p1 四番目の希望
「――以上が、新しい幻想司書、本屋読真と、その幻想心器『正常な異常』、『矛盾形態』に関するレポートになります」
壁に映し出された読真とその幻想心器の映像が途絶えると、その光の発生源――耳付き帽子であるモノスを従えた譚が抑揚のない口調で締めくくる
ここは本の世界と、それらを結ぶ道「知識の道」を司る幻想図書館の館長室。
読真との初任務を終えた譚は、幻想図書館へと帰還し、初めての仕事の内容と読真の力についての説明を幻想司書の長である神話を筆頭とする中枢へと報告していた
「ご苦労様でした、譚ちゃん」
モノスの目から映し出されていた映像を見終えた新緑の髪を持つ絶世の美女――幻想図書館館長である「神話」が穏やかな声音で譚に語り掛ける
「しかし、異端ですね」
その言葉を横に、神話の秘書を務めている身の丈にメートルはあろうかという巨大なクマのぬいぐるみ――モノスと同じ原本でもある「ファブラ」が思わず聞き惚れてしまいそうな渋い声で独白する
「ええ、こんな異端な幻想司書がいたんですね」
「…………」
ファブラの言葉に神妙な面持ちで呟いた神話の言葉に、館長室を一瞬の沈黙が覆い尽くす
(あれ? これ、わざとでしょうか?)
原本の一人であり、同時に幻想図書館事務員及び幻想司書世話役でもある「テイル・ラオグラフィア」が微笑をたたえたまま内心で首を傾げる傍らで、ファブラがつぶらな瞳で視線を逸らす
(オヤジギャグ……)
(館長はん、ナイスセンスや!)
心中で勝算の言葉を贈るモノスの言葉とは裏腹に、幻想図書館副館長でもある黒髪の男性――「御伽」が抑制の効いた声を向ける
「神話、真面目に」
「ふふ、それにしてもさすがは読真さん。わたくしが見込んだだけのことはあります」
御伽の言葉に微笑で返した神話は、モノスによって壁に映し出されている読真の姿を見て嬉しそうに頬を綻ばせる
そんなどこか的を外れているような、掴みどころのない神話の言葉を聞きながら、御伽はその目に剣呑な光を宿し、壁に映し出されている読真の姿を見る
「それはさておき、確かに彼が異端な幻想司書であるのは間違いない。幻想司書が倒すべき悪夢の力を吸収するばかりではなく、あまつさえそれを正浄化し、自身の力として行使するなど、これまで全く報告のない能力だ」
読真の心が具現化した幻想心器――「正常な異常」は、神話は御伽でさえ全く記憶にない、幻想司書として異端ともいえる能力だ。
幻想司書の宿敵であり、本の世界を歪める害悪ともいえる存在であるはずの悪夢の力を自身の力として行使するなど、これまでの常識では考えられない
「だが、それ以上に問題なのは――」
その視線と口調をさらに険しいものに変えた御伽は、画面に映し出される純白の姿となった読真――譚が、「矛盾形態」と名付けた姿を見て独白する
「強すぎる」
「確かに、この矛盾形態の力は、通常の幻想心器の能力を大きく逸脱していますね」
その御伽の言葉を正しく理解したファブラは、それを代弁するかのように声を発し、その場にいる誰もが無言のままそれを肯定する
読真の幻想心器の最大戦闘形態「矛盾形態」は、数多存在する幻想心器と比べても、格段にその能力が高い。
正しく歪められた歪みの力を行使する異端性に加え、単純な能力で通常の幻想心器では考えられないほどの性能を有している
「つまりこれは――」
そして、その場にいる誰もがあまりにも強力な幻想心器の存在するその意味を正しく理解していた
「絶望に抗う力、ですね」
この場にいる全員が考えていたことを、神話の神々しい声音が代行して言葉に変えると、御伽もそれに首肯して重い口を開く
「四番目の司書長級能力」
神話と御伽――謡が譚として封じられている今、幻想図書館を総べる立場にある二人が見解を同じくしていることに、ファブラとテイルが沈黙をもって反論の余地がないことを示す
「いずれにしても、この能力はもう少し調べてみる価値があるだろうな」
静寂を破るように発せられた御伽の言葉に、小さく頷いて同意を示した神話は、ここまでの話を無言のまま聞いていた譚へと向ける
「とりあえず譚ちゃん。これからも読真さんのことをよろしくお願いしますね」
幻想司書としてかつてないほど異質でありながら、異常な強さを持つ能力を持つその幻想心器の観察と監視の必要性に加えて、自身の呪縛を解放することができる読真と行動を共にすることの意義と価値は、譚にとって計り知れないものがある
これまでは幻想心器の力を持っていないがゆえに本の世界へ思うように干渉を許されなかった譚にとって、それは自分を閉じ込めていた檻が開け放たれたのと同義だ
「はい」
ほとんど感情を表に出さないが、内心では高揚していることを見透かしているかのように優しく微笑みかけてきた神話に、譚は一礼を以って応じる
「では、私たちは次の仕事がありますので、これで失礼します」
「はい。気を付けて行ってきてくださいね」
幻想図書館には幻想司書のための宿泊施設があり、一人に一部屋ずつ割り当てられることになっている。清掃の行き届いた室内はかなり広く、浴場、トイレが別れており、ベッドも軽く二人は寝られるであろう程に大きい
今はまだ生活に必要最低限のものだけしか置いていない部屋の中で、読真は豪華な造りの机に向き合って懸命にペンを走らせていた
「何をしているのですか?」
「おわ、譚!? 勝手に人の部屋に入ってくるなよ!」
目の前のことに集中していたため、不意に背後から聞こえた声に驚いて声をあげた読真は、いつの間にか後ろに立っていた譚を見て抗議の言葉を発する
幻想司書の個室はオートロックというわけではなく、読真も鍵をかけていたわけではないが、それでもノックもせずに室内に入ってきた譚に対して些細な憤りは禁じ得ない
「いえ、あなたの教育係として、見ていないところで読真が思春期のリビドーに負けて不埒なことをしていないか、抜き打ちで検査する必要があると思いましてね?」
「ねぇよ、そんなもん」
抗議の言葉には耳もくれず、しれっと言い放たれた譚の言葉に読真は不満を露わにした口調で応じる
ただ、読真の「ねぇよ」は「抜き打ちで検査する必要」に対してかかっているものであり、「思春期のリビドーに負けて不埒なことをしていない」を否定していないところが、お年頃の少年の複雑な男心なのかもしれないと譚は勝手に内心で納得していた
「ところで、本当は何をしていたのですか?」
「本を書いてたんだよ。ってか、日記? かな」
譚の追及の眼差しを受けた読真は、今までペンを走らせていたもの――厚手の皮の表紙で装丁された文庫本ほどの大きさの手帳を見せる
この本の世界に貨幣制度は存在しないため、幻想司書はその職務を果たしても利益を得ることはできない。あくまで人の心を守るという崇高な使命の下で働く彼らだが、その見返りに申請すればある程度の物資は無償で支給される
読真が記している文庫本サイズの日記帳も、そうしてテイル経由で受け取ったものであることは、幻想司書である譚には尋ねるまでもないことだ
「あぁ、そういえばそんな恥ずかしい宣言をしていましたね」
(あれ、本気だったんですか)
最初の本の世界からの帰還時、歪められ、ただ消えていくだけの彼らとの思い出を本にすると言っていた読真の言葉を思い出した譚は、その手を差し出して催促の言葉を述べる
「見せなさい」
「嫌だ」
譚からの要求を、自分の手記を見られるなど以ての外とばかりに否定する読真だが、そんなことで相手が引き下がるはずもない
「そう言わず。添削指導してあげますよ?」
「いいよ。俺が勝手に書いてるもんなんだから」
頑なに見せようとしないその姿に、譚は煽るような口調で言葉を続ける
「何か、いやらしいことを書いているんですか?」
「すぐそういう発想にいたるお前の脳みそがエロイんだよ」
譚の言葉に読真が反論すると、譚の水晶のように澄んだ瞳に鋭い光が宿る
「ほう、言うようになったじゃないですか? 先輩として嬉しいですよ?」
「いやいや、先輩の指導の賜物ですよ?」
さすがに簡単にその鉄面鉄皮の表情を微動だにすることなく挑発を受け流す譚に、読真は「あなたの慇懃無礼な毒舌が感染ったんですよ」とばかりに鼻を鳴らす
「ほう、では次は私に従順になるように調教してあげましょうかね?」
「パワハラはやめてくださーい」
「お嬢、坊……その辺にしとき?」
仲がいいのか悪いのかわからない譚と読真のやり取りに、モノスは呆れたようにため息をついて際限なく続きそうなこのやり取りを収束させる
「まあいいでしょう。そろそろ次の仕事に行きますよ」
これ以上無駄な時間を割くのを嫌ったのか、単純に最初からそのつもりがなかっただけなのかはわからないが、いずれにしろ譚がモノスの言葉に応じると、読真もそれに倣って自身の手記を懐にしまう
「もう話は終わったのか?」
「ええ。あなたの行動と能力を簡単に説明しただけですからね」
「ふぅん」
幻想司書は、一つの世界を解放するごとに幻想図書館へ報告する義務があるらしく、先日一つの世界を悪夢から解放した読真と譚はこうしてここへ帰還し、代表して譚が神話たちに職務の委細を報告していた
加えて今回は、新たに幻想司書になった読真と、その幻想心器の能力に関する報告も兼ねていた
「そうそう、あなたの能力ですが、四番目の司書長級能力として認定されそうですよ?」
「司書長級能力?」
譚の説明に、どこか他人事のように耳を傾けていた読真だったが、次いで発せられた聞きなれない言葉には首をかしげる
「ええ。館長の『機械仕掛けの神』、御伽副館長の『天上天下唯我独尊』、そして謡の『白の書』。――幻想心器の中でも隔絶した力を持つこの三つを指して、『司書長級能力』と言います。
これに、あなたの正常な異常を加えるという方向で検討が進んでいます。ただし、矛盾形態限定で、ですが」
その疑問にすらすらと答える譚だが、それとは裏腹に当の本人である読真の目は、明らかに不満の色を帯びていった
「わかりましたか?」
「それはわかったけどさ、正常な異常の時といい、勝手に人の能力に名前つけるのやめてくれない?」
譚が一通り説明し終わったのを見計らい、読真はずっと不満に思っていた抗議を改めて口にする
正常な異常の時といい、矛盾形態といい、譚はその能力の保持者である自分を差し置いて勝手に命名してしまう。
確かに、名案や代案があったわけではないが、せめて自分の能力名くらい自分の意見を反映してくれてもいいのではないかと思うのが人情というものだろう
「では、何かいい案があるのですか?」
その抗議を受けて、やれやれとばかりにため息をついた譚に意見を求められた読真は、眉間に皺を寄せて思案を巡らせる
「そうだな……」
「却下」
読真が口を開こうとしたその瞬間、おそらくそのタイミングをうかがっていたのであろう譚が絶妙にその言葉を否定する
「てめぇ……」
軽く弄ばれた怒りで音が出そうなほど歯を軋らせる読真を見て鼻白んだ譚は、その姿に冷ややかな視線を向けて身を翻す
「そんなことより、さっさとお仕事に行きますよ」
「ったく」
慣れたものとはいえ、譚の毒舌と傍若無人ぶりに不満げに渋い顔を浮かべていると、不意に背を向けた先輩司書がその足を止める
「わかっているとは思いますが、四番目の司書長級能力を持っているからといって、それに驕ったり、図に乗ることのないようにしなさい。あなたが司書長級能力を手にしたということは、それが本の世界に求められているということなのですから」
「……? わかってるよ」
館長や二人の副館長に匹敵する能力を得たからと言って驕ることのないように釘を刺した譚に、読真はその言葉の意味を掴みあぐねながらも、その言わんとしていることは正しく察してその後に続くのだった
◆◆◆
天に描かれた扉――幻想図書館と物語同士を繋ぐ扉が開き、そこから姿を現した譚と読真が軽やかに舗装された地面に降り立つ
「お、今度は普通に出られたな」
前は突如空中に放り出されたのを思い出してほっと胸を撫で下ろしている読真を見て、譚は摩天楼がそびえたつこの地――新たな物語の世界へと視線を向ける
「ここが、次の物語か……」
譚につられるように視線を巡らせた読真は、そこに広がっている世界を見て小さく感嘆のため息をつく
そこに広がっているのは、天を衝かんばかりの摩天楼の群れに、生前――本の世界に来るまでに見慣れたチェーン店の看板や店舗、そして赤と白の鉄骨で組み上げられた今なおこの街のシンボルたる鉄塔の姿だった
「東京、だよな?」
「東京ですね」
そこに広がっている光景を見て、首を傾げた読真に、譚が抑揚のない声で応じる
「別に、現代社会を舞台にした物語など、珍しくもないでしょう?」
「確かにそうかもしれないけどさ……前の世界とのギャップ? っていうか、違和感が半端なくて」
以前訪れたおとぎ話を舞台にしたファンタジーな世界とは違い、生前から知っている大都会の姿にわずかな困惑を禁じ得ない読真とは対照的に、譚はそんなことには興味がないとばかりに歩を進める
「そうですか。とにかく、この物語の主人公を探しますよ」
「ヘイヘイ」
(そういやこいつ、あんまり情緒的なものには興味ないみたいだもんな)
周囲の景色に全く興味を示さない譚を見た読真は、前の世界でも情緒的なやり取りに興味を示さなかった姿を思い出してその小さな背中に視線を送る
「きゃああああああっ」
「なんだ!?」
その時、空気をつんざくような甲高い女性の悲鳴が響き渡り、読真と譚は弾かれたように顔をあげてその方向へ視線を向けるのと同時に、そこからこちらに向かっておびただしい数の人々が一目散に逃げるように向かってくる
まさに脱兎のごとくという表現がふさわしいような速さで、蜘蛛の子を散らすように逃げてくる人々を見て呆然と立ち尽くしていると、不意にその背後に巨大な影が出現する
それは機械と生物を足したような異形の存在。ロボットのような外装に生物のような内装を持ったそれは、およそ三メートルほどの体長を持った機械生物とでも呼ぶべき存在。
虫のように左右三対、六本の足を地面に突き立てながら更新するそれは、巨大な鎌に似た前足を振り上げて住宅地を我が物顔で進攻していた
「なんだ、あれ!? ロボ? 怪獣!?」
「さあ?」
視界に映った機械とも生物とも取れない異形の存在に読真が目を丸くしていると、次の瞬間その六本足の機械生物がその鎌を振り上げて立ちすくんでいた読真と譚に襲い掛かってくる
読真と譚を標的として定めた機械生物は、まるで戦車のように重厚に、獣のように軽やかに地を蹴って移動してくる
「来ますよ、読真」
「わかってるよ、おわっ!?」
瞬く間に肉薄してきた機械生物の鎌のような前足が地面に叩き付けられ、アスファルトで舗装された大地を砕く様を間一髪で回避して見た読真は、問答無用で襲い掛かってきたそれに敵愾心を抱いてその両腕に自身の心を形にした純白の手甲――正常な異常を顕現させる
「戦ってもいいんだろ!?」
「ええ」
読真が自身の幻想心器を顕現させるのを見ていた譚は、その言葉に首肯して懐から怪しい銀色の光を纏った銃を取り出す
「そこまでよ、数魔!」
今まさに、読真と譚が攻撃に移ろうとした瞬間、突如美しい声音で紡がれた言葉が、読真と譚、巨大な機械生命体だけとなった街の一角に響き渡る
「数魔……?」
「読真、あれです」
聞きなれない言葉に訝しげに眉をひそめた読真は、譚に促されるように視線をはるか上空――街灯の上に佇んでいる人影に目を向ける
「……?」
逆行を背負い、姿が判然としないその姿を見極めようと読真が目を細めると、不意にその人物は天高く舞い上がり、空中で立ち止まる
「白き願いに導かれ」
亜麻色の髪を純白のリボンで二つに縛り、それを中空に舞い踊らせながら天空でその身を翻すのは一人の少女
「天より舞い降りし、輝ける神秘の使徒!」
その身を白を基調としたドレスと、赤いリボンで彩った少女が手に携えるのは、身の丈にも及ぶ長さを持つ天使の羽を模した装飾が施された杖
神々しさすら醸し出しているその杖に嵌められた瑠璃色の宝玉を輝かせた少女は、それを巧みに操りながら可愛らしく、いわゆる横ピースを美麗に決める
「魔法少女、ワンダー☆アリス!!」
「……なにアレ?」
天空で鮮やかにポーズを決めた少女を見て、目を丸くしている読真の傍らで、譚はその姿と言葉を冷静に分析して小さな声で独白する
「なるほど、『不思議の国のアリス』ですか」
「ってか、原型留めてネェエエエエッ!!!」
譚の分析を耳にしていた読真が思わず上げてしまった声は、戦場となった摩天楼の中に反響して消えていくのだった