第62話:達成不可能な試練
「絶対無理です!」
テーブルに両掌を叩き付けるようにしながら叫ばれた言葉が、会議室に響き渡った。
声を発したのは薄紫髪の女性、聖弓の勇者オーレインだ。
「オ、オーレイン様!?」
「……ハッ!? すみません、ちょっと興奮してしまいました」
大人しげな普段の様相からはかけ離れた彼女の姿に、思わず隣に座るフィーリナが怯えたような声を上げると、正気に戻ったのかオーレインは顔を赤く染めながら席に座り直した。
邪神アンリとの謁見の後、用は済んだとばかりにポイッと謁見の間から追い出されたアトランダム一向は、教皇に頼みこんで神殿内の会議室を借り、与えられた試練に対する作戦会議を行うこととした。
しかし、その第一声が先程のオーレインの言葉だ。
百パーセント不可能だというお手上げ宣言であり、会議の開催理由の全否定である。
「あの、オーレインさん。
どうしてそこまで無理だと言うんですか?
この前、十階層まではクリア出来たじゃないですか」
オーレインが落ち着いたのを見て、玲治が疑問を投げ掛けた。
彼の言う通り、以前玲治達は先代魔王エリゴールの助力を受けたとはいえ、十階層まで到達している。
確かにそこまでの道のりは簡単ではなかったが、絶対に無理という程ではなかったと彼は考えていた。
勿論、最下層ともなれば十階層よりも難易度が高いのは当然だと思うが、あの時よりも大分強くなっていることも考えれば可能性はあるのでは……と思ったのだ。
しかし、オーレインは静かに首を横に振った。
「確かに、十階層まではクリア出来ました。
しかし、そこまではまだ人の身で到達出来るレベルです」
「最下層はそうではないと?」
ミリエスの言葉に、オーレインは頷いて返した。
それを見たミリエスは腕を組み、何かを思い出すように斜め上へと視線を向ける。
「そう言えば、隊長達から聞いたことがあるな。
最下層のボスに先代陛下も含めたパーティで挑んだにも関わらず歯が立たなかったとか」
「ええ、私もその場に居ましたが……最下層のボス、インペリアル=デスの強さは異常です。
先代魔王のエリゴールさんに魔族四天王のレナルヴェさん、ヴィクトさん。
それから私を含めた勇者三名の合計六名で挑んでも、まともにダメージを与えることすら出来ませんでした。
ハッキリ言って、あれは人の身で倒せる存在ではありません」
「そこまでですか……」
実際にその場に居たオーレインの真剣な声は説得力があり、玲治達は思わず唾を呑み込んだ。
当時の魔王と魔族の四天王二人に勇者三人、ハッキリ言って人族と魔族が出せる最高戦力だ。
彼女の言うかつて最下層に挑んだパーティメンバーと今此処にいるアトランダムのパーティメンバー、正確な戦力差は不明だが今の彼らには遥かに戦力が足りていないのは間違いない。
とはいえ、ダンジョンに挑むに当たってはこれ以上人数を増やしても逆に身動きが取り辛いだけだろう。
「でも……」
「テナさん?」
「あ、すみません。
ただ、私にはアンリ様が達成出来ないような無意味な試練を課すとは思えないんです。
きっと何か理由が──」
「当人(?)は面倒って言ってたぞ?
それに、最初は金貨一万枚の奉納って言い掛けてたし」
「……あぅ」
テナが邪神アンリを擁護しようとするが、玲治のツッコミにあえなく沈黙する結果となった。
ハッキリ言って、邪神アンリのやる気の無さは擁護が難しいレベルだった。
「いえ、待って下さい」
「オーレインさん?」
しかし、その言葉に引っ掛かりを得た人物が居た。
他ならぬ、オーレインだ。
先程までは試練は達成不可能だと断言していた彼女だが、何かに気付いたようだった。
「考えてみればあそこでの会話は聖女神様達もお聞きになっていた筈です。
あの時邪神の頭に落ちてきたタライがその証拠です。
だと言うのに、あの試練を止められなかったのは……」
「テナが言うように、一見達成不可能な試練に意味があると?」
「ええ、私達が気付いていない達成出来る可能性があるのか、あるいは試練に挑むこと自体に意味があるのか。
いずれにしても、邪神はともかく聖女神様は無意味なことはされないと──へぶっ!?」
オーレインが気付いた事実を玲治達に説明していると、その言葉は唐突に途中で遮られることになった。
あの謁見の間でもあったように、中空から突然お盆が降ってきて彼女の頭を直撃したのだ。それも、縦に。これは痛い。
謁見の間で邪神アンリの脳天を直撃したタライの焼き回しのような光景だった。
まったく予見していなかった上からの落下物に、オーレインは頭を強打されると同時にテーブルに顔面をぶつける結果となる。
お盆はあの時のタライと同じように、床に落ちる前に掻き消えた。
「なななっ!?」
「何故お盆が? 何処から落ちてきた?」
「……もしかして、アンリ様が聞かれてるのでしょうか?」
「だ、大丈夫ですか? オーレイン様」
突然オーレインを襲った喜劇に、玲治達は混乱状態に陥った。
そんな中、女勇者はこぶの出来た頭をさすりながら、顔を上げた。
結構な勢いでテーブルにぶつけたせいか、鼻の頭が赤くなっている。不幸中の幸いと言うべきか、鼻血が出る程ではなかったようだが。
「ゆ、油断しました……そう言えば、此処は邪神の神殿の中でしたね。
迂闊に悪口は言わない方が良いみたいです」
「りょ、了解です」
涙目になりながら告げられた言葉に、玲治は一も二もなく頷くしかなかった。
考えてみれば、よりにもよって邪神の居城とも言える神殿内で作戦会議を始めたのがそもそもの過ちだったのだが、後も祭りだ。
なお、彼らは知らないが神族はこの世界の何処であろうと情報収集出来るだけの力を有している。
その点では別に邪神殿の中であろうとなかろうと邪神の盗み聞きされてしまうのは一緒である。
「それで、結局どうしましょう?」
「無理難題かも知れないけれど、結局試練を受ける以外の道はないな」
「まぁ、レージさんの目的を考えれば、避けて通ることは出来ません。
ただ、出来れば邪神アンリの狙いを突き止めておきたいところですが……」
「そんなこと出来るのか?」
オーレインの言葉に、ミリエスが首を傾げた。
何せ相手は神族、狙いを突き止めるどころかもう一度会って貰えるかも分からない。
「そうですね……彼女が耳を傾けざるを得ない人物に説得をお願いするというのはどうでしょう?
それでも試練の内容が緩和されなければ、あの試練が気まぐれではなく確固たる目的の下で課せられたものということになります。
そうなれば、後はもう全力で挑むしかなくなりますが」
「理屈は分かるが、そんな人物が何処に居る?
それに、ここでの会話は筒抜けだと知ったばかりだろう?
そんなことを話してしまっては、対処されてしまうのではないか?」
「聞かれたところで困らないから話しているのですよ。
これで目的を隠すために試練を緩和してくれるなら、それはそれで助かりますからね」
「ああ、なるほど。そういうことか」
オーレインの説明に、ミリエスは納得の声を上げる。
ここで彼女が仕掛けようとしている工作を回避するために敢えて説得に乗るなら、それはそれで試練達成の助けになる。そして、敢えて聞かなかったことにして跳ね退けるならば、理由があっての試練だと認めるのと同じ。
話を聞かれている前提でどちらに転んでも良いように仕掛けているのだ。
尤も、これは既にオーレインが確信に近いものを得ていて確認のために行っているからこそ成り立つ理屈である。
実は単なる気まぐれだった……などとなると、大分話が変わってくる。
「後は説得をお願いする人選ですが……テナさん、如何でしょう?」
「え?」
唐突に自分に話を向けられ、テナは驚いた声を上げた。
「元々仕えていた貴女なら、誰か知っているのではないですか?
邪神アンリを説得出来そうな人を」
「えーと、神族のアンリ様を説得出来る人ですか?
そんな突然言われても……あっ!」
一瞬悩んだ様子を見せたテナだったが、ふいに何かを思い付いたのか声を上げた。
「誰か居るのですか?」
「はい!
あの方なら間違いないです!」
「それでは、他に話し合うことが無いようでしたら、早速その人の所に頼みに行きましょう」
「分かりました、俺は特にありません」
「私もだ」
「私もです」
それ以上話し合うことがないことを確認した一行は席から立ち上がり、テナの案内に従って会議室を後にした。
<登場人物から一言>
アンリ「…………てんちゅー」
ソフィア「酷いことしますね」
アンリ「貴女も私にやったこと」




