千尋ちゃんと私
千尋ちゃんと私がお友達になった理由は、たぶん普通のお友達の作り方とちょっとずれていたと思います。何せ私と千尋ちゃんは小学校も中学校も別々、高校に入った今日までの共通項は塾だけと言う関係でした。学校を終えてから集まって、一緒の教室で2時間ほど授業を受け、終わればそそくさと家に帰る、この短い時間で仲良しさんになるにはそれなりの理由がいると言うものでしょう。
その、「それなりの理由」と言うものを形作るものの一つに、千尋ちゃんの容姿があげられます。千尋ちゃんは美人です。大事なので二度言いますが犯罪者ホイホイと言えるレベルの美人さんです。JKブランドと言う黄金期に入った千尋ちゃんは、そりゃあもう水涎ものですよ?ツヤサラ黒髪と、百合のように凛として匂い立つ整った顔に、細い肩と腰、すらりとのびる白い足、ぱいんぱいんのお胸、その上全国模試に名を連ねる秀才さん。長年アトピーに悩まされ、皮の厚く薬の効きにくい両手にいたっては常に赤黒く腫れ上がっている、そばかすの顔のお下げメガネな私とは次元が違います。通学電車の中で千尋ちゃんの壁になるのはなかなかに骨が折れました。
まあ、そんな才色兼備な千尋ちゃんと、私ーーーのろまで愚図、空気が読めない落ちこぼれが会話をするきっかけになったのは、千尋ちゃんがその犯罪的な美しさから塾の男性講師に襲われかけていたときのことです。
当時千尋ちゃんと私は小学4年生、色気もヘったくれもないないはずのガキんちょですが、そこは千尋ちゃんが道を踏み外させる魔性の美幼女だったと言うことなのでしょう。
大人の男が小学生を押し倒し、服を脱がそうとしている現場になんの疑問もなく突撃をかました当時の私は本当に空気を読まない子でした。
部屋の鍵は閉めらてましたが、教室特有の足下通風口と言うんですかね、まあそんな子供しか利用しない窓みたいな引き戸から忘れ物を取りに入って、と言う流れです。
当時私はその男性講師を慕ってましたから、明らかなる犯罪現場であることに気づきもせず、千尋ちゃんだけでなく自分にも構えと音を立てずに背後から近づいて「だーれだ?」をかましました。
普段優しい先生だったので、いつも通り目隠しをとらずに「だれかなー?知子ちゃんかなー?」をやってくれると思ってたんですよ。
しかしその予想は外れ、私はものすごい勢いで投げ飛ばされーーーごいいいん、と教卓の角に頭をぶつけました。
いやぁ、あれは本気で痛かったです。3針縫いましたもの。
反射で大泣きした私に男性講師が怯み、その隙に千尋ちゃんは逃げだし、他の大人を呼び、まあ私が病院から復帰したときにはその先生は私への怪我の責任をとって解雇されていました。
親からは大けがをさせられたその塾をやめる、と言う提案もなされましたが、私はなかなか気むずかしい子で、半家庭教師式のその塾をかえるとなると今よりもっと遠くか精神的に追い詰められ過ぎて厳しい家庭教師かの2択でした。面倒くさかった私はこれまでその塾に不満などなかったので、詫び料貰ってそのまま続行という形になったのです。
そう、この時点ではまだ、私はまったく、これっぽっちも、千尋ちゃんに興味がありませんでした。あのとき男性講師に投げ飛ばされた理由も理解してませんでしたし、当然と言えば当然ですがーーー千尋ちゃんにとって私はとんでもなく恐ろしい秘密を知られてしまった、放置することさえできない得体の知れない女の子というポジションに収まってしまいました。
千尋ちゃんは保身のため、大人を呼ぶさい「なぜそんな場面になったか」を語らず「知子ちゃんが講師に投げ飛ばされて大けがをした」事実だけで人を呼びました。
塾は学校ではないので、場面検証とか詳しいことより処分をいかに素早く済まして風評を悪化させないことに心血を注ぎましたので、「千尋ちゃんが講師に押し倒されていた」事実を隠蔽することができたのです。
千尋ちゃんからすれば、このまま学校も違う私が塾を辞めてくれたらひとまず安心できたのでしょうが、私は帰ってきてしまいました。私の口から千尋ちゃんを知る人へ、おぞましい過去をバラされるのをおそれた彼女は、学力も違うのに私と同じ講師から授業を受けることを選択しました。
当時の私は「講師に投げられた」大事件で頭いっぱいで「千尋ちゃんがいた」事実などきれいさっぱり忘れきっていたので杞憂どころかやぶ蛇な選択だったと、中学に入った頃に千尋ちゃんから謝罪されましたが。
そう、謝罪です。不満がでたのは、メンバー替えされた私からでも生徒を取られた講師でも押しつけられた方の講師でもなく、前の千尋ちゃんと同じ講師から授業を受けていた子たちからでした。
1人の講師につき2人から多くても4人までしか見ない塾でしたから、同じ講師から授業を受ける子たちの距離は近くなります。きれいで賢い千尋ちゃんは男女問わず人気者でした。彼女の近くに座りたくてがんばる男の子を5人ほど私も知っていたくらいです。千尋ちゃんは塾のエースで、五科目それぞれのトップメンバーで走っていたので合計で15人ほどでしょうか。全科目最下位メンバーで面倒を見て貰っていた落ちこぼれの私は、クラス換算で半分くらいの人間に(しかも単科目トップ3メンバーズに)千尋ちゃんを取ったと恨まれる結果となったのです。
短い時間でしかないのですが、復帰した私は地味な嫌がらせを受けるようになりました。廊下を歩けば足を引っかけられて転ばされたり、トイレで突き飛ばされて足を便器に突っ込まされたり、わずかな隙に筆記具を折られたり。悪口もたくさん言われました。まあ悪口というか厳然たる事実なので、反論も何もできない台詞が多かったですが。頭が悪くて愚図でのろまな自分を何とかするために塾に通ってたわけですし。まあそんな、友だちもいない学校と変わらないくらい居心地の悪くなってきた塾に、根をあげそうになった私の味方になってくれたのは、意外にも「私に塾を辞めてほしい」筆頭の千尋ちゃんでした。
「私、由希ちゃんがその机に封筒を入れたのを見たよ?」
塾のお月謝を盗んだと、冤罪をかけられそうになったときでした。千尋ちゃんは私を糾弾しようとしていた由希ちゃんに柔らかくほほえみました。
「相変わらずあわてんぼうね、由希ちゃん。席間違いなんて誰でもすることだから涙目にならないでよ。大丈夫だから。知子ちゃんは盗みを働くような子でも、人の失敗を笑うような子でもないよ」
「ち、ひろちゃん……」
「ね、知子ちゃん?」
おねがい、そう懇願するような千尋ちゃんに私は目を見開きました。同じ講師から授業を受けてると言えども、ランクが違いすぎてこの時点までほとんど会話もしてこなかったものですから、旧友の訴えより私を信用する理由が思い当たらなかったのです。
「うん、私のろまだからスリもムリだし、バカだから席まちがいも計算まちがいいもしょっちゅうだから、……ええと、気にしないで?」
しどろもどろにそう返すと、千尋ちゃんはほっとしたように息を吐くと、由希ちゃんの肩をそっと撫でました。
「ほら、お母さんもう迎えに来てるよ。無事にお月謝見つかったんだから早く渡して行かなくちゃ。またね、由希ちゃん」
膨れ面をした由希ちゃんは千尋ちゃんに促されるまま、なんだか複雑な顔をして私を一瞥し、去っていきました。対する私は困った時に手を差し伸べられたのは初めてで、由希ちゃんに謝罪もされなかったことを怒るでもなく、ぼうっと、初めて目の前にいる千尋ちゃんを意識に入れました。それまで私にとって千尋ちゃんは綺麗で賢く私と全く関係ない子と言う括りに入っていたので、不思議で不思議でたまらなかったのを覚えています。
「ごめんね、知子ちゃん。由希ちゃんも本当は悪い子じゃないんだけど、……嫌な気持ちになったよね、本当にごめんね」
由希ちゃんの背を見送った千尋ちゃんは申し訳なさそうに苦笑しました。
「どうして千尋ちゃんがあやまるの?」
「私が悪いって思うから。本当は許してって言うのもおこがましいんだけど……知子ちゃん、私と友達になってくれませんか?ペンケースにつけてるの、ガミィさまだよね?ずっと気になってたの。私もドラグール物語大好きなんだ」
なんだか訳が分からない展開に私は目を白黒させながらコクコクと頷いて了承の意を伝えました。おともだち、(しかもお気に入りの小説を一緒に語り合えるおともだちですよ!)そんな存在に綺麗で賢く優しい千尋ちゃんがなってくれるだなんて私にとっては脳天を雷に打たれるレベルの衝撃です。おかげで何が悪いとかそういう疑問とかは綺麗さっぱり消し飛び、私は嬉しくなって満面の笑みを浮かべました。
「ありがとう、千尋ちゃん。これからよろしくね!」
「こちらこそありがとう。よろしくね?」
ここから、です。ここから私は千尋ちゃんとお友達になりました。塾での嫌がらせもこのときからなりを潜め、とても感謝しながら私は塾での千尋ちゃんとのおしゃべりを楽しみに交流を続けました。助けて貰うばかりじゃなくて、千尋ちゃんが見た目に似合わずアイドルよりもドラグール物語を含めマンガやゲームのほうが好きだったので、私の趣味とも合い、普通のお友達になるのにそう時間がかからなかったのもありますが。なんとか高校だけでも千尋ちゃんと通いたくてものすごく勉強もがんばって、千尋ちゃんと同じ県内有数の進学校に滑り込めたのはもう奇跡です。
そんな、クラスも部活も違いますが、それでも登下校は待ち合わせて一緒に通えて大満足で浮かれていた私の頭を、鈍器で殴られるような事件が起こったのは嵐すさぶ6月のことでした。




