p5 カフェOE
「読真、次の日曜日に出かけますよ」
「出かける? どこに……」
帰宅し、夕飯の支度をしていた読真は、いつものように唐突に命令する譚の言葉に首を傾げる
読真がそんな反応をしたのは、譚の言動が理解できなかったからというわけではない。
むしろ、譚の性格をある程度把握しているため、その提案がこの世界を救うためのためのものであろうことは想像できるが、どういった目的でそのようなことを言いだしたのかが分からないからだった
「ええ、少々約束をしましてね」
そんな読真の言葉の意味を知ってか知らずか、譚はため息めいた声で応じる
いつになく歯切れの悪い反応を見せる譚に怪訝な表情を浮かべながらも、読真には先の提案を了解する以外の選択肢は存在していなかった
◆◆◆
日曜は幸いにも晴天に恵まれ、読真は譚と共にバスに揺られて目的地となる停留所へとやってきていた
「なぁ。いつまでここにいるんだよ」
しかし、バス停についてからというもの、全く動くこともせずに近くのベンチに腰かけている譚に向けて読真が問いかける
かれこれ五分ほど。決して長いとは言えないが、何の意味もないとすれば短くはない時間そうしている譚にその意図を尋ねるのは、読真からすれば当然のことだった
「今日は私達以外にもう一人いるからですよ」
「……なあ、そういうの事前に説明してくれない?」
譚から返された言葉に、何も聞いていなかった読真は、疲れたように盛大なため息をついて肩を落とす
「あなたに話すと逆に失敗しそうですからね。――嘘と演技が下手ですし」
「それはどうも」
しかし、そんな読真の願いを一顧だにせず、譚は淡泊な声で皮肉を言う。誰に聞かれるか分からないためか、譚の頭上で沈黙を守っているモノスからは哀れみと同情が感じられた
ある意味でもっともな理屈ではあるが、読真としては何も知らされずに譚に振り回されるのは不本意極まりないことでもある
とはいえ、口では勝てないことが分かっている以上、これ以上引き下がっても何も変わらない
結局のところ、今の読真にできるのは話題を変えて留飲を下げることだけだった
「お前、こんな時でもその制服なんだな」
そんな中で読真の目に止まったのは、ベンチに腰を下ろす譚が着ている白を基調としたインパネスコートだった
ラフな格好をしている自分と見比べた読真が告げると、譚は冷淡な口調で淡泊に答える
「幻想司書の正装ですからね。それに、この服は本の世界では普通の服として認識されるので、なんら問題はありませんよ」
「……お前、もしかしてファッション系ダメなのか?」
得意気に話す譚の横顔を見ていた読真が、ふと脳裏に閃いた可能性を口にすると、小柄な先輩幻想死者は、露骨に不快な表情を浮かべる
「なぜそのような結論に至ったのか理解に苦しみますね。今、そんなことをする必要がないからですよ――全く、愚か者の思考はこれだから困ります」
「へぇへぇ、すみませんね」
いつもと変わらず辛辣な譚の言葉にわずかに頬を引き攣らせながらも、読真は自身を落ち着けて視線を明後日の方へ向ける
そんな他愛のない雑談をしていると、読真の目にこちらへと駆け寄ってくる人影が写る
「お待たせ」
「……小山さん?」
私服だったために一瞬気付くのが遅れたが、その人物が同級生――「小山鈴鹿」であるのを見て取った読真は目を丸くしていた
(か、可愛い)
白を基調とした清楚な服をお洒落に着こなした鈴鹿に、思わず見惚れてしまう読真だったが、譚の小さな咳払いで我に返る
「あ、いや……」
「お気になさらず。私達も今来たところですから」
「何を言えばいいのか分からない」とばかりの表情を浮かべた読真に視線で助けを求められた譚は、普段とは違う親しげな声音で鈴鹿に応じる
最初からこのことを読真に説明していれば対応も違ったのだろうが、鈴鹿に見えないように嘆息してみせた譚に、そんな正論は通じないであろうことは想像に難くなかった
「今日はよろしくお願いします」
「あ、あぁ」
(なんか張り切ってるな……?)
走って来たからだけではない理由で頬を紅潮させた鈴鹿の様子に疑問を覚える読真だったが、とりあえずその理由を詮索することなく、曖昧な返事を返すことで応じる
「ではいきましょう」
「うん」
簡単な挨拶を交わしたところで声をかけた譚に、鈴鹿は拳を握り締めて力強く頷く
いつの間にか接点がないはずの同級生を親しくなり、一緒にどこかへ行くほどの友好関係を築いている譚と鈴鹿に困惑しながらも、読真はため息交じりに質問する
「……で、どこに行くんだよ?」
「すぐに分かりますよ」
しかし、というか案の定というべきか、読真の言葉など意にも介さない譚が歩き始める
「…………」
「仲がいいんだね」
そんな譚の小さな後ろ姿を見送りながらこみ上げる感情を懸命に抑え込む読真に、鈴鹿が微笑みながら言う
「そ、そうか? まあ普通だと思うけど……」
鈴鹿の言葉は、ぞんざいに扱われているという自負がある読真にとってはおよそ不本意な評価だったが、それをあえて否定する気にはなれなかった
ただ、それは決して本心では譚に罵られて悪い気分がしないということではない。あまりこうしていては、譚に何かを言われると判断した読真は、鈴鹿と連れ立ってその後についていく
「ここです」
「ここ?」
譚に先導されるがまましばらく歩いた読真は、先輩でありながら妹ということになっている小柄な少女司書が足を止めた場所を見て首を傾げる
そこにあったのは、清潔な印象を受ける一軒家風の建築物。しかし、その入り口には「カフェOE」という看板が掲げられており、ここがどんな店なのかということを如実に物語っていた
「喫茶店じゃん」
「カフェですよ」
率直な感想を述べた読真の言葉を訂正した譚は、それ以上の質問を聞くつもりはないとばかりに店に向かって進んでいく
隣にいる鈴鹿もその顔に緊張の色を浮かべており、自身を奮い立たせるようにしてから、譚に続いて店へと入っていく
「いらっしゃい」
「あれ? この声……」
店に入ったところで出迎えてくれた店員の声を聞いた読真が視線を向けると、そこには見覚えのある人物が立っていた
「なんだ、読真じゃないか。それに小山に、えっとあの時の!」
読真が気付いたように、その人物――「金時」もまた、入って来た客が誰なのかに気付いて、朗らかな笑みを浮かべる
「譚と申します。いつも兄がお世話になっております」
「よろしく、あの時ぶり」
猫をかぶった貞淑な所作で挨拶をした譚を見た金時が数日前に読真とぶつかった時に近くにいたその姿を思い返して言う
「しっかりしたいい妹さんじゃないか。こんな休日に一緒に出かけるなんて仲いいんだな」
一度見かけたことはあるため初対面ではないが、しっかりとその存在を認識した金時に、関心しながら語りかけられた読真は、苦笑まじりにそれに応じる
「まあ、見た目だけは――痛て」
「?」
これが仲の良い兄妹の演出だからなのか分からないが、一応加減はしてくれているらしい譚の蹴りを受けた読真は、店内を見回して言う
「金時はここでバイトしてるのか?」
「ああ。知らずに来たのか? って、……おっと。空いているお好きな席へどうぞ」
いつも通りの会話になりかけていることに気づいた金時は、店員らしく改めて読真達を出迎える
「金ちゃんの知り合い?」
「はい。友達と同級生とその妹さんです」
読真達を席に案内するその様子を見ていたカウンター席の美女が、金時に微笑ましげな声で話しかける
外見から見て取れる年齢は二十代半ば。細身で均整の取れた身体はまるでモデルかなにかのようで、鼻梁の通ったその美貌は、ほのかに大人の色気を感じさせる
雪のように白い肌とは対照的に、肩まで届くほどの長さで切りそろえられた黒髪が目を引く快活な印象を持つ美女は、金時の言葉に読真達へと視線を向ける
「金ちゃんがお世話になってます。私は彼のいとこで『天酒瞳子』。よろしくね」
「こちらこそ、金時さんにはいつも兄がお世話になっています」
大人びた色気を持ちながら、親しみやすい快活な声で語りかけてきた「瞳子」と名乗る美女の言葉に、いち早く譚が礼をする
帽子を取り、恒例のごとく猫を被った笑みをを浮かべる譚の対応を見た瞳子は、目を丸くして感嘆の声を漏らす
「あら、しっかりしてるのね」
「兄がこれですから」
「オイ」
いわゆる「上が駄目だと下が優秀になる」という格言を含んだ遠回りにな皮肉を込めてさりげなくディスってきた譚の言葉に、読真が不満気な声で抗議する
「ふふ。仲がいいのね」
「いや、ははは……」
外面のよい譚に先手を打たれた読真には、瞳子の言葉に曖昧な笑みを浮かべるしかできない
「金ちゃんは、昔から家でよく預かってたからね。もう本当の姉妹みたいなものなのよ? 一緒にお風呂に入ったこともあるし」
そんな読真と譚のやり取りを見ていた瞳子が気さくな笑みを浮かべながら話しかけると、それを聞いていた鈴鹿が思わず声を上げる
「お、お風呂!?」
「子供の頃の話じゃないですか!」
友人と同級生に幼いころの話を暴露された金時が狼狽する様子を見て、瞳子がからかうように笑う
(あぁ、そういう)
それを見ていた譚は、金時と瞳子の間にある上下関係のようなものと、その原因を理解する
多くの人間にとって、子供の頃というのはあまり他人に知られたくないものだ。
子供らの頃の失敗や、粗相をはじめとした幼少時の恥ずかしい思い出――そういうものを知っている人物というのは、特に思春期の少年からすれば弱みを握られているようなものなのだろう
「ふふ。金ちゃんのお友達ならサービスしちゃおっかな。金ちゃん、よろしくね」
「はい」
一応まばらではあるが、他に客がいることもあってカウンターへ戻っていく瞳子の姿を見送った読真は、譚、鈴鹿と手近な席に腰を下ろす
「あの人、いとこって言ってたけど?」
「ああ、瞳子さんのお母さんが俺の母さんのお姉さんなんだよ。その縁でここでバイトさせてもらってるんだ」
注文を取りながら読真の質問に答えた金時は、一瞬その瞳に寂寥感に似た色を浮かべる
「ところで、俺も聞いていいか?」
「?」
三人から注文を取った金時がふと思いついたように口を開くと、それを聞いた読真達三人が各々首を傾げる
「お前らって付き合ってるの?」
その言葉と共に金時が向けた視線が、読真と鈴鹿を捉えているのを感じ取った当事者たちは、思わず目を丸くして言葉を失う
「……は?」
「違います! 全っ然違います! 本屋君はいい人だと思うけど、全然タイプじゃないから。
偶然譚ちゃんと知り合って、仲良くなりたいから一緒にお食事でもって誘ったの。この店も偶然選んだかだけだから……ね!」
一瞬の沈黙の後、我に返った鈴鹿が全力でそれを否定すると、事実であっても何とも言えない物悲しい感情に見舞われた読真は肩を落として項垂れる
さらに、同意を求める鈴鹿から鋭い視線を向けられた譚は、珍しく気圧されながら肯定する
「え、えぇ……そうなんですよ」
「だから! だからこれは全然デートとかじゃないんです!」
「分かった。分かったから落ち着いてくれ。他のお客さんに聞かれるだろ?」
「あ、ごめんなさい……」
意中の相手に誤解をされまいと、拳を握り締めて必死に弁解する鈴鹿を宥めた金時は、手にした注文票をしまって友人としての顔から店員としての顔に切り替える
「では、少々お待ちください」
「あぁ」
金時が離れていくと同時に、対面する席に座っていた鈴鹿が項垂れるように肩を落とすのを見て、読真は隣にいる譚に囁きかける
「――で、なんで俺はここに来たんだよ?」
「読真、あなた、この状況でまだ話が見えてないんですか? 本物の馬鹿ですね」
「うるせぇな」
その質問を聞き、愕然とした表情で読真を馬鹿にした譚は、さりげなく視線を使ってその人物に注意を向けさせる
譚が読真の視線を誘導した先にいるのは、俯いたまま何事かを呟いている鈴鹿の姿。
目に見えて落ち込んでいる鈴鹿の姿を見止めた読真に、譚は呆れたように小声で要点を伝える
「彼女は金時さんに恋しているのですよ」
「! ってことはつまり」
ならば最初から言っておいて欲しかったというのはあるが、譚の説明を聞いた読真はその考えを理解して目を瞠る
この物語――「金太郎」の世界は、悪夢によって歪められ、出口のない「日常系」という迷路へと変えられてしまっている
世界に融合した悪夢を出現させるには、主人公である金太郎こと「坂田金時」が、この世界の物語を完結させる必要がある
そして、そのために譚は金時に好意を寄せる鈴鹿を利用して「恋愛もの」ないしは「ラブコメ」へと話を改竄しようとしているのだ
「ええ。彼女を使ってこの話を書き換えます」
その澄んだ目に権謀の光を灯し、カウンターにいる金時を見据える
それはさながら、獲物へ銃口を向ける狩人を彷彿とさせ、その視線を横から見ていた読真も無意識に身震いさせるほどのものだった