p13 白と赤の魔女王
「うふふ、どちらが先に彼からカードを奪えるか競争ね、アリス」
「――っ」
ハートとスペード――共に王の力を得たアリスとマリスは、標的となる「バンダースナッチ」を見据える
《ハートのJに、スペードとダイヤのA――お宝の塊だ》
「けれど、他にどんな手を隠し持っているか分からないわ。注意が必要ね」
脳内に聞こえてきた赤兎の声に冷静に応じた魔法乙女リリカル☆マリスは、バイザーの下でバンダースナッチなる存在を見据える
《そういうことだ》
空を蹴り、深紅の光を纏ったスペードの王衣を纏うマリスが飛翔すると、それに応じるように反対側でアリスが白い光を纏って飛び立つ
《マリス。単純なスピードでは、スペードのKより、ハートのKの方が上だ》
《分かってるね、アリス。気を付けるのは――》
『バスターモード』
各々の精霊の声に耳を傾けたアリスとマリスは、自身の杖を構えて魔力を砲撃として放つ
白い光と赤い光――杖から放たれた魔法の砲撃は、それが意識を持っているかのように正面からぶつかり合って相殺し、天を揺るがす破壊の衝撃をまき散らす
「――っ」
赤と白の力の渦の中心にいるバンダースナッチ――「読真」は、その強大な力の前に、まるで竜巻に呑まれる木の葉のように軽々と吹き飛ばされるしかなかった
《アリス! 攻撃力はスペードの王が最強だ。力押ししちゃだめだよ!》
「はい!」
光と力の本流の中で吹き飛ばされたバンダースナッチを視線で追うアリスは、脳裏に響くラビー・ラビットの声に押されるように天を翔ける
Kの力「王位継承」は、白魔女王と赤魔女王を別次元と評するにふさわしいほどに強化する
今、白魔女王がハートのK、赤魔女王がスペードのKを使っているが、例えばこれが逆だった場合、アリスは白い鎧を纏い、マリスは赤い衣を纏うことになる
更に、一口に王とは言っても、それぞれに高くなるスペックが違っており、単純な戦闘力という一点に限れば、スペードのKが単純なスペックとしては最も高くなる
つまりそれは、正面切っての戦いにおける火力の劣勢を意味するのだ
「少し、威力を落とし過ぎたかしら」
《協定の上では、牽制くらいなら許されているが、本気で撃墜するとレッドカードを喰らいかねないっていうのは面倒だ》
スピードの上で今の自分を上回るアリスを、魔力の爆撃で牽制したマリスは小さく呟くと共に、先の力の本流の呑まれたバンダースナッチを追う
「オイオイ」
(どっちもくそ速ぇ! 挟まれたら逃げられないだろ)
アリスとマリス、白と赤の光となって天翔ける二人に交互に視線を向けた読真は、生贄羊の仮面の下で目を瞠る
《坊! クローバーのQを使うんや!》
「おう!」
その時、脳裏に響いたモノスの声に、読真は自分に預けられたトランピアの力を解放する
瞬間、世界が停止し、あれほど速く見えたアリスとマリスの動きが、あまりにもスローなものに変わる
「これは……!?」
自分達の動きが何らの力によって抑制され、遅くなったのを感じ取ってアリスとマリスはこの空間の変調に目を瞠る
《クローバーのQ。時間魔法〝クロノス〟だ!》
そんな二人の疑問に答えるように、脳裏に白兎と赤兎の声が響く
トランピアのQは最強の魔法。そしてその中でクローバーのQは時間と空間を支配する力を持つ
王位継承になっているため動きが抑制される程度で済んでいるが、そうでなければ今頃アリスとマリスは、停止した時間の中で知覚を失っているだろう
《それにしても、彼は何者なのでしょうか。私はともかく、当たり前のように白魔女王様と赤魔女王様にしか使えないはずの魔法を使うとは》
時間を停止させることでアリスとマリスの動きを抑制し、距離を取る読真を内包する生贄羊は、心の中で独白する
トランピアは、魔女王のための力。他者を依り代にする生贄羊はまだしも、それ以外の魔法を白魔女王と赤魔女王以外が使っているというのは、本来ならそれだけで異常事態だ
《あなたの言う通りですね帽死屋。彼の正体を知ることは、我々の選定にとって重要なことです》
王を倒し、選定を崩壊させたという読真のポテンシャルを感じて戦慄を覚える生贄羊は、強い危機感を抱いていた
《坊。キャラ忘れとるで》
(あ)
《いや、まあ別に好きでやってるわけじゃないけどさ。俺の正体がバレないようにするために仕方なくやってるんだよ》
その時、王の力に圧倒されていたためにすっかり失念していたことをモノスに指摘された読真は、言い訳をしながら、小さく咳ばらいをしてから口を開く
「なかなかやるじゃないか。つい、こちらも本気を出してしまったよ」
生贄羊の声でしゃべる読真は、身構えるアリスとマリスを見て、正体不明の強者――という設定にした――バンダースナッチにふさわしいと思う大げさな所作で言い放つ
「ここからは遠慮はなしだ。殺さないようには気を付けるが、そちらも十分注意してくれよ?」
「――!」
トランピアとしては格が低いはずなのに、全く見通すことができない実力を持つバンダースナッチの不気味さに、アリスとマリスはわずかに気圧される
《頼んます、モノス先生》
それに気をよくした読真は、この主人公の前に立ちはだかる強敵という役というポジションを演じながら、でモノスに指示を仰ぐ
《しゃあないな……ダイヤのQ!》
「おうよ!」
バンダースナッチになりきり、酔っている読真は、脳内に響くモノスに指示された通りに新たな力を発動させる
その背に後光のように魔法陣を背負った読真は、ダイヤのQの魔法がアリスとマリスをその能力の影響下に収めるのを確認する
《今や! ぶちかませ、坊!》
「いくぞ。白魔女王、赤魔女王――ハアアッ!」
そこですかさず発せられたモノスの声に従い、読真は生贄羊を手にしたヴォーパルソードに魔力を収束し、最上段から振るう
その一撃は、停止時間の中で動きの鈍っていたアリスとマリスに撃ち込まれ、全てを断絶する刃の力がダメージとなって打ち込まれる
「これ、は……っ!?」
その衝撃に苦悶の表情を浮かべたアリスとマリスの中で、白兎と赤兎が声を張り上げる
《天理魔法〝ロゴス〟!》
《確率を操って、絶対命中、絶対回避を実現する魔法だ》
自分達の身体に撃ち込まれたヴォーパルソードによる斬撃の正体を看破した白兎と赤兎の声がアリスとマリスの脳裏に響く
《まさか、四極魔法全てを与えられているのか……!?》
《っていうか、それをアリスと赤魔女王様以外が使ってるなんて》
二つのQを使ったバンダースナッチのまだ見ぬ力を想像して戦慄する赤兎に、白兎の声が飛ぶ
「そんなことはどうでもいいわ。あれが四つのQとAを使う前提で戦えばいいだけでしょう!?」
「そうです。ラビちゃん」
断絶の剣で少なくないダメージを受けながらも、アリスとマリスは微塵も戦意を失うことなく言い放つ
《よく言ったマリス》
《なら、僕達も二人を全力でフォローするよ!》
各々の使い魔に背を押され、アリスとマリスは白と赤の光となって飛翔し、両側から挟み込むようにしてバンダースナッチに迫る
「同じことを繰り返すのか? ――〝クローバーのQ〟! 〝ダイヤのQ〟!」
その挙動を確認したバンダースナッチが、先程アリスとマリスを完封した魔法のコンボを放って、二人を迎撃しようとする
「見縊らないで!」
「ラビちゃん。行くよ!」
しかし、一度受けた攻撃を王の力を得た二人が容易に喰らうはずはない
バンダースナッチの魔法が発動する寸前、アリスとマリスは自分の周囲に魔力の結界を展開して、極魔法の影響を遮り、著しく減衰させる
『シュートフォーム!』
『ストライクフォーム!』
杖の先に無数の魔法陣を展開したアリスから無数の魔力方がバンダースナッチへ向けて放たれ、杖に魔力の大刃を纏わせたマリスがその中をかいくぐって突進する
「!」
《坊、盾や!》
全方位から迫りくる白い流星群と赤い閃きの肉薄に息を呑んだ読真は、モノスの声に従ってダイヤのAを展開して身を守り、時間を操るクローバーのQと運命を操るダイヤのQの力でそれらの攻撃を紙一重で回避する
「躱された」
「惜しい」
いつの間にか自分の視界と攻撃範囲から外れ、距離を取っていたバンダースナッチを知覚したマリスとアリスは、あきらめずにその影を追って宙を閃く
《見事な連携です! 赤魔女王様! 白魔女王様!》
《感動してる場合か!》
頭の中に響く生贄羊の感極まった声に、読真は思わずツッコミを入れる
下手をすれば自分達が滅ぼされかねない状況だというのに生贄羊の心は、間違いなく歓喜に打ち震えていた。――融合している読真にはそれがはっきりと分かる
《そんだけ、この人たちが二人を好きやっちゅうことやろ――魔女王に対する、トランプの妖精の忠誠ってことやな》
そこに聞こえてきたモノスの言葉に、読真は納得できる説得力を覚える
トランピア達にとって赤魔女王と白魔女王は敵ではない。むしろその逆――命を懸けて忠誠を誓えるほどに、好意を向ける存在なのだ
思い返してみれば、そもそもこの戦い自体がトランピアによる敵対行為ではない。二人の内から王を決める〝選定〟
自分達すべてが滅びるまで、赤魔女王と白魔女王が本気で戦うのを禁じる理由もそこに理由の一端があるともいえるかもしれない
(そのために譚を人質にしてまで戦うっていうのか……)
トランピア達の忠誠は分かった。だが、それを理由に譚が捕らわれたのだと思うと、読真の中にやり場のない感情が沸き上がって来る
《坊!》
「っ!」
そんな考えに一瞬捕らわれたためか、読真は瞬く間に眼前に肉薄してきたアリスとマリスへの反応が遅れてしまう
(しまっ――)
「ハアアアッ!」
咄嗟に先ほどと同じ魔法のコンボを使って回避しようとするが、今度はアリスとマリスの攻撃の方がわずかに早く読真を捉えていた
「ぐ……うううっ」
二人に打ち込まれた赤と白の魔力によって、全身がバラバラになったのではないかと思えるような錯覚を覚えた読真だったが、即座に体勢を立て直してアリスとマリスから距離を取る
《悪い》
幸いにも追撃が来ることはなく、アリスとマリスと間合いを取ることに成功した読真は、自身の油断を詫びる
《坊。油断するんやないで。わいらの働きにお嬢の安全がかかっとるんや》
「……分かってるよ」
先ほどの失態を咎めるようなことはせず、読真の身を案じながら、優しく忠告をしてくれるモノスの声に、ふと小さく毒舌な少女の姿が甦る
(譚だったらここでボロクソに言ってくるんだろうな)
「まったくだらしないですね」、「そんな無様をさらすように指導しているつもりはありませんよ」――自分を罵倒する数々の譚の悪口の幻聴が脳裏に浮かんでは消える
だが、それら数々の言葉と譚の姿を思い返す読真の中に、不思議と怒りの感情はなかった。むしろ、譚とともに浮かんできたのは、懐古の念に似た感慨だった
(あの口の悪さが懐かしく思えるなんて、俺もとうとうおかしくなっちまったのかな)
「やった」
バンダースナッチを退けた確かな手応えに、アリスは表情を綻ばせる
無言ながらもその心情に同意するマリスも、バイザーから除く口端を釣り上げて微笑を浮かべていたが、そこに二人の使い魔の声が投げかけられる
《でもまだ倒していない。もし、奴が四つのQを持ってるなら、ほかの二つのにも注意を払え》
《全てを滅ぼす終焉魔法「スペードのQ・アポカリプス」と、世界すら創造する天地創造の魔法「ハートのQ・ジェネシス」だよ》
脳裏に響く赤と白の兎の使い魔の声が伝えてくる恐るべき最強の魔法の力を聞いても、アリスとマリスは全く怯まない
「分かった」
「分かったわ」
各々の杖を構えた白と赤の魔女王は、不気味な沈黙を守るバンダースナッチを見据えて、戦意を新たにする
(っていうか、これどのくらいまでやればいいんだ? 帽死屋には適当なところでワームを渡して退けって言われてるんだけど……)
アリスとマリスから伝わってくる戦意と覇気を感じる読真は、生贄羊の仮面の下で思案を巡らせる
バンダースナッチとなった自分の役目は選定の代行。まかり間違ってもアリスとマリスを倒すことではないし、ここで死ぬまで戦えと言われているわけではない
《なぁ、まだ戦うのか?》
《そうですね。私達バンダースナッチの力も十分に見ていただいたことですし、今日はこのあたりで撤退しましょう》
思わず訊ねた読真の言葉に、一呼吸分ほどの間をおいて生贄羊が答える
(よし)
内心、アリス達と戦うのは気乗りしなかった読真はその答えに安堵すると、バンダースナッチとしての口上を述べる
「な――」
今まさにこの場から立ち去るべく、不敵な言葉を発しようとした読真の声を遮ったのは、どこからともなく響いた乾いた拍手の音だった
「……?」
(なんだ?)
青い空に響いたその音に、読真だけではなく、アリスとマリスもが気付いて周囲を見回す
「お見事です」
その声の主は、ほどなくして見つかった。まるで演者に送るかのような賞賛の拍手を鳴らしながら空の上に現れたのは、白いタキシードに身を包み、漆黒のポケットチーフを付けた男だった
(白い帽死屋……?)
「誰だ?」
その身に纏う白いタキシードの左肩に獅子を彷彿とさせる黄金の鎧を装着し、そこから足元まで届く長いマントを翻す男を目にした読真は、バンダースナッチとしての声で剣呑に言う
どことなく帽死屋を連想させる白い出で立ちをしたその男は、警戒心を露わにしたバンダースナッチに視線を向ける
「私は赤魔女様と白魔女王様にお話をしているのです。あなたは黙っていていただけますか?」
「!」
口調こそ丁寧で穏やかなだが、その怜悧な視線から放たれる感情はあまりにも冷たく威圧的なものだった
その一瞥で読真を黙らせた白いタキシードの男は、改めてアリスとマリスへと向き直ると、恭しく一礼する
「お初にお目にかかります。私は〝ジェスター〟――」
ジェスターと名乗った白いタキシードの男は、その右手にユニコーンを模した杖を召還すると、軽くそれを一振りする
瞬間、その背後の空間がひび割れ、そこから巨大な腕が出現する
《あ、あれは!》
それを見た瞬間、読真の頭の中に驚愕を露わにした生贄羊の声が響く
一切の余裕が感じられない生贄羊のその声は、何らかの異常事態が起きたことを読真とモノスに理解させるに十分だった
《そんな馬鹿な!》
《出てくるのが早すぎる!》
空間から伸びた手に続き、そこから現れた頭部と身体――人のそれに似てはいるが、毛などが何もない文字通りのただ人型をしただけの存在が現れると、白兎と赤兎は恐怖に喉を震わせる
「虚無の使徒……!」
白く滑らかな肌をした人型の巨大な存在を従え、礼節の伴った穏やかな微笑を浮かべたジェスターは、その笑みを深めて止めていた言葉の続きを紡ぐ
「赤魔女王と白魔女王を滅ぼす者です」