第37話:調略
「ふむ、なるほど。状況は分かった」
「ハッ」
玲治が地魔法の指導を受けた夜、レオノーラの執務室にレナルヴェとヴィクトの姿があった。
彼らはここ三日程に渡って行われた玲治に対する魔法の指導について、状況と見解を報告するために集まっていた。本来であれば全ての指導が終わってから報告すれば済む話であるし、実際当初はその予定だったのだが、指導の状況を見たレナルヴェは予定を前倒してでも早急に報告を行うべきだと判断したのだ。
なお、この場に居るべきもう一人の四天王──イジドが居ないのは、その言動からレオノーラに敬遠されているためである。
「それで、レナルヴェ。お前から見て、レージの評価はどうなんだ?」
「脅威、の一言です。何よりも恐るべきは彼の成長度合いです。今はまだ精々我々と互角程度の実力ですが、今後何処まで伸びるか想像も付きません」
「それほどか。
ヴィクト、お前はどうだ?」
「レナルヴェの言にほぼ同意ですね。まさか、各属性を一日ずつ実戦的なレベルまで習得するとは思いませんでした。元々の予定では触りを教えて得意属性を判別し、そこからその属性に絞って伸ばしてゆく筈だったのですが……」
元より、各属性を一日ずつという強行スケジュールの指導は、各属性を習得するためというよりは属性への適性を見る為のものだった。その中で特に適していると思われる属性について、集中的に指導を行うというのが彼らが組んだカリキュラムだ。
それは、魔族の中で子供に対して魔法の指導を行う時にも行われる、オーソドックスな手順だ。
しかし、玲治はその強行スケジュールの中で実戦的なレベルまで魔法を習得してしまった。しかも、各属性満遍なくだ。
「異世界からの召喚者であるためか、それとも別の理由があるのか。
ふふ、とんだ怪物を起こしてしまったかも知れんな」
苦笑するレオノーラだが、その表情はそこまで悲観的なものではなかった。どちらかというと、事態を楽観しているようにも見える。
そんなレオノーラに、レナルヴェは元々険しかった表情から更に目を吊り上げた。
「笑いごとではありません。
もしも、成長した彼の矛先が魔族に向いたら……」
「いや、確かに実力的には脅威かも知れんが、人柄を見る限りそう心配することはないのではないか?」
「そうかも知れませんし、そうでないかも知れません。
人柄というのは環境によって変わってしまうものです。
今が大丈夫だからと言って、今後も安全が保障されていると言うことは出来ないでしょう」
「む……」
あくまで楽観論を語るレオノーラだったが、ヴィクトの的確な反論に言葉を詰まらせた。
「しかし、だからと言ってどうせよと言うのだ?」
「何れ脅威となる恐れがあるのであれば、今の内に……」
「待て」
レナルヴェが言い掛けた言葉を、レオノーラが途中で遮った。その声は険しく、鋭い視線で二人の部下を睨み付けていた。放たれる威圧感はなるほど魔王の名を冠するに相応しい。
「必要以上に敵を作ることは避けるべきだ。彼の抹殺は許可出来ん」
レオノーラは放たれる威圧をそのままに、そうきっぱりと告げる。
その裏には、彼のことを気に掛けているらしい友人との関係に罅が入ることを怖れている部分もあるのだろう。
しかし、彼女の言葉にレナルヴェ、そして隣のヴィクトも首を傾げた。
「「抹殺?」」
「あ、あれ?」
微妙な空気に変わったことに、レオノーラも何かを間違えたことに気付く。しかし、それが何であるか分からない。
「ええと、今の内に始末しろという話ではなかったのか?」
居た堪れない空気を感じながら、おずおずと二人に問い掛ける女魔王。先程までの威厳が何処かに吹っ飛んでしまったその姿は、歳相応の少女にしか見えない。
「いえ、今の内に友誼を深めて味方に引き入れておくべきではないでしょうかと言うつもりでした」
「………………」
一人だけ物騒な方向に頭が行っていたことに気付き、レオノーラは顔を赤らめながら明後日の方向を向いた。二人の部下のジト目が後頭部に当たって痛かった。
「しかし、友誼を深めると言ってもこれ以上何を……って、まさか!?」
既に、玲治の魔法の指導を行い、それなりに交友を深めている。この上何をすれば味方に引き入れられるのか、と思ったレオノーラだが、あることを思い出した。
それは、数日前に謁見の間で玲治を介して渡された先代魔王である父親からの手紙だ。
「先代陛下からご提案があったという、彼を陛下の伴侶として迎え入れる件です」
「私は当分の間は誰かと婚姻を結ぶつもりはないと言った筈だぞ」
「彼の才覚が分かった以上、考え直す価値はあるのではないですか?
それに、魔族の将来を考えてもお世継ぎを設けて頂く必要はあるのです」
「ぐ………………」
その気は無いと改めて告げるレオノーラだが、形勢は不利と言わざるを得ない。
元々、国家として継承者を定めていない今の状態がおかしいということくらい、彼女も理解している。
今はまだ彼女は若く当面は治世が揺らぐことは無いと見ているため我儘が通っているが、それも限界がある。
しかも、彼女が伴侶を迎え入れない理由が「何となく気後れする」という感情の問題だけなら尚更だ。
この点、男女関係に疎いままに育って来てしまったことが難となっている。彼女の周りには男性が多いが、部下ばかりで対等な者はおらず、恋愛面の成長には今一つ適さない環境だった。
「な、ならば別に私でなくても良かろう?
他の者と関係を結ばせるのはどうだ」
「友誼を結ぶのはそうですが、お世継ぎはダメです」
この時点で玲治を味方に引き入れる云々の話から継承者問題に話題が逸れてしまっているのだが、気が動転している彼女は気付かない。
「……そ、そうだ。ミリエスはどうだ?
あれはロマリエル家の縁戚だからな、彼女とレージの子なら魔王の座に着く資格がある」
「それはそうですが……」
自分は嫌だから部下に押し付けると言うダメ上司の見本のような言動に、レナルヴェとヴィクトの目線が冷たくなる。
その視線に気付いたレオノーラは更に慌ててしまう。
「べ、別に無理に押し付けたりするつもりはないぞ?
あくまで、ミリエスが自分の意志でレージに好意を抱いたらの話だ」
「分かりました。その時はそのように致しましょう」
レオノーラの弁解を半分聞き流しながら、レナルヴェは頷いた。
それは難しいだろうと言う言葉を内心に留めながら。
◆ ◆ ◆
「………………」
「………………」
やはり、そうなりますよね。
目の前に広がる光景に、レナルヴェは昨晩の主君とのやり取りを脳裏に浮かべながら、内心で嘆息した。
彼の目の前で睨み合っているのは、昨晩も話題に上がった玲治とミリエスだ。
四日目の火魔法の指導を行うに当たり、指導者である彼女に玲治を引き合わせてからずっと無言が続いていた。
もっとも、睨んでいるのはミリエスだけで、玲治の方はその視線に苦笑するばかりだったが。
普段の職務でミリエスとそれなりに付き合いがあるレナルヴェは、彼女が主君であるレオノーラのことを本気で敬愛していることを知っている。遠縁であり歳も近いことから、姉代わりのような存在だったとも聞いた。
そんなレナルヴェには、ミリエスの心情が概ね読めている。
先代魔王エリゴールによる玲治をレオノーラの婿にという提案は他ならぬレオノーラ自身によって否定されたのだが、それでもミリエスは不安を抱えているのだろう。
要するに、大好きな姉を見知らぬ男が横から掻っ攫おうとしているように見えているのだ。
なお、近衛の隊長と副隊長が共にレオノーラの傍を離れるのは本来褒められたことではないのだが、今回に関しては彼女の厳命でそれが許された。
「レナルヴェ様!
どうして私が彼の指導などしなければならないのですか?」
同じような台詞をイジドも放っていたが、彼の抗議が感情のみであったのに対して、ミリエスのそれには一応の理由がちゃんとある。
「どうして、『私と戦うための指導』を私がしなくてはならないのですか!」
玲治が魔法の指導を受けることになったのは、先日の勝負でミリエスに手も足も出ずに倒されて実力を示せなかったからだ。こうして指導を受けて実力を伸ばした後、再度場を設けてミリエスと再戦する手筈になっている。
それは当初の予定では暫く先の話になる筈だったが、このままでは明日にも実現しかねない。
何れにせよ、言ってみれば今行われている指導は「ミリエスに勝つための指導」であるとも言える。挑まれる側であるミリエスとしては、その指導を自分がやらなければならないという事実に憤慨したくもなる。
抗議するミリエスにレナルヴェも若干同意したくなる気持ちもあったが、それでも主君からの命が優先だった。
「陛下のご命令だからです。
それに、火魔法の指導に関しては貴女が一番適任でしょう」
「うぐ……」
不満は多いが、それでもレオノーラの名前を出されればミリエスはそれ以上反論出来ない。
追及を諦めて渋々と言わんばかりに視線を玲治の方に向けた。
「陛下の命ならやむを得ない。
ただし、指導と言っても手は抜かない。覚悟しておくことだ」
「ああ、よろしく頼む」
「……どうも調子が狂うな」
微妙な表情になるミリエスだったが、性格ゆえか一度決めた以上は手を抜かずに対応を行った。
おかげで、玲治の火魔法の指導はこれまでの三日間の指導と比べても非常にスムーズに進行した。
「大したものだな」
「え? 何か言ったか?」
「な、何でもない!」
<登場人物から一言>
レオノーラ「違う、違うんだ……別に嫌なことを人に押し付けたかったわけじゃなくて、咄嗟に……」




