。
尤も、ダンジョン攻略に関してはアトランダムよりも先行している者は居ないため、あまり役に立つものはなかったようだが。
「何か重要な情報はありましたか?」
「そうですね、ルクシリア法国の方はまだゴタゴタしているようです」
「それは……そうでしょうね。
俺が召喚されたことが大元の原因だと考えると複雑ですけど」
「一方的に巻き込まれたレージさんには責任はないでしょう」
「まぁ、そう割り切れればいいんですけど」
何処となく俯き加減の玲治の態度に、オーレインは何かを察するような表情になった。
「レージさん、何か悩まれてますか?」
「あ……」
「私で良ければ、相談に乗りますよ?」
優しく微笑むオーレインに、玲治は暫く逡巡していたがやがてゆっくりと首を横に振った。
「いえ、もう少し自分で考えてみます」
「そう、ですか。分かりました。
でも、あまり一人で抱え込まないでくださいね」
「はい、ありがとうございます」
玲治はオーレインに礼を言うと、冒険者ギルドを後にする。
その彼の後姿を、彼女は心配そうに見詰めていた。
◆ ◆ ◆
「………………」
玲治は以前テナと一緒に訪れた中央広場のベンチで一人座り込んでいた。
既に二時間以上、その場に座ったまま考え事をしている。
「レージさん、ここに居たんですね」
「……テナ?」
座り込んでいた玲治に、突然横から声が掛けられた。
彼が顔を上げて声がした方を見ると、そこにはよく知る金髪の少女の姿があった。
しかし、玲治は彼女の姿に辛そうな表情になると、顔を逸らして再び俯いてしまう。
そんな彼の態度に、少なくとも表面上は気にした様子も見せずにテナは彼の横に座った。
「どうしてここに?」
「冒険者ギルドでオーレインさんに頼まれたんです。
レージさんが何か悩んでいるみたいなので、相談に乗ってあげてほしいって」
「オーレインさんが?」
つい先程の会話を思い出しながら、玲治は暫く黙り込んだ。
オーレインに対しては相談をしなかった玲治だが、果たしてテナには相談すべきだろうかと悩む。
彼が今抱えている悩みは以前の彼女との会話も原因の一つであったため、テナと相談するのは意味があると考えて口を開いた。
「二十階層までクリアして、ダンジョンも三分の二まで攻略出来た。
あと十階層攻略したら、試練はクリアってことだよな?」
「そうですね。
ダンジョンは三十一階層までありますけど、攻略するのは三十階層までです」
「三つの試練の内、これが最後だ。
つまり、あと十階層攻略したら俺は元の世界に帰れるってことになる」
「────ッ!」
そこまで聞いて彼の悩みを察したテナは、顔を強張らせた。
「勿論、帰るべきなのは間違いないし、今でもそうするつもりだ」
「そう、ですよね」
「でも、前にテナに言われた通り、帰ったらもうテナやオーレインさん、ミリエスやフィーリナ達、
この世界で出会った人には会えなくなる。
そう考えると、この世界にも未練があって……どうしたらいいか分からなくなるんだ」
「レージさん……」
悩みを吐露する玲治に、テナも掛ける言葉に迷う。
彼女にしてみれば玲治が元の世界に帰って会えなくなるのは寂しいが、かと言って彼に元の世界に帰らないでほしいとも言えずに、もどかしい思いに捉われていた。
暫く二人でベンチに座ったまま黙り込んでいたが、やがてテナが立ち上がって振り返りながら玲治へと話し掛けた。
「レージさん、この後予定はないですよね?」
「え? いや、見ての通り特に予定はないけど」
「でしたら、こんなところで座り込んでないで色々と街を回りましょう」
「どうしたんだ、突然?」
唐突なテナの提案に、玲治は困惑した様子を見せる。
「レージさんが元の世界に帰った時に、この世界の思い出が楽しいものであってほしいんです」
「あ……」
「楽し過ぎて元の世界に帰りたくなっちゃわないよう、気を付けてくださいね?」
珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべながら敢えてそんなことを言うテナに、呆然としながらも玲治は彼女の手を取った。
笑顔に反して彼女の目尻に浮かぶ涙に触れることなく……。