p3 魔法少女の正体を追え
都心から外れた郊外の街にある平凡な公立学校――「都立加賀美野中学校」。そしてその中にある一室――三年一組では、担任の女性教諭が席についている生徒たちを見回しながら、明るい口調で語り掛ける
「今日は皆さんにご報告があります。このクラスで一緒に勉強する仲間が増えることになりました」
その言葉に応じるように扉が開き、生徒たちと同じ制服に身を包んだ一人の少年がやや緊張した面持ちで入ってくる
黒髪黒目の平凡な顔立ちを持つ少年は、今日から勉学を共にするクラスメイトたちを見回して、軽く頭を下げる
「本屋読真です、よろしくお願いします」
頭を下げて挨拶をした新入生――読真は、席の最後尾にいる一人の少女へと視線を向けて、その瞳にわずかに鋭い光を宿す
魔法少女、ワンダー☆アリスとの邂逅の後、読真と譚はその後を尾行し、その正体を約三日かけて徹底的に調べ上げた。そして今日、満を持してこの中学校へと転校してきたのだ。当然、その理由は――
「じゃあ、本屋君の席は……夢宮さんの隣ね」
「はい」
三十代前半ほどの担任の女性教諭の言葉に頷いた読真は、そのまま列の最後尾に用意された空席へと腰を下ろす
「よろしく」
その席は、丁度窓際の最後尾。そして、自分の席の隣にいる眼鏡をかけたおとなしそうな茶色に近い黒髪の少女と軽く挨拶を交わした読真は、その少女を見てわずかに目を細める
「あ、はい」
読真の声を受けた夢宮と呼ばれた少女は、人見知りなのか、あるいは照れているのか分からないが、わずかに顔を俯けて応じる
「夢宮愛理」。――彼女こそが、読真の目的の人物。そして、魔法少女・ワンダー☆アリスの正体だ
《なんか、イメージ違うな》
三日かけてアリスの正体を突き止め、その身辺を調査した読真が独白した言葉に、譚は特段気にした様子もなく応じる
「まあ、コスプレみたいなものだとでも思っておけばいいのではないですか?」
そう言ってその頭脳に記憶した対象に対する情報を反芻する
「夢宮愛理、十五歳。家族構成は両親と高校に通う姉が一人の四人暮らし。公立加賀美野中学校に在籍するごく普通の女子中学生――まさに魔法少女の定番を絵に書いたような人物ですね」
アリスこと、愛理の情報をあげつらった譚が最後にそう締めくくると、それを聞いていた読真はふと思いついたように問いかける
「なぁ、譚、ところで、不思議の国のアリスってどういう風に終わるんだっけ?」
「本気で言ってるんですか? ちょっと引きますよ、それ」
読真の口から出た言葉を信じられず、半歩身を引いた譚が言うとその様子に後輩司書は半ば開き直ったように声を張り上げる
「そんな顔すんなよ! 大体の話は知ってるけど、俺は再放送で見たハリ〇ッドのやつしか知らねぇの!」
「ああ、ジョ〇ー・デップがマッドハッタ―やってたやつですか。随分と浅薄な知識ですね」
(こいつ、そういうのも知ってるのか)
こともなげに答えた譚に読真が内心で驚嘆を覚えている中、当の本人である小さな幻想司書の少女は、幻想司書でありながら有名な書籍に対しる最低限の知識さえない後輩に不安を覚えながらため息交じりに答える
「まったく……まあ、簡潔に言えば夢オチですね」
「夢オチ!?」
目を丸くする読真に、譚は表情を崩すことなく抑揚のない口調で言葉を続ける
「ええ。アリスが体験した不思議な出来事は、すべて夢でした。というのが、話の終わりです。まあ、物語の結末を聞こうとするのは、あなたにしては殊勝な考えだと思いますが、別に原典と同じ結末を辿るとは限りませんから、それに縛られるのもどうかと思いますよ?」
読真が不思議の国のアリスのエンディングについて尋ねた理由――悪夢によって歪められたこの物語を正すために、物語を終えることが必要になる――を正しく把握している譚は抑揚のない口調で読真を貶し褒める
確かに歪められた物語が最後を迎えることで、この世界に溶け込んでいる悪夢が成体となってこの世界に顕現する
世界を元に戻すためには、この成体となった悪夢を討伐する必要がある。ならば、一刻でも早くこの世界を歪みから解放するためには、幻想司書の力を以ってストーリーに介入し、早く終わらせることが近道となる
しかし、歪められた物語の世界は、登場人物こそ原典に依存するが、それ以外の全てはもはや設定の一部を残した別の物語になっているといってもいい。
前に訪れた桃太郎の世界では歪みの影響が小さかったために、ある程度話の道筋を見出すことができたが、この世界の様に原型を留めないほどに物語がゆがめられている場合、原典の終わりに縛られることは逆に意味がない
「そういうもんか」
その言葉に思案を巡らせている読真を一瞥した譚は、夜の闇に浮かんでいる愛理の家に視線を向けて抑制の効いた声で応じる
「ええ。ですから、今回はこうしてこっそりと後をつけて調査したのですからね」
「物語の世界観は、当然ベースになっとる世界の影響を受ける。東京が舞台っちゅうことは、法律やらなにやらも、そこが基準になっとると思ってええんや」
夜陰に紛れて家を観察し、日中はその後を尾行する――アリスの正体を突き止めるために、譚たちがそんな回りくどい行動を取ってきたのは、この歪められた世界の法律や基本的な常識がこの世界のベースとなっている場所に限りなく近いからだ
「あれ、待てよ? ってことは、俺たちがやっていることはストーカーなんじゃないか?」
譚とモノスの言葉を聞いた読真は、ふと自分たちが今までしてきたことを脳裏に思い返しながら首を傾げる
もしもこの世界の法律が現実の東京に同等、あるいは酷似しているのならば、昼夜問わず女子中学生を付け回すのは間違いなく犯罪になるはずだ
そんな読真の疑問の声を受けた譚は、夜の闇の中に明々とした光を灯している愛理の部屋に視線を向けたまま抑揚のない声で淡々と応じる
「大丈夫です。仮に捕まるとしても、あなただけですから」
「大丈夫じゃないよな、それ?」
「いえ?」
「……この野郎」
「何が問題なのですか?」と心の底から思っていそうな表情で目を丸くしている譚の言葉に、読真は今にも砕けてしまいそうなほど強く歯を噛みしめ、噴き出してくる不満と憤りに懸命に耐える
「とはいえ、確かにこのままでは埒があきませんね。では、そろそろ、本格的に行動に移りますよ」
そんな読真の反応を鼻で笑った譚は、しかし幻想司書としての職務と使命を果たすべく、これまで得た情報から次の行動を起こすべく懐から二枚の紙を取り出す
「それは?」
「編入届です」
懐から取り出した紙を見て訝しげに眉をひそめた読真に、譚は平常通りに淡々とした抑揚のない声音でさも当然のことのように応じる
しかし、譚の行動の真意など知る由もない読真に、突如取り出された編入届の意味など理解できるはずはない。確かに自分は後輩だが、何の説明も相談もなく行動を起こす譚に、読真は不満をありありと滲ませた声を向ける
「何の?」
「彼女の通う中学校のに決まっているでしょう?」
そのささやかな胸を堂々と張って言い放つ譚の言葉に一瞬我を忘れて呆けていた読真は、意識が現実に戻ると同時に小さな声で叫ぶ
「いや、無理だろ? 戸籍とか学費とかどうするんだよ」
確かにマンガやアニメといった作品では、異世界人や宇宙人が当たり前のように学校に編入しているが、実際この国で学校に入ろうと思えば、戸籍などが必要になる
この世界には自分たちの戸籍はないだろうし、学費も当然ない。そんな状況で入学することなど常識的にできないと考えることは、正常な判断だといえるだろう
しかし、そんな至極真っ当な疑問を向けた読真に、譚は「そんなことですか」と言わんばかりの呆れた様子で肩を竦める
「それは問題ありません。私たち幻想司書には、悪夢によって歪められた物語の影響を受けないと同時に、物語に干渉し、介入する能力があります。その証拠に、明らかに目立つ衣装について誰も言及してこないでしょう?」
「そういえば……」
譚の説明を受けた読真は、白いインパネスコートを思わせる幻想司書の制服に身を包んだ自分へと視線を落として声を漏らす
思えば、最初に訪れた桃太郎の世界で自分と譚の姿は明らかに浮いていた。しかし、それについてその世界の住人達が言及することは一度もなく、それゆえに読真はそのことについて疑問さえも覚えなかった
しかしそれは、すべからく幻想司書としての能力。物語の影響を受けない「意識的特異点」である幻想司書は、物語という世界の読者であり登場人物でもある
そのため、幻想司書は読者として、物語の中枢に限りなく近い位置までなら侵入することができるという特性を持っているのだ
「無論限界はありますが、ある程度までなら物語の中枢的立ち位置に割り込むことは可能です」
自分の目的を理解したらしい読真を見た譚は、持っていた紙の一枚を読真に渡して、無表情なままで静かに言い放つ
幻想司書の物語への介入能力は万能ではない。登場人物にとって代わるようなことや、名前のある人物の役目を代行するような介入は不可能だが、組織の名もなき構成員、同じ町に住む住人、同じクラスに通うモブキャラ的な同級生程度としてならば十分に物語に干渉することができる
「なるほど」
譚の説明に、納得したようなしていないような曖昧な返事をした読真は、その手に握る転入届に視線を落とす
その様子を見ていた譚は、その目から見て間の抜けた表情をしている読真に「ところで」と前置きをすると、冷ややかな声で語りかける
「読真、先輩として忠告しておきますが、いくらなんでも中学生に手を出すようなことは、絶対にやめてくださいね?」
「一コ下だけどね!?」
さも自分にそういう性癖があるかのように言う譚に、享年十六歳の読真は力強い反論の声をあげるのだった
◆◆◆
そうして、満を持して「魔法少女・ワンダー☆アリス」こと、夢宮愛理が通う加賀美野中学校に潜入を試みた読真達だったが、校門をくぐった時点で思わぬ事態に見舞われる
「君、お兄ちゃんの付き添いかな? 駄目だよ、ここからは一応関係者と保護者以外立ち入り禁止だからね?」
――そう、譚が警備員に見咎められたのだ
「確かに、幻想司書の能力で物語に割り込むことはできるんやけど、あからさまに無理なのは無理なんや」
その後、警備員によって締め出された譚の許へ向かった読真は、先輩司書の頭に乗っている耳付き帽子――モノスの説明を受けて、思わず笑いを噛み殺す
「つまり、お前を中学生と設定できないってわけだな? ――ププッ」
「……屈辱です」
日頃の恨みをここぞとばかりに晴らそうとしているかのように、読真は笑いを噛み殺す素振りを見せながらも、中学生としてでさえ見られない譚に憐れみと嘲りの視線を向ける
昨年まで中学生だった読真はともかく、譚の場合は幻想司書としての物語の介入能力が効果を表さないほどの違和感があったらしい
この時ばかりは読真に悪辣な言葉を向けることができないほど、鉄麺鉄扉の表情の下で言いようのない敗北感に打ちひしがれていた譚は、可能な限り平静を装って忠告する
「とにかく、読真は何とかして、彼女と可能な限り仲良くなってください。その上で、この世界の情報をさりげなく引き出すのですよ」
託す以外になかった譚の言葉を脳内に反芻しながら、隣に座っている愛理にさりげなく視線を向けた読真は、内心で力強く決意を固める
(見てろよ譚。俺だって見習いとはいえ幻想司書。ちゃんと仕事はやってやるさ)
幻想司書としての誇りを胸に、この世界を救う決意をする読真は隣に座っている愛理へ視線を向けて困惑と動揺の色を瞳に映す
(ただ――)
誇りと決意を胸に同級生として魔法少女・ワンダー☆アリスこと、夢宮愛理を見る読真は、最初から気になっていたその存在を視界に収めて及び腰になる
愛理の机の上。そこに腰かけるように座っているのは、燕尾服に似た服に身を包み、その胸に巨大な銀の懐中時計をぶら下げた手の平ほどの大きさの白兎。
(なんか、変なのがいる!!)
調査の時にはその姿を見ることが無かった怪しい存在に、内心でどうすればいいのか分からずに戸惑っていると、その白兎は盛大にため息をついて机の上に転がり始める
「退屈だよ、アリスぅ。一緒に遊べないなら、せめておやつ食べたい! もしくはゲーム!!」
「駄目だよ、目立たないようにおとなしくしてて」
どうやらおとなしくしていることに耐えられない性分らしい白兎が、机の上で身悶えし始めると、愛理がそれを諌めるように囁くような小声で窘める
(そっか……あの兎、普通の人間には見えない設定のやつか)
仮にこの珍妙な兎がクラスに認知されているとしても、これだけ騒いで咎められることはもちろん、迷惑そうな視線も向けられないことを考えれば、その存在が通常の人間には認識できないものであることがわかる
しかし、それが仮に人間には見えず、言葉も聞こえない存在であったとしても、読者としての立場で物語の世界に干渉する幻想司書には、それを解することが可能だ
世界を俯瞰的に捉えながらも、その物語を登場人物と共に体感しているように感じる――常時物語に引き込まれているような状態にある幻想司書には、こうした読者としての権限も付随している
「おとなしくしてろって言うのは、僕に死ねって言ってるのと同じだよぉ! 遊びたい、遊びたい、遊びたい~~~!!」
(子供か!)
愛理に咎められ、ついには駄々をこね始めた白兎に、読真は内心で突っ込みを入れてその姿を辟易した様子で見つめる
お店などで騒ぐ子供に、大人たちが向けるような生暖かい視線を注ぐ読真に気づくことなく、白兎は己の不満を呪詛のような言葉に変えて不平不満を露にする
「それにしても、人間の子供っていうのは、よくも毎日毎日毎日毎日飽きずにこんなことしてるよね。何なの? 束縛プレイが好きなの? もういっそのこと、この建物ごと消し飛ばしちゃおっか☆」
(しかも、結構性質が悪い!)
さらりととんでもないことを口走り始めた白兎に、読真は平静を装いながら顔を青褪めさせてさりげなく視線を送る
「だ、だめだよ、ラビちゃん。お願いだからじっとしてて」
「ブ~」
周囲の生徒や、教壇にいる先生に気付かれないように声を潜める愛理の懇願に、不満ありありに唇を尖らせた白兎――ラビちゃんは、ふと何かを思いついたように跳躍し、隣にいた読真の卓上に降り立つ
「タラッタラッタタタ~」
おそらく自分が見えていないと思っているであろうラビちゃんが、机の上で珍妙な踊りを踊り始めたのを視界に映した読真は、全霊を振り絞って見えていないフリを貫く
懸命に反応しないように尽くす読真だが、それに気分を良くしたのか、あるいは青い顔をしながらも咎めることができずにいる愛理の反応を楽しんでいるのか、いずれにしてもラビちゃんは机の上での行動をエスカレートさせていく
視界の端でわざとちょろちょろと動いてみたり、見えないのをいいことに読真の頭の上によじ登ってから机の床に向かって飛び降りるを繰り返す
そうして小さな行動を繰り返すラビちゃんの悪戯に晒されながらも、気付いていない振りをして懸命に耐えていた読真だったが、ついにその我慢が限界を迎える
「一番ラビー・ラビット! 歌います!」
「てい!」
その瞬間、雷光のごとく放たれた読真のチョップが、悪戯白兎の脇腹を捉える
「プギャッ!」
渾身の力を込めて放たれたチョップで悶絶し、そのまま宙を待った白兎を視界に収める読真が清々しく晴れ渡った満面の笑みを浮かべる
「どうしました本屋くん?」
「すみません、ちょっと虫がいたもので」
渾身の一撃を放った読真の一連の動きに、教壇の上から見ていた教師が訝しむが、ラビちゃんが見えない周囲の人間相手なら、他愛もない言葉で言い逃れができる
しかし、読真の言葉に訝しみつつも納得した教師とは違い、問題のラビちゃん本人と、それが見えている唯一の人間にはそうは映らない
「――っ! ラビちゃんが見えてる……?」
(あ、しまっ……)
隣の席に座っている愛理からこぼれた驚愕に彩られた声に我に返った読真だが、すでに後の祭り。
《彼女と可能な限り仲良くなってください。その上で、この世界の情報をさりげなく引き出すのですよ》
さりげなくという譚の言葉が脳内で反響するが、隣の席から注がれる愛理の警戒心に満ちた視線にもはやそれが不可能であることを理解せずにはいられなかった
(やっちまった……)
起きてしまったことはなかったことにできない。隣の席から注がれる視線に耐えながら読真は天を仰ぐように遠い目で項垂れた
その様子を、教室の窓の向こう――遥か彼方に建つビルの上で、モノスの目を使って見ていた譚は、頭上の耳付き帽子から映し出されている読真の姿を見て、ため息を吐く
「早速やってくれましたね、あの阿呆」
抑揚のないその言葉には、読真に対する失望感がありありと滲んでいた