第10話:神聖アンリ教国
彼の名は「万歳勇者」
「それでは、行ってきます」
「行ってらっしゃい。
でも、諦めてすぐに帰ってきてもいいから」
「あ、あはは……」
「行ってらっしゃい、テナお姉ちゃん」
「うん。アンリ様のお世話お願いね、リリ」
「待って、私がお世話される方なの?」
二人の見送りに来たアンリとリリは、テナに対しては優しげに声を掛けた。一方、玲治に対しては極寒の視線を向ける。
「テナに怪我させたら……もぐから」
「だから何処を!?」
「……テナお姉ちゃんを泣かせたら、許さない」
「泣かせないって!」
二人から向けられる言葉に、玲治は冷や汗を掻いた。
「そうだ、万歳して」
「は?」
突然、アンリが玲治に向かって妙なことを言い出した。
玲治はわけがわからず、困惑した声を返す。
「ばんざ~い」
「え、いや、ええと……こうですか?」
「よろしい……テナ」
「は、はい?」
恥ずかしい格好にわずかに顔を赤くしながらも素直に従って万歳をした玲治に満足げに頷くと、次にアンリはテナを呼んだ。
呼ばれたテナは何が起こるのかと首を傾げながらも、アンリの手招きに従って近くへと寄る。
アンリはそのテナの手を取って玲治の服の裾を掴ませた。
「あの、何なんですか?」
「オート魔法が発動しても良いように、この格好で旅をすること」
「は!?」
「ええ!?」
唐突なアンリのお達しに、二人は驚愕の声を上げる。
「なんでこんな格好を!?」
「いきなり魔法が発動すると危ないし、空に向けておかないと」
「う、それはそうですが……」
「私がレージさんの裾を握るのには何の意味があるんでしょう?」
「接触してないと、転移魔法が発動して離れ離れになるかも知れないから」
「た、確かにそれは避けないといけないのは分かりますけど……」
奇妙な指示だったが説明を聞くと意外と理屈はしっかりとしており、玲治とテナの二人は咄嗟に反論出来ず言葉に詰まった。
「そ、そうだ。昨日掛けてもらった魔法をもう一度掛けてもらえば大丈夫なんじゃないですか?」
「危険な旅路で魔法という手段をずっと封じたままというのは、余程余裕がなければ自殺行為。
街の中なら流石に封じても大丈夫だと思うから、街の中に入る時にテナに掛けてもらって」
「うぐ……」
玲治が昨晩の魔法のことを思い出して反論するも、たちまちのうちに論破されてしまった。
尤も、実際には現時点で自力で魔法を使うことが出来ない玲治にとっては、魔法は封じてしまっても問題ないものだったりするのだが、彼はそのことに気付かなかった。
「この格好、ちょっと恥ずかしいんですが……」
「いやなら、同行するのをやめればいい」
「そ、それはだめです。
……分かりました。恥ずかしいけど、我慢します」
結局その後もアンリの意見を論破することは出来ず、やがて玲治とテナの二人は、その格好のままアンリ達に見送られて黒薔薇邸を出発した。
直後、玲治の手から上空に向かって炎が噴き上がった。
「……ん?」
ダンジョンのある街に向かって歩く玲治は、テナの格好に違和感を覚えた。
服装がおかしいわけではない、昨日と同じ黒地に紅い紋様が浮かんだ神秘的な貫頭式の巫女服に、上からローブを羽織っている。ちなみに玲治も同じローブを借してもらい着ていた。
では何処がおかしいのかと言えば、彼女の右肩にとまっている存在だ。
「な、なぁテナ? その……肩の上の鴉は何なんだ?」
そう、彼女の右肩には黒い艶やかな羽根を持った鴉が一羽とまっていた。
一見普通の鴉のようだが、その目元は不自然なほど人間のジト目に近い形をしていた。
「あ、この子ですか?
アンリ様の使い魔です。アンリ様がどうしても連れていくようにって」
「カァー」
「そ、そうなのか」
どうも嫌な予感がして、玲治は冷や汗を掻いた。
アンリは玲治に対してそこまで悪感情を持っていないし境遇にも同情的だった筈だ。玲治自身が悪いわけではないとはいえ、いきなり魔法でスカートを捲り上げるような不作法をしたにも関わらず、多少の意地悪はされたものの結局は宿泊を許してくれた。
しかし、ことテナとの関係については、非常に強い猜疑心を抱いていることは分かっていた。
そのアンリがテナに自身の使い魔を付けた意味は、玲治が彼女に手を出さないように監視するためとしか思えなかった。
「カァー?」
鴉のジト目がその不安を助長する。
おそらく、玲治がテナに近付こうとすると、この鴉は彼を突き回しに掛かるに違いない。
玲治はテナに対して、紳士的な態度を崩さないようにしようと改めて心に誓った。
「ところで、これから向かうのはどんなところなんだ?」
「今私たちが向かっているのは、神聖アンリ教国の首都であるアンリニアという街です。神聖アンリ教国は神族のアンリ様を崇める人達で構成された国で、そこの神殿の地下がダンジョンになってるんです」
「し、神聖アンリ教国?」
あんまりな国名に、玲治は思わず冷や汗を掻いた。
そもそも、昨日アンリから聞いた話によれば、神族としての彼女は分類上は邪神の筈だ。神聖という言葉とは大きくかけ離れている。
彼女自身の名前が国名に含まれているところも、痛々しい。首都名も同じである。
「カァー」
そんなことを考えた玲治を鴉がギロリと睨み付けた。
「国としてはかなり小さいのですけど、世界中から人が集まってきてるので活気がありますよ」
「世界中から人が? そんなに信仰されているのか?」
玲治が会ったのは人族としてのアンリだけで神族としてのアンリは見たことがない。
それでも、元々同一人物だったことを考えれば、性格などにそこまで差があるとは思えない。
彼女を世界中の人が信仰しているというのが、どうしてもイメージ出来なかった。
そもそも、邪神信仰というのは通常もう少しひっそりと行われているものではないかとも思う。
「あ、いえ、信徒の方も全世界に居ないわけではないですが、集まってくるのは大半がダンジョンに挑む冒険者の人です。
あそこのダンジョンは世界中で最も知名度の高いダンジョンなので、攻略しようとする人が多いんです」
「そうなのか。そこが俺達が挑戦するダンジョンなんだな」
「はい。神殿の周りには冒険者向けにお店も沢山ありますので、そこで色々と買い揃えましょう」
テナの言葉に、玲治はふと気になった。
「買い揃えるって、俺そもそもこの世界のお金を持ってないんだけど」
玲治が持っているのは、日本円だ。
この世界で使えるとは思えない。
「大丈夫です。アンリ様が持たせてくれましたから」
そう言うと、テナは胸元から小袋を取り出して玲治へと見せた。
テナの反応からすると、おそらく小袋にはギッシリと貨幣が詰まっているのだろう。
尤も、玲治の視線は小袋ではなく、それが取り出された場所の方に向いていたが。
「カァー」
鳴き声とともに鴉のジト目が強くなった気がして、玲治は慌てて視線をテナの胸元から逸らした。
「それにしても、そんな大金持たせてくれたのか。
結構優しいんだな」
「はい、アンリ様は優しいんです!」
半ば誤魔化すために、玲治はアンリを褒めた。尤も、アンリの配慮に感謝していたのも嘘ではない。
玲治の言葉に、テナは我が意を得たりとばかりに嬉しそうに頷いた。
「あ、でもアンリ様がこのお金を持たせてくれた時に、何か変なことを仰ってたんですよね。
『十倍にしといた』って」
「………………」
その意は、おそらく「テナが同行するから」ということだろう。
玲治一人だったら、あの小袋の十分の一だったわけだ。
アンリからしてみれば玲治にお金を用意する義務もないためもらえるだけマシかも知れないが、複雑な心境だった。
「カァー」
◆ ◆ ◆
「もうすぐですね」
街道をしばらく歩いた時に、ふとテナが声を上げた。
その言葉に玲治が顔を上げると、その視界に妙な物が映った。
「あ、あれは?」
遠目でも見えるほどの巨大な少女の顔だ。
しかし、それは当然本物の人ではない。
色を見ればすぐ分かる、銅像だ。
顔から視線を下に動かせばそこには胴体があるが、それが纏っている衣装に玲治は見覚えがあった。
「あれは教国のシンボルの一つ、巨大アンリ様像ですね」
そう、巨大な銅像が纏っているのはアンリが着ていた黒薔薇のドレスと瓜二つだった。
玲治は結局仮面の下のアンリの顔を見ていないが、あれがアンリを象った像であると言うテナの言葉には素直に頷けた。
印象よりも少し幼く見えたが、おそらくは少し前に建造されたためなのだろう。
「へぇ、仮面で見えなかったけどあんな顔だったんだな」
「はい、とても綺麗な方ですよ。
あの像が出来てから、恥ずかしいと仰って仮面で隠すようになってしまいましたけど」
「え? 魔眼のせいじゃなかったのか?」
アンリからそのように説明されていた玲治は、テナの説明に疑問の声を上げた。
「それも多少はあると思いますが、一番の理由は神像と同じ顔をしているせいで騒ぎになることを避けるためですよ」
確かに、神の像と同じ顔をしている女性が居たら、普通は大騒ぎになるだろう。そのうえ、彼女の場合は実際同一人物だったわけで、他人の空似というわけでもない。
テナの説明に、玲治はアンリからの説明との食い違いに多少の疑問を浮かべながらも納得した。
なお、アンリが理由をちゃんと説明しなかったのは、自分の銅像があるという事実を言うのが恥ずかしかったためである。
「ところで、街に入るのにチェックがあると思うんだが、俺は入れるのか?」
「あ、はい。教国の教皇さんが便宜を図ってくれてるので、私が頼めば大丈夫だと思います」
「それって、俺一人だと入れなかったってこと?」
「……そ、そうですね」
当初の予定通りに玲治一人で来ていたら、街に入れずに立ち往生する羽目になったということだ。
玲治とテナはその事実に気付いて、冷や汗を掻いた。
「やっぱり、テナが一緒に来てくれて良かったよ」
「ふふ、ありがとうございます」
「ところで、そろそろ魔法を使えなくなる闇魔法を掛けてくれないか」
「あ、そうですね」
テナが魔法を唱えると、昨晩アンリが放ったのと同じように霧が玲治の身体に纏わりついた。
それにより、玲治はようやく万歳の格好から解放された。
◆ ◆ ◆
「普通に入れたな」
「はい。でも、冒険者登録をしてカードを取得した方が良いですね。
そうすれば、玲治さんだけでも街に出入り出来るようになりますし」
「そうだな、俺も身分証明が無いと落ち着かないし。
あとで案内してくれるか?」
「はい!」
門でのチェックをほぼ顔パスに近い状態で通った玲治とテナは、会話を交わしながらアンリニアの街を歩いていた。
その街並みは玲治が召喚されたルクシリア法国とそこまで変わるところはないが、行き交う人の数は段違いだった。
街は活気に溢れ、客引きの店員の声があちらこちらで響き渡っている。
静謐な印象がある宗教国家という言葉とは大分印象が異なり、玲治は困惑した。
むしろ冒険者の街と言われた方がしっくりくる。
それを告げると、テナは苦笑を浮かべた。
「ふふ、そうですね。
街としてはダンジョンと、それに挑戦する冒険者の方で繁栄した街ですから、そうなるのも当然だと思います。
あ、でも、この街でアンリ様のことを莫迦にしたりすると危険なので、絶対に言わないでくださいね」
「そ、そうなのか?」
「カァー?」
直接言葉を交わした人族のアンリの印象から、そこまで厳格なイメージを持っていなかった玲治は、テナの言葉に困惑する。
「アンリ様はお優しい方なので本気で怒ったりはしないと思いますけど、信徒の方達は許さないでしょうから」
もっともそれは、とテナは続けた。
──私も同じ気持ちですけどね。
可愛らしい微笑みを浮かべながらも、一瞬垣間見えた笑っていない目に、玲治の背筋を冷たいものが流れた。
「あ、ああ。
勿論、俺にとっても恩人だし、莫迦にするようなことは言わないよ」
「そうですよね。ふふ、安心しました」
「カ、カァー……」
人には誰しも譲れないものがあるということを深く学んだ玲治だった。
<登場人物から一言>
玲治「怖……ッ!?」
<作者からの一言>
玲治についてきたテナですが、理由はアンリへの恩返しの無意識の代償行為なので、現時点の好感度的にはアンリ>>>(越えられない壁)>>>玲治です。
この間の「>」記号を何処まで少なくできるかは今後の彼の努力次第です。
ヒロインが比較的早く主人公に恋するのがなろうの主流と聞くこともありますが、私はどうしても相応に苦労して貰わないと渡したくないので、申し訳ないですがこの方向で進めさせて頂きます。
関係ないですが、鴉に名前を付けようか迷ったものの、もうアンリ鴉でも良いような気がしてきました。