第18話:黒き災厄
ダンジョン「邪神の聖域」では各階層の入口、階段を降りた最初の部屋に魔物が踏み込まない安全地帯が設けられている。
数パーティーが同時に休めるだけのスペースが確保されており、なんとトイレまで設置されているのだ。
世界最凶最悪と悪名が轟くダンジョンにそぐわぬ気配りだった。
玲治に戦闘経験を積ませながら攻略を進めてきた一行は、第六階層の安全地帯で休息を取ることにした。いや、取ることを余儀なくされていた。
「はぁ……はぁ……」
それと言うのも、オーレインやエリゴールのスパルタ教育が過熱し過ぎて、とうとう玲治が音を上げたのだ。
「もう、お二人とも……あまりレージさんに無理をさせ過ぎないでくださいね」
「む、面目ない。筋が良いものだから、つい興が乗ってしまってな」
「す、すみません! 大丈夫ですか? レージさん」
保有するスキルのおかげもあってスポンジが水を吸うように技術を身に付けてゆく玲治に、剣を教えるエリゴールも魔法を教えるオーレインも、つい加減を忘れて過剰な働きをさせてしまっていた。
身体能力と同様に体力についても元の世界に居た時よりも向上している玲治だが、それでも限界というものは存在する。
第五階層の踏破と同時に目眩を起こして倒れそうになった彼に肩を貸しながら、一行は何とか階段を降りてこの部屋まで辿り着いた。
安全地帯の部屋に着くなり、体力の限界を迎えて床に倒れた玲治の頭を膝に載せながら、テナは調子に乗って彼を酷使し過ぎた二人をたしなめた。
二人の方も自覚はしていたのか、正座をしながら神妙にテナのお説教を聞いている。
「大丈夫ですか? レージさん」
「ああ、うん。少し落ち着いたよ、ありがとう」
取り出した布で顔の汗を拭いてくれながら心配するテナに、休息を取ってようやく息を整えることが出来た玲治は寝っ転がったまま答えた。
同時に、現在の自分の格好に遅ればせながら気付き、内心で酷く慌てることとなった。
テナに膝枕されるのは二度目だが、前回は腰の痛みに苛まれていて気付かなかった頬に感じる柔らかな太股の感触と、鼻腔を直撃する甘い体臭に思わず顔を赤らめてしまった玲治。
だが、幸いというべきかテナの方はそれに気付くことはなかった。
「カァー!」
「痛たたたたっ!?」
「わわ、ダメですよ!?」
但し、たとえテナが気付かなかったとしても、黒い羽根を持ったお目付け役が居る。
邪な思いを抱いた玲治は、鋭いくちばしで何度も頭を突かれ悲鳴を上げた。
「迷宮内では正確な時間は分からんが、外はおそらく夜になった頃合いか」
「レージさんの疲労もありますし、今夜はここで仮眠を取って明日残りの階層を攻略するのはどうでしょう」
「そうだな」
一行は第六階層で一夜を明かすことにし、念のために交代で見張りを立てながら仮眠を取った。
◆ ◆ ◆
朝になって、一行は攻略を再開した。
一晩休むことで玲治の体力も完全に回復しており、問題なく動くことが出来そうだった。
いや、それどころか玲治は剣も魔法も前日より更に洗練された動きが出来るようになり、前衛も後衛もそれなりに活躍出来るようになっていた。
時間を空けることで昨日の経験を整理して自身に定着させることが出来たためだろう。
エリゴールが最前列、その次に玲治、後衛にテナとオーレインという配置で、一行は昨日以上に順調に攻略を進めていた。
なお、敵が出現しない間は基本的に玲治は万歳の格好をする取り決めである。
そうして到達した第十階層、探索を続ける玲治達の前に不思議な台座が出現した。
「ああ、この台座は──」
「『黒き暴君に挑む者よ、正しき星辰を揃えよ』か
それにこの窪みとマーク……このフロアから石板か何かを探して嵌め込めばいいのかな」
「!?」
かつてこのダンジョンに挑んだ経験があるオーレインが説明しようとするが、その前に玲治が刻まれた文字と窪みのマークを見て答えを予測する。
その間、ジャスト二秒。あまりに早く正解に辿り着いた玲治に、オーレインは驚愕の表情を浮かべて絶句した。
そもそも、この世界に現存するダンジョンで、こういった頭脳を要するような仕掛けの類いが設置されているのは、ここ「邪神の聖域」だけだ。
他のダンジョンで障害となるのは、出没する魔物や仕掛けられた罠がメインであって、このような仕掛けによって侵入者を阻むようなケースはない。
別の世界の知識を有するアンリがダンジョンマスターとなったこのダンジョンのみが、世界で唯一知能を問われるダンジョンである。
ダンジョン「邪神の聖域」が最高難易度なのは、出没する魔物の強さや瘴気だけではなく、こういった知能を問う試練が存在することも大きな要因になっているのだ。
そのため、この世界の住人にはこういった仕掛けを攻略するためのノウハウも存在しなければ、慣れてもいない。
勿論それは仕方のないことだろう。他のダンジョンではそういったノウハウは必要がない、必要がないのだから向上することもあり得ない。
しかし、仕掛けられているのはアンリがゲームの記憶を辿って設置した仕掛けであり、玲治が居た元の世界で普通にゲームをプレイした経験があれば、大して苦労するようなものではなかった。
「よ、よく分かりましたね……」
「え? あ、いや。書いてある文章からそれしかないかなって」
「凄いです、感服しました!」
故に、玲治には何故オーレインが驚き、尊敬の念すら露わにしているのかが理解出来ない。彼にとってみれば、謎解きにすら含まれないような簡単な問題を解いたに過ぎないからだ。
「それでは、石板を集めてきましょう」
「うむ」
「はい」
「ええ!」
◆ ◆ ◆
「これでよし、と」
玲治がフロアから集めてきた石板を台座に埋め込むと、正面の石壁が左右に開き道が拓かれた。
「心せよ、この先に出てくる魔物はこれまでの道のりで遭遇した魔物達とは次元が異なる」
「そ、そんな強い魔物なんですか?」
「ええ、以前はエリゴールさんと魔族の四天王二人、そして私を含む勇者三人で何とか倒した程の相手です」
「そこまでの人を集めて何とか……なんですか。
だとすると、この人数では倒すのは難しいんじゃないですか?」
エリゴールやオーレインの言葉に、玲治の顔が曇った。
どう考えても、彼女の話の戦力よりも今のパーティは戦力的に劣っているからだ。
「正直、倒せる可能性は五分と言ったところだろう。
無理だと感じたら、速やかに撤退する」
「ですね。
私も、万が一このダンジョンで倒れて聖弓を奪われてしまったら……」
「あ、あはは……」
このダンジョン内で倒れた場合、命は奪われないものの代わりに武器やアイテム、お金などは没収される。
オーレインはかつてこのダンジョンに挑んで命よりも大切な聖弓を奪われてしまったトラウマを思い出して、地面に突っ伏して落ち込んだ。
その様を見て、事情を知るテナは思わず苦笑いを浮かべている。
彼女が住む黒薔薇邸は、聖なる武具を奪われたオーレイン達が、取り戻す代償として散々こき使われながら建てられたものだからだ。
倒されることさえ防げば武器などを奪われることもないので、玲治達は事前に危なくなったら撤退することを取り決めた。
「そうだ、レージ。
例の『ランダム召喚憑依』を使ってみよ。
もしも、良い結果が出たら効果が切れぬうちに挑むようにする」
「わ、分かりました。
また昨日みたいに腰痛に苛まれる結果にならなければ良いんですが……」
エリゴールの指示に、玲治は少し引き攣った表情でそう答える。
昨日試した時は聖光教の法王の力を召喚してしまい、全く役に立たない上に腰痛だけが発症するという結果に終わったため、若干トラウマになり掛けている。
二十四時間が経過しているために再度使用出来るようになっている筈の「ランダム召喚憑依」だが、好き好んで使いたい力ではなかった。
しかし、ボスに挑むこのタイミングで良い結果が出れば役に立つのも事実だ。もしもハズレなのであれば、効果が切れるまで待ってから挑めば良い。
「ランダム召喚憑依」
玲治が意識を集中して唱えると、半透明の人影が彼の身体に覆い被さった。
そして、鎧とマントの幻影が浮かび上がる。
「あ、この格好ってもしかして……」
「どうやら、私の力のようだな」
「これは当たりですね」
どうやら、今回はエリゴールの力を引き当てたようだ。
九割の再現とはいえ、この世界トップクラスの実力者の力の再現だ。戦闘においては非常に有効だと言えよう。
「エリゴールさんの方は何も変化は無いですか?」
「む? いや、特に何も変わらん」
力を召喚された側がどうなるのかが不明だったため、玲治はエリゴールに尋ねるが、エリゴールは身体の調子を確かめてから、そう答えた。力を借りると言っても、借りられた側の力が減衰するようなことはないようだ。
「ステータス」
安堵した玲治が次に試しにステータス表記を見てみると、はたして内容に変化が生じていた。
名 前:レージ
種 族:人族
性 別:男
年 齢:18
職 業:魔導剣士
レベル:23
称 号:異世界勇者
魔力値:3935 ~ 1528307
スキル:オート魔法(Lv.8)
ランダム召喚憑依(Lv.7)
剣技(Lv.6)
光魔法(Lv.5)
アイテムボックス(Lv.3)
火魔法(Lv.4)[New!]
闇魔法(Lv.4)[New!]
状態異常耐性(Lv.3)[New!]
装 備:運任せの剣
鋼鉄の剣
軽騎士の鎧
憑 依:エリゴール=ロマリエル[New!]
「スキルが追加されてるのは、多分エリゴールさんの力を借りてるからだよな。
レベルや魔力値には影響は出ないみたいだけど」
ここまでの道のりで戦って経験を積んだおかげでレベルは大分上がっているが、それだけだ。レベルや魔力値は「ランダム召喚憑依」によって特に変わることはないようだった。
代わりに、おそらくはエリゴールが保有していると思われるスキルが追加され、新たに憑依欄が加わってエリゴールの名が記されている。
「何をしている。効果が切れるまでに時間がない。
さぁ、征くぞ」
「あ、はい! 分かりました」
一行は、第十階層のボス部屋へと足を踏み入れた。
◆ ◆ ◆
ダンジョンの中とは思えないほどの広さと高さを持った部屋に、それは悠然と待ち受けていた。
家よりも巨大な体躯に全身を覆う禍々しい黒き鱗、凶暴な顔付きに爛々と光る眼、鋭利な爪牙、そして何よりも広げれば世界を覆い尽くすかのようにすら感じられる力強き翼。
「ド、ドラゴン!?」
「はい、あれがこの第十階層を守護する最凶最悪の黒龍──」
オーレインの言葉を引き継いで、テナが彼の者の名を謡うように呼び上げた。
「──アンリ様のペットのヴニちゃんです」
「は?」
途端に、何だか目の前の黒龍がとても可愛らしい存在に幻視された。
「って、テナさん! 変なところで士気を下げないでください!?」
「ご、ごめんなさい! つい!」
ついつい以前呼んでいた名前で呼んでしまったせいで雰囲気をぶち壊してしまったテナは、オーレインに叱られて慌てて謝った。
「もう……気を取り直して。
あれは黒龍ヴァドニール、世界最凶最悪と恐れられるドラゴンです」
「黒龍ヴァドニール……」
玲治達が様子を窺いながら言葉を交わす間も、黒龍は悠然と彼らを見据えたまま動かない。
その悠然とした態度には、最強種であるが故の余裕が感じられた。
警戒して黒龍の一挙一動を見詰める一行だが、そのうちオーレインが重大なことに気付いた。
「!? エ、エリゴールさん! 以前よりも部屋が広くなってませんか!?」
「ぬ? ああ、そなたは知らなかったのか。
我々が挑んだ後に拡張されたようだ」
「そ、そんな……」
ただでさえ巨体の黒龍だ、翼を広げればその大きさは更に増す。
普通の部屋であれば殆ど身動きが取れなかったであろうし、ある程度の広さがあっても空を飛ぶことは出来なかっただろう。
実際、かつてオーレイン達が彼を攻略した際も、部屋の狭さのせいで黒龍が全力を出せる環境ではなかったというのも勝因の一つだった。
しかし、今のこの部屋の広さであれば黒龍はある程度自由に戦うことが出来るだろう。
その事実に気付いたオーレインの顔は急速に蒼褪めた。
「グオオオォォォーーーッ!!!」
そして、その予想を肯定するように黒龍は咆哮とともにその巨大な翼を広げる。
バッと広げられた翼により黒龍の巨体は更に大きく見え、凄まじい威圧感が一行へとぶつけられた。
次の瞬間、黒龍は力強く羽ばたき、その巨躯を広間の上空へと一気に舞い上がらせた。
「来るぞ!」
<登場人物から一言>
ヴニ「♪」(広々)




