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幻想司書 譚の語  作者: 和和和和
一冊目 桃太郎英雄伝
26/86

p19 決着





 桜色の花が咲き誇る桃楼樹の根本――この世界の御神木ともいえる大樹に寄り添うように作られた巫女の居城である鬼灯城の本殿前の広場には、この島に立たずむ巨木のそれとは違う、命を懸けた極限の戦いによって咲き誇る闘争の花が咲き乱れていた

「オオオオッ!」

 その手に青白く光る刀身を持つ霊刀を携え、一陣の風のように疾駆した桃太郎の斬撃を、最強の鬼である天羅(てら)の刀が弾く

 その刀身に纏わされた漆黒の力が甲高い斬撃の衝突音とともに散った火花と共に、桃太郎の体を焼き尽くす

「く――っ!」

 あまりにも強大無比な天羅(てら)の力の余波に呑み込まれた桃太郎だが、その首から下げた宝珠――吉備津(きびつ)の力がそれを遮って無力化する

「桃!!」

 桃太郎が黒炎に包まれるのを見ると同時に桃太郎たちの仲間が一斉に天羅(てら)に渾身の力を込めた攻撃を仕掛ける

 小雉が放った矢が仙人の力である仙術を帯びて光り輝き、流星のように最強の鬼を包囲するように飛来する

「……学習しないのか?」

 しかし次の瞬間、天羅(てら)はその身に宿った鬼の力を解放し、刀の一閃と共にその場にいる全員をその力の渦によって一気に薙ぎ払う


 桃花美仙が来たからと言って、桃太郎たちが天羅(てら)を倒す勝率が上がったわけではない。その前に連携攻撃や一斉攻撃をはじめとしたあらゆる攻撃を繰り出したうえで敗北している桃太郎達では、何度同じことを繰り返しても天羅(てら)を退けることは適わないだろう


「わかっているさ、そんなことは!!」

 だが、同じことを繰り返しているだけでは勝てないことなど桃太郎も百も承知のこと。しかし、桃太郎達はそれを知ったうえでこの戦いに臨んでいる

 今更付け焼刃の小細工をしたところで何の意味もない。そんなことで自分達と天羅(てら)の実力の差が埋まることなどないことを十分承知している桃太郎は、自分たちの持てる力のすべてを振り絞って最強の鬼と再度相対することを、あえて選択したのだ

「けれど、さっきまでとは違う!」

「?」

 渾身の力を込めて霊刀を一閃させた桃太郎を見て、天羅(てら)は訝しげに眉をひそめるとその攻撃を造作もなく振り払ってから、お返しとばかりに真紅の斬軌を描く斬撃を放つ

 天空に巨大な真紅の三日月が描き出され、それを紙一重で回避した桃太郎を援護するように、その後方から戌彦、申彦を筆頭とする仲間たちが一斉に天羅(てら)に向かっていく

「オラアアアアッ!」」

「――フン」

 渾身の気合が込められた桃太郎の仲間たちの攻撃を見ても恐れることなく、鼻を鳴らした天羅(てら)は、その攻撃のすべてを捌き、その全員に反撃の攻撃を見舞う

「っ、化け物め……ッ!」

 かろうじて天羅(てら)の攻撃を防いだ戌彦たちだが、その体にはたったこれだけのやり取りで小さくないダメージを負っている

 戌彦たちが天羅(てら)の鬼の力の波動に押されて後退するのと同時に、守護の霊珠である吉備津の力によって身を守りながら、桃太郎がその力の波を切り裂いて瞬時に肉薄する

「母上が見ている前で、これ以上情けない所は見せられないんだ!!」

 一瞬にして天羅(てら)に肉薄した桃太郎は黍団子の刃を一閃させ、ぶつかり合う刃と刃が火花を散らせる

 その攻撃に込められた力が合わせられた刃から行き場を失って放出され、荒れ狂う力の波が二人の立っている足場を粉砕して瓦礫を宙へと巻き上げていく

「それに……」

 刃を合わせ、天羅(てら)と至近距離で視線を交錯させる桃太郎は、不敵な笑みを浮かべその視線をこの場にいる力強い仲間へと向ける

「オオオオオッ!」

「――っ!」

 その視線の意味することを瞬時に理解した天羅(てら)は、桃太郎を力任せに押しのけると同時に自分に向かってきていた新たなる敵――読真の攻撃を受け止める

 読真が手にする短剣「正常な異常レギュラーズイレギュラー」の刃が天羅(てら)の刃とぶつかり合い、その刃と体に宿った悪夢(ナイトメア)の歪みの力を吸収していく

「俺たちもいるってこと、忘れてくれるなよ?」

「――ぐッ!?」

 明らかに他とは異質な力を感じ取り、本能で危険を察知した天羅(てら)はその体から鬼の力を放出し、暴風のようなその波動によって読真の体を数メートルほど吹き飛ばす

「うわっ!?」

 自身の力によって吹き飛ばされた読真の身体が地面を転がっていくのを見ていた天羅(てら)はその隙に再度向かってきていた桃太郎の斬撃を紅の軌道を描く刀の刃で弾く

 その後方では、傷を負った戌彦たち桃太郎の仲間たちに向けて、金色の天輪を従えた(うたう)が手をふるうと、瞬く間にそのダメージと傷が消滅する

「助かります」

「いえ」

 あらゆるものの「価値」を奪う幻想心器(ミソロギア)――「白の書(ザ・ホワイト)」は、傷の価値を奪うことで、傷や破壊を無力化することもできる。

 その力は知らずとも、瞬時に傷を癒やしてくれたことに感謝の言葉を述べる小雉に微笑み返した(うたう)は、読真と桃太郎達が天羅(てら)と戦う姿を見てその目元を綻ばせる


 その気になればおそらく天羅(てら)でさえ瞬殺できる(うたう)がこの程度の補佐にとどまっているのは、ある理由があった


 元々館長と二人の副館長は、本の世界の調停と管理をその職務としているため、他の幻想司書とは違い、特別な条件を満たさない限り滅多に幻想図書館(ビブリオリウム)の外へ出ることがない。

 今は譚という存在へと歪められたことで副館長としての職務を離れ、こうして世界に関わっていられるが、だからと言って自分が率先して力任せに世界を救っては行進――読真のためにならない

 幻想図書館(ビブリオリウム)の規定では、この世界は担当の幻想司書である読真に対応を一任されることになっている。その成長のためにも、そして何より、自ら歪んだ世界に関わりたいと望んだその意思を組むことが今の(うたう)の役目だった


「あなたは、今までの誰とも違う幻想司書になるかもしれませんね」

 懸命に桃太郎達と共に強大な力を持つ天羅(てら)に立ち向かいながら、しかしどこか笑っているようにも見える表情を浮かべた読真を見た(うたう)の独白に、バレッタに似た髪飾りへと姿を変えているモノスが静かな声で応じる

「まあ、それがええこととは限らんやろうけど」

「……かもしれませんね。ですが、私はそういうのは嫌いではありませんから」

 モノスの言葉に表情を綻ばせた(うたう)は、歪んだこの世界の中で歪められ、おそらくは間もなく消えてしまうであろう桃太郎達と共に戦う読真を見て、その美貌を花のように綻ばせる

 そしてその言葉を聞いていたモノスは、それが(うたう)と同一人物である譚の心であることも正しく理解していた




 そして、読真と桃太郎達が戦うその傍らでは、天を埋め尽くすほどの桜色の力が奔流がぶつかり合い、まるで龍のようにもつれ合って天へと昇って消滅する

 互いにまったく同等の力をもって対峙し、互いに全く同じ攻撃を繰り出す二人の桃花美仙は、まるで命を懸けた戦闘をしているとは思えないほど美しく、華やかに咲き誇っていた

「正直に申し上げれば、驚いております。彼らがわたくしを解放するとは計算外でしたので。――彼らがあの地下牢を知っていたとは思えなかったのですが……」

 鬼ヶ島を総べる桃花美仙の言葉を受けた桃花美仙は、桜色の力の応酬をしながらその表情を花のように綻ばせる

「知らなかったでしょうね。ですが彼らはわたくしを見つけて解放してくださいました。それに、彼は――読真さんは、孝霊(こうれい)様に似ています。まるで霊樹の導きのようではありませんか?」

 桃花美仙にとって、読真との出会いは偶然の一言で片づけられるものではなかった。夫に似た雰囲気を持つ人が絶望の中にいた自分を救い出してくれたという事実は、――不老不死とはいえ、それなりの年月を生きてきた桃花美仙をしてなお、それは年甲斐もなく胸を高ぶらせる運命の出会いだったのだ

「……そうだとよいですね」

 自分と相対する自分が、愛しい人の面影を持った人と再会したなどという単なる懐古の念とは一線を隠す感情を宿していることを見て取った鬼ヶ島を総べる桃花美仙は、桃源郷の主である桃花美仙を見てその表情を綻ばせる

「何を仰っておられるのですか? 彼は、あなたをも導いてくださるのですよ

「――っ!」

 慈愛とも母性とも違う、自分の心の幸福から生まれる微笑を携えた桃花美仙の言葉が意味することを理解した、もう一人の桃花美仙はその視線を自分たちとは別の戦場へと向けた





 戦意に満ちた瞳を輝かせた天羅(てら)が、その手に携えた刀の斬撃に合わせて、漆黒の力を斬撃の波動として解放し、巨大な力の渦が天を衝いて噴きあがる。

 守護の霊具である吉備津の結界でさえ防ぐことができないほどの力が迸ったのを見た桃太郎だが、それに微塵も臆することなく、地を蹴って漆黒の奔流へと向かって駆け抜ける

「正面からとは――」

 結城と無謀は違う。不可能を可能にするために諦めずに挑むのはいいが、それが無謀な突撃であってはならない

 そんなことも見失っているように見受けられる突撃を見て、半ば失望にも似た色を天羅(てら)がその瞳に宿した瞬間、自身の力をはるかに凌ぐ漆黒の力へと挑んだ桃太郎が力強く声を上げる


「僕には仲間がいるんだ!」


 桃太郎が声を上げ、天羅(てら)の脳裏によぎった考えを強く否定する。

 自分が突撃するのは、自棄になったからでもなければ、無謀なわけでもない。仲間たちを――自分が向かう道を共に駆け抜けてくれる仲間がいることを信じられるからこその行動だ

「うおおおおっ!!」

 そう言い放った桃太郎の背後から姿を現し、先頭を切って走り抜けたのは、眩いばかりの光を放つ宝珠を柄に持つ短剣を携えた読真。

 自身の心が形になった武器――正常な異常レギュラーズイレギュラーの刃を振りかざした読真が漆黒の波動を受け止めた瞬間、世界を構築する悪夢(ナイトメア)の力そのものを吸収する正常な異常レギュラーズイレギュラーの能力によって、強大無比なその力がその構造を吸収され、大きく歪み捻じれる

「なっ!?」

 先ほどに続き、自身の力が破壊されて刃に吸収されていく様を見て目を瞠った天羅(てら)は、その力を見て驚きを禁じ得ない様子で唇を噛みしめる

「なんだ、あいつの力は!?」


 天羅(てら)の動揺も無理はない。そもそも幻想司書事態がこの世界の外から来た存在であるが故にその力は最強の鬼である天羅(てら)や桃花美仙にさえ匹敵、あるいは凌駕する

 この世界の理やルールに従いながらそれから逸脱した幻想司書、そしてその中でもさらに異質な正常な異常レギュラーズイレギュラーの能力は、この世界にある者たちにとって理解の外にあるものなのだから


 間違いなくこの世界最強の存在であるはずの桃花美仙の結界をも破壊し、この神の樹の化身の中でも最も格の高い存在であるはずの自分の攻撃を無力化してみせる読真を前に、天羅(てら)が混迷を極めたその一瞬で、桃太郎は一気にそこに肉薄する

「――っ!」

 読真によって切り拓かれた道を駆け抜け、自身に肉薄した桃太郎を見て瞬時に迎撃へと移ろうとした天羅(てら)に、空を割いて無数の光の矢が突き刺さる

「くっ……!」

「今よ!」

 ダメージこそ受けてはいないものの、一瞬の隙をついて撃ち込まれた小雉の矢雨に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた天羅(てら)に、さらに追い打ちをかけるように桃太郎とその仲間たちの攻撃が次々に炸裂する

「ウオオオオオオッ!!」

 黍団子の斬閃が煌めき、戌彦の斬馬刀、申彦の拳、そして仲間の仙人たちの攻撃が次々に天羅(てら)の身体に撃ち込まれていく

「ぐっ、ガッ!」

 いかに最強の鬼である天羅(てら)とて、仙人たちの渾身の攻撃をこれでもかと打ち込まれ、破邪の力を持つ霊刀「黍団子」の斬撃を撃ち込まれれば無傷ではいられない

 攻撃が撃ち込まれるたび、天羅(てら)の体からこぼれた血液が宙を舞い、それでもなお休むことなく撃ち込まれる攻撃の雨に、空間が震えるような衝撃共に破壊の力が響き渡る

「ぶちかませ、桃太郎!」

「今です!」

「桃!!」

 身体が引きちぎれても構わないとばかりに、持てる力の全てを込めた攻撃を間髪入れずに撃ち込み、天羅(てら)の反撃を阻み続ける仲間たちが次々に声を上げる

「みんな……っ!」

 その声に力をもらっているかのように黍団子の柄を強く握りしめた桃太郎は、渾身の力を霊刀の刃に注ぎ込んで、天へを衝くほどの青い三日月を描き出す

「うおおおおおおおおっ!!」

 まるで魂の底から絞り出したような力を乗せた刃を気合いの声と共に振るった桃太郎を一瞥し、天羅(てら)はその口角をわずかに上げ、小さな笑みを刻み付ける

(流石は、桃花美仙様のご子息……)

「見事だ……」

 微笑を浮かべ、桃太郎とその仲間たちを賞賛する言葉を発した天羅(てら)は、傷口からあふれ出した鮮血と共に、天を仰ぐようにして倒れる

「ハァ、ハァ……」

 仰向けに倒れた天羅(てら)を前に、肩で荒い呼吸を繰り返す桃太郎とその仲間たちは、目の前の光景が信じられないかのように、しばらく呆然と立ち尽くし、やがてその口から現実を確認するかのように小さく声がこぼれる

「勝っ、た……?」

 自分たちが最強の鬼を下すという信じがたい結果を前にして、夢現の状態で立ちすくんでいた桃太郎達は、その言葉と共に湧き上がる勝利の実感にその魂と体を打ち震わせる



「そんな……っ」

 声を上げてこそいないが、最強の鬼を下した桃太郎達が勝鬨を上げているような歓喜に浸っている様子を視界に収め、鬼ヶ島を総べる桃花美仙はその信じがたい光景に驚愕を禁じえずに目を瞠る


 鬼は霊樹から遣わされた守護者。そしてその長であり最強の固体である天羅(てら)の実力は他の鬼とは隔絶した次元に存在する

 それが、いかに多対一であったとはいえ、相手が桃太郎(息子)とその仲間だったとはいえ、敗北して地に倒れ伏している事実を受け入れることができない


「いつかの言葉をそのまま返す必要があるようですね」

 刹那。動揺を隠せずにいるもう一人の桃花美仙の耳に、鈴の音のような桃花美仙の静かで厳かな声が届く

「っ!」

 その声で我に返った鬼ヶ島の主たる桃花美仙は、自身に迫る桜色の極光の波動を視界に収めて目を見開く

「――っ!」

 桃花美仙がその力を収束して放った極光の波動を、反射的に発生させた桜色の竜巻の壁によってその攻撃を阻んだ桃花美仙の耳に、かつて自分が今対峙している自分に向けて発した言葉がそのまま返されてくる

「わたくしはわたくしを倒せない。なぜならわたくしだから。けれどわたくしはわたくしを倒すことができる――」

 かつて、愛する者を失い混乱と動揺によって正常な判断力を失っていた桃花美仙に自分が向けた言葉が、天羅(てら)を倒されたことで動揺し、一瞬の隙を生じてしまった自分に向けて紡がれるのを聞いた桃花美仙は、薄く紅を引いた唇を引き結ぶ

「なぜならわたくしだから」

 その言葉と共に桃花美仙が天高く腕を掲げると、その手の先で一箇所に収束された桜色の光が凝縮され、矢にも投げ槍にも見える形状に変化する。


 桜色の光によって構築された巨大な矢槍は、桃花美仙の頭上で天を向いてそそり立ち、そしてその切っ先をゆっくりと結界によって身を守っている桃花美仙へと向ける


 桃花美仙の意思によって制御された光の槍は、天高く掲げられたその腕が振り下ろされたのと同時に、自身が放出していた極光の波動の中を突き進み、行く手を阻んでいた光の壁ごともう一人の桃花美仙の身体を貫通する

「……なっ!?」

 極光の波動を防ぐことに意識を割かれ、それによって自分の動きが封じられていたのだと桃花美仙が理解したときには、すでに結界を破った自分が放った光の矢槍がその体の中心を貫いていた

 薄く紅を引かれた唇から、それ以上に赤い血を流した桃花美仙は、自分の体に突き刺さった光の矢槍へと視線を落とすと、次いでもう一人の自分へと視線を向けてその美貌に微笑を刻む

(これでは、本当にあの時と同じで……真逆ですね)

 内心で自嘲気味に独白したもう一人の桃花美仙は、勝利したというのにどこか物悲しそうな表情を浮かべているもう一人の自分の視線を受けながら、その場に力なく崩れ落ちる

 身体の中心を貫いた矢槍が桜色の光花弁となって霧散するのを視界の端に映した桃花美仙は、うつぶせに倒れた状態で、己の身体から流れた血が広がっていくのを見つめながら笑みをこぼす

「ふふ……」

 まるで過去を真逆で再現しているかのような自分の敗北に桃花美仙は、しかしどこか満足げな笑みを浮かべており、まるでこうなることを望んでいたかのようにさえ見えた

「完敗ですね、わたくしの……」

 小さく言葉を絞り出した桃花美仙は、地面と向き合っていたその体を天へと向かい合わせるように移動させ、近くに歩み寄ってきていた自分自身へと声を向ける

 地に倒れて天を仰ぐ鬼ヶ島の支配者たる桃花美仙と、その姿を静かに見下ろす桃花美仙。二人の視線が交錯し、やがて地に倒れている桃花美仙が穏やかな声音で言葉を発する

「結局わたくしはわたくしということですか……皮肉なものですね」

 かつてと同じで、しかし真逆の結果に終わったこの戦いの結末に自嘲を禁じ得ない様子で呟いたもう一人の桃花美仙の言葉を聞いた桃花美仙は、静かに首を横に振ってから優しく慈愛に満ちた笑みをもう一人の自分へと向ける

「……いいえ。あなたは、わたくしではありません」

「!?」

 桃花美仙が発した優しい言葉に、目を瞠ったもう一人の桃花美仙に、穏やかな声がまるで子守唄のように優しく響く

「もしわたくしがあなたなら、このようなことなどいたしませんでした。たとえ夫を奪った人たちを許せなくとも、その憎しみに任せて無辜の民まで手にかけるようなことをさせることはなかったと思います」

 血の海に倒れているもう一人の自分を見下ろしながら穏やかな声で言葉を落とす桃花美仙は、静かに優しく、しかし決定的に冷たく突き放すように語り掛ける

「結局、あなたはわたくしの弱さ。わたくしがわたくしである限り、表に出てくる事が出来ない、わたくしに似た別の誰かでしかないのです」

「……っ!」

 優しい声で決定的に決別を告げた桃花美仙の言葉に、もう一人の桃花美仙は小さく目を瞠ってその姿を瞳に映す


 もしも、あの日桃花美仙からもう一人の桃花美仙が生まれなければ、桃花美仙は人間達に復讐する事はなかっただろう。その悲しみと憎しみを心の底に押し殺し、可能な限り争いと犠牲を出さないように立ち回ったはずだ。

 人を殺したいと思った事がある人は少なくないだろう。しかしそれを実行する人間がそう多くはないように、もう一人の桃花美仙は桃花美仙にとってそういう類の存在でしかない。

 もう一人の桃花美仙が、桃花美仙の憎しみであり願いであったのは事実だろう。しかしそれは所詮表に出ることなく、そのまま心の中で消えていたであろう意志でしかないのだから


「そう、でしょうね……」

 自分でありながら、決定的に自分ではない自分の言葉に自嘲交じりの笑みを浮かべた鬼ヶ島を総べる桃花美仙へ視線を向けていた桃花美仙は、一度目を伏せるとその表情を優しく綻ばせてゆっくりと膝を折る

「ですが……」

 仰向けに倒れているもう一人の自分の側へ膝をついた桃花美仙は、薄く紅を引いた艶やかな唇に微笑を刻みつけると、穏やかな声音で優しく語り掛ける

「ありがとうございました。愛しい人を奪われた、わたくしの苦しみを晴らしてくださって」

「……!」

 もう一人の桃花美仙にしか聞こえないように、小さな声で優しく囁いた桃花美仙は、小さく目を瞠っている弱い自分にそっと指先を触れさせる

「あなたはわたくしの弱さなのですから、わたくしの弱さを全て見せなくてはいけませんよね」

 自分の弱さと過ちを肯定し、しかしそれを拒絶する微笑と共に発せられた桃花美仙の言葉に、もう一人の桃花美仙は一瞬驚いたような表情を浮かべる


 確かにもう一人の桃花美仙は、桃花美仙が桃花美仙である限り生まれたなかったはずの心の弱さ。しかしだからといって、愛する人を奪われた憎しみが消えるはずもない

 自分のままだったならば、心の奥底へ封じられていた感情と、決して嘘偽りではない憎しみ。それが行ったことは、桃花美仙の本意ではなくとも、その心にさした一時の闇を世界に知らしめて見せた


 自らの弱さとその罪を背負い続け、しかし同時にそれらを否定して微笑む桃花美仙の笑みを受けたもう一人の桃花美仙は、微笑と共に、ゆっくりと瞼を閉じる

「では明日からは誰よりも幸せに笑ってください、弱くて強いわたくし。……あなたの弱さは、全てわたくしが貰って逝きます」

「……はい」

 優しく穏やかな声と共に、もう一人の桃花美仙の体は光の粒子へと形を変えて風に舞い散る桜の花弁と共に儚く風にさらわれて天へと昇っていく

 自分の欠片が天に吸い込まれ、消えていくのを見届けるまで空を仰いでいた桃花美仙は、それを悼むように優しく悲しげな笑みと共にそっと目を伏せる


「さようなら。強くて弱いわたくし」


「……母上」

 まるで祈りを捧げているかのように静謐に佇んでいた桃花美仙に、その背後から桃太郎が恐る恐る声をかける

「何ですか? ……桃太郎」

 息子に呼びかけられた桃花美仙は、すっかり大人になった息子へと向き直ると、どこか恥ずかしげにしている桃太郎を見て優しく微笑み、そっと手を広げる

「こちらへ来て、もっとよくあなたを見せてください」

「母上……」

 長い間夢見てきた母と再会した桃太郎は、優しく包み込むような母性と慈愛を纏って微笑む桃花美仙を前に、胸にこみ上げてくる熱いものを必死に堪えてゆっくりとその距離を詰めていく

 まるで二人の間にあった時間が埋まっていくように、二人の距離が縮まり、桃花美仙の優しい腕が逞しく育った愛しい息子の体を腕の中に抱きしめる

「……大きくなりましたね」

「お会いできて嬉しいです……この日をずっと夢見てきました……」

 息子を腕に抱いた母と、母に抱かれる息子は互いの温もりを愛おしむように抱擁を重ね、その目に光る者を浮かべて、ようやく訪れた親子の時間に心身を委ねる



「よかったね、桃」

 その様子を見て小雉は涙を拭い、誰もが自分のことのように桃太郎と桃花美仙の再会を心の底から祝福している仲間たちは、優しい眼差しでようやく親子に慣れた二人を少し離れた場所から見守っている


 桃太郎との抱擁を交わしたまま視線だけを向けてくる桃花美仙の感謝が込められた視線を受けた読真は、軽く頷いて隣に立っている(うたう)に向けて小さな声で独白する


「これで終わったんですよね」

「ええ」

 桃太郎と桃花美仙がようやく親子として再会できたことを、まるで自分のことのように祝福しながら感慨深く発せられた読真の言葉に頷いた(うたう)は、その表情に険しい色を宿してゆっくりと天を仰ぐ

「これで、この物語が終わりました。故に、ここからが私たちの本当の戦いです」

 鋭い色を宿して紡がれた(うたう)の言葉に、読真もその表情と心を引き締めて、これから訪れる最後の戦いへの心構えを作り上げる


 この世界は悪夢(ナイトメア)によって歪められた世界。桃太郎(主人公)によってそれが達成され、物語が終了したのと同時に、この世界を終わらせるべく、この世界に同化し成長していた悪夢(ナイトメア)が成体となって顕現する


 刹那、天が翳ったと同時に、その一角が空間ごと歪み、その中から漆黒の力が這いずるように蠢きながら姿を現す

「出てきたようですね」

 天から出現した漆黒の歪みに、その場にいた全員が視線を向ける中、(うたう)の独白を聞いた読真は、純白の手甲を纏った拳を握りしめる



「あれが、悪夢(ナイトメア)……!」




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