誕生日は偏西風と共に
日下部さん、お誕生日おめでとうございます。
十二月二日。午前零時ジャスト。他人様の迷惑も顧みず、私はスマホから簡易メッセージを送った。
内容は、『起きてます? 起きているなら、出て来られます?』の、一言。
念のために言っておく。電話じゃなくて、メッセージだ。
相手が眠っているのなら、当然見る事は出来ない。その時はちゃんと、当人が起きてスマホをチェックするまで待つ覚悟は出来ていた。
だが、天は私の味方だったようだ。すぐに返信がある。
『まゆさん? どうしたんですか?』
こんな時間なのに、相変わらずの丁寧語。それが、とても彼らしくて、苦笑がこぼれる。
非常識だって、無視されても仕方のない時間だから。
『表に、出て来れますか?』
『え? 家の外っていう事ですか? ちょっと待って』
『はーい。待ってまーす』
メッセージでやり取りをする間にも、彼の部屋と思われる部屋の灯りがともったのが、カーテン越しに見える。
うっすらと影が形作る模様に、「あ、上着来てる」とか「慌てているんだろうな」とか、色々想像をかきたてられた。彼は、どんな顔を見せてくれるんだろう。
今日という日。午前零時過ぎの彼は。
待つほどのこともなく、マンションのロックが解除される。そして、暖かそうなコートを着込んだ彼――日下部さんが出て来た。
「ごきげんよう、日下部さん」
日下部良介さん。
実際に会うのは、今年のホワイトデー以来。でも、ずっとそばにいるような気がする。よく、彼の近況報告を目にしているせいだろう。
「こんばんは、あの、まゆさん? どうしたんですか?」
驚いたように目を見開く、相変わらずの優しそうな男ぶり。
だから、私は得意の悪戯っ子の笑みを浮かべてあげた。
「どうしたって、何がですか?」
「だって、ほら」
少し言いにくそうに、それでもちらちらと私を見つめる、日下部さん。
もしかして、彼は気づいていないのだろうか。今日が何の日なのか。
「髪、ぐちゃぐちゃですよ」
はあ?
それは、思いもよらなかった一言で。とっさに思考が止まる。
「どうしたんですか? まるで、全力疾走して来たみたいな髪型になっていますけれど」
慌てて、髪を手で押さえる。
そうだった。私の髪は、コシもなければハリもないし重さも長さもない。少しでも強い風に当たれば、すぐにくりんくりんのくっちゃくちゃになってしまうんだった。
「うわ、最悪。よりによって……」
今日は特別な日だっていうのに。だからこんな時間に此処にいるのに。身だしなみを注意されるなんて、女としてどうよ? 一生の不覚ってやつかも知れない。
なんとか手櫛で髪を整えようと足掻くけれども、見られちゃったものはどうしようもない。
「で、どうしたんですか? まゆさん。もしかして、京都から走って来たんですか?」
おかしそうに、日下部さんが告げる。
失敗した。こんな筈ではなかったんだけれども。だから、私は日下部さんを軽く睨む。
「そんなわけないでしょう? なんで、そんなに余裕たっぷりなんですか、日下部さんは」
こんな時間なのに。いきなり寝込みを襲われた筈なのに。焦ってういるのは、私の方だ。
「今日という日の、こんな時間にまゆさんが来てくれたからかな?」
成程、私の魂胆なんか、バレバレというわけですね。
さすが日下部さん。大人の余裕ですか。ああ、むかつく。
少し、頭を冷やそうと深呼吸をする。十二月の冷たい空気が肺を満たした。
良く晴れた夜空には、冬の星座たちが広がっている。
私は、その星座たちを見ながら、この冬の空を駆けて来た。彼に会う為に。
後ろ手に持っていた紙袋を差し出す。
これが一番大変だったんだ。紙袋は抵抗を受けやすいから。コートの下に縛り付けて来たのだ。くちゃくちゃにならないように気を付けたつもりだったんだけど、やっぱりよれてしまっているのは仕方がない。
あーあ。せっかくきれいにラッピングしたのに。
「まゆさん? これ、もしかして」
「うん。誰よりも早く渡したかったんです」
中身は、京土産風詰め合わせ。やっぱりお酒は外せないから、佐々木酒造の吟醸酒。それと、脂取り紙で有名な「よーじや」の入浴剤その名も「まゆごもり」(苦笑)。某老舗漬物店の千枚漬。そして、手作りしたスイートポテト。
「はい。お誕生日おめでとうございます。日下部さん」
最初に言う筈だった言葉。それを言うのになんでこんなに時間がかかってしまったのだろう。
もちろん、髪ぐちゃぐちゃなせい。
それを、指摘されたせい。だから、日下部さんが悪い。
「だから、こんな時間に?」
「うん。非常識でごめんなさい。でも、起きていてくれて、そして出て来てくれて嬉しかったです」
差し出した紙袋を日下部さんの手が受け取る。
「ボクも嬉しいですよ。まゆさんが誕生日を祝ってくれて。寒いですよね。中に入りますか?」
照れたような笑みを浮かべながら、伸ばされる手。でも、私は小さく首を振る。
「でもね、これは夢なの。日下部さんは、夢を見ているの」
日下部さんの眼を下から見上げるようにしっかりと捉え、ゆっくりとその言葉を口にする。すると、日下部さんは大きな欠伸をこぼした。
ほら、もう目がとろんとしている。
「お誕生日おめでとう。そして、良い夢を」
日下部さんはくるりと背を向けて、オートロックを解除してマンションの中に消えて行った。
よし、結果オーライ。
朝になれば、この出来事は夢と認識される。実際にプレゼントを目にした時、彼はどう考えるだろう。
明日になれば、私はこの場所には居ない。彼からどんな連絡があるのか。わくわくしていた。
日下部さんは知らない。私が、本当は魔女だと言う事を。
そう。私は偏西風に乗って、ここに来た。
普通に飛ぶより、気流を捕まえて滑空する方がよほど楽だし、この時期の偏西風はジェット気流とも呼ばれている程速度が速い。
問題は髪の毛がぐちゃぐちゃになる事。あとは、ものごっつう寒いって事ぐらい。
偏西風は西から東に向かって吹く風。だから、帰りはゆっくりと自力で飛ぶしかない。
ほうきにまたがり、星空に浮かび上がる。
でも、低空だと人に見られる危険性があるから、少しだけ高度を上げて……。
う。
前に進みません。全く進みません。というか、押し返されるんですけれども。
舐めていた。今の時期の偏西風を。このままでは、東回りに地球を一周しなければ京都までは辿り着かない。そんなことになったら、確実に風邪を引くし、下手をしたらジェット機とニアミスしたら洒落にならない。
仕方ない。素直に新幹線で帰ろう。始発の切符取れるかな?
駅に向かおうとして、思い出した。
そうだ。風で飛ばされたら困るから、荷物は必要最低限で……つまり、死守するべき日下部さんへのプレゼントだけで。後は右のポッケにスマホと飴ちゃん。左のポッケにハンカチとティッシュ。
そう。つまり、財布もカードも持っていない。
「あれ、まゆさん。こんなに早くにどうしたんですか? というか、今日、変な夢を見たんですけれども……」
翌朝早々に日下部さんをメールで呼び出す。彼はまだ、部屋に持ち帰ったプレゼントには気が付いていないらしい。
「日下部さん。必ず返しますから、何も聞かないで帰りの新幹線代貸して下さい」
これこそ、本当の一生の不覚だ。
でも、東京に他に知り合いや親戚は居ない。苦渋の決断がこれだった。ああもう、格好悪いったらない。
「それぐらいはお貸ししますけれど。まゆさん、どうしたんですか? 髪の毛ぐちゃぐちゃですよ?」
……人間とは、同じ過ちを繰り返す生き物である。
《了》
久しぶりにギフト小説を書いてみました。
日下部さんには去年のクリスマスや今年のホワイトデーにギフトを頂いたので、誕生日にはギフトを贈るって決めていたんですけれども。
誕生日が12月2日だった事を思い出したのが11月28日。焦りました。(^_^.)
日下部さん、お誕生日おめでとうございます!