第44話:情報収集
「おかえり」
夕焼けの差す中、久方振りに帰ってきた黒薔薇邸では、黒い仮面を被った女性が玲治達を待っていた。
勿論、そんな奇矯な格好をする人物はそう多くはない。この屋敷の主であるアンリその人だ。
まるで彼らが帰ってくるタイミングが分かっていたかのように待ち構えていたアンリの姿に玲治達は一瞬脳裏に疑問符を浮かべるが、テナの肩に停まっていた鴉がアンリの肩に跳び移ったことでからくりを理解した。
使い魔が玲治達に同行していたのだから、それは帰ってくるタイミングも容易く知ることが出来るだろう。
「お、お初にお目に掛かります、アンリ様。
レオノーラ陛下の近衛副隊長、ミリエスと申します。
お目に掛かれて光栄です」
アンリの姿が見えた途端、馬車の御者台に座っていたミリエスは慌てて飛び降りて跪いた。
彼女からしてみれば、アンリは忠誠を誓った王の友人なのだからその対応も無理も無いのかも知れないが、突然の挨拶にアンリの反応は鈍かった。
使い魔の目を通して同行していたこともあり、初めましてという挨拶にも違和感があったのだろう。
「陛下よりアンリ様にと手紙を預かっております」
「? レオノーラから?」
ミリエスが恭しく差し出した手紙を受け取ると、アンリはその場で封を切って便箋を取り出す。
手紙を開いた直後、彼女はその動きを止めた。仮面に隠れて分かり難いが、付き合いの長い者が見れば引き攣っているのが分かったことだろう。
手紙にはただ一行だけの文章が書き記されていた。
『誰の本体が人形だって?』
どうやら、玲治にレオノーラの本体が人形だと嘘を吹き込んでからかったことを根に持ってるらしい。
彼女の予想していた以上に、悪戯のツケは高く付きそうだった。
「………………」
アンリは見なかったことにして、手紙を折り畳むとポケットに仕舞い込んだ。
「アンリ様?」
「夕食の準備をしておいたから、取り敢えず屋敷の中に入って」
「あ、はい。お心遣い、ありがとうございます」
怪訝そうにするミリエスの追及を誤魔化すように、アンリは彼女達に屋敷に入るように促した。
◆ ◆ ◆
「ええと……」
「こ、これは……」
「お、美味しいですよ」
「あはは……」
アンリが用意した料理を口に入れた瞬間、オーレイン、ミリエス、それに玲治の三人は顔が引き攣りそうになったが何とか抑え込んだ。
アンリの作った料理は決して不味くはない。不味くはないのだが、では美味いかと問われるとそれも回答に困る味だった。強いて言うなら、普通の味だ。
その様子を見たテナはある程度予想出来ていたのか、苦笑を浮かべる。
「…………もぐもぐ」
一方で、作った当人であるアンリ以外にもう一人この場に居たリリは、特に大きな動揺は見せずに料理を口に運んでいる。
元々、この屋敷で出される料理は家事を一手に担っているテナが作っていた。しかし、彼女が玲治と一緒に旅立ってしまったため、その間の料理はアンリが行うこととなったのだ。
つまり、ここ最近の黒薔薇邸で出される料理は全てアンリが作ったものだったというわけである。リリは既にそれに慣れて順応してしまっており、無心で食事を摂るスキルを習得していた。
「ええと、明日の朝食は私が作りますね?」
「お願い」
テナの提案に、アンリは素直に頷いた。
彼女自身、自分が料理があまり得意でないことは自覚している。より上手なテナが担ってくれるならその方が良いという判断だ。
「ところで、明日の予定はどうするのだ?」
ある程度食事が進んだところで、ミリエスが玲治に向かって問い掛けた。
今日は既に日が落ちているために黒薔薇邸で一泊することになっていたが、その後のことまでは決まっていなかった。
「勿論、日が昇ったらすぐ法国に向かって出立──」
「待って」
今も獄中にあるであろうフィーリナのことを考えれば悠長にはしていられない……そう思い、夜が明けたらなるべく早くルクシリア法国に向かおうと提案しようとした玲治。
しかし、彼の発言を遮って横から意見が挟まれた。
食堂に居る全員が口を挟んだ女性の方に視線を向ける。注目を受けたアンリはナプキンで口元を拭うと、続きを話し始めた。
「その前に、街に寄っていって」
「街? アンリニアの街ですか?」
「そう」
「何故ですか?」
位置関係で言えば、アンリニアの街は魔族領と黒薔薇邸の中間にある。玲治達は先を急ぐ関係上、街を素通りしてここに来たのだ。
それなのにアンリニアの街に戻れというアンリの言葉に、みな首を傾げた。
「助けようとしてる子の近況とか法国の動向について、情報を集めるように少し前に頼んでおいた。
神殿によってその話を聞いてから向かって」
「なるほど……それは助かります。
レージさん、フィーリナを助けるにもまずは情報がないとどうして良いか分かりません。
我武者羅に先を急いだところで、法国に入国することすら難しいでしょう。
アンリさんのお話通り、情報を集めてから向かいましょう」
「そう、ですね。
彼女が無事かは気に掛かりますが、その方が早道かも知れません。
分かりました。明日はなるべく早目にアンリニアの神殿に向かいましょう」
先を急ぎたい気持ちはあるものの、情報が重要だというオーレインの言葉は玲治にも正しいと理解出来た。
そのため、若干の躊躇はありながらも、街によって情報を集めてから向かうことに決めるのだった。
なるべく早く出立するために、夕食後は早々に休むことにした玲治達に、アンリは手早く部屋割を伝えていった。
「オーレインは以前泊まった時の部屋」
「はい、分かりました」
「ミリエスはレオノーラが使ってた部屋があるから、そこを使って」
「お姉様……いえ、陛下のお部屋を!?
よ、よろしいのでしょうか?」
「大丈夫」
テナは元々この屋敷の住人なので自室がある。
最後に残った一人、玲治に対してはオーレインとミリエスに対するそれよりも冷たい視線と声で部屋が告げられた。
「あなたは離れ」
「…………はい」
信用されていないのが丸分かりの対応だが、年頃の女性や少女ばかりの屋敷ではそれも仕方ないだろう。
薄々予想していた玲治は特に逆らうことなく頷いた。
◆ ◆ ◆
「ここが陛下が仰っていたアンリニアの神殿か。
見事なものだな」
翌日朝早く黒薔薇邸を発った玲治達は、日が高くなる前にアンリニアの街に来ていた。
この街で最大の大きさを誇る建物を見上げながら、ミリエスが感嘆の声を上げる。
「それにしても、この街の人族達は魔族を見ても驚かないのだな」
周囲を見渡しながら呟いたミリエスに、オーレインは微笑みながら答えた。
銀色の髪に紅い瞳、そして長い耳という特徴を備えているミリエスが魔族であることは周囲の者達から見ても一目瞭然だっただろう。
しかし、街の住民達はそんなミリエスの姿を見ても特に騒ぎ立てるようなこともしない。
人族と魔族は不倶戴天の敵同士という前提が意識の根底にあるミリエスにとっては、幾ら最近の魔族領と神聖アンリ教国との関係を知っていても実際に見るまでは実感出来なかった。
「この街は大分特殊なんですよ。
他の街では大騒ぎになっているでしょう」
「やはりそうか。旅の途中では髪と耳を隠した方が良いな」
オーレインの言う通り、魔族を警戒無く受け入れているのはこの国くらいのものだ。
他の国であれば彼女の姿を見た瞬間、武器を手に襲い掛かられても不思議ではない。
「貴方はアンリ様を信じますか?!?」
「きゃあ!?」
玲治達一向アンリニアにある邪神殿の入口を潜った瞬間、ガバッと姿を見せた人物が大きな声を上げた。
意表を突かれたミリエスが、飛び上がって驚きを露わにする。
「またですか……」
「相変わらず性質が悪いですね」
「教皇さん、今はあまり時間がないので……」
驚いたのはミリエスだけで、玲治やオーレイン、それにテナはその人物を既に知っていたため驚くというよりは呆れた表情を浮かべている。
ミリエスもなんとか落ち着きを取り戻し、びっくりして早鐘を打っている心臓を押さえるように薄い胸元に手を当てながら、問題の人物の姿を改めて見詰めた。
それは、豪奢な司祭服を着た金髪の青年だった。この神聖アンリ教国の表向きの最高権力者である教皇ハーヴィンだ。
「失礼しました。
お話についてはアンリ様から伺っております。
こちらの部屋にどうぞ」
テナに窘められた教皇は素に戻ると、彼らを部屋へと案内を始めた。
教皇が玲治達を招き入れた部屋はそれ程の広さではなく、テーブルを囲うようにソファが設置されていた。
促されるままにそれぞれソファに座った玲治達を見て、教皇は自身も一角に座るとテーブルの上に地図を広げた。
地図には人族領の全域が描かれており、神聖アンリ教国は最も左端に小さく記されている。
「さて、アンリ様から調べるようにとご指示を頂いたフィーリナ嬢について、
これまでに集められた情報をお伝えします」
「はい、お願いします」
徐に話を始めた教皇に、玲治達は神妙な面持ちで頷いた。
「まず問題のフィーリナ嬢ですが、ルクシリア法国の孤児院で育った人物です。
聖光教の教えを受けて育ち、才覚を認められて修道女の中でも頭角を表したようですね」
「ええ、そこまでは私も彼女から聞いています」
「数年前から法国内の教会に赴任し、救いを求める信者達を積極的に救おうと活動し、支持を得ています。
一部では、聖女とまで呼ばれていたとか。
そして、先日勇者召喚の儀の遂行者に抜擢されるも、邪神の手先を召喚したことで裏切りが発覚。
現在は法国の大聖堂地下に幽閉され、沙汰を待つ身との話です」
「違います! 彼女は!」
玲治は聞き捨てならないとばかりに叫びを上げる。
自分は邪神の手先などあるつもりはないし、フィーリナにも何かの手引きを受けたわけではない。
その抗議をやんわりと手で制して、教皇は言葉を続けた。
「勿論、聖光教上層部の言が言い掛かりの類であることは存じておりますよ。
そもそも、彼らのいう『邪神』という言葉自体が噴飯物ですからね。
しかし、いずれにせよフィーリナ嬢がそのような嫌疑を掛けられていることは確かです。
但し、それは内部に入り込んだ者からの情報で、一般信者には公開されていません」
さらりと聖光教内部に内通者を送り込んでいることを示唆した教皇の言葉だが、玲治達は別のところに喰い付いた。
フィーリナの現状が一般信者に公開されていないというところに疑問を覚えたのだ。
「どういうことですか?」
「フィーリナ嬢の信者からの人気を鑑み、公にした時の反発を怖れたのでしょう。
世間から見れば、彼女はまだ『聖女』のままということです」
つまりは、彼女のことを「裏切り者」と認識しているのは聖光教の上層部とそれに従う修道兵といった一部のものだけということだ。
「それでは、彼女が処刑されるようなことはないということでしょうか?」
「いえ、そう考えるのは早計かと。
一度聖光教上層部が異端と判断した者を生かしておくとは考えられません。
おそらくは裏工作などで彼女の名声を落としてから公開して処刑するつもりなのでしょう」
「……なるほど、そうですね」
「でも、逆に言えば急げば間に合うということですね」
沈痛な面持ちで教皇の言葉に納得したオーレインを励ますように、玲治は前向きな言葉を述べる。
その気遣いを察したのか、オーレインも多少ぎこちないながらも笑みを浮かべた。
「幽閉場所はルクシリア法国の大聖堂の牢獄。
つまり助けに向かうのであれば、やはりルクシリア法国本国に赴く必要があるということですね」
オーレインはそう告げると、テーブル上に広げられた地図に視線を落とした。
現在地である神聖アンリ教国は地図の左端、一方で目的地であるルクシリア法国は中央より右よりの辺りに存在する。
間にはこの国の隣国であるフォルテラ王国と幾つかの小国家群がある。
「なかなか距離があるな。
しかし、その国に辿り着いたとして私のような魔族が入国出来るのか?」
「難しいでしょうね。
それどころか、指名手配されているレージさんも、この国の巫女をされていたテナさんも、
正面から入国するのは厳しいと思います」
「そう、ですね」
「まぁ、その辺は道中で何か手段を考えるようにしましょう。
それに、一般信者に俺やフィーリナさんのことが公になっていないなら、
国内に入ってしまえば、ある程度自由に動ける筈です」
四人は話を纏めると、早々にルクシリア法国を目指して出立することを決めた。
<登場人物から一言>
教皇「それはそうと、入信なさりませんか?」
ミリエス「わ、私は闇神様を信仰しているから遠慮させてもらう」




