第60話:三十六計逃げるに如かず
「……まだ集まってますか?」
「ああ、ほとんど減ってないな。
いや、むしろ先程より増えているように見えるぞ」
「うぅ……」
「勘弁してくれ……」
窓から外の様子を窺ったミリエスに、外から見えないようにこっそり隠れているフィーリナが問い掛けるが、返ってきた答えに玲治と二人で頭を抱えることとなった。
ここは、拠点であるオーレインが聖都に持っている家だ。
五人と一羽は広場での騒動の後、逃げるようにしてこの場へと戻っていた。
逃げる相手は当然既に敵対が必至となってしまった聖光教上層部とその尖兵たる修道兵……と思いきや、玲治達が起こした奇跡を目の当たりにした信徒達だった。
勿論、修道兵達からも逃げなければいけないことに変わりはないのだが、それ以上にアトランダムの面々──正確には光神の力を降ろした玲治とそれによって命を救われたフィーリナを救世主のように崇めようとする者達の方が厄介だったのだ。
ハッキリ言って、敵よりも味方の方が恐ろしかった。
オーレインの家に彼らが滞在していることは噂になっているらしく、彼らの姿を一目見ようと大勢の信徒達が連日門前に押し寄せていた。
なお、彼女の家の前は普通の通りであり、著しく通行の邪魔となっている。
「オーレイン様、どうすれば良いのですか?
この状況……」
「わ、私に聞かれても」
フィーリナがこの状況を作り出した元凶その一に問い掛けるが、薄紫髪の女勇者も答えは持ち合わせていない。なお、元凶その二は玲治である。
オーレインが群衆に訴え掛けたことは、状況的にそうしなければ切り抜けられなそうだったためであり仕方のないことなのだが、流石にここまで厄介な結果になると罪悪感があるらしく冷や汗を流しながら顔を逸らしていた。
ここまで騒ぎが大きくなった理由には、元々聖光教に対する不信感が水面下で蔓延していたことがあるのだろう。
特に下層に属する貧しい者達の間に不平や不満が溜まっていたのだ。
総本山であるここ聖都においても、表通りは整然としているが少し裏に入ると途端に貧民街のような様相となっている。
貧富の格差が大きく貧しい者は生きるのに事欠くような状態なのだが、それを信仰によって誤魔化していたのが聖光教と法国、そして聖都のこれまでの在り方だった。
しかし、幾ら信仰によって慰めると言っても限度はある。そう言った日々の不満が噴出し新たな救い主を求めた結果が、玲治やフィーリナに対する過剰な期待に繋がっている。
貧しい者達の中にも声の大きい者や取り纏める者達も居り、彼らは既にオーレイン達が広場で訴え掛けた言葉を下敷きに新たな教義を生み出し始めていた。
元々あった聖光教にフォルテラ王国が立ち上げた、それらに続く第三の派閥として生まれたそれは、正式名称は特に設けられていない代わりに「聖女派」と呼ばれていた。
光神の力を降ろした玲治よりもフィーリナの方がメインに据えられているのは、彼が特段の主張をしなかったことと、フィーリナが元々聖女派の支持者になっている貧民層に広く慕われていたことが原因である。
聖女派の主な教義は弱者の救済と魔族との共存だ。
前者は兎も角として後者の魔族との共存は人族領と魔族領の境界に近い地域であれば一笑に付されて終わるだろう主張である。そもそものところ、魔族側は共存したいなどという宣言はしていないのだから絵空事でしかない。
しかし、境界線から遠く離れたルクシリア法国やその周辺国においては言うだけならタダな主張となる。実質的には、積極的な敵意を示さない程度の扱いになることだろう。
ただ、この魔族との共存があるからこそややこしい構図が生まれることとなる。
聖光教の上層部や既存の教義に対して異論を掲げるというのは、フォルテラ王国率いるオリジン派も同じであり、オリジン派と聖女派は結び付く可能性があった。
だが、オリジン派の中心であるフォルテラ王国は神聖アンリ教国が出来るまでは人族領と魔族領の境界にあった国だ。当然ながら、魔族との共存に関しては否定的な立場となる。
もしも聖女派が魔族との共存を教義の二本柱として掲げていなければ、早々にオリジン派と合流して本家である旧来の聖光教と対立する未来もあったかも知れない。
しかし、結果的にはオリジン派と聖女派は結び付くことはなく、三つの派閥が睨み合う状況となった。
勿論、三つの派閥と言ってもその規模においては大きな差がある。
聖女派が立ち上がる前は、本家の聖光教とオリジン派の勢力比は8:2というところだった。
聖女派が生まれたことによって勢力比にも変動が起こっているが、現在の勢力比は6.9:3:0.1程度だ。勿論、聖女派が0.1なのは言うまでもない。
オリジン派の勢力が増しているのは、聖女派そのものの影響というよりは、そんな騒動があったことで本家聖光教の権威が落ちた結果、勢力図の境で態度を決めかねていた国が幾つかオリジン派に移ったためである。
他の二つの派閥と比べれば遥かに小さな聖女派だが、それでも他の派閥が無視出来ない理由が二つある。
一つは聖女派が本家聖光教のお膝元である聖都で起こったものであるということ、もう一つは聖光教の祭神である聖女神から加護を受けているという事実が知られていることだ。
オリジン派にとってみれば、上手く聖女派を取り込むことが出来れば聖女神からのお墨付きを得られるし、本家聖光教の牙城である聖都に切り込む手段となる。逆に、本家聖光教にとってはオリジン派に合流されては厄介なことになるため、自勢力に取り込みたい。
そんな両者の狙いもあり、聖女派の中心人物──と周囲からは思われている──フィーリナの下には両派閥からの連日手紙が届いている。
「で、でもこれで少なくともフィーリナが命を狙われる状況は脱した筈です。
聖光教上層部から見たら目障りかも知れませんが、下手なことしてオリジン派に合流されるリスクを考えれば早々手出しはして来ないでしょう。
取り敢えず聖女神様からの試練は達成したと言えませんか?」
「まぁ、彼女が責められている状況を解消することが依頼でしたからね。
両陣営から勧誘されている今の状態なら責められることはないでしょう」
「ん? ならばこれで達成として此処から引き上げるのか?
正直、この街は私のような魔族にとっては窮屈なので出られるなら嬉しいが」
「ええと、良いんでしょうか……?」
「ちょ、ちょっと待って下さい!
この状況で私を置いて行かないで下さい!」
無理矢理一件落着ムードを作り始めたオーレインや玲治に、フィーリナが慌てて縋り付いた。
実際、この状況で放り出されたら新興派閥の教祖として祭り上げられる胃の痛くなるような未来が待っているのだから無理もない。
必死になるあまり玲治の腕に胸を押し付ける格好で縋り付いていたフィーリナだったが、オーレインとテナに引き剥がされた。
そこで初めて自分から異性に抱き付いていたことに気付いた彼女は、顔を赤く染めて座り込んだ。
「うぅ……すみません。取り乱しました。
でも、何処かに行かれるのであれば私も連れて行って下さい。
流石にこの状況で一人取り残されるのは、私には荷が重すぎます」
半泣き状態で懇願するフィーリナの姿に流石に可哀相に感じたのか、テナが玲治達の方を向いて提案し始めた。
「あの、連れて行ってあげませんか?」
「しかし、この状況でフィーリナが居なくなると彼らが騒ぎそうですが……」
テナの提案に、オーレインは窓の外にチラリと視線をやって難色を示した。
確かに、今フィーリナが行方をくらませたら彼女を慕って集まってきた外の民衆は大混乱に陥るだろう。
「こっそり逃げ出したら騒ぎになるだろうが、魔族との共存を図るために旅に出るとでも言っておけば納得するのではないか?」
「なるほど」
「それならいけそうですね。
併せて、誰かを代理の指導者として指名しておけば混乱も少ないでしょう。
聖光教上層部とオリジン派についても、フィーリナが聖都に居なければ勧誘が過熱する恐れも減る筈ですし」
「そ、それじゃあ!?」
話の流れに希望を得たような表情になるフィーリナに、オーレインが頷いた。
「ええ。ほとぼりが冷めるまで、私達のパーティメンバーとして一緒に行動しましょう」
「よろしく、フィーリナ」
「はい、よろしくお願いします!」
フィーリナは派閥競争の最前線に一人取り残されずに済み、ホッと胸を撫で下ろした。
「良かったですね、フィーリナさん」
「はい、ありがとうございます!
テナさん」
真っ先に彼女に同情を示したテナに、フィーリナは笑顔で感謝を述べた。
我が事のように嬉しそうにしていたテナだが、突然何かに気付いたように硬直する。
「……え?」
「テナさん?」
様子が急変したテナに、フィーリナが怪訝そうな表情を向ける。
しかし、そんな彼女の様子にも気付かずに、テナは何かを聞き取ろうとするかのように両耳に手を当てて意識を集中していた。
「……アンリ様?」
闇神と光神の試練を乗り越えた玲治一向に、最後にして最も厄介な邪神の試練が降り掛かろうとしていた。
第三章完。
<登場人物から一言>
闇「おい、アレ解決って言っていいのか?」
光「ええと……どうなのでしょう?」
邪「いいんじゃない?」




