p4 白の魔女王と黒い男
「よし、じゃあ今日はここまで。遅くならないように気を付けて帰るのよ」
ちょっとした騒動はあったが、何事もなく一日の授業を終え、担任の女性教諭がホームルームを締める言葉を述べて退室すると、読真は大きく伸びをして疲れた息を吐き出す
(あぁ、一年ぶりとはいえ、中学生活がちょっと懐かしく思えたな。――勉強の中身以外ほとんど変わらないけど)
実は高校一年生である読真からすれば、ほんの少しまで自分がいた光景を思わせる懐かしいもの。それに感慨深いものを覚えながら、読真は自身の隣の席に座っている少女に、うっすらと横目で視線を投げかける
(さて、と)
授業の間の休憩時間や懐かしき給食の時は、転校生が受ける洗礼ともいえる「どこから来たの?」といった質問に晒され、主に男子とばかり話していたため割り込んでくることができずにいたのだろうが、読真は自分に注がれる隣の席の少女――夢宮愛理からの視線には気づいていた
もっともその視線に気づくことができたのは、読真もまた夢宮愛理こと、「魔法少女・ワンダー☆アリス」の動向に気を向けていたからだが。
その原因は最初に彼女が連れている使い魔らしき、燕尾服を着た手のひら大の白兎の妖精を撃退してしまったことにあるのは間違いない。
恐らく、しかしほぼ確実に限られた者にしか見えないであろうその兎の存在を認識できていることを知られてしまったことで、愛理が自分に対して警戒心と疑念を抱いたのは必然と言えるだろう
(このまま彼女と親密になってもいいんだろうけど、微妙に警戒されてる気もするし……ここは不本意だけど、一旦帰って譚に相談するか。絶対になんか言われるだろうけどな)
元々読真がこの教室に転入したのは、この本の主人公でもある魔法少女・ワンダー☆アリスの正体である愛理とさりげなく親しくなり、この世界の歪みの形を突き止めるためだ
普通の同級生を演じながら、さりげなくこの情報を獲得するように譚に言われていたが、今朝の一件でそれが難しくなってしまった
自身の幻想司書としての経験を踏まえると、やはり一応は先輩である譚に相談するのが最もいいであろうことは想像に難くないが、そのことを報告したときに向けられる先輩毒舌幻想司書から向けられるであろう言葉を思うと気が重くなってしまうのは仕方のないことだろう
自身の中でそう結論付け、自然な流れでそそくさと教室を出た読真だったが、そんな浅はかな考えなどお見通しと言わんばかりに、回り道をしていたらしい愛理がその行き立ちはだかる
(しまった)
教室を出てから、全速力で走ればよかったと内心で舌打ちしつつ、可能な限り平静を装う読真は、自分に視線を向けてくる愛理の追求を逃れ、この場を逃れるためにその知能を全力で稼働させる
(とりあえず俺は転入生なんだから、何を言われても引っ越してきたばかりだから用事があるって言って切り抜ける。これなら、追ってこれないだろ)
「えっと、何?」
「先生が呼んでたから、一緒に来てください」
可能な限り平静を装い、自然に応じた読真だったが、次に発せられた愛理の一言で自分の計画が水泡に帰したのを察して、遠い目で項垂れる
(……詰んだ)
さすがに先生に呼ばれていると言われて「用事があるから帰る」とは言えない。自身の無力さに打ちひしがれる読真に、愛理は「じゃあ」といってその手を取る
「!」
自身の手から伝わってくる愛理の和らかく、吸い付くような肌の感触とやや低い体温を感じて目を丸くする読真は、先ほどまでの沈鬱な表情が嘘のようにその表情が輝く
おそらくは、逃げられないようにするための措置なのは明白だが、それでも心のどこかで喜んでしまうのは男の悲しい性と言わざるを得ないだろう
「こっちです」
(これは仕方ないな。女の子の好意を無下にしたらバチが当たる)
気を抜くと緩んでしまいそうになる表情を引き締め、自身の中で誰にしているかも分からない言い訳をしながら、連れられるままついていった読真は、案の定愛理によって人気のない屋上へと連れ出されていた
「本屋君、あなた何者なの……?」
屋上に出ると同時にその手を離し、警戒しながら伺うような視線を向けてくる愛理に、読真は内心で冷や汗をかきながら応じる
「な、なんのことかな? えっと、夢宮、さん?」
今にも引き攣りそうになる声を懸命に耐えるのは、それを知られた後に譚から投げつけられるであろう軽蔑に満ちた絶対零度の眼差しと、失望に満ちた言葉を恐れてのものだ
「とぼけないでください。あなた、ラビちゃんが見えてますよね?」
しかし、そんな読真の下手な言い訳が通じるはずもなく、抑制された声で紡がれる愛理の追及の言葉を緩められるはずはない
「だから、なんのこ――」
「ホワッチャァーッ!」
それでも読真が白を切ろうとした瞬間、力強い叫びと共に背後から燕尾服を纏った手のひら大の白兎の跳び蹴りが襲い掛かる
自身の側頭部に向けて、殺気さえ滲ませて放たれた蹴撃は、言いながらもさほど脅威となるものではない。それでも、自分に向けられた攻撃に対して反応してしまうのは人間の本能だった
「プギュッ!」
咄嗟に燕尾服の白兎を跳ねのけるように腕で薙ぎ払い迎撃してしまった読真は、その襲撃者が地面に落下して上げた声を聞きながら自身の失態に内心で舌打ちする
(あ、またしても……)
「……やっぱり」
「えっと……」
打ち合わせしての行動だったのかは分かりかねるが、言い訳のできない状況で白兎を迎撃してしまった読真は、自身に注がれる愛理の疑惑の視線に耐えかねて観念したように肩を落とす
「まあ、これが見えるのは本当だ。でも、俺はただの一般人だよ」
「そんな、はず……」
疲れた様なため息混じりに応じた読真の言葉に、愛理がわずかに息を呑むがそれを肯定するように燕尾服を着た白兎が答える
「本当だよ、アリス。彼からは魔力を感じない」
「そんな。ラビちゃんが普通の人間に見えるなんて……」
驚きを隠せ無い様子の愛理の様子を見た読真は、もはや隠し通すことは無理だと考えて「この際だから」と、二人から情報を引き出すために話しかける
「なんか隠してるみたいだったから聞かずにいたけど、これは一体なんなんだ?」
燕尾服を着た白兎を指さし、読真が質問すると、愛理が答えるよりも先にその当人が得意満面な笑みを浮かべて胸を張る
「フフン、聞いて驚け、見て慄け。我こそは、世界最高の魔法使い、『白魔女王』の使い魔『ラビー・ラビット』なるぞ!」
胸を張り、不遜に言い放った燕尾服を着た白兎――「ラビー・ラビット」の言葉に、読真は怪訝そうに眉をひそめる
「白の魔女王?」
「私のこと……みたい」
その言葉に苦笑を浮かべた愛理を見た読真は、白い衣装をまとっていた「魔法少女・ワンダー☆アリス」の姿を思い返して内心で納得する
(そういえば、変身した姿は白かったな)
そうして、記憶を逆行して納得していた読真に、屋上から見える光景に視線を向け、風に髪を遊ばせていた愛理が神妙な面持ちで口を開く
「本屋君は、魔法って信じる?」
「まあ、見たことはないかな」
突然の問いかけに、一瞬答えに窮した読真は、とりあえず自身の考えを簡潔に述べる
幻想司書を初めて、幻想心器のような魔法のような力を目の当たりにしたことも大きな一因だろうが、読真は元々魔法や幽霊をそれなりに信じているタイプの人間だ
しかし、信じているとはいえ、それはあくまで「いないとは言い切れない」という程度のものでしかなく、精々心霊番組や心霊写真を見て、作り物もあるだろうが、本物がないともいえないというようなものでしかない
読真の語り口に、そう言った考えを読み取った愛理は小さく笑みを浮かべると抜けるように高い空を見上げて口を開く
「もしも、この世に世界を創造した神様という存在がいたとして、その神様が作ったのは、いわゆる理って呼ばれているものになりますよね?
『~の法則』、『~の定理』、『弱肉強食』――世界は、そんな理によって作られている。この世に存在するものが物質から作られているなら、その物質はそういった"理"によって作られているんだそうです」
そう神妙な面持ちと、妙な現実味を帯びた声音で言う愛理は、中学生の少女ではなく、「魔法少女・ワンダー☆アリス」として語りかけているように読真には感じられた
「そして、もしもその理を自在に操ることができれば、この世界に思うままにどんな事象も引き起こすことができる」
「……そういうもんか?」
息が詰まるほどに真剣な声でラビーがそれに続くと、読真は先ほどまで見ていた燕尾服を着た白兎が纏う深淵にして深遠な雰囲気に思わず息を呑む
「理とは、世界を形どり、世界を運行させる『神の定理』。そして、神の定理を否定する力を『悪魔の法則』――つまり、魔法っていうの」
もしも、人が神と呼ぶ存在が世界を作ったならば、この世界にはその運行を司るルールがある。人が法則や摂理とよぶもの――物理現象を発生させる法則を定義した定理が世界の深淵には存在している
それこそが「神の定理」。――すなわち、世界の在り様を定め、この世にあまねく全てを形作る最初にして絶対の力。
そして、魔法とは、その神の定理に背く力。たとえば、「燃えるもの」、「燃やすもの」、「酸素供給源」の三つがあって初めて成立する燃焼という概念を事象を、それを破棄して発動させることができる
世界を形作る神の定理に反逆し、自身の望んだままに物理法則を無視して世界に干渉し、様々な事象を引き起こす力をさして、人は悪魔の法則――すなわち魔法と呼んだ
「つまり、魔法少女は悪魔の力を使ってるってことか?」
「っ、なんで?」
二人の話の内容を漠然と把握した読真が思案気に呟き確認を求めると、自分の正体が「魔法少女・ワンダー☆アリス」であると知られていることに愛理が驚愕を露にする
「あのさ、四日前くらいに会ってるんだけど」
「え? あ!」
その様子を見て読真が自分を指さしながら素っ気なく答えると、愛理はその顔をじっと見つめ、先日街で助けた少年の顔を思い起こして目を丸くする
「さっきも言ったように、魔法は神の定理を否定する魔の法。そして、その頂に立つのが、夢幻の体現者にして無限の創始者――『赤魔女王』と『白魔女王』。この二人こそが、"神の言語"へと至る鍵なのさ」
「『神の言語』?」
聞き覚えのない単語に怪訝そうに眉をひそめると、その言葉を発したラビーは口元を不敵に歪めて言葉を続ける
「簡単に言えば、この世界を作り変え、あらゆる法則や摂理を思うがままに創造することができる権限の顕現――新世代の神の力さ」
「神の、力……」
◆◆◆
「先ほどから何を話しているのでしょうね」
読真が息を呑み、愛理と燕尾服を着た白と話しているのを遠くから望遠鏡の能力を兼ね備えるモノスの目を使って観察していた譚は、その人形のような顔にわずかに怪訝そうな色を浮かべて独白する
「さぁ? ワイの目では遠くのものを見ることはできても、聞くことはできへんからな」
「まったく。こんな簡単な潜入もこなせないとは、情けない後輩ですね。帰ってきたらお仕置きをしなければなりません」
わかりきった答えを返され、わずかにその柳眉をひそめた譚はモノスの目が見ている映像が映し出されている眼前の画面を見てその目に鋭い光を宿す
「君こそ、こんなところで覗き見なんて感心いたしませんね」
「――!」
その時、不意に背後から聞こえた声に譚は目を見開いて反射的に前方――声の主とは反対方向へ飛びずさる
そのまま懐に忍ばせている銀銃に手をかけた譚は、声の主を確認すると、強い警戒心に満ちた声で語りかける
「どちら様でしょうか?」
そこにいたのは、漆黒のタキシードに白のネクタイ、血の様に赤いポケットチーフを上品に着こなした二十代半ばほどの外見を持つシルクハットをかぶった青年。
漆を塗ったように光沢のある黒のシルクハットの下にやや癖のある黒髪をのぞかせ、金色の双眸を抱いた切れ長の目で譚を睥睨している
「これは不躾なお嬢さんですね。人に名を尋ねるときは、自分から名乗るものですよ?」
肩を竦め、わざとらしい口調で言うシルクハットの男の言葉に、譚はその人形のような顔に不機嫌な感情をありありと滲ませて、不遜な態度で言い放つ
「可憐な乙女の背後から気配を消して話しかけるような人に礼儀など不要です」
「これは手厳しい」
譚の言葉に息をついて演技のような笑みを浮かべたシルクハットの男は、胸に手を当てて恭しく頭を下げる
「では改めて。私の名は『帽死屋』。――トランピア整数序列"0"にして"14"を与えられた者です」




