あなたと私の秘密のBAR
しとしと降る雨を窓から眺める。
この雨の中歩く人々はどんなこと考えてるんだろう。
なんてこと、准一さんに伝えたらなんて言うかな。
あきれるかな。
そんなことを、考えながら私は淹れたてのコーヒーを一口啜る。
口のなかに程よい苦味とふわりとした香りが広がる。
幸せだ。たったこれだけで、私は幸せを感じる。
自分だけの幸せを手に入れられたなら、それだけで幸せなことだ。
乾いた声で、准一さんなら言いそうだ。
自分だけの幸せ。
何度も口のなかで噛みしめる。
なぜだろう。
いつから、こんなにも私の中に准一さんがいるんだろう。
考えるごとに准一さんが出てくる。
誰と喋っていても、何かを考えていても頭の中は彼のことを思い浮かぶ。
恋とかそういう気持ちじゃなくて‥
ふと。思い浮かんだ。
もう、私の生活の一部なんだ准一さんは。
准一さんは既婚者。
奥さんがいる。
さて既婚者どうとはさておき
私と准一さんの出会いは、とあるBARだ。
恥ずかしい話、BARで彼氏と喧嘩してしまい、置き去りにされてしまった。
私は、カクテルを飲みすぎ、つぶれていた。
それなのに、置いてく彼氏。
そんな男と付き合ってなにが楽しいんだろ。
涙があふれた。
そんな時、隣で一部始終を見ていた(多分)紳士。それが准一さんなんだけど。
優しくハンカチを差し出しながら、タクシー呼んである。
タクシーまでついてってあげるから今日はもう帰りなさい。
って先生かお前は。
なんだよと、ろくに回らない頭でぼんやり考えていた。
はっきり言えばうざい。
タクシーくらい拾えるし、一人で帰れる。
と立ち上がったとき、ふらつき、准一さんにしがみついてしまった。
ほら、危ない。一人じゃなにもできないでしょ。
大人な飲み方も知らずにBARに来ちゃいけないな。彼氏も彼女を置いてくなんて最低だな。
こんな状況の中、クスッと准一さんは笑った。
なんだよ。このオヤジは。
一言で言えば変人。
これが最初の出会いと印象。
でも、准一さんがいなかったら私はどうなってたのだろう。
怖くて考えられない。
お礼がしたくて、例のBARになんども足を運んで5回目。
ようやくつかまった。
あれ?また大人な飲み方知らずに一人で来ちゃったの?
違いますよ。って覚えててくれたんですか?
勘違いしないでね。単に印象強いから覚えてたの。
それだけ。
なんだ。あっ、今日はお礼を言いに来ました。
結構律儀だね。
律儀って‥
この間はありがとうございました。
素直だね。
あなたの名前教えて欲しいです。
急に知りたくなった。
自分でも、なんで聞いたのか覚えてない。
教えて欲しい?
はい。
准一。
君は?
ミカ
そうミカ。
沈黙がよぎる‥
せっかく会えたんですから、お話もっとしたいです。
なぜか准一さんとこのまま話したくなった。
不思議な感覚。
なぜ?
君はありがとうが言いたかっただけじゃなかったのか。
この間、大人な飲み方っていうの気になって。
教えてもらいたいです。
ふーん。
まぁ、一人で飲むのも退屈だし教えようか。
単純だよ。
美味しいからってガツガツ飲むもんじゃない。
甘くてうまい酒こそアルコールが強いんだよ。
まして、男とBARなんて、やること一つ。ホテルへ連れて来たいだけだよ。あの男はね。見てればわかる。
可愛くてオシャレしてなにもわかんない女の子をBARに連れてく。自分もかっこいいって思われたいし。
こんなお店知ってるんだって言わせておきたいだけ。
でさー、甘くて美味しいアルコールの高い酒を飲まして。
あわよくば、いい気持ちにさせて連れ込む。
わからなかった?目がギラギラガッツいちゃってさ。どんどん飲みなよ。こんな美味しい甘くてオシャレなお酒飲めるんだからって。
騙されたらダメだよ。優しいからとかで付き合ってたら。
私は、衝撃すぎて、言葉がでなかった。
気づかなかった。
俺もそうかもしれないよ。
この間優しかったからって、気を抜いちゃあ‥
私は泣いていた。
泣かせるつもりなかったのに。
ハンカチを差し出された。
やっぱり紳士だ。
紳士は、私にノンアルコールのお酒を頼んだ。
ジュースじゃん。
酔わせられないからこれで。
今日はこれおごるから。
それから、少しだけ話してその日は帰った。
既婚者で、退屈しのぎに秘密のBAR。
それだけで魅力を感じる紳士、准一。
知らぬ間に、BARに行くのが生活の一部になっていった。
准一さんは、私を気に入ってくれた。
人見知りしない。なぜか初めて話す人ともすぐ仲良くなる性格によって仲良くなれた。
それとも准一さんの不思議な魅惑か。
結婚生活に満足してる。
でも秘密の時間が欲しい。
一人はさみしい。
ミカと秘密の時間を過ごすようになって満たされた。
冗談でも嬉しいな。
なんか話てくれないか。
話は私のこと、学生だから学校と部活のこと。バイトのこと。彼氏と別れたこと。
准一さんは、あまり喋らなかった。愚痴もないし、私の話に耳を傾けるのが好きらしい。
奥さんの話を一度してくれた。
完璧すぎて、隙がない。
好きだが、退屈だ。
仕事が忙しいと嘘をつき、奥さんが寝た後帰るんだって。
話をしてくれた時の横顔がなんだかさみしそうだった。
私が奥さんになろうか。
冗談で言った。
ミカとなら楽しいかもな。
冗談でしょ。
笑あったが、内心感じた。
それは、嘘でなく本心だと。
彼は、結婚相手を間違えたのかもしれない。
話は一度切り。
なんだかもやっとする秘密をお互い抱え込んだみたいだ。
バイトもなく、暇を持て余していた。
母と二人暮らしのがらんとした殺風景な部屋。
静かな部屋に似合わない、ガサツなメールの受信音。
准一さんからだった。
暇ならBARにくれば。
俺は行くよ。
迷いなんてない。行かない理由もない。
薄化粧をし、青いタイトスカートに丸襟の白いシャツを着る。
BARにふさわしい格好で。
一度准一さんは笑った。
BARなんて気取ったファッションじゃなくていいよ。
クスクス笑っていた。
でも私は、なんかちゃんとした服を着て行きたかった。
外は、ザァッと雨が降る。
私は傘をぽんっと開き、准一さんの待つBARへ向かった。
足は軽やかにリズムを踏むように。
この満たされた幸福感を噛み締めながら。