p6 赤の魔法乙女
「読真君が、変身した……!?」
矛盾形態を発動させた読真の姿を見たアリスは、その細い喉を鳴らして息を呑む
(違う、それだけじゃなくてもっと、根源的な部分から――)
純白の衣をなびかせ、どこか現実と乖離した存在感を纏って立つ読真の姿を見ていたアリスは、その変容が外見的なものだけではなく、もっとその存在の根幹から来ているものであることを察していた
『アリス。あいつ、ヤバいぞ』
ただそこにいるだけだというのに、空間が焦げる様な威圧感を放ち、まるで今にも自分から膝を折ってしまいそうなほどの圧力を放っている読真に、アリス同様只ならぬものを感じ取ったらしいラビーが、意識の中で警鐘を鳴らす
その言葉を意識の片隅で聞いていたアリスは、ラビーが姿を変えた魔杖の柄を強く握りしめ、震え出しそうになる己の身体を懸命に押さえつけていた
「これは……」
そしてそれは、読真と相対する五人――帽死屋と、その周囲にいる四人の存在もまた感じ取っているものだった
「確かに、捨て置けるようなものではないようだ」
幻想的な白を纏った読真の姿を睥睨した身の丈にも及ぶ大剣を担いだ黒鎧の声に、その周囲にいる三人の王が同意を示してゆっくりと展開し、臨戦態勢に入る
「読真、油断はしないようになさい。おそらくあれは、スペード、ダイヤ、クローバー、ハートの王です」
(あぁ、トランピアって、そういう意味か)
背後からとんだ譚の鋭い声に、読真は心の中でどこか呑気にその意味を理解する
トランピアとは、数の魔人。そして、この世界の原典である「不思議の国のアリス」におけるトランプの兵隊に当たる存在だ
その序列までは判然としないが、ジョーカーである帽死屋が呼び出した「K」――即ち、「13」に相当する「王」が弱いはずがない。まず間違いなく、特別で特殊な階級に在ると考えるべきだ
「――まあ、そうだな」
トランピアと、王の意味を正しく解した読真は、譚の忠告に答えると、その手に身の丈にも及ぶ両刃の大剣を顕現させる
軽くその大剣を一振りし、大気を薙いで震わせた読真は、その双眸で天に浮かぶ四人の王と帽死屋を見据えると、力任せに地を蹴る
「――ッ!」
その人蹴りで大地がひび割れ、同時に純白を纏う読真は、一跳びで天に浮遊する黒鎧の頭上まで移動していた
それを見た黒鎧は、黒い力を纏わせた大剣を逆袈裟に切り上げて、最上段から力任せに振り下ろされる読真の斬撃を迎撃する
下から上へ放たれた黒い斬撃と、上から下へ放たれた白い斬撃がぶつかり合った瞬間、黒鎧の大剣は読真の一撃に耐えきれず、その刃を刃によって斬り裂かれていく
「なっ!?」
それを見て驚愕に目を瞠った黒鎧が咄嗟に武器を離すのと同時、天を縦横無尽に翔けめぐる無数の水晶花から無数の閃光が読真へ向けて放たれる
それ自体が雷光のような速度で移動する水晶花から、放たれた光線は、全方位から読真をめがけて一斉に降り注ぐ
「!」
逃げ場がないように全方位から放たれた無数の光線は、読真に命中しようとした瞬間、純白のコートの一薙ぎでかき消される
しかし、王達の攻撃はそれでは終わらない。魔導士風の王が杖を点に掲げると、巨大な魔法陣が天空に浮かび、直径数十キロにも及ぶであろう巨大な隕石を読真の頭上へと召喚する
「なっ!?」
『これが、王の力……!』
雲を蒸発させ、大気を焼き切りながら落下してくる巨大な隕石を見て、アリスとラビーは驚愕に目を見開く
それが墜落すれば、辺り数百キロが消し飛ぶであろうことは間違いない天からの破滅の飛来。しかし抗うことを許さない圧倒的な力を前にしても、読真の表情には焦燥や絶望の色はなかった
「はああっ!」
気合の声と共に読真が大剣を一閃すると、その軌道のままに巨大な隕石を両断して消滅させ、さらに横から放たれたヴェールを付けた女王の波動を、その拳で殴り砕く
「――ッ、馬鹿な!?」
「……さすがやな」
四人の王の攻撃を軽々と打ち消し、圧倒する読真の姿に誰もが驚愕する中、その力を知っているモノスと譚だけがこの状況を落ち着いた様子で観察していた
「当然です。読真のあの力は、この世界そのものである物語を歪める力。つまり、この世界で設定上どれほどの力や能力を持っていたとしても、世界の概念そのものを否定する力には勝てません」
モノスの言葉に、譚は四人の王を相手に互角以上に戦っている読真の姿を見て抑揚のない声で答える
矛盾形態となった読真が扱うのは、この世界を歪めている悪夢と同じ「歪み」の力。
世界そのものを歪めてしまうその力の前には、どれほどの設定も理論も無力。――即ち、本の世界において、矛盾形態の力は無敵なのだ
「なんだ!? 何なんだ貴様は!?」
天空から刃渡り数百メートルを超える大剣と、おびただしい数の剣の群れを召還した黒鎧は、恐怖に彩られた声を上げながら、それら全てを一斉に読真に向けて投擲する
同時に魔術師の王が太陽のような光球を圧縮した爆発を。ヴェールで顔を隠した女神のような美女が背後に生み出した十二枚の翼と魔法陣から極大の光の波動を。水晶の身体をもつ女性が、天空を待っていた水晶花を一輪の大花へと束ねて解放する
四人の王が放った極大の攻撃が読真たった一人へと注ぎ込まれ、次の瞬間、大剣の一薙ぎと共に放たれた純白の歪みの力によってかき消される
「――大変不本意な話ではありますが、今大きく物語が動いています」
砕け散った四王の力と、その中心で純白の歪みを翼のように広げている読真の姿を遠巻きに見る譚は、静かな声で独白する
その言葉は当然ただの独り言ではなく、頭上に乗っている耳付き帽子――「モノス」に向けられた譚の語りかけだ
「おそらくですが、この物語はまだ序盤もいい所でした。これからアリスは戦いを重ね、様々な戦いと経験を経て、今読真が戦っている王と対峙する――そして、その先に在るエンディングへと向かうという筋書きのはずです」
悪夢によって歪めれた世界は、物語を終わらせる存在である主人公がそのストーリーを完結させることによって、滅びを迎える
幻想図書館から送られた幻想司書は、その物語のどこに送られるかまでは決められないため、到着するまではその進捗状況は分からない
譚の見立てでは、今回は歪められた世界の話の序盤に来ていた。そして、今後の大まかなストーリー展開もこれまでの話を総合することである程度予想できる
「ですが、読真と私によって物語は急速に加速し、ここに物語の中盤以降にしか登場しなかったである王を引きずり出しました」
しかし、読真とアリスが接触し、譚と帽死屋が接触したことで物語が大きく変容し、そのストーリーが大きく変化した
幻想司書は悪夢の干渉を受けない代わりに、人の意識たる本の世界そのものに影響を与えることはできない
だが、幻想司書としてストーリーに干渉することで、その全体の流れを変えることはできる。今、この物語は、読真の力によって大きくその歪みの形を変えようとしているのだ
「物語が、一段も二段も飛ばして進んだってことやな――うまい方へ転んでくれるとええんやが」
頭上から聞こえたモノスの言葉に耳だけを向けていた譚は、四人の王を追い詰めている読真の戦いへと視線を向けて、その目をわずかに細める
物語が加速することが必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。本来取るべき道筋を大きく逸脱してしまったことで、歪んだ物語の世界に矛盾が生じ、それが結果的に思いもよらぬ事態を招く可能性が皆無とは言えないからだ
「……そうですね」
ほとんど変化しないその整った顔に、少しだけ深刻な色を垣間見せた譚は、空中で戦っている読真を映す双眸を険しく細めた
「オオオオオオッ!」
咆哮と共に最上段に白い大剣を掲げた読真は、それを黒鎧とそれを守るようにして割り込んできたヴェールの女が展開する結界へと力任せに叩きつける
その刃に注がれているのは、矛盾形態となった読真だけが使うことができる正常な歪みの力。幻想司書にとって不倶戴天の敵である悪夢と同じその力は、物語そのものを歪め、破壊せしめるものだ
だからこそ、この結果は必然だったのだろう。
「……なっ!?」
信じ難い声を上げたのは、黒鎧を纏った騎士とヴェールで顔を隠した女神のような出で立ちの女。帽死屋に「王」と呼ばれた四人の内二人が、読真が振り下ろした大剣でその身体を真っ二つに斬り裂かれていた
物語という世界、そして設定に定められたものに過ぎない結界など、それを無力化する今の読真の前では存在しないも同じ。その力を以って読真は、結界ごと二人の王を最上段から袈裟懸けに斬り裂いてみせたのだ
「まずは二人」
「馬鹿な、王を倒しただと……!?」
王が両断されたという事実が信じ難かったのか、その目に映る光景をうわごとのように口にした帽死屋は、驚愕に目は見開く
その光景を映す瞳の中では、読真の一撃によって両断された二人の王が炎のように燃えあがり、後には手の平から見えるほどの大きさの二枚のカードだけが残っていた
肉体が燃え尽きた後に残ったそれは、まるで大剣を持つ黒鎧とヴェールの美女――二人の王の魂そのものかのように幻想的な光を纏っているカートだった。
表面には魔法陣を思わせる紋様が浮かび、その裏面には、スペードのマークがカードの四隅についた黒鎧の肖像と、同じく四隅にハートのマークがついたヴェールの女神」の姿が肖像のように閉じ込められていた
「貴様……!」
スペードとハート、二人の王が倒されたことに残る二人の王が激昂し、読真へと襲い掛かっていく。共に遠距離からの攻撃を得意とする「王」
しかし、自在に天を移動する砲台から放たれる光線と、圧倒的な破壊力を有する魔法も、白大剣の斬閃によってかき消されてしまう
『今だよアリス! あの王のカードを手にれるんだ』
「え?」
その戦いを見ていたアリスの脳裏に、杖へとその姿を変えているラビーから鋭い声が飛ぶ
『早く』
「は、はい!」
読真によって斃された二体の「王」がその姿を変えた二枚のカード。淡い光を放ちながら、中空に浮かんでいるそれを手に入れるようにラビーに強い口調で急かされたアリスは、魔法の力を発動させて飛翔する
「――白魔女王様」
それを横目で見た帽死屋は、小さく独白するとアリスの目的を正しく理解して嘆息する
「致し方ありませんね。本当は、十分にご成長いただいてから、そのための選定の儀を行うはずでしたが……」
切れ長の目で視線を送る帽死屋がそう言う中で、空を飛んだアリスが王のカードを手に取っていた
『よっしゃ!』
ハートの王が握られたのを見て声を上げたラビーの声を脳裏に聞きながら、アリスはその視線をもう一つのカード――スペードの王を折るべく手を伸ばす
「あと一枚……!」
その伸ばした手が、燐光を纏って空中に浮かぶカードに触れようとしたその瞬間、それを遮るように天空から飛来した閃光がアリスの指先を掠める
「――っ!」
突然の攻撃に反射的に、アリスが手を引っ込めてしまったのと同時、それによって上空に注意を向けられた死角となる下から疾風のように飛来した影が、もう一枚のカードを奪い取っていく
「なっ!?」
それに目を瞠ったアリスとラビーばかりではなく、読真、譚はもちろん帽死屋と残る二人の王までもそちらへと意識を向ける
「悪いけれど、これはもらっていくわ」
この場にいる全員の視線を一身に浴びたその人物は、手の中で自転している王のカードを見せつけるようにしながら、薄い朱紅で彩られた唇を微笑の形に変える
顔の上半分を隠すサンバイザーのようなゴーグル。豊かな胸の膨らみと、細くくびれた腰から流れるように広がった形のよいお尻
男は元より、同性でさえ羨むほどに魅力的な身体のラインを強調する紅のドレスに身を包み、純白の軽鎧で胸や手足を固めたその女性は、赤いカチューシャで抑えられたライトブラウンの長髪を風になびかせている
「あなたは……?」
『――お前はまさか』
驚愕に目を瞠るアリスの手の中で、ラビーがその声音を険しいものに変えれば、それを受けたその女性は、微笑を刻んできた花唇から涼やかな美声を紡ぎ出す
「赤き祈りに誘われ、天より舞い降りし幻想の使徒!」
円を描くようにして天高く掲げた左腕をその胸の中心へと下ろした赤いドレスの女性は、そのしなやかな身体を見せつけるように身体をくねらせて斜に体勢を取る
「魔法乙女・リリカル☆マリス!」
身体を逸らし、まるでグラビアのポーズのような姿勢を取って名乗りを上げた赤い衣の女性――「魔法乙女・リリカル☆マリス」に、帽死屋が狩人のようなその双眸を細める
「――『赤魔女王』様」