第03話:逃走逃走、また逃走
「ハッハッハッ……!」
玲治は走っていた。
召喚された地下の部屋から飛び出し、聖堂の廊下を駆ける。周囲の者達も最初は事情が分からず、ただ奇妙な格好をした青年に対する奇異の視線を向けていただけだったが、やがて法王の命令が通達されたのか、彼に対して立ち向かうようになってきていた。
捕えようと掴みかかってくる相手を打ち払い、振り下ろされる錫杖をかわし、玲治は必死で走り続けた。勿論、全てをかわすことは出来ず、腕や肩は何度か打たれて赤く腫れ上がっている。しかし、痛みに立ち止まる余裕はない。
「ハッハッハッ……!」
もし仮に捕まった場合、最悪のケースを考えれば拷問や処刑の恐れすらある。玲治は死に物狂いで逃走を続けていた。
「ったく! 何でこんなことになったんだよ!?」
吐き捨てるように叫ぶが、当然答えをくれる者は存在しない。
やがて、玲治は聖堂の入口まで辿り着いた。しかし、そこには知らせを聞き付けた門番が三名待ち構えていた。
「止まれ!」
「クッ、そこを退いてくれ!」
玲治は走りながら叫ぶが、当然その言葉は受け入れられることはない。それぞれに錫杖を構える門番の修道兵達の姿を見た玲治は、覚悟を決めた。
「おおおおぉぉぉぉっ!」
玲治は叫ぶと、止まるどころか逆に加速する。
この世界に召喚されるまでは到底無理な行動だが、身体能力が強化されている今なら可能だと信じた。
「止まれと……言っている!」
「誰が止まるか!」
三人が手に持った錫杖を玲治目掛けて突き出してきた。振り降ろしたり薙ぎ払うのはお互いにぶつかり合う恐れがあるため、突きを選んできたのだ。これが一対一であればかわし易い攻撃だが、三対一の状態では非常に脅威であると言える。
しかし、玲治は文字通り上を行った。三人の修道兵の前で飛び上がり、頭上を飛び越えたのだ。
「な、何だと!?」
「やった!」
この世界に来る前の玲治であれば立っている人間の頭上を飛び越えるような真似はとても出来なかったが、今の玲治であれば話は別だ。
玲治は門番の修道兵をやり過ごすと、そのまま聖堂の外へと逃げた。
◆ ◆ ◆
ルクシリア法国、それは人族領における全ての国家で国教となっている聖光教の総本山である。聖光教を中心とした国家体制が敷かれており、法王を頂点に枢機卿、大司教が国家運営を取り仕切っている。
そのような国家であるが故に、国家の中心となるのは城ではなく聖堂だった。
国内に多数の聖堂が設けられているが、その中で最も巨大で最も荘厳なのはやはり法王が住まう聖ソフィア大聖堂である。まさに、法国の中心とも言える聖堂であり、街はこの聖堂を基点として築かれている。
玲治が召喚されたのは、この聖ソフィア大聖堂の地下の祭儀場であり、修道兵達を振り切って外に逃げ出した玲治の前に現れたのは街の中心地だった。
「ここは……」
異世界に召喚されたということは、謎の『声』や法王達の言から聞いてはいたものの、正直これまでは実感していなかった。
それこそ、悪質なドッキリなどでも仕掛けられているのではないかという気持ちが心の何処かにあった。
しかし、目の前に広がるセットではあり得ない街並みに、玲治はようやくここが自分の世界ではないことを実感した。
「居たぞ、あそこだ!」
「考え込んでいる暇はない、か」
心細さに目頭が熱くなるが、背後から聞こえてきた声に玲治は気を取り直して走り出した。聖堂から外に逃れたとはいえ、未だ追われていることに変わりはないのだ。
行き交う人々を避けながら、大通りを疾走する玲治。
追手を撒くために路地裏などを通ることも考えたが、土地勘のない場所では迷う恐れの方が大きく、街の出口が一ヶ所しかなければ結局先回りされてしまうことになる。そのため、余計なことはせずにただただ真っ直ぐ街の出口を目指すことにしたのだ。
大通りであれば必ず街の出口に繋がっている筈、そう考えた玲治の予想は正しく、しばらく行くと街を囲う塀と大きな門が見えてきた。
「あれか!」
門は開かれているが、そこには検問が敷かれており、修道兵達が出入りする者をチェックしている。幌馬車が数台に徒歩の者が数人並んでいるが、玲治がそのチェックを受けたとしても、無事に通れるとは思えない。
「おい、止まれ!」
「冗談じゃない!」
正攻法で通ることが出来ない以上、選択肢は強行突破しかない。幸いにも門自体は開いており、修道兵達をやり過ごせれば外に出ることが出来る。
そう判断した玲治は修道兵達の制止を聞かず、出口へと向かって走った。
先程聖堂から出る時にやったように頭上を飛び越えることも考えたが、その時とは異なり修道兵達は横並びに並んでいるわけではない。これでは、例え一人目の頭上を飛び越えたところで、後続の者から攻撃を受けてしまう。
しかし、完全に警戒されている以上、間を掻い潜って乗り切るのは難しそうだ。
「よっ、と」
「何!?」
正面突破が難しいことを悟った玲治は、検問に並ぶ幌馬車の幌をよじ登って上に乗った。体重で幌がたわむが、破けさえしなければ問題ない。そのまま、並んでいる馬車の上を飛び移りながら、門の外を目指す。
「門を閉じろ! 急げ!」
修道兵達は玲治を捕えるのが困難と判断し、門を閉じるように指示を出す。しかし、玲治は門が閉まるよりも早く先頭の馬車の上まで到達し、閉まり掛けている門の間をすり抜けるようにして外に逃れることに成功した。
街の外には街道が伸びているが、そこから少し外れただけで鬱蒼と茂る森があった。
仮に街道を逃げたとしても、馬を使って追い掛けられたらあっと言う間に追い付かれてしまうだろう。玲治はそう考え、森の中へと逃げ込むのだった。
◆ ◆ ◆
「これから一体どうすりゃいいんだ」
森の中をしばらく走り、玲治は追手が来ないことを確認してから大きな一本の樹の下で一息吐いた。元の世界では殆ど見掛けないような巨大な樹で、根っこの上に腰掛けることが出来る程だった。
「痛っー、完全に痣になってるな」
ブレザーの上着を脱ぐと、両腕のシャツを捲り上げて様子をチェックする。何度も打たれた腕にはあちこちに痣が出来て紫色に染まっていた。見ることは出来なかったが、肩の方も似たような状態だろう。
手当てをしようにもその手段がないため、諦めてそのまま我慢するしかなかった。
「あの時出てきた炎、一体何なんだ……」
玲治が追われることになったのは、玲治の手から突然放出された炎が法王を襲ってしまったためだ。玲治は自分の両掌を見るが、特に変わったところはない。勿論、火傷を負っているようなこともなかった。
「やっぱりあれか? あの『声』が言ってた『力』のせいか」
この世界に召喚される直前、黒い空間で「声」から授けられた「力」……心当たりはそれくらいしかなかった。
「創作を元にした世界、とも言ってたな。
小説とか漫画とかゲームに似た世界で、魔法とかがあるってことなのか」
そもそも、玲治をこの世界に誘った「召喚」自体、科学の力とは思えない。地下の祭儀場の床に書かれた陣といい、魔法という言葉以外に思い付くものがなかった。
そして、魔法というものが存在するのであれば、あの時の炎もそれに類するものと考えるのが自然だろう。
玲治も小説や漫画やゲームなどを普通に楽しむ一般的な男子だ。こんな状況でなければ、魔法という未知の力に心躍ったかも知れないが、追い立てられて森に逃げ込んでいるような今の状況を考えれば、そんな余裕はなかった。
「どうすれば元の世界に帰れるんだ?」
玲治の独り言に対して、言葉を返してくれる者は居ない。召喚によって連れて来られた以上、帰るためにも同じような手段が必要になることは想像に難くない。しかし、召喚を行った者達にそれを聞くことは現状出来そうにない。
玲治は途方に暮れて、深い溜息を吐いた。
なお、彼はこの世界がどういう世界であるのかということを薄々分かった時点で、もっと危機感を抱くべきだった。
創作において魔法が登場するような時、多くの場合にそれは「戦闘の手段」として描かれるという事実に、現在の自分が如何に危険な状態であるかを考えるべきだった。
街の周囲に侵入を防ぐ塀が設けられていたのが何故かを考え、街を一歩出た場合にどのようなことが起こり得るか、ましてや人の手が入っていない森の中が安全な筈がないと気付くべきだった。
「ん?」
木の枝が踏み砕かれるピシッという音に玲治が気付いた時には、彼は既に囲まれつつあった。
黒い毛皮を持った三頭の獣。森を縄張りとして集団で敵や獲物を襲う魔物──フォレストウルフだ。
動物園でしか見たことがないような狼の姿に一瞬呆ける玲治だが、すぐに自身の身の危険に気付いて立ち上がった。ここには、見る者を守ってくれる檻など存在しないのだ。
「おいおい、嘘だろ!」
三頭のフォレストウルフはじわじわと玲治に近寄ってくる。玲治は冷や汗を掻きながら、反対方向に後ろ脚で下がった。
「ガッ!」
「うぉ!?」
三頭のフォレストウルフと睨み合いながら距離を置こうとする玲治に、全く警戒していなかった後方からもう一頭のフォレストウルフが襲い掛かってきた。見える位置の三頭を囮として、もう一頭背後に潜んで近付いていたのだ。
直前で偶然気付いた玲治は、咄嗟に脱いだまま手に持っていた上着を振り回して、噛み付いてきたフォレストウルフの顔面を打ち払う。
「こいつ!?」
打ち払われたフォレストウルフはバランスを崩して倒れるが、すぐに起き上がってきた。玲治の前方から合計四頭が玲治の隙を伺っている。
「チッ、喰らえ!」
玲治は地面の砂利や木の枝をフォレストウルフ達に向かって蹴り、僅かに怯んだ隙に後方へと走り始めた。小さな砂利や木の枝では当然ダメージもなく、フォレストウルフ達はすぐに玲治を追って駆け出す。
召喚による影響か、元の世界に居た時よりも玲治の身体能力は上がっている。これが整備された競技場であれば、フォレストウルフよりも早く走ることも出来たかも知れない。
しかし、ここは森の中。地面はでこぼこで石や草があり、周囲の樹木の枝も玲治が走るのを阻害する。追い付かれるのは時間の問題だった。
「く、誰か!?」
玲治は助けを呼ぼうとするが、当然ながら森の中にそのような都合の良い存在は居ない。
「うわあああーーーー!」
必死に走る玲治の背中に、フォレストウルフが迫る。
その距離はもう二メートルくらいのところまで来ており、数秒後には玲治の足をその鋭い牙で襲い、倒れたところを集団でトドメを刺すだろう。
しかし、もうダメかと思った瞬間、玲治の姿は森の中から忽然と消えた。
<登場人物から一言>
商人「私の馬車が……っ!?」
<作者からのお知らせ>
次回あの人物が……。