千尋ちゃんと入学式
「詰んだ……」
「え、何か忘れ物したの?」
高校の入学式の日。一緒に登校していた小学校の頃から仲良しの塾友、千尋ちゃんがクラス割表を見た瞬間にガクリと膝をつきました。しっかり者の千尋ちゃんが「詰んだ」などと口にする忘れ物とは何でしょうか、とっさに思いつかなかった私はわたわたと自分の荷物と服装を確認します。
「手袋つけてる、タイよし、スカートよし、シャツはみ出てない、ブレザーよし、校章つけてる、靴下も紺色、靴も指定通り、髪もちゃんとセットしてきた、しおりと宿題と宣誓書も入ってる、財布もある、定期代も体服代も教科書代も……うん、入ってる、筆箱もある、判子も入れてある、水筒よし、飴とチョコもある、……え、もしかして今日お弁当いる日!?」
「……いやいらないよ知子ちゃん。紛らわしくてごめん」
「え、でも千尋ちゃん顔色真っ青だよ!?主席入学の千尋ちゃんが、石橋を叩いて叩いてさらに鉄骨で補強してから渡る千尋ちゃんが、詰んでるなんてなにそのホラー!?絶対私何か忘れてる!?て言うかお弁当でないなら千尋ちゃん何を忘れたの?」
朝ご飯もちゃんと食べて、睡眠もしっかりとってきたと通学電車の中で聞いたばかりです。具合が悪くなったとはとても思えず、私は眉根を寄せて千尋ちゃんの顔をのぞき込みました。
どこか虚ろな目でしばらく千尋ちゃんはクラス割を眺めてから、何かを振り払うようにかぶりを振ります。
「……いや、忘れてたって言うか、……ううん、なんでもないよ。ごめんパニクらせて。もうほぼ私だけの個人的問題を思い出しただけだから。知子ちゃんはそのままで大丈夫。知子ちゃんは忘れ物は何もないよ、ほら、教室いこ?」
「ううう、ほんとう?」
「うん、チョコと飴持ってる時点で備えすぎ」
立ち上がって苦笑する千尋ちゃんはもういつも通りだったので、私はほっと息をつきました。飴をひとつ千尋ちゃんに差し出して自分の口にも放り込みます。まだ式まで時間があるので十分舐めきれるでしょう。本当に焦りました。
「そ、そうかな?……あ、忘れてたのってもしかして新作アニメの予約?」
「あー……うん、そんなとこかな?」
「今日からだもんね、動くガミィ様に会えるのは!私予約してあるから見終わったら貸してあげるから元気出して?」
「ありがと。助かるよ」
「いえいえお互い様ですよ」
私たち二人の愛読マンガのアニメ放映日だったことを思い出し、千尋ちゃんの愕然顔の理由がついて私は小さく笑いました。千尋ちゃんは本当に何でもよくできる子で滅多と失敗をしないせいか、簡単な凡ミスに絶望するレベルで動揺してしまうのです。そのまま私は千尋ちゃんの気を晴らすべくアニメ談義に突入し、一年生のフロアへと向かいました。
横を歩く千尋ちゃんはまだちょっとだけ不安げでしたが、足取りもしっかりしてきたので、もう大丈夫だろうと教室の前で分かれます。今年は残念ながら別クラスなので、帰りにまた合流しようと約束を取り付けました。
……今思い返せばこの日、私はもっとちゃんと千尋ちゃんに話を聞くべきだったのでしょう。クラスが違う、たったこれだけのことで千尋ちゃんの助けになるのが遅れるだなんて私は欠片も気づいていなかったのです。