第20話:未来を目指して
「……ん」
差し込む光を受けて、玲治の意識は浮上した。
「……ここは?」
目を開いた玲治がその姿勢のまま首を傾けて周囲を見ると、そこはベッドの上のようだった。
「目が覚めた?」
ベッドの上で横になったままの玲治に、横合いから声が掛けられる。
玲治がそちらを向くと、見覚えのある黒い仮面の女性が立っていた。
「アンリさん……?」
玲治は取り敢えずとばかりに身を起こすが、その際、足元に二人の人物が突っ伏していることに気付いた。
金色の髪と薄紫色の髪をした、二人の少女だ。
「テナ? オーレインさん?」
「二人とも遅くまで貴方の介抱をしていたようだから、寝かせてあげて」
「あ、はい。わかりました」
二人を起こさないように気を付けながら改めて辺りを見渡し、そこが一昨日も泊まった黒薔薇邸のはなれであることに気付く。
「戻ってきたんですね」
「三人が意識を失った貴方を連れて戻ってきた。
街の宿が満室ばっかりで、全員が泊まれそうな部屋を取れなかったみたい」
「ええと、エリゴールさんは?」
「おじ様は一人分の宿を取ってるからって、貴方をここに運んでから街に戻っていった」
「そうですか。後でお礼を言わないと、ですね」
「そうね。
それよりも……先に謝っとく、ごめんなさい」
「え?」
アンリはそう言うと、ベッドに座っている玲治に近付いて右手を振りあげた。
玲治の左頬でパンッという鋭い音が鳴る。
「ア、アンリさん!? な、何を……」
「偶然の能力に頼るなと言ったはず」
「あ、それは……」
いきなり頬を叩かれて困惑する玲治だが、続いて放たれたアンリの言葉に俯いた。
玲治の脳裏で、先日彼女から投げ掛けられた言葉が思い起こされた。
『裏でアレに操作されているか、運勢が弄られているか、どちらかだと思う』
『でも、だからと言って危なくなっても大丈夫と依存するのは危険』
黒龍との最後の対峙において、玲治は意図的に自身を危険に晒してオート魔法が発動することに賭けた。
それは、先日この黒薔薇邸で玲治の能力が判明した時にアンリからされた警告を無視した行為だった。
「賭けに勝ったから良かったけど、そうでなければ全滅していた」
「それは……分かってます」
玲治自身、あれが危険な賭けだったことは自覚していた。
しかし、彼には他に手段が無かったことも事実だ。
使い魔を通して状況を知るアンリもそのことは理解しているが、今後のために敢えて叱責して警告しているのだろう。
「まぁ、実際は全滅はあり得なかったけど」
「え?」
「ヴニはしっかり躾けてあるから、テナには攻撃しないし」
言われて改めて思い返すと、確かに彼女の言うとおり、あの激しい戦闘の中でテナだけは一切ダメージを負っていなかった。
範囲攻撃を放つ時すら、効果範囲にテナが入らないように黒龍が留意していたことになる。
アンリの眷族であり、アンリの使い魔が一緒だったテナに対して、黒龍は絶対に攻撃を当てないようにしていたのだ。
つまりは、彼女を庇おうと割って入った玲治の行動は無意味だったということだ。
玲治は全身から力が抜けるのを感じた。
◆ ◆ ◆
その後二人も起き出したため、居間に場所を変えて、お茶を淹れて話を始めた。
その中で、アンリがふと口を開いた。
「ところで、貴方達に聞きたかったんだけど……」
「?」
「はい?」
「何ですか?」
三人が注視する中、アンリは予想外の質問をぶつけてきた。
「どうして、ヴニに挑んだの?」
アンリの言葉に、三人は一瞬何を言われたのか分からず戸惑いの表情を浮かべる。
お互いに顔を見合わせ、テナがおずおずと答えを返した。
「どうしてって……アンリ様がそれが私がレージさんと旅をする条件だって……」
「私はそんなこと言ってない」
「え?」
テナの反論は一言で切って捨てられた。テナは先日のアンリの言葉を改めて思い返した。
ダンジョンで十階層まで到達すること。それが達成出来たら彼と一緒に旅をすることを認める──
ダンジョンで十階層まで到達すること──
到達すること──
「ええと……」
「まさか……」
「嘘ですよね……?」
信じられない、いや信じたくないといった表情を浮かべる三人に、アンリはトドメとなる言葉を告げた。
「十階層に辿り着くだけで良かったのに」
「「「───────ッ!?」」」
三人から声にならない悲鳴が上がった。
「で、でも……条件としては十分達成ということですよね?」
気を取り直して問いかけるテナ。
「…………………………………………………………仕方ない」
アンリから許可は下りたが、物凄い渋々感だった。
「ありがとうございます、アンリ様!」
「良かった、テナが一緒に来てくれるなら心強いよ」
「ふふ、これからもよろしくお願いしますね。レージさん」
アンリの許可に喜ぶテナと玲治。
と、そこに横合いから咳払いが聞こえた。
「こほん……あの、私もお二人の旅に同行させてもらえませんか?」
「え? それは勿論ありがたいですけど、勇者としてのお仕事の方は大丈夫なんですか?」
「はい、今は特に大きな事件もありませんから」
同行を申し出るオーレインに玲治は不安そうに問い掛けるが、オーレインは心配要らないと笑顔で返した。
「そうですか、それじゃこれからもよろしくお願いします」
「わあ、オーレインさんが一緒に来てくれるなら心強いですね。
よろしくお願いします!」
テナも経験豊富なオーレインが同行すると聞き、素直に喜びの声を上げた。そこに、含むものはない。
その笑顔を見たオーレインは一瞬だけ、苦い表情になる。
それは、昨日気絶した玲治の介抱をテナと一緒に行っているときに、一時的にアンリに呼び出されて交わした会話のせいだった。
◆ ◆ ◆
「ええと、お話って何でしょう?」
「貴女、何歳?」
いきなり投げ掛けられたぶしつけな質問に、オーレインは引き攣った表情になりながらも返答する。
「つ、つい先日二十歳になったところですが、それがどうしたと言うのですか?」
「いきおくれ?」
確かにこの世界の適齢期からすればあながち間違ってはいないが、それにしても酷い言い草だった。
ぶしつけどころではない、失礼極まりない言葉に思わずオーレインは激高する。
「だ、誰がいきおくれですか!? と言うか、貴女だって大して変わらないでしょう!」
「私は一年くらい歳を取らなかった期間があるから、まだ平気。
それよりも、今は私のことは置いておいて……貴女は結婚したいとは思わないの?」
怒髪天を衝く勢いで気勢を上げていたオーレインだったが、アンリのその言葉を聞いて途端に意気消沈する。
「そ、それは私だって結婚とかしたいとは思いますけど……し、仕方ないじゃないですか! そんな相手が見付からないんですから」
勇者であり人族トップクラスの実力を持つオーレインだが、こと恋愛面ではそれは大きな枷となっていた。
誰も彼もがその肩書きを意識し、委縮し、彼女自身を見ることはない。
勿論、拘らなければ結婚相手など簡単に見付かったことだろう。彼女の力や立場を求める者はそれこそ幾らでも居る。
しかし、勇者である前に一人の女性である彼女にしてみれば、愛のある結婚に憧れを捨てきれなかった。
同じ勇者の立場である者であれば大丈夫だったかも知れないが、他に二人居る勇者のうち片方はパーティメンバーとの絆が強く割って入るようなことは出来そうになかったし、もう一人は軽薄でオーレインはその人物を苦手としていた。
そもそも彼女がこの国に来たのも、その人物の口説きから逃げるためだった。
「彼のこと、どう思う?」
「? 彼って……レージさんですか?
どう思うと言われても……」
唐突に告げられた言葉に、オーレインは思わず回答に詰まった。
話の流れから考えれば、「どう思う」と言うのは恋愛対象としてという意味だろうと理解出来た。
オーレインは玲治の顔を脳裏に浮かべて、考え込んだ。
顔は整っている。
性格も誠実な方だろう。
才能もかなり高い。最初は情けないかなと思っていたが、あっという間に実力を得た時は感嘆したものだった。
異世界からの来訪者と言う点があるが、それもオーレインにとっては欠点になり得ない。むしろ、勇者である彼女に偏見を持たずに接してくれるという意味で、最高の利点となり得る。
考えれば考えるほど、玲治が最高の優良物件に思えてきた。
そう言えば、黒龍と対峙していた時の姿は結構凛々しかったなと思い返すと、思い出補正で三割ほど美化された玲治の顔を浮かんだ。
「で、でも……レージさんはテナさんと仲が良いですし、私の入る隙間は……」
顔を紅潮させながら、しかし簡単には認められずそんな言い訳をするオーレイン。
しかし、そんな発言が出てくる時点で既に大分心が傾いているということに、自身では気付いていなかった。
「テナは彼に優しく接しているけれど、今のところ恋愛感情を持っているわけではなさそう」
「それは……」
オーレインの脳裏に、玲治に膝枕をしていたテナの姿が思い起こされた。
もしもあれが自分だったらと想像するだけで恥ずかしさに顔を赤らめてしまいそうになりながら、そんな行動を恥ずかしげもなく実行するテナに密かに戦慄していたものだった。
しかし、アンリの言う通りテナが玲治に恋愛感情を抱いてないのだとしたら、大分話は変わってくる。
そもそも異性として意識していないのなら、恥ずかしがることもなく行動出来るだろう。
もしそうなら、テナに遠慮することなく自分が恋仲になってしまっても良いのではないか、そんなことを考えたオーレインはますます顔を赤くする。
「彼と手を繋いだり、キスをしたり……したくない?」
したい。すごくしたい。
大きな音を立てて生唾を飲み込む彼女は、既にアンリの術中に陥っていた。
オーレインの脳内では、既にウェディングドレスを着て聖光教の教会で挙式をしている自身とその隣に立つ玲治の姿が再生されている。
「それを叶えるの、手伝ってあげる」
そう言うと、アンリはオーレインに対して手を差し出してきた。
「な、何が望みなんですか? 交換条件は何ですか!?」
差し出された手から目が離せないまま、オーレインは叫んだ。
「別に何も、私は貴女のことが気に入ってるから味方をしてあげたいだけ」
その言葉にオーレインはアンリの顔を見るが、彼女の表情は仮面に隠されていて見通すことは出来ない。
「ここで手を取らないのも貴女の自由。
でも、周りが結婚していく中で一人寂しく孤独に生きてく人生で良いの?」
その言葉を聞いた瞬間、オーレインは全身から血の気が引くのを感じた。
彼女の脳内劇場は教会での結婚式から一転し、病に倒れた自身が一人寂しくベッドの中で咳をしている姿が映し出されていた。
「さぁ、選択の時。
甘々な幸福の日々か、一人寂しく孤独死か……選んで」
オーレインはおずおずと手を伸ばし、アンリの手を握った。
「取引成立」
光神の加護を受けた勇者が、邪神もどきの誘惑に屈した瞬間だった。
◆ ◆ ◆
アンリと裏で手を組んだオーレインにとって、テナの邪気の無い笑顔は眩しくて仕方なかった。
しかし、既に後戻りは出来ない。
様々な人物の思惑を孕みながら、玲治の新たな旅が始まろうとしていた。
<登場人物から一言>
本日のアンリ様の夕食。
ピーマンピラフ、ピーマンの肉詰め、ピーマンサラダ、ピーマンスープ、ピーマンジュース。
テナ「♪」
アンリ「……ごめんなさい」
<作者からのお知らせ>
本話で第一章完となります。
なお、本作ですが、大まかな話の流れは決めているものの、三章構成にしようか五章構成にしようか、動向を見ながら決めようと思ってたのですが、未だ決めかねてます。
もう少し考えて結論を出したいと思いますので、しばしお待ちください。
また、第一章完まで毎日投稿させて頂いておりましたが、本話でストックが切れましたので、以降は不定期更新となります。
ご了承ください。
ちなみに、オーレインは加護付与されたわけではありません。
(そもそも、光神の加護を受けてるので付与出来ません)
結婚の誘惑に負け、悪魔に魂を売っただけです。




