p14 ハンプティダンプティ
「私たちを……」
「滅ぼす?」
空を裂いて現れた人型の存在――「ハンプティダンプティ」を従える白いタキシードの男――「ジェスター」は、自身の宣告に喘ぐように繰り返したアリスとマリスを見て、人の好い朗らかな笑みを浮かべる
「はい」
ジェスターがユニコーンを模した杖を振るうと、それが合図だったのか背後に控えていたハンプティダンプティが動き出す
《ヤバい! アリス》
《気をつけろマリス》
まるで、人が虫を叩き潰すような動きで腕を振るってきたハンプティダンプティに、白兎と赤兎が警告の声を発する
「はい」
「分かってるわ」
それぞれのパートナーに力強く答えたアリスとマリスは、収束した魔力を極大の砲撃へと変えてはんぷてぃだハンティダンプティへと放つ
白と赤の魔法によって織りなされた極大の砲撃が自分達に迫るハンプティダンプティの手に命中すると、まばゆい光と轟音を放って爆発を巻き起こす
「――!?」
その一撃によって、ハンプティダンプティの腕が弾き飛ばされ、その巨躯が揺らぎこそしたものの、それ以上のダメージを与えることはできなかった
即座に態勢を立て直したハンプティダンプティは、赤と白の光を薙ぎ払い、弾かれた腕とは別の手でその巨大な手でアリスとマリスを叩き落そうとする
「――っ」
その手のひらが自分達を打ち据える未来を幻視し、魔法の守りを展開したアリスとマリスの眼前で、漆黒の力がその前に壁として立ちはだかる
「……!」
ハンプティダンプティの手を防いだ黒い力の奔流に、アリスとマリスだけではなく、ジェスターも軽く目を瞠る
「スペードのQ――黙示録ですか」
ハンプティダンプティの攻撃を阻んだ黒い力の正体――四つの最強魔法の一つにして、この世の全てを無に帰す絶対滅壊魔法を看破したジェスターは、それを放った人物を見て切れ長の目を細める
山羊を彷彿とさせる仮面を纏い、漆黒の衣を靡かせる人物――その手に全てを断絶する最強の剣と、全ての攻撃を阻む最強の光盾を纏ったバンダースナッチは、スペードのQを放った手を降ろして厳かな声を発する
「加勢します。赤魔女王様、白魔女王様」
その言葉は、バンダースナッチとなった読真のものではなく、その身に纏われるトランピアである生贄羊のもの
それは、トランピアがその意思として、ハンプティダンプティとジェスターを排除することを決めたことの証明だった
「おやおやこれは困りましたね。私の目的は、あくまでも赤魔女王様と白魔女王様だけなのですが」
「だからこそだ」
わざとらしく肩を竦めて言うジェスターの言葉に、生贄羊が肩を竦めて言う
「仕方がありませんね」
その言葉に込められた明確な敵意と戦意にさもありなんとばかりに嘆息したジェスターに応えるように、ハンプティダンプティが動き出す
しかしその瞬間どこからともなく飛来したミサイルがハンプティダンプティの顔面に命中し、轟音と熱光をまき散らして爆発を引き起こす
「これは……」
「お前の敵はバンダースナッチだけではないぞ」
そう言って姿を見せたのは、紺色の軍服に身を包む腰まで届く長い髪を持つ兎耳の麗人――トランピア序列スペードのJ「三月兎」だった
「そういうこと」
そしてそれに続くように姿を見せたのは、ファーのついたコートに身を包んだ青髪の青年。トランピア序列ダイヤのJ「チェシャ・キャット」だった
羽織っているコートが鋭い爪を持つ四つの腕を構え、自身の手に長太刀を携えたチェシャ・キャットは縦長の瞳孔でジェスターを睥睨する
「Jが三人……いえ、違いますね」
三月兎とチェシャ・キャットの出現に、剣呑な光をその目に宿したジェスターだったが、これで終わりではないことを直感して意識を張り巡らせる
「いい判断だ。まあ、容易に想像できることではあるだろうがな――〝スープ〟!」
ジェスターのその反応に不敵な笑みを浮かべた三月兎が声を上げると、空中に小さな騎士が現れる
緑色を基調とした亀の甲羅を彷彿とさせる動く騎士甲冑。身長は百センチほどだが、三頭身から四頭身ほどの体躯で手足も短く、デフォルメされているかのような外見をしていた
《なんだあれ?》
その動く緑騎士を見てバンダースナッチの仮面の下で眉をひそめた読真だったが、その正体はすぐに明らかになる
「!」
読真が見ている前でその緑色の騎士の身体は倍々に肥大化し、みるみる内に巨大化していく
瞬く間に常人の身長を超え、それでも更に巨大化する緑騎士は、瞬く間に数十メートル――それこそ、ハンプティダンプティよりも一回り大きくなる
手足も伸び、騎士の甲冑はその原型をとどめたまま城か要塞を思わせる意匠へと変わり、小さな騎士は一転して天を衝くほどの大騎士となっていた
(なんかでっかくなった! ってかあれ、ガ〇ダムか何かか!?)
「あれは……」
その姿に生贄羊の仮面の下で驚愕に叫ぶ読真と同様に目を丸くするアリスに、その使い魔である白い兎が答える
《彼はクローバーのJ。大王海亀の「スープ」だよ》
緑の巨大騎士は、女王を守護する四人の騎士たるクローバーの一角を成すもの
その身体を巨大化させる力を持つばかりではなく、あらゆる攻撃に耐える頑強な鎧を纏った守りの騎士だ
「ジャックが全員揃ったというの……!?」
スペード、ハート、ダイヤ、クローバー――四人のJが肩を並べる壮観な光景に、マリスの口からは自然と呻くような声が零れていた
「それほど、この状態が異常だということだ」
誰かに訊ねたわけでもないマリスの独白に等しいその声に答えたのは、意外にも三月兎だった
「ハンプティダンプティとは、全てであって、なにものでもない〝虚無〟。この世にあるもの全ての元となる力そのもの
あなた達が最後に得る神の言語とは、このハンプティダンプティに指向性を与えることで、法則と理を含めて世界を作り出す力なのだ」
「!」
三月兎から告げられた事実に、アリスとマリスは目を瞠って驚愕を露にする
ハンプティダンプティとは、いわば〝世界の元となるもの〟。理や法則といった情報、物質や反物質といった形あるもの――それらすべての原材料となる力そのものといえる
その虚無を操り、世界を作ることこそが、魔女王の持つ力――「神の言語」なのだ
《モノス、つまりどういうことだ?》
《要は、宇宙も、命も、時間や心も含めて、今あるこの世界を作っとるのが、あのハンプティダンプティやってことや》
その話では要領を得なかった読真は、生贄羊の仮面の下でモノスに説明を求める
これが譚だったなら、小言の一つでも飛んできたかもしれないが、モノスはそういった前置きなく用件だけを簡潔に伝えてくれる
《なるほど、なんとなくわかった》
「本来はもっと後――魔女王の継承が進んで、世界の完全性が揺らいだところで出てくるはずだったんだが、このタイミングは早すぎる」
現状を理解してハンプティダンプティに向き合う読真を横目に、三月兎から話を引き継いだチェシャ・キャットが言う
ハンプティダンプティは、今先代の魔女王がこの世界の要素、原材料として制御して行使しているため、本来この世界に出てくることはない
だが、この魔女王の後継者争いにおいて、神の言語の使徒であるトランピアが赤と白の魔女王の手に渡ることで、世界の要素が薄まって初めて面に顕在化してくる
それが、想定をはるかに超える早さで出現した。――その事実は、魔女王の選定に於ける大問題だ
「まず間違いなく、あいつの所為だな」
そう言って敵意をむき出しにした三月兎が見るのは、不敵な笑みを浮かべて天空に佇む白いタキシードの男だった
「ああ。ハンプティダンプティを操っているようだし、間違いないだろ」
本来、誰にも制御できないはずのハンプティダンプティに、ジェスターは指示を出していた
ならば、少なくともこの異常事態に関係あると考えるのは当然のことだ
「おやおや、種明かしとは困ったものですね」
J達がハンプティダンプティに関する説明をするのを黙ってみていたジェスターは、わざとらしく肩を竦めて言う
だが、その声音はその言葉がそのままの意味ではないことを雄弁に物語っていた
「黙れ。お前は先程、赤魔女王と白魔女王を滅ぼすと言った。それはつまり、世界がハンプティダンプティに還ること――世界が無になることだ!」
そんなジェスターに対し、バンダースナッチこと生贄羊が怒りを露にした声で吠える
世界は神の言語によって作られている。その力が失われ、継承者が途絶えれば、世界の全てが無に帰すのは当然のことだ
「ならば、世界を守ってみせることです」
世界を滅ぼすと宣言しているに等しい言葉に、四人の騎士が怒りを迸らせるのを見て、ジェスターは口端を釣り上げると共に、ハンプティダンプティに指示を下す
「気を付けて下され。奴は虚無。こちらの力も、ほとんど通用しませんぞ」
ハンプティダンプティの巨体が動き出したのを見て取った全員が臨戦態勢に入ったところで、大王海亀がアリスとマリスに対して注意を促す
虚無の力によって形作られた巨腕を回避し、四散した四人の騎士と赤と白の魔女王は、各々の間合いからハンプティダンプティに対して反撃を加える
巨大な機関銃を空中に精製した三月兎がその弾丸を雨あられと撃ち込み、影のように滑り込んだチェシャ・キャットが、その剣を一閃させる
その斬撃でよろめいたハンプティダンプティの身体に、動く要塞と化した大王海亀の拳が炸裂したところでバンダースナッチが迫る
《仕留めてください!》
《分かった!》
脳内に響く生贄羊の声に答え、読真は全てを断絶する剣に加え、時間魔法、天理魔法、終絶魔法を全力で撃ち込む
《今だアリス!》
「はい!」
四人の騎士たちの先制攻撃によって、ハンプティダンプティが大きくその態勢を崩したところへ、白光を纏ったアリスが飛来し、構えた杖の先からその力を解き放つ
バンダースナッチを圧倒した天を穿つ極大の白光が迸り、ハンプティダンプティの巨躯に炸裂すると、その口からが声にならない声が上がる
《マリス。俺たちも――》
言語として認識することはできないが、明らかに苦悶しているハンプティダンプティを見て好機と判断した赤兎の声と共に、マリスがさらに攻撃を加えようとした瞬間、その耳にノイズが奔る
『待ちなさい』
「っ!」
ノイズの正体――耳に着けていた機械の音に息を呑んだマリスの耳に、血の通っているとは思えない女性の声が冷たく響く
「マリス、さん?」
「……赤魔女王様?」
突如マリスの動きが止まったことに、アリスと騎士たちが怪訝な表情を浮かべる中、ジェスターはまるで全てを見透かしているかのような笑みを浮かべていた
『彼と協力してアリスを倒し、全てのカードを奪いなさい』
「なっ……!?」
通信機を介して聞こえてきたその命令に、マリスは声を詰まらせる
アリスはマリスの正体を知らないが、マリスはアリスの正体を知っている。実の妹を手にかけろという命令に躊躇ってしまうのも無理からぬことだった
『どうしたの? 早くなさい』
どこかで見ているのだろう――一向に動き出す気配のないマリスに対し、通信機の向こうから抑揚のない声が急かしてくる
しかし、命令を実行することをためらうマリスは、唇を噛みしめて押し殺した声で進言する
「待ってください。今はハンプティダンプティを止める方が先決のはずです。それに、私が愛理と敵対しているのは、あの子に――」
『何を言っているの?』
しかし、マリスの意見など聞く価値もないとばかりに、通信機の向こうから冷たい声がかけられる
『一番大切なことは、私達が王冠を手に入れることなのよ。そうすれば、全てが救われるの。あなたも分かっているでしょう? ――万理」
「――お母さん……ッ!」
通信機から聞こえてくる声の主――自分と、愛理の母に考えを改めてほしいと懇願する
『そう。もういいわ』
マリスにとっては、十数分にも感じられた短い時間。ほんの一呼吸分ほどの間を置いて返された母の声は、あまりにも冷たく冷え切ったものになっていた
それが、自分の願いが聞き届けられたものではないと理解したマリスが背筋を冷たくしたのと同時、機械を介した母の声が耳に届く
『あなたができないのなら、私がやればいいだけだもの』
「っ!」
瞬時にそれが意味するところを理解したマリスが目を瞠ると同時に、ジェスターはシルクハットから落ちる影の下で怜悧な瞳に光を灯す
「やれやれ。容赦がないですねマダム」
言いながらも、嗜虐的な色合いを乗せた声で述べたジェスターの声に、アリスの背後の空間が開いてそこから二体目のハンプティダンプティが姿を現す
「っ!?」
最初の一体目に比べてはるかに膨張した筋肉を持ったハンプティダンプティの出現に、完全に虚を突かれたアリスは反応が遅れてしまう
その剛腕が振るわれ、アリスの華奢な身体を捉えようとした次の瞬間、深紅の光となったマリスが自らを盾としてその間に割り込む
「――ッ」
「マ、マリスさん……」
「赤魔女王様!」
突き飛ばされ、攻撃の範囲から逃れたアリスが愕然として言葉を失う中、ハンプティダンプティの虚無の一撃による衝撃が、マリスのバイザーを砕いてその素顔を白日の下に晒す
「っ」
空中に舞い上がる破片と、砕かれて散る血を連想させる赤い光の中に見えたその顔が、アリスに更なる衝撃をもたらす
「お姉、ちゃん……」
予想だにしなかったマリスの正体を見たアリスが言葉を失う中、砕かれた赤光は虚しく地に落ちていった