外伝01:流行りの髪型
外伝を2話ほど挟んでから第2章に突入する予定です。
聖光教──それは聖女神ソフィアを信仰する宗教であり、邪神アンリを崇拝する神聖アンリ教国を除き、人族領の全ての国家における国教である。
大陸においてその他の宗教が皆無というわけではないものの、聖光教と比較すればその規模には隔絶した差が存在する。
実際のところ、人族の殆どが聖光教の教徒であると言っても過言ではないだろう。
近年では、信仰する神の発言と彼らがこれまで広めてきた教義に矛盾が生じたことや、高位の聖職者達の贈収賄や漁色などの腐敗ぶりが露呈してしまったこと、およびそれに伴うフォルテラ王国を中心とした対立宗派の立ち上げなどの事態により過去のそれよりも威光を落としているが、それでも聖光教および総本山であるルクシリア法国が人族領において圧倒的な影響力を持つ宗教団体であることには変わりはない。
ましてや、その頂点である法王ともなれば、その権威はそれこそ一国の国王よりも上位になる。
もしも聖光教から破門などされようものなら王族であっても国内の支持を一気に失いかねないのだから、それも当然の話だろう。
各国の国王ですら、彼の機嫌を損ねることがないように細心の注意を払って接する。そんな存在だ。
かように聖光教の法王というのは、とても偉い人物である。
それゆえに……
「……………ぷぷっ」
……その髪型が面白かったとしても笑ってはいけない、決して。
◆ ◆ ◆
「……………ぷぷっ」
「──────ッ!」
笑い声が聞こえた方をギロッと睨み付ける法王アルトリウス四世だが、彼の目が向く前にその周辺に居た者達は笑いを抑えて俯いてしまったため、笑った不届き者を特定することは出来なかった。
聖光教の権威回復の旗印として異世界より召喚した筈の勇者によって頭頂部の毛をこんがり焼かれてしまった法王は、現在も頭のてっぺんだけがツルツルの落ち武者スタイルだ。
回復魔法では火傷を治療することは出来ても、焦げてしまった髪の毛までは戻らないのだ。
加齢とともに徐々にそうなって今の姿になったのなら自然なことであり、周囲の者も見慣れているであろうからそこまでおかしくはなかっただろう。
しかし、つい先日までふさふさしていたのが唐突にこうなっていると、ギャップによってとても滑稽に見えてしまった。
「…………ブフッ!」
「──────ッ!」
故に、周囲の者はその髪型に思わず噴き出しそうになるのだが、相手は法王聖下である。もしも笑ってしまったことがバレては自分の身が危ないため、必死にこらえる。
しかし、どうしてもこらえ切れず、聖ソフィア大聖堂の廊下を歩く法王の周囲では度々押し殺した笑い声が起こることとなった。
「……………クスッ」
「──────ッ!」
法王も自分が笑われていることは分かっているのだが、彼がそれを聞き付けて睨めば当然笑った方は怒られないように隠してしまうため、怒りの矛先を向けられる相手が居ない。
帽子や頭巾を着用することも考えたのだが、既に彼の髪型についての噂は広まってしまっているため、今更そうしたところで頭頂部の惨劇を隠したことが丸分かりになってしまう。恥ずかしいものをこそこそと隠した上に見抜かれて笑われる……そんな無様なことは彼のプライドが許さなかった。
笑い声を聞き付けては睨み付け、笑い声を聞き付けては睨み付け……を繰り返し、法王は日増しにフラストレーションを溜め込んでいった。
そして限界まで溜め込んだ羞恥と怒りは、やがて爆発を起こすことになる。
「こ、この髪型は……」
「法王聖下?」
プルプルと震えながら何かを話し出した老人に、周囲の者達は怪訝そうに彼の方を見詰めた。
中には「ヤバい、笑い過ぎたか!?」と焦っている者も居る。
「この髪型は! 聖女神様の加護である天空の光を最も受けやすい髪型じゃ!
よって以後、大司教以上の位階に就く者は全てこの髪型にすることを必須とする!」
──何か変なこと言い出した。
周囲の者達の心が一つになった。
いや、正確には一つになったのはその場に居るうちの低位の者達の心だけだ。
大司教以上の者は、法王の聞き捨てならない言葉に途端に慌てることとなった。
「せ、聖下!? な、なにを……」
「………………こ、これは決定事項だ!
覆すことはない。直ちに実行するのじゃ!」
法王も叫んだ後に我に返って自分が何を言ったのか理解し硬直するが、一度吐いた言葉を戻すことは最早出来なかった。
人間、冷静でない状態で感情に任せて行動すると、こういうことになる。
結局、彼は発言を強引に押し切ることにしたらしく、周囲に侍る僧兵達へと命令を下した。
「え、ええと……よろしいのでしょうか?」
「構わぬ、連れてゆけ!」
「お、お待ちください!」
「ど、どうかお許しを!」
「申し訳ございません、法王聖下のご命令ですので……」
周囲に居た僧兵がおずおずと尋ねるが、半ば自棄になった法王は構わずにその場に居た枢機卿や大司教達を連れてゆくように命令する。
命を受けた僧兵達に両脇から抱えられた高位の者達は慌てて法王に翻意を願うが、その願いは叶わずにその場から強引に連れてゆかれることとなった。
剃るために。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
後に残された者達は、突如目の前で起こった喜劇に呆然として、無言のままその場に立ち尽くすこととなる。
その痛い視線と沈黙に、法王は冷や汗を掻きながら締めの一言を放った。
「これも聖女神様の思し召しじゃ」
もしも、彼らの神がこの場に居れば、驚きに目を剥いたことだろう。
こうして、聖光教の上層部は全員、法王と同じように頭頂部を剃り上げることとなった。
周囲の高位階の者達も同じ髪型になることによって法王の髪型の面白さは紛らわされ、彼が単独で笑われることはなくなった。
周囲の枢機卿や大司教達から不満げな視線を向けられながらも満足げに微笑む法王。
以後、彼らが集う聖光教上層部の会議場は、とても異様な光景が広がることなるのだった。
だが、勢いのままに変な風習を生み出した法王は重要なことを忘れていた。
こうして広く宣言して風習として根付かせてしまった以上、彼自身、今後髪が伸びたとしても剃らなければいけなくなったということに。
こうして、後世において「突如発生した謎の風習」として歴史家達の頭を悩ます決まりが生み出されたのだった。




