第41話:囚われの聖女
暗く寒々しい石造りの部屋に、一人の少女が跪いていた。
薄手の白い衣を纏った、見目麗しい少女だ。
少女から大人の女性へと変わる境目の可憐さと美しさを同時に兼ね備えたような奇跡のような魅力を見せており、薄手の衣の下には、歳相応以上に育った肢体が透けて見え隠れしていた。
彼女の名はフィーリナ。
幼い頃から聖光教の教えの下で育ち、敬虔な信徒である。
聖光教の教えに従い人々を慈しみ救い続けてきた彼女は、その才覚と美しさ、そして全ての者に優しく接する性格から聖女とまで呼ばれ慕われていた。
しかし、今の彼女は憔悴しており、綺麗にしていれば鮮やかであっただろう長い水色の髪もくすんでしまっている。
手首には木で出来た枷が嵌められており、彼女の行動を制限していた。
もっとも、そんな状態であっても彼女の美しさは決して損なわれてはいない。
いや、過酷な状況であるからこそ真摯に祈り続ける姿はまるで殉教者のような儚くも神秘的な美しさを見せている。
部屋は狭く、家具と呼べるようなものも存在しない。
せいぜい、粗末な毛布と用足しのための壺があるくらいで、とても快適な環境とは言い難い。
そして通路側には頑強な鉄格子が嵌まっており、外に出ることは出来なくなっている。
通路とは反対側の壁には小窓があるが、高い位置に小さな穴があるだけなので、明かりを取り入れる役には立っていない。
そう、此処は……牢獄だ。
ルクシリア法国の中心とも呼べる聖ソフィア大聖堂の地下に備えられた、法国や聖光教に仇なす者を捕え、閉じ込めるための牢獄。
「聖女神様、どうかこの哀れな下僕をお救いください……」
過酷な環境の中で日増しに肉体と精神を疲弊させながらも、彼女は一心に祈り続けていた。
「どうか、どうか私の無実をお認めください」
枷を付けられ牢獄に入れられている彼女の待遇は、一見犯罪者のそれに等しく見える。
いや、実際に彼女を閉じ込めることを命じた者達からすれば、そうなのだろう。
彼女がこうして牢に閉じ込められている理由、それは数週間前に行われた勇者召喚の儀に端を発する。
◆ ◆ ◆
当代法王アルトリウス四世の命を受けて、フィーリナがリーダーとなり三人の少女と共に執り行った召喚の儀。
儀式自体は成功し、異世界からの来訪者──召喚勇者は降臨した。
伝承によれば、異世界から召喚された者は総じて特殊な能力や強大な力を有している。
新たに舞い降りた青年も、その力を以って様々な理由から苦境に立たされている聖光教の状況を打破してくれる。邪神とその手先である魔王を討伐し、聖光教の本来の威光を取り戻すための尖兵として活躍してくれるに違いない。その場に居た者達はそう信じていた。
しかし、あろうことか召喚された勇者は彼らの尖兵になるどころか、法王に向けてその牙を向いた。
強大な火魔法を行使し、攻撃を仕掛けたのだ。
幸いにして攻撃は逸れたため、法王の命に別条はなかった。その頭髪を除いて。
法王は即座にその青年を勇者に成り済ました邪神の手先と断じて捕えようとしたが、青年は凄まじい身体能力を発揮して逃亡、行方をくらました。
なお、実際のところ召喚の求めに応じたのも、その青年──志藤玲治に力を付与したのも邪神であるため、法王の言は偶然の一致とはいえ完全に間違いであったというわけでもない。別に特別彼の命を狙ったわけではなく、単なる悪戯だったという点は異なるが。
いずれにしても、法王を始めとしてその場に集った者達にとっては、青年は法王の命を狙った邪神の手先という認識となった。
ここで問題となったのは、どうしてそんな者が召喚されてしまったかである。
召喚の儀が正しく行われていれば、応えるのは邪神などではなく、彼らが信仰する聖女神──光神──である筈だ。しかし、現実には召喚されたのは邪神の手先。そんな者が召喚された以上、召喚の儀自体に本来の機能を歪める仕掛けが為されていたのではないかと彼らは疑った。
その矛先は、当然というべきか召喚の儀を取り仕切っていたフィーリナに向けられた。
陣を敷いたのも、召喚の儀の詠唱を行ったのも、何れも彼女であるからだ。他の三人の少女はあくまで補助的な役割であり、儀式の仕組みそのものに手を入れられる立場には無かった。それが可能だったのはたった一人、フィーリナだけだった。
「その娘、フィーリナを捕えよ!」
逃亡する青年に追手を差し向けた法王の次の台詞はそれだった。
「え?」
目の前で起こった事件に呆然としていたフィーリナは、その言葉の意味が理解出来ず呆けたまま法王の方向に目を向けた。
彼女にとっては寝耳に水の事態だ。
そもそも、召喚の儀自体は正しく機能していた。求めは聖女神と呼ばれる光神ソフィアを通して異世界へと向けられた。ただ、その異世界でその召喚の求めに応じたのがその世界の邪神だったというだけの話だ。
フィーリナには過失はない。ただ、運が悪かっただけだ。
しかし、そんなことは露知らぬ法王は唖然とする彼女の様子には構わず、畳み掛けるように命令を下す。
「邪神の手先を召喚したその者も邪神の手先に違いない!
邪神の命を受け、手引きをしていたのじゃ! 捕えよ!」
「そ、そんなっ!? ち、違います!
私は決してそのようなことは……っ!」
あらぬ疑いを掛けられていることに漸く気付いたフィーリナは慌てて弁解しようとするが、法王の命を受けて目の色を変えた修道兵達は錫杖を構えるとフィーリナを取り囲んだ。
「私ではありません!
私は誓って聖女神様に背くようなことは……あぐっ!?」
必死に懇願するフィーリナだったが修道兵達は聞く耳を持たず、彼女を乱暴に床に引き倒し、腕を後ろに捻り上げて取り押さえた。
床に身体の前面を叩き付けられたことによる激痛と、腕を無理矢理捻り上げられたことによる苦痛に、フィーリナは目に涙を浮かべて悲鳴を上げた。
「如何致しましょう、聖下」
「枷を嵌めて牢に放り込んでおくのじゃ。
逃げた者が何処に行ったのか、取り調べを行い白状させる必要があるからの」
「かしこまりました」
法王の指示に、床に引き摺り倒されていたフィーリナはその身を起こされ、部屋から退出させられそうになる。
「お願いします、聖下!
どうか話を……話を聞いてください!」
「連れてゆけ」
「聖下……っ!」
なんとか法王に弁解しようとするフィーリナだったが、無情にも法王はその言葉を切って捨てた。
彼女は修道兵達に引き摺られるようにして部屋から連れ出されるのだった。
◆ ◆ ◆
牢に閉じ込められたフィーリナに待っていたのは辛い日々だった。
暗く冷たい牢獄に入れられ、幾度となく邪神との繋がりや玲治の逃げた先を問い質された。
固い床の上で毛布一枚に包まって震えながら眠る日々は、彼女の身体と精神を瞬く間に疲弊させていく。
邪神との繋がりや玲治の逃亡先など、フィーリナにとっては与り知らぬことであるため、当然質問に答えることは出来ない。
また、嘘でもそれらの問いに答えれば、自身が邪神の手先であることを認めることになってしまう。それは、聖光教の敬虔な信徒である彼女には受け入れられないことである。
彼女に出来たのは、ただただ自身の無実を訴え続けることだけだった。
不幸中の幸いだったのは、彼女が聖女と呼ばれる程人気があったため、取り調べる側もそこまで無体な真似は出来なかったことだろう。
下手に強硬な手段を採れば彼女を助けるために叛乱が起きることすら考えられるため、取り調べは拷問や暴力等は控えて慎重に行われた。
しかし、これまで聖女として周囲に慕われてきた彼女にとっては、強い口調で詰問されるだけでも精神的な苦痛は大きい。
フィーリナは心が擦り減ってゆく中、それでも自身に過ちがないと心の底から信じているフィーリナは、信仰する女神に祈り、救いを求め続けるのだった。
そして彼女の祈りは……届いた。
鬱な方向に進む気はないので、ご安心ください。
<登場人物から一言>
フィーリナ「聖女神様……」