第58話:聖女の言葉
「そんな横暴な……っ!?」
「勇者様に対して失礼だろう!」
「そうだそうだ!」
オーレインの語りを止めに来た修道兵達に向けて、集まった群衆は非難の声を上げる。
彼らにしてみれば、折角の娯楽を邪魔されたのだから無理もないだろう。
しかし、そんな彼らに修道兵の指揮官は一喝した。
「ええい、黙れ!
これは法王聖下直々の勅命である!
たとえ聖女神様に加護を頂いた勇者であろうとも、否、勇者という責任ある立場であるからこそ、聖光教の教えを否定するような流言を吐くことは許されん!」
「そんな、違います!
私は誓って聖女神様に背くようなことはしていません!
ただ、自分の経験した冒険譚を語っていただけです!」
民衆に向かって怒鳴り声を上げた指揮官に、オーレインは自身の行動の正当性を主張する。
しかし、彼はそれを聞いて向き直ると、苛立ちを露わにした表情で弾劾を始めた。
「魔族は人族とは決して相容れない敵。
ましてや、彼奴等の首魁である魔王は討ち滅ぼさねばならぬ忌まわしき存在だ。
そもそも、そのために居るのが勇者ではないか。
そんな魔王や魔族を敵ではないという妄言、これが聖光教の教えを否定していないとは言わせん!」
オーレインは弾劾に対して一瞬怯むが、それでもキッと彼の方を見詰め反論を口にしようとした。
しかし、それより早く彼女の前に立った人物がいたため、その反論は発される前に止められることとなる。
その人物は彼女を制止するように手で抑え、自らの顔を隠していたフードを外してその姿を民衆の前へと現した。
「っ!? き、貴様は……っ!」
「あれはまさか……聖女様?」
「で、でも聖女様は魔族の手先だったって……」
フードを外した人物──フィーリナの顔を見て、指揮官の表情が変わる。民衆の中にも先日の未遂に終わった処刑を見ていた者がいるのだろう、ざわめきが広がっていった。
「聞いてください、皆さん!」
今やお尋ね者である彼女を修道兵達が取り押さえに走る前に、フィーリナは民衆に向かって澄んだ声で語り掛けた。
広場に集まった群衆の視線が彼女に集中する。こうなってしまうと、修道兵達も即座には手が出し難い。一体何を言うつもりかと、様子を窺う姿勢を取った。
「私は魔族の手先と疑われ、処刑されそうになりました。
勇者召喚の儀に失敗し、法王聖下の身を危険に晒したことがその理由です。
しかし、儀式に失敗したことは私の不徳ですが、私は誓って聖女神様の思し召しに背いたことはありません」
フィーリナが自らに掛けられた嫌疑を否定するが、群衆の半分程はそれに懐疑的な視線を向けた。
疑いを掛けられれば無実であれ真実であれ否定するだろう。証拠もなしに当事者の発言だけでそれを信じる方がおかしい。
しかし、彼女の演説は民衆や修道兵達の想像とは異なる方向へと進んだ。
「ですが、聖女神様に背く意図は誓って存在しないものの、聖光教の教えに一点の曇りを感じてしまったことは事実です」
その場にどよめきが走った。
よりにもよって聖光教の総本山であるルクシリア法国の聖都で、聖光教の教えに疑問を呈する暴言を吐いたのだ。
毅然とした態度を取ってはいるものの、よく見るとフィーリナは額から汗を流し手を強く握っている。
幼い頃から聖光教の教えを受けて育った彼女にとっては、並々ならぬ覚悟を要する言葉だったのだろう。
「私が感じた聖光教の教えの曇り……それは魔族についてです。
ご存知の通り、聖光教の教えにおいて魔族は教敵とされています。
孤児院で育ち、幼い頃から教えを授かってきた私もそれを信じていました」
魔族は教敵という発言に、しかし反応は鈍かった。
ここに集った大半の民衆は、オーレインの冒険譚を聞きに来た者達である。
その中では魔族は決して敵の形で登場するのではなく、最初は反目し合い次第に共闘する戦友として語られている。
この反応の鈍さは、それが浸透しつつある証拠なのだろう。
「ですが、こちらに居られる聖弓の勇者オーレイン様から伺いました。
聖女神様からの啓示で、魔王と協力することを命じられた、と」
勇者とは聖女神と呼ばれる光神ソフィアから直接に加護を授けられし者。それだけに、その説得力は大きい。
民衆だけでなく、修道兵達の中にも動揺が走った。
「これを聞いて、私は分からなくなってしまいました。
聖光教の教えにおいて教敵の筈の魔族……それも魔王に対して、聖女神様は否定的な立場を取らなかったのです。
これは如何いうことでしょうか?」
問い掛ける形を取ったが、それに答えを返せる者は居なかった。
それに応えることは、聖光教の教えの否定に繋がるからだ。
「昨今、この聖都の近郊で魔族にその命を救われたという話も聞きます。
それがどんな意図であろうとその事実だけとっても、聖光教の教えとは食い違うものでしょう」
此処に集まった民衆の中にも、直接その身を救われた者や噂を聞いた者が居るのだろう。
フィーリナの言葉を肯定する声が散発的ながら聞こえてきた。
その声に推されるように、フィーリナは真剣な表情で民衆達へと訴えかけた。
「先程述べた通り私は孤児院で育ち、幼い頃から聖光教の教えを授かってきました!
弱き者を救済する聖光教の教義が大筋において素晴らしいものであることは間違いありません!
ですが同時に、その一部には聖女神様の思し召しを意図して歪められて伝えられている部分があるのではないかと危惧しております!」
美しき聖女の語る言葉は信徒達の間へと浸透してゆく。
「聖女神様を信じることは大事です。
しかし、それは自らの考えを捨てることと同義ではありません。
歪められてしまった教えを盲信するのではなく、正さねばなりません!
共感出来る正しい教えを見出し行動することこそ、信者の務めなのです!」
此処に来て、事態を看過出来ぬと判断した修道兵達が動き出した。
指揮官は手に持った錫杖をフィーリナへと突き付けようとする。
「おのれ、奸言を弄し信徒達を惑わせるか!」
「チッ」
咄嗟のことで反応出来ないフィーリナを押し退けるかのように、フードを被ったままだった人物が舌打ちと共に割って入った。
錫杖の先はフィーリナの身を逸れ、その人物のフードを跳ね退けるようにして首の横を通り抜ける。
その結果、その人物──ミリエスの顔からフードが外れ、その容姿が露わになった。
銀髪と紅い髪、そして長い耳という魔族の特徴が。
「なっ!? 魔族だと!?」
フィーリナに敵意を向けていた指揮官が驚愕しながら、後ろへと跳び下がった。他の修道兵達も、警戒をより強めている。
通常であれば民衆たちも悲鳴を上げて逃げるところだろう。何しろ、魔族とは人族を殺戮する恐ろしい敵だと信じられているのだから。
しかし、フィーリナの演説やオーレインの物語を聞き、聖都の周囲で命を助けられた者やその噂を耳にした者達はその常識に沿って行動して良いか戸惑った。大半の者達がその場から動くことなく、目の前の事件を呆然としたまま見ている。
「忌まわしき魔族を討伐せよ!」
「な、こんなところでっ!?」
「やめろおおおおぉぉぉーーーーっ!」
指揮官が持つ錫杖の先に光が集まる。光の槍を撃ち出す光魔法の攻撃だ。
これだけ多くの人が集まっているところで攻撃魔法を撃てば、下手をすれば多くの者達が巻き添えとなる。
目の前に現れた魔族の姿に焦ったのか、そんな暴挙を行おうとする指揮官にオーレインや玲治が慌てて止めようとするが、位置の関係か間に合わない。
攻撃を向けられているミリエスも、対処に迷って動けなかった。幼いとも言える程若年だが魔族の四天王である彼女であれば、たかだか修道兵の指揮官ごとき容易く返り討ちに出来るだろう。
しかし、聡明な彼女にはこの場で魔族が人族を攻撃すれば騒動になるであろうことも理解出来ていた。それは、この一向に助力するように命じた魔王の意にも反する行為だ。
ミリエスは一瞬の間にそこまで思案し、それが故に行動を躊躇してしまった。その報いは、彼女の身を襲う閃光となって訪れる。
「死ねぃ!」
「ミリエスさんっ! 危ない!」
「ぬっ!?」
あわや光の槍がミリエスに向けて放たれる直前、叫び声と共に彼女は横から突き飛ばされた。
意識の外から加えられた横方向の力に、ミリエスは為すすべなく地面へと倒れ込んだ。
その肩に、複数放たれた光の槍の内の一本が突き刺さる。
「がっ!?」
激痛に呻きながらも彼女は気丈に立ち上がり、射抜かれた肩を手で押さえながら事態の把握をしようと先程まで自分が立っていた場所を見た。
そこには彼女を突き飛ばした人物、フィーリナが立っていた。最初は魔族ということで敬遠されていたが、ここ数日行動を共にして少しずつではあるものの友誼を深めていた相手だ。
「フィー……リナ?」
しかし、ミリエスは彼女の姿に怪訝そうな声を上げた。
今のフィーリナの姿に違和感を覚えたためだ。無言で立ち尽くしているだけでなく、左脇の辺りがごっそり抉れている。足元には紅い液体が大量に滴り落ちていた。
「──フィーリナっ!」
彼女の身に起こったことを悟ったミリエスやオーレイン達が叫び声を上げる中、フィーリナは糸が切れたように力なく後ろへと倒れた。
<登場人物から一言>
玲治「あの、今は竪琴を弾いている場合じゃ……」
オーレイン「……魔力を籠めて弾き始めると、一曲演奏し終わるまで止められないんです」




