p10 囚われの譚
「万理」
夜の闇に暗くなった窓に自らの顔を映していた女性が瞼を閉じ、おもむろに声をかけたのは部屋の扉の前に佇んでいる一人の美少女――「魔法乙女・リリカル☆マリス」こと「夢宮万理」だった
「見せて」
「はい。母さん」
その女性の言葉に頷いた万理は、その手の中に一枚のカード――数魔序列「スペードのK」を呼び出す
「王の力を手に入れたのね……見事だわ」
それを見た女性は、嬉々とした表情を浮かべてスペードのキングのカードを見つめると、愛おしむようにそこに指先を触れる
「これでまた、私の願いに一歩近づいた」
噛みしめるように言葉を紡いだその女性は、ゆっくりと顔を上げて万理を見つめると感情の抜け落ちた冷酷な視線を向けて口を開く
「あとは分かっているわね? 確実に愛理に勝って神の言語を手に入れなさい」
「はい」
その女性の口から発せられた有無を言わさぬ命令に、万理はその表情を微動だにせずに応じると、そのまま部屋を後にする
扉を閉めた瞬間、その傍らに姿を現した赤兎――「リエブル・ラビット」は、かすかに唇を引き結んでいる万理の横顔を見て不安そうに問いかける
「マリス。これでいいのか?」
その心配そうなリエブルの視線に気づいた万理は、努めて優しい笑みを浮かべると、その指先でそっとその頭を撫でる
「――えぇ、もう決めたことだもの」
そう言って部屋の前から万理がリエブルと共に離れて行った時、室内では椅子に座った女性が机の上に置かれた写真立てを見て笑みを深める
「こんなにも早く『王』の力が手に入るなんて……なら、ハンプティ・ダンプティを動かしてもいいわよね」
予想と想定を超えた事態に歓喜し、恍惚とした表情で語ったその女性は、おもむろに自身の背後へと視線を向ける
「ねぇ。〝ジェスター〟」
その言葉に答えるように女性の視線の先に現れたのは、白いタキシードに身を包み、漆黒のポケットチーフを付けた男が姿を現す
左肩には獅子を彷彿とさせる黄金の鎧とマントが翻り、右手にはユニコーンを思わせる杖を手にした怜悧な視線の男は、その女性の言葉に恭しく一礼して応じる
「御意のままに。マダム」
◆◆◆
一面を覆う漆黒の闇。光も音もなく、足場も果てもない――まさに虚無の空間と呼ぶにふさわしいその闇の中に揺蕩っていた意識が不意に光の中へと導かれる
「――ここは」
目の前に開けた光景を見た譚は、思わず声を漏らしていた
普段は頭にかぶっている「耳付き帽子」を外したため、短い金色の髪を曝け出している譚は、眼前に広がっている空間を見て目を細める
色鮮やかな宮殿の中らしき光景。奥が見えないほどに続いている無数のシャンデリアに照らされる通路には、トランプの模様を思わせる形の窓がつけられており、その左右から光が差し込んでいた
「私達の城ですよ」
その独白に答えるように背後から穏やかな声がかけられると、譚は視線だけをそこに向け、黒づくめのタキシードに身を包む人物を見て鼻を鳴らす
「あら、女性の後ろに立って声をかけるなんて、相変わらずの変態気質なのですね……それとも、私の美しさに正面から直視できないのですか?」
「はは。随分と豪胆なお嬢さんだ」
皮肉めいた口調で投げかけられた譚の言葉に、黒づくめの男――「帽死屋」は肩を竦めて苦笑する
現状は敵に捕らえられているというのに、強がりでもなく落ち着いた様子で語る譚に敬意を表した帽死屋は、軽くその手で通路の先を示して進むように促す
「それで、私をこんなところに連れて来て何をさせるつもりなのですか?」
その手に無言で従い、前へと歩き出した譚は隣に並んで歩く帽死屋へ視線を向けることなく問いかける
「本当は、私達の方こそあなた達の正体を知りたいところなんですがね」
数魔の「王」を倒した読真の存在を匂わせながら言う帽死屋は、沈黙を以って答える譚に、肩を竦めて話を続ける
「決まっています。あなた達にこれ以上、我々の〝選定〟を邪魔されるわけにはいきませんから。王を失った分、あなたの仲間の方にも働いてもらおうと思いましてね」
元々聞き出すつもりがないのか、譚の沈黙に帽死屋はあっさりと引き下がって自分達の目的を告げる
(なるほど。興味はあっても、労力を割いてまで聞き出そうとは思わないということですか……彼らにとって大切なのは、「女王を選定する」ことなのですね)
「私が言うのもなんですが、あれはポンコツですよ」
帽死屋――あるいは、数魔と呼ばれる存在を理解した譚は、「あなたの仲間の方にも働いてもらう」という部分に対して淡泊な声を返す
自分を人質にして、読真を操るつもりらしいことに対する単純な忠告だったのだが、それを聞いた帽死屋は、さすがに目を丸くして苦笑する
「随分と手厳しいですね……ですが、力は十分です」
そう言って笑みを深めた帽死屋の顔を、譚は歩みを止めることなく視線を送り、その瞳に映していた
◆◆◆
「くそ……ッ」
幻想司書の力で手に入れた仮住まい――小さなアパートの一室で項垂れる読真は、譚が連れ去られた時のことを思い出して強く歯噛みする
「お嬢が心配な気持ちは分かるけど、落ち着きや坊。あいつの口ぶりやと、またわいらに接触してくるはずや」
なにかに当たる様なことはしないが、自責の念に苛まれているのがありありと分かるそんな読真の姿を背後から見つめながら、耳付き帽子の形状をしたモノスが励ますように声をかける
その声音が普段よりも優しげな響きを帯びているのは、モノスなりの読真への気遣いからだった。――当の読真にそれい気付く余裕があるのかは分からなかったが
「なんとかできないのか? あいつは今敵に捕まってるんだ」
モノスの言葉に、焦燥を隠せずに読真が言う。その頭の中では、様々な悪い可能性が巡っているのだろうが、モノスはそれにはっきりとした答えを返すことはできない
「悪いようにはせぇへんやろ」
(運次第やけどな)
敵の行動は、ある意味ベースとなっている物語に左右される側面がある。例えば対象年齢が低い作品がベースならば、捕まっても牢に繋がれるなど、安全は保障される
だが、それが髙くなればなるほど残虐性や非人道的要素が強まるのも事実。ただ、童話や神話といったものがベースになっている場合、その派生が多すぎてどうなるのかは断言できないのだ
「俺の所為……なのか?」
その言葉に唇を引き結んだ読真は、重苦しい声音で絞り出すように言うと、モノスはしばしの沈黙を置い口を開く
「正直言えば、関係ないとは言い切れへんやろな。坊が矛盾形態の力で王を
二人倒したことで、この世界のストーリーが大きく変わったのは間違いない」
「……ッ」
その言葉に、読真は自身の胸に刃を突き立てられたような痛みに見舞われる
物語は、ストーリーによって進んでいくものではあるが、それを進めて行くのは登場人物だ。ストーリーに大きく介入すれば、世界のキャラ達は各々の判断で行動し、大筋のストーリーがずれてしまう
今回帽死屋読真と譚に狙いを定めてきたのは、今日の戦いで矛盾形態の力を見せつけ、「王」を二人も倒してしまったのが直接の要因であり原因であるのは疑いようがない
「幻想司書は、読み手でありながら登場人物や。物語に関わりすぎれば、物語を変えてしまう可能性は十分にある
けど、そうやって長いストーリを短くするのは幻想司書の常套手段でもある。ただ、今回はちょっとばかり悪い方に転がりすぎたっちゅうだけや」
その言葉に一層自身を責めるように唇を引き結んだ読真に、モノスは慰めるように優しく声をかける
とはいえ、あまりに先が長そうな場合、ストーリーに介入して物語を勧め、エンディング――悪夢を出現させるというのは、幻想司書がよく用いる手段でもある
だが、それが悪い方に転がればこういったことも起きる。今回の事は、幻想司書の仕事が持つリスクとでもいうべきものだった
「まあ、でも坊ばかりの責任でもないやろ。お嬢にもその原因の一端はあるわけやからな。今回のはあくまで不可抗力ちゅうやつや。この仕事しとればたまにあることや、こっからばーんと挽回したったらええねん!
お嬢を助け出して、物語を終わらす。わいらがやるべきことはそんだけのことやろ? こんなところで落ちこんどっても事態は良くならへんで」
直接話を動かす原因となったのは確かに読真の戦闘によるものだが、そこに至るまでの要因には少なからず譚も関係している
そもそも変質させた物語が思った方に行かないなど、幻想司書の仕事ではよくあること。大切なのは臨機応変に対応し、これからどう物語を決着させるかなのだとモノスは読真を慰めて励ます
「……あぁ」
その言葉に思慕し出すような声で頷いた読真だが、仕事の失敗は別としても、譚を連れ去られてしまったことと、その身を案じれば楽観的になることは難しいようだった
「なあ、坊」
読真の気持ちも十分に理解できるモノスは、小さく息をつくと、おもむろに低く抑制された声で語りかける
「こんな時にする話やないんやけど、こんな時にしかできへんから聞いて欲しいんやが」
小さくなった読真の背中に語りかけたモノスは、そこで一旦言葉を切ってから、再び声をかける
「お嬢を必要としたってくれへんか?」
「……?」
モノスから告げられたその一言は、落ち込んでいる読真に疑念を抱かせ、振り向かせるに十分な響きを持っていた
読真の視線が自分へと向けられたのも見た耳付き丸帽は、その疑問に答えるように先程の言葉の真意を続ける
「お嬢は姫――幻想図書館副館長が、歪みの力で変えられた姿や。生まれながらの幻想司書でありながら、幻想心器を使うこともできん」
幻想司書譚は、モノスが言うように生まれながらの幻想司書でありながら、幻想司書ではない幻想司書。なぜならその正体は、幻想図書館副館長「謡」が、歪みの力によって姿を変えられたものだからだ
そんな譚の存在のことを知っている読真は、幻想司書でありながら幻想司書ではないという矛盾を抱えた少女の事を思い浮かべてモノスの話に聞き入る
「けど、お嬢と姫はやっぱり違うんや。今のお嬢を姫の立場に置いておくことはできへん。でも、お嬢は幻想司書としての心構えや責任感は強いのに能力がない
これまで何度か、色んなチームと組ませてもらってきたんやが、結局お嬢はそいつらからは必要とされへんかった」
「……!」
昔の記憶を呼び起こしながら語るモノス、それを聞いた読真は小さく目を瞠ったのを見て、軽く息をつくと場の空気を少し和ませようと茶目っ気を感じさせる補足を付け足す
「まあ、あの性格やから色々揉めたってのもあるんやけどな」
いかに元が謡であっても、譚を幻想図書館副館長に据えることはできない。かといって、他の幻想司書と行動を共にしても、その性格と能力の不備から結局決裂してしまう
結果、譚は自身が幻想司書であるという自負と誇りを抱いたまま孤立し、その職務を果たせないというジレンマに陥ってしまった
これで二件目――まだ、ほんの少しの間だが、譚と行動を共にしてきた読真にもそれはなんとなくだが理解できるものだった
「坊。坊は、その気になればお嬢を姫に戻すこともできる――けど」
気持ちはあるのに能力がない。そう言う存在として生まれたのに、そうあることができない――そんな譚の気持ちを想像していた読真に、モノスは神妙な声音で語りかける
読真の幻想心器「正常な異常」は、悪夢の歪みの力を吸収する力を持っている
そして、その力を使えば短い時間ではあるが、譚を謡に戻すこともできる。だからこそ、読真は譚とコンビを組んで、今も物語の世界を救う仕事をしているのだ
「頼むわ。できるだけ、お嬢を幻想司書にしたってくれへんか」
「……!」
読真の価値、譚の無価値、そして謡の重要性を知っていながら、それでもモノスはそう願う
そして、その言葉を聞いた読真は、この世界に来たばかりの時のことを思い返していた――譚の歪みを吸収し、正常な異常をチャージしようとした際、それを固くなに拒んだその姿を。
(そっか。あれは、幻想司書としてできるだけ自分が関わりたいっていう譚の気持ちだったんだな)
そして、それに思い至った読真は、あの時の譚の気持ちが伝わってくるような感覚に包まれていた
譚には、幻想司書としての価値はない。能力的にも謡と比べるべくもない。だが、その心は歪められているとはいえ、本質的には謡と同じ
幻想司書として、自分がこの世界にできるだけ関わり、見届けたいという誇りと責任があのような行動を取らせたのだろう
(相変わらず、素直じゃないやつ)
そんな譚の素直だがひねくれた性格に心中で言いながらも、思わず笑みを零した読真は、自分に注がれるモノスの視線に先程の言葉の答えを返す
「ああ。頼まれた」
「ありがとな、坊」
その言葉に安堵したように答えたモノスの声音は、どこか穏やかで優しい響きを持っていた
モノスの本当の主は謡だ。だが、譚もまた謡の一面であるのは間違いない。モノスにとっては、譚もまた大切な主なのだろう
「お話し中でしたか?」
「!」
その時、二人の穏やかな時間を打ち消すように、帽死屋が漆黒の衣を翻しながら、ゆっくりと夜天から姿を現した