第04話:少女との邂逅
「は? うわっ!」
唐突に変わった視界に玲治は思わず間抜けな声を上げ、次の瞬間躓いて盛大に前方にひっくり返った。
先程までフォレストウルフに追われて森の中を走っていた筈なのに、追い付かれると思った瞬間、視界に急に光が広がったのだ。
走っていた勢いのままごろごろと転がってしまったが、やがて止まって地面に仰向けになった。
「くっ!」
後ろから迫っていたフォレストウルフに警戒して上体を起こして後方を見るが、彼らの姿は何処にも見当らない。
それどころか、つい数秒前までは樹の生い茂る森の中に居た筈が、現在玲治の周囲に広がるのはどう見ても草原だった。
「ど、どうなってるんだ?」
混乱する玲治だが、答えは出て来ない。しかし、危うく命を落とす瞬間に辛うじて命拾いをしたことだけは理解が出来た。先程までの恐怖を思い出すだけで、背筋が凍り、どっと冷や汗が噴き出した。
玲治は脱力し、草の上に大の字になった。
◆ ◆ ◆
しばらく草原に倒れたままだった玲治だが、やがてムクリと立ち上がり、全身に付いてしまった土や草を払い落した。
ここが何処であるのかは彼には分からなかったが、先程の森と同じように危険な動物に襲われる危険が無いとは言い切れない。それを考えると、いつまでも無防備に倒れているわけにはいかなかった。
「それにしても、何処だよここ……」
改めて周囲を見回しても草原としか言いようがなかった。この世界で玲治が知っている土地など存在しないため、仮に場所を教えられても分からなかっただろうが、少なくとも先程まで居た森とは全く別の場所であることだけは確かだ。
草原を見渡していた玲治は、少し離れた場所に帯状の線が走っていることに気付いた。その部分だけ地面に生えている草が途切れているのだ。
「もしかして、道……か?」
取り敢えず行く当てもなかったため、玲治はその場所まで足を進めた。
近くまで行くと、草が生えていないだけでなく、地面に轍の後や足跡が残っているのが見て取れた。どうやら玲治が想像した通り、街道のようだ。
そうすると、この道が伸びている先には街がある可能性が高い。
下手をすると逃げてきた街に逆戻りになってしまう恐れもあるが、このままでは餓死を待つのみだ。どちらにせよ街に向かうしかない。
「遠目に確認してあの街だったら引き返して逆を目指すか」
逃げてきた時に見た街の様子から、それほど文明が発達した世界には見えなかった。あの街では玲治は追われる身になってしまったが、他の街までは伝わっていない可能性が高い。そう言い聞かせて、玲治は街道を歩き始めた。
ところで、彼は知らないことだがこの世界においては街から街の移動は馬車を用いたり、徒歩の場合は護衛を付けるのが一般的だ。それは当然、街の外ではいつ魔物に襲われても不思議ではないということが理由である。
人が踏み入らない森の中などは当然だが、街道であっても安全というわけではない。特に柵などが設けられているわけでもないのだから、危険度的には周囲の草原と何も変わらない。
故に、そうなるのは当然の帰結だった。
「え?」
街道の外側の草原から、玲治に向かって猛スピードで疾走してくる巨大な影。
それは軽トラック程の大きさを有する猪状の魔物、鋭い角を以って突進によって敵を仕留めるジャイアント・ホーンボアだった。
「な、な、な……!?」
ジャイアント・ホーンボアは明らかに玲治を狙って一直線に駆けてきている。その迫力に硬直する玲治だが、何とか我に返った。
「ま、またかよ!?」
先程はフォレストウルフの群れで、今度はジャイアント・ホーンボア。再び逃走劇が繰り広げられることになった。
森の中と比較すれば踏み固められている街道は走り易く、玲治とジャイアント・ホーンボアの速度はほぼ互角だった。逆に言えば、振り切れる程の速度ではないために延々と追い掛けられることになる。
横に避けてジグザグに進めばかわせるかも知れないが、走り易い街道から草原に移ることは中々決断出来るものではなかった。
「くそ、いつまで追い掛けてくるんだよ!」
ジャイアント・ホーンボアはひとたび獲物に狙いを定めると、兎に角一直線に突進してくる。その様はまさに猪突猛進という言葉が相応しい。
街道を走って逃げ続ける玲治だが、そのうちに前方に人の影があることに気付いた。考えてみれば、人が通った形跡があるのだから、他に人が居たとしても不思議ではない。
「そんな……女の子!?」
街道を歩いていたのは、黒い服を着た金髪の少女だった。
玲治からは後ろ姿しか見えなかったが、背丈から見て玲治よりも年下に見える。
玲治の前を荷物を抱えながら歩いており、玲治やその背後のジャイアント・ホーンボアにはまだ気付いていないようだった。
「頼む、逃げてくれ!」
「え?」
玲治は走りながらも何とか叫んで少女に危険を知らせるが、少女は驚いて振り返るのみですぐには動けそうにない。
このまま玲治が逃げれば、少女はジャイアント・ホーンボアの突進に巻き込まれることは間違いないだろう。
「く、どうすれば……!?」
見知らぬ少女を巻き込むという選択肢はなかった。
玲治は僅かに逡巡するが、その場で振り返り構えた。この世界に来てから上がっている身体能力ならば、突進してくるジャイアント・ホーンボアを止められるかも知れないという一縷の望みに賭けることにしたのだ。
「おおおおぉぉぁぁーーー!!!」
腰を落とし衝撃に備え、両掌をジャイアント・ホーンボアに向けて構える玲治、全身の力を集中させて構えながら声を上げた。
しかし、ジャイアント・ホーンボアが待ち構える玲治と接触する前に、玲治の両掌から電撃が走った。真っ直ぐに放射された電撃はジャイアント・ホーンボアを打ち据えた。
「──────ッ!?」
電撃に打たれたジャイアント・ホーンボアは声にならない声を上げ、弾かれるように草原へと投げ出された。
「………………え?」
予想外の結果に、玲治は呆然とする。改めて、掌を確認するがやはり変わった所はない。
「今のは一体……?」
召喚された祭儀場での炎と同じようなものであることは推測出来たが、原因は分からぬままだ。
「あの……」
「あ、ごめん。えーと……」
悩む玲治に対して、背後から声が掛けられる。玲治は慌てて振り返ると、その声の主である先程の少女の方を向いた。そして、そのまま硬直する。
少女の年齢は十六・七くらいだろうか。
一部を編み上げた腰まである鮮やかな金色の髪に整った顔立ち、黒地に紅い紋様が刻まれた不思議な服に包まれた肢体はすらっとしながらも要所要所は豊かな膨らみを見せている。額に刻まれた「S]の字を横に倒した紋様と紅い瞳が神秘的な魅力を放っている。
玲治が今まで生きてきた見掛けた中で、最も美しいと断言出来る少女だった。それこそ、元の世界のモデルやアイドルですら、ここまで美しい少女は見たことが無かった。
「え、あ、その……」
「???」
緊張に言葉を失いどもってしまう玲治だが、少女は不思議そうに首を傾げるばかりだった。その仕草がまた可愛らしく、玲治は更に冷静さを失ってしまう。
「あ」
「え?」
唐突に何かに気が付いたような声を上げた少女に、不思議に思いながら玲治も少女と同じ方を向いた。するとそこには、先程弾き飛ばされたジャイアント・ホーンボアが身を起こしていた。どうやら、先程の電撃だけでは致命傷とはならなかったようだ。
ダメージのためか先程までより速度は大分落ちるものの、ジャイアント・ホーンボアは玲治と少女に向かって再び突進を始めた。
「く、まずい……」
一度立ち止まってしまっているため、すぐには走り出せそうにない。加えて、隣にはどう見ても荒事には向いていない華奢な少女が居るため、置いて逃げるわけにもいかない。
「君、走って逃げ……」
「えい」
少女に逃げるように促そうとした玲治の言葉を遮るように、少女は右掌を翳すと可愛らしい掛け声を上げる。しかし、そんな声とは裏腹に巨大な闇の塊が放出され、猛スピードでジャイアント・ホーンボアへと飛び、飲み込んだ。
「──────ッ!?」
ジャイアント・ホーンボアは軽々と十メートル以上も吹き飛ばされ、地面へと叩き付けられる。そして、立ち上がるとのろのろと逃げ出した。
<登場人物から一言>
フォレストウルフ「ガウ?(餌は何処行った?)」
<作者からのお知らせ>
本作メインヒロイン登場。
なお、前作からの時の経過の中で、身長もスタイルも成長しています。
特に、一部分が急成長を遂げています。