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幻想司書 譚の語  作者: 和和和和
一冊目 桃太郎英雄伝
25/86

p18 桃花咲く




 鬼灯城の本丸前の広場。霊樹の力によって形作られた天蓋の結界の中で、桃花美仙はただ静かに佇み、眼前に立つ人物――最強の鬼である天羅(てら)に視線を向ける

 刀を手に、漆黒の鬼の力を纏って立つ最強の鬼の足元に倒れ伏しているのは、桃太郎とその仲間たち。絶望の前に人との共存を諦めた母を止めるため、仲間と共に死力を尽くして戦った桃太郎だったが、天羅(てら)に力及ばず、地に倒れていた

「くっ……!」

 唇を噛みしめ、もはや戦うことすらできないほどのダメージを受けた傷と血にまみれた体を引きずるように起こした桃太郎は、刃を鞘に納める天羅(てら)に視線を向ける

「まだ、まだだ……!」

 しかし、そんな桃太郎が既に戦えるような状態にないことは一目瞭然。霊刀(黍団子)霊珠(吉備津)の力で最後まで立っていた桃太郎だが、その力をもってしても最強の鬼である天羅(てら)との力の差を埋めることはできなかった

 満身創痍になっても尚戦う意思を失わない桃太郎に背を向けた天羅(てら)は、そのまま静かに戦いの様子を見守っていた主――桃花美仙の許へと歩を進める

「なかなか手こずらせてくれたな。さすがはお前の息子と仲間たちだ」

「はい、自慢の息子ですから」

 天羅(てら)の言葉に心底誇らしげに笑みを浮かべた桃花美仙は、それと入れ替わるように歩を進め地に倒れている桃太郎達の許へと百合の花のような美しさを携えて歩み寄る

「さあ、これで互いの信念の勝敗は付きました。人との共存の未来は終わり、わたくしたちの幸せな楽園が始まるのです」

「っ……!」

 人間との共存の可能性を閉ざした母と、共存の道を信じようとした息子の信念は、その正しさゆえに相容れずに刃を交え、そしてその決着によって息子の信念は否定された

 ほんの一筋の光明として示された可能性を選ぶ道さえも力及ばずに閉ざされ、その場に倒れ伏した桃太郎へ視線を向けた桃花美仙は優しく微笑んで言葉を続ける

「自らを責めることはありませんよ、桃太郎。あなたはよくやりました。ですからもういいのです。これはわたくしたち母子の失った時間を埋めていきましょう」

 天羅(てら)に敗北したことに自責の念を浮かべる桃太郎に優しく囁いた桃花美仙は、本丸前の広場を包み込んでいた結界を解除する

「その心の痛みをすぐに消し去ることは難しいでしょう。ですが、母がすぐに忘れさせてあげます。ですから――っ!」

 桃太郎たちを優しく包み込む語り掛け、まるで天上の地へと至る道へと導くようにそっと手を差し伸べた桃花美仙は、自身の視界をよぎったものを見て目を瞠る

「なっ……!?」

 一瞬視界をよぎったそれ――「桜色」を認識した桃花美仙が小さく目を瞠ったのと同時に、地に倒れた桃太郎とその仲間たちもその光景を見て目を瞠る


「桃楼樹が咲いてる」


 自らの視界に映った美しく、気高く咲き誇るそれを見て吐息のようにこぼれた小雉の言葉がその場を包み込む異様な空気の原因を如実に物語っていた


 そう、桃花美仙の背後にそびえる神の樹。かつてこの地が桃源郷と呼ばれていたころからこの島の象徴そのものだった霊樹、漆黒の枯れ木と化していたその御神木が美しい花を咲き誇らせていたのだ。

 巨大な大樹の幹や枝は、白みがかった色へと変化し、その枝には緑の葉とそしてそれがあることも分からないほどの桜色の花が咲き誇っていた


 大樹を彩る桜色は、艶やかに、美しく、気高く、神々しく咲き乱れて咲き誇り、その姿を見る者に畏怖と崇敬の念を否が応でも植えつける

 その花々の影に実る桜色の果実は、それを食べた者を不老不死の仙人へと変える神の雫。――命の樹に宿りし、久遠なる魂の果実だった


「綺麗……」

 まるで自らが光を放っているかのように、満開の花を咲かせ、その花弁を風に遊ばせて己に仕える巫女のように桃源郷全体に舞い踊らせる桃楼樹を見て、誰からともなくそんな呟きがこぼれる


 漆黒に塗り潰され、花も実もつけなくなったその樹が、かつて「神の樹」と呼ばれたその姿を取り戻して咲き誇るその光景は、心が洗われ、現れるかのようにその場にいた者たちの殺伐とした心を清め、甘えく命を祝福しているかのようだった


「これは、まさか……」

 桃楼樹が咲いている――その意味を一瞬にして理解した桃花美仙が、その花のような唇から驚愕に彩られた剣呑な声を発した瞬間、桜色の力の奔流が広場の外壁に沿って天へと吹き上がる

「なっ!?」

 桃花美仙が使って見せたものと同じ桜色の力が吹き上がったのを見て、桃太郎達が背後に目を向け、そこにいた人物を見止めたのと同時に、桃花美仙はその美貌で天を仰ぎ静かに語り掛ける


「――久しいですね」


 天へと噴き上がった桜色の力の結晶は、まるで雲のような足場を作りそこに、三人の人物を乗せていた。一人は読真、もう一人は(うたう)、そしてその二人の間に立っているのは――


わたくし(・・・・)

 鬼ヶ島を総べる桃花美仙の視線を受けた桃源郷の主たる桃花美仙は、その問いかけにしとやかに微笑み返し、二人の桃花美仙は互いにその視線を通わせる


「桃花美仙様が二人?」

「どうなってやがる……!?」

「それに、あの後ろにいるのって……譚ちゃん?」

 突如姿を現したもう一人の桃花美仙を見て混乱を極める桃太郎達の目の前で、読真と(うたう)と共に現れた桃花美仙は、桜色の花雲を道のように作り変えてゆっくりと広場へと歩を進める

 まるで天上から神の御使いが降り立つような神々しさと、天女のごとき美貌を携えた桃花美仙を見て、鬼ヶ島を総べるもう一人の桃花美仙が、まるで確執など存在していないかのような穏やかな声で話しかける

「驚きました。まさかあの牢獄から出てこられるとは」

「ええ、この方々に助けていただきましたので」

 広場に足を下ろした桃花美仙は、読真と(うたう)に交互に視線を向けてから、目の前にいるもう一人の自分へ微笑みかける

「……なるほど」

 おそらくはその理由を推測していたのであろう桃花美仙の背後にいる謡を一瞥し、もう一人の桃花美仙は静かな声音で応じる

「待たせたな」

「読真君、これは一体……」

 桃花美仙と共に広場に降り立った読真に、桃太郎たちが説明を求めるように桃太郎が視線を向けた瞬間、その傍らに美しい花がしとやかに咲く

「っ」

 膝をつき、倒れている自分に慈愛に満ちた笑みを向ける桃花美仙に、そっと頬を撫でるように触れられた桃太郎は、突然の事態に目を見開いて困惑と驚きを表す

「よく頑張りましたね。それに大きくなりました……」

 優しく、どこまでも深い慈愛に彩られた声音で優しく撫でるように桃花美仙に頬を触れられ、桃太郎の頬が恥じらいでわずかに赤く染まる

 まるでこれまで離れていた時間を少しでも埋めようとしているかのように、深い愛情と慈しむような母性をまとって微笑む目の前の桃花美仙を見て、桃太郎は思わず声をこぼしていた

「母、上……?」

 確信があったわけではない。しかし、自分に向けられる愛情に満ちた視線と、静かだが強く自分の心を揺らすその声に、桃太郎はなぜか一瞬で理解していた――これが、「この人が母だ」と

 それは何の根拠もない思い。あえていうなれば、親子の絆だったのかもしれないし、人間を滅ぼそうとする母ではなく、目の前のこの人を母として信じたかっただけなのかもしれない

「はい」

 しかし、何気なく発せられた桃太郎の言葉は、そしてもう一人の自分によって、母という存在を信じられなくなっているのではないかという危惧を抱いていた桃花美仙の心を癒し、自分が母でもいいのだと許してもらえたように思えるものだった

 その言葉に、心の奥からあふれ出してくる熱い感情に胸を焦がした桃花美仙は、目尻に光る雫を浮かべて女神のごとき慈愛と、聖母のような深い愛情に満ちた笑みを返す

「少し、そのままでいてください」

 そう優しく声をかけた桃花美仙の手のひらから桜色の温かな光があふれ出し、桃太郎とその仲間たちを包み込む

 天蓋上に桃太郎達を包み込んだ半透明の結界の中には、桃楼樹に咲いているものと同じ桜色の花びらが舞い踊っており、それが傷口に触れ、体に吸収されると、傷は癒え、失われた体力が徐々に回復していく

「傷が、癒えていく……」

 見る見るうちに傷が完治させた桃花美仙は、その身にまとった着物を広げて身を翻すと、もう一人の自分と、その傍らに立つ天羅(てら)へ視線を向けて静かに言葉を紡ぐ

「あなたたちは少し休んでいなさい、あとはわたくしが――」

 自分が、と言いかけた言葉を飲み込んだ桃花美仙は、共にこの地へと降り立った二人の仲間――(うたう)へ視線を向け、読真に微笑みかけると再度言葉を発する

「いえ、わたくし()が引き受けましょう」

 読真と(うたう)と共に胸を張り、毅然とした凛々しい姿でそう言い放った自分を見て、鬼ヶ島を総べる桃花美仙と天羅(てら)は戦意を高め、緊張感を張りつめる

「いやです」

 しかしそんな桃花美仙達の背後から強い語気で言い放った桃太郎は、自分に向けられる母達の視線を受けながらゆっくりと立ち上がりゆるぎない決意の宿った視線と共に己の心を言葉に変える

「僕は母上を救い、世界を守るために来ました。だから、母上にばかり頼っているようでは、これから――明日からあなたの息子だと胸を張れなくなってしまいます」

「……!」

 この戦いに勝利し、明日から母子として生きていきたいという強い決意を言い放った桃太郎の言葉に、桃花美仙はその目を優しく細め、読真と(うたう)もその姿を見て口元を緩める

 仲間と母の視線を受けた桃太郎は、地に突き刺さっていた霊刀黍団子を引き抜くと、鬼ヶ島を支配するもう一人の桃花美仙と天羅(てら)へその鋭い視線と切っ先を向ける

「それに、僕達もまだ負けていませんから」

 桃太郎の言葉に応じるように、桃花美仙の力によって回復した戌彦、申彦、小雉を筆頭する仲間たちが次々と立ち上がり、力強く頷く

「あァ」

「そうです」

「うん。私もまだ戦えるよ」

 桃太郎の心を支えるように、共に立つ友たちと一丸となっている桃太郎を見て、二人の桃花美仙は、どちらからともなく逞しく成長した息子に微笑みをこぼす


「大きくなりましたね、本当に」


 再会した子供の成長に表情を綻ばせた桃花美仙は、読真と(うたう)へと視線を向けると、信頼に満ちた視線で微笑みかける

「息子たちをお願いしてもよろしいでしょうか?」

「ああ」

「はい」

 桃花美仙の言葉に読真と(うたう)が力強く頷き、静かに目を伏せた美しき霊樹の巫女は、自身の子供の成長に、誇らしくもどこか寂しげな笑みを浮かべる

「本当に立派なよい息子に育ってくれました。今さらわたくしが出張って、母親の真似事をする必要があるのか、少々疑問を覚えてしまいますね」

 (自分)がいなくとも自らの足と心で立ち、進むべき道を選び取ることができている桃太郎を見て表情を綻ばせた桃花美仙は、すでに親離れをしている子供に自分がするべきことなどないのではないかと思えば、誇らしいと同時にわずかばかりの寂しさを禁じ得ない

 どうやら自分の方が子供離れできていないらしいことを察し、苦笑を浮かべている桃花美仙を見た読真は、純白の手甲を纏った拳をぶつけ合わせる

「そんなことないですよ。桃太郎はあなたに格好いいところを見せたいから頑張ってるんですから。あなたは胸を張って、あいつのためにできることをしてあげればいいんじゃないですかね」

 少しだけ母親(自分)が必要ないのではないかという考えが頭をよぎった桃花美仙の憂いを払い、その心を奮い立たせるように発せられた読真の言葉に、絶世の美貌を携える霊樹の巫女はその表情を綻ばせる

「……そうですね、これからなるといたしましょう。――母に」

 今は亡き夫と同じ面影を持ち、夫のそれのように不思議な安心感を与えてくれる読真に微笑んだ桃花美仙は、桜色の力を花吹雪のように纏ってもう一人の自分を見据えたまま、背後にいる息子へと言葉を向ける

「もう一人のわたくしはわたくしが倒します。あなた達には、天羅(てら)の相手を頼みたいのですが良いですか?」

「無論です!」

 桃花美仙に対抗できるのは、同じ力を持つ桃花美仙だけ。それを分かっている桃太郎は、仲間たちの意思を代弁するかのように力強く応じる

「頼もしいですね」

 そんな息子の姿に偽りのない言葉を紡いだ桃花美仙は、着物の裾を天女の羽衣のように翻しながらゆっくりと歩を進め、静かに佇んでいるもう一人の自分と相対する

「今度はあの時のようにはいかなそうですね」

「えぇ。あの日のように不覚を取ることはないと思ってください」

 自分自身と相対した鬼ヶ島を総べる桃花美仙は、白い肌に生える薄い紅で彩られた花のように可憐な唇に微笑を浮かべ、その身に桜色の光花弁を纏う

 共に霊樹の加護を受ける巫女。力も容姿も全く同じでありながら、その心のどこかが決定的に違う二人の桃花美仙は、視線と力を交錯させる

「では、もう一度定めましょうか。わたくしの意思を(・・・・・・・・)

 あの日、二つの運命が生まれ、二人の自分の運命が交錯し、争い、別れたようにもう一度、この地が桃源郷(楽園)であり続けるか、鬼ヶ島(地獄)であり続けるかを選ぶ戦いを求める桃花美仙に、桃源郷の主たる桃花美仙は、小さく首を横に振る


「いえ、その必要はありません」


 互いに深い地合いを帯びた声音で、怒気も殺意もない心を自分自身へ向けあいながら、桃花美仙は己の愚かさと弱さの象徴たるもう一人の自分を見て、厳かに言葉を紡ぎあげる


「終わりにしましょう。二人のわたくしの悪夢を」






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