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幻想司書 譚の語  作者: 和和和和
一冊目 桃太郎英雄伝
22/86

p15 桃花美仙




 自分の目の前にある光景が信じられないといった様子で呟いた読真の言葉に、檻の中でしとやかに正座している絶世の美女――桃花美仙は優しく微笑み返す

「……はい」

「!」

 一気に警戒と強める読真と譚を檻の中から見た桃花美仙は、その様子に静かに目を伏せる

「皆さんがどなたかは存じませんが、その様子ではやはりもう会っておられるのですね。もう一人のわたくしに」

「もう、一人の……?」

 二人の態度を見て確信を得たらしい桃花美仙の言葉に、読真と譚は訝しげな表情を浮かべて互いに視線を交わす

 どういうことかわからないといった様子を見せる読真と譚が質問するよりも先に、桃花美仙は自らの意志で口を開き、その答えを伝える

「そうです。今鬼灯城を支配し鬼を支配しているのは、もう一人の桃花美仙(わたくし)です。かつてこの桃源郷を総べる霊樹の巫女であった桃花美仙はわたくしなのです」

「……桃花美仙は二人いるという事ですか?」

 今の鬼ヶ島を総べている桃花美仙ではなく、かつて桃源郷を支配した桃花美仙だと名乗った檻の中の桃花美仙に怪訝そうに問いかけた譚の言葉に、牢の中に囚われている桃花美仙は小さく首を横に振る

「いえ、違います。元々はわたくしが霊樹の巫女です。今、城を支配する桃花美仙は、わたくしから生まれたもう一人のわたくしです」

「……どういうことでしょう?」

 警戒を解く事なく問いかける譚の言葉に、桃花美仙は静かに佇まいを直す

 その動きに合わせて重厚な金属が音を立てるが、それが桃花美仙を繋いでいる鎖の音だと気付くのにそれほど時間はかからなかった

「その前に、あなた方はもう一人のわたくしに、この桃源郷に起きた悲劇を聞いていますか?」

「ええ」

 桃太郎に桃花美仙と天羅(てら)が語っていた内容を思い出して、渋い表情を浮かべる読真とは対照的に、譚はその問いかけに普段通りの無機質な声音で応じる


 桃花美仙がその質問をしたのは、自分たちへの説明を可能な限り省き、重複した説明をしないように気遣ってくれているのだと理解している譚は、檻の中で静謐に座しているかつての楽園の支配者の姿を見る

 決して表面には出していないが、桃花美仙はこの鬼ヶ島――桃源郷に起きた悲劇を、あまり話したくはないのではないかとも思ったが、あえてそれを指摘する必要性も覚えなかったた譚は、可能な限り事務的な対応を心掛ける


「それは、どのような内容でしたか?」

「簡潔に説明しますが――」

 必要以上に同情し、腫れ物に触るような対応をしないように心がけながら、譚は桃太郎達とともに鬼ヶ島の支配者である桃花美仙が語った楽園の過去を説明する


 永遠の命に苦しんだ仙人族がすべての人間を不老不死にしようと、権力者と共謀して桃楼樹の実を手に入れようとしたこと

 それを受け入れられなかった彼らが実力行使に出て、結果的に桃花美仙の夫であり桃太郎の父にあたる人物を殺してしまったこと

 その後、桃源郷の中に潜んでいたスパイが桃太郎を連れ去り、鬼たちとの激しい戦いを経て現在へ至っていること


「……と、聞いています」

 鬼ヶ島の支配者たる桃花美仙から聞いた話の内容を譚が一通り説明し終えると、それを黙って聞いていた桃源郷の支配者である桃花美仙は、静かな声音で言葉を紡ぎだす

「なるほど。それは、半分まで真実です」

「半分?」

 訝しげに眉をひそめる譚と読真の声に、檻の中から二人を見据える桃花美仙は、小さく首肯して言葉を続ける

「はい。夫が不死を望む人と、仙人に殺められたところまでが真実です」

「つまり、その先が違う、と?」

「はい」

 譚の言葉を肯定した桃花美仙は、一度目を伏せるとその時のことを思い出しているのか、桃の上で重ねた自身の手にわずかに力を籠め、薄く紅を引かれた唇を引き結ぶ


「すべてはわたくしの愚かさが招いた事です」


 まるで己を責めるように前置きをした桃花美仙は、片時も忘れることのなかったその時へ記憶を遡らせながらゆっくりと読真と譚に真実を語り始める


「あの日は、雨が降っていました――」



 それは、桃花美仙に桃楼樹の実を献上させるために、その最愛の人である孝霊(こうれい)を人質に取ろうとした人と仙人の目論見が失敗した時のこと

「……っ」

 自分の代理として人と仙人との対話に向かっていた夫――孝霊(こうれい)が瀕死の重傷を負って帰ってきたと聞かされた桃花美仙は、子供を産んで日が浅い体でそのもとへ駆け寄る


 すべては桃花美仙の失策だった。必要以上に武力を見せつければ、警戒心と敵対心を強めてしまうと考えた桃花美仙は、対話に向かう孝霊(こうれい)に鬼と仙人一人ずつの護衛しかつけていなかった

 それが災いした。突然の奇襲。孝霊(こうれい)自身も決して弱くはなかったが、最初からそのつもりであった人間側に対して、たった三人では多勢に無勢。命からがら逃げかえってきた三人は、その身に深い傷を負っていた


「あなた……」

 人間側の突然の攻撃を受け、抵抗を示した三人は乱戦の中で深く傷つき、仙人を殺すことができる仙人の特性の下、その凶刃は桃花美仙の愛する人の命を奪っていた

 血にまみれ、変わり果てた姿となってしまった夫の傍らに膝から崩れ落ちた桃花美仙は、腕の中には先日生まれたばかりの息子――桃太郎を抱いて、すでに体温が消えつつある愛しい人の頬にそっとその指を添える

「申し訳ありません。おそらくは、桃楼樹の実を手に入れるため、孝霊(こうれい)様を人質にしようとしたのでしょうが、向こうの用意した対話の場に入った瞬間、攻撃を受けました。

 おそらく、相手の狙いが分かっておられたのでしょう。孝霊(こうれい)様は、全力で抵抗し、何とかここまで逃げてきたのですが、その際に深い傷を負ってしまい、治療の甲斐なく――」

 かろうじて生き延びた護衛の仙人の女性の言葉は、愛する人を奪われ、打ちひしがれる桃花美仙の耳には届かなかった。――否、届いてはいたが、意味のある言葉として聞き取る事ができなかったのだ

 空はまるで桃花美仙の心を映すかのように雨を降らし、天から降り注ぐ恵みの雨が冷たくなった男の身体をさらに冷たく冷やしていく

「っ」

 いかに霊樹の力を持っても、死んだ命を戻すことはできない。成す術もなく、冷たくなった夫の前でうなだれる桃花美仙の宝石のように澄んだ瞳は今は虚ろに濁り、涙すらも流すことができずにいた

「桃花美仙……」

 これが現実だと信じたくないという祈りが聞こえてくるようなその姿を見て沈痛な面持ちで目を伏せた天羅(てら)は、せめて濡れないようにと傘で桃花美仙に当たる雨を遮る

 その腕の中しめ抱きしめられた幼い桃太郎は、そんな母や周囲の者たちの痛みや悲しみ、あるいは父を失ったことを悟ったかのように声を上げて泣き始める

(わたくしの所為で……)

 腕の中の桃太郎の泣き声すら聞こえない程に取り乱した桃花美仙は、物言わぬ姿と成り果ててしまった愛する人を瞳に移しながら、内心で己を責めていた

(信頼を示さねばならないと、護衛を最低限にしていたから、彼らに対話を求めるばかりで何も咎めなかったから……彼らはわたくしに対して余計に強気に出る事ができた)

 武器を持った相手に「話をしたい」と言われても信用できない。だからこそ桃花美仙は、自分たちの信頼と礼節を示すために戦力を最低限に収めていた

 彼らの傲慢な言い分も、「価値観の違い」「対話で分かり合うことが大切」と、寛容に受け入れて聞き流し、ある意味では感情的な反論をせずに粛々と対応してきた――しかし、その結果がこれだった

(命を奪いたくないなどと言わずに、彼らを数人でも見せしめにしていたら彼らはこんな行動に走らなかったかもしれない・・)

 人間たちの裏切りによって愛する人を変わり果てた姿に変えられた桃花美仙は、後悔ばかりが先に立ち、心の中から何かがすっぽりと抜け落ちてしまったかのような喪失感と己の無力さへの怒りが募る

(わたくしの所為で、わたくしの所為で……)

 自分の判断は間違っていたのかもしれない。そうして自らを苛むと同時に、桃花美仙の心には、自分たちの言葉を無下に、己らの欲望のまま最愛の人を奪った者達への憎しみが確かに芽生えていた

(許さない……)

 こちらは常に対話をしてきたというのに。不遜な言葉や無礼な態度もある程度は目を瞑り、丁寧に実を与えられない理由を根気強く説明し続けてきたというのに――そのすべてを自己の欲望で都合よく解釈し、愛するものを奪った者たちへの怒りと憎しみが、桃花美仙の中に生まれ、徐々に大きくなる

(いえ、そのような事をしても何もなりません……争いも憎しみも何も生まない。この子の未来のためにも争いは何としても回避しなくては……)

 しかし桃花美仙は、憎悪と怒りで黒く染まりそうになる己の心を懸命に殺し、ともすれば激情に任せてしまいそうになる己を強く諌め、抑え込む

 自分が望めば桃源郷にいる鬼や仙人たちは、人たちへの報復に力を貸してくれるだろう。しかし、ここにいる多くの鬼と仙人(同胞)に戦争を強いてはならないと、桃花美仙は腕の中に抱きしめた子供の温もりを感じながら自分を戒めるように言い聞かせる


 愛する人を奪った人間たちを許すことはすぐにはできない。しかし、自分が愛した孝霊(こうれい)という人が、自分のそんな姿や、同胞たちを争いに駆り立てることを良しをしない性格であることを桃花美仙は十分に承知している。


 しかし、頭では分かっていても、それを簡単に割り切ることなどできない。


 憎悪と慈愛。相反する感情に揺れ動く桃花美仙の心は、まるでその心の葛藤から逃れるかのように、霊樹に奇跡を体現させる祈りとなってしまった。


 霊樹の巫女である桃花美仙は、桃楼樹とつながっている。その願いは霊樹に祈りとして届き、場合によっては神の樹である桃楼樹がその願いを聞き届ける。

 そして、この瞬間。愛するものを失い、人に裏切られて絶望する巫女の祈りは、桃楼樹へと通じ、神の樹がその願いに呼応し、それを聞き届けてしまったのだ――それも、最悪の形で。

「なっ……!?」

 その瞬間、愛する人の亡骸の前で打ちひしがれる桃花美仙を沈痛な面持ちで見守っていた天羅(てら)たちの見ている前で信じられない事態が起きた

 桃花美仙の身体がまるで蜃気楼のように揺れたかと思うと、次の瞬間その体がまるで鏡に映したかのように二つに分かれ、もう一人の桃花美仙がこの世界に顕現したのだ

「……なっ!?」

「桃花美仙様が二人に!?」

 膝から崩れ落ちている桃花美仙とは対照的に、そこから生まれたもう一人の桃花美仙は、しとやかにたたずんだまま、自分自身でさえ何が起きたのか理解できていないといった表情を浮かべている桃花美仙――自分自身に視線を向ける

「わたくしは、あなたのもう一つの心です」

 茫然自失となっているためか、普段の聡明さを欠いている自分自身に慈愛に満ちた美笑を向けて語り掛けたもう一人の桃花美仙の言葉に、その場にいた全員が息をのむ

「もう一つの、心……?」

「ええ」

 絞り出すように声を発した自分の言葉に微笑んで応じた桃花美仙は、愛する人の傍らにその人との愛の結晶を抱いて膝をついている自分自身を指さす

「最愛の人を奪った者達を許そうとするわたくし……」

 そう言って桃花美仙を指さしたもう一人の桃花美仙は、薄く紅の引かれた唇をわずかに歪めると、自分を指し示していたその手を自分の胸に当てる

「許さず憎むわたくし」

「――っ!」

 その言葉に全てを理解した桃花美仙や天羅(てら)、その場にいた鬼と仙人達が一斉に息を呑んで警戒心を強める

「二つの感情に押し潰される巫女であるわたくしの心が、無意識に霊樹の力を以ってわたくし自身を二つに分けたのです」

 桃花美仙と何一つ変わらない慈愛に満ちた優しい笑みを浮かべるその微笑に、全員が瞬時に危機を察知した瞬間、桃花美仙の手の中に霊具「日幟」が顕現する

「待っ……」

「やめろ!!!」

 二人が声を上げた事に驚いた一同の目の前でもう一人の桃花美仙の手に、霊具「日幟」が召喚される

「さあ、はじめましょう? 傲慢な人間への粛清を」

 その意味を正しく理解し、最悪の事態を思い描いた鬼と仙人たちが声を上げた瞬間、もう一人の桃花美仙の言葉と共に日幟が光を放ち、その「鬼を支配する能力」が行使される

「ぐ、ぁ……ッ!」

 もう一人の存在である桃花美仙も、桃花美仙と同様に霊樹・桃桜樹の巫女である事に変わりはない。故に霊具はその力を問題なく発現させる。

 問答無用で鬼という存在を縛り、支配する日幟の力に懸命に抗おうとする天羅(てら)をはじめとする鬼達だったが、しかしそれすらも許されずにその意志と行動をもう一人の桃花美仙の望むままに変化させる。

「あなたは見ていなさい。あとはわたくしが引き受けましょう」

「っ、待ちなさい。そんな事はさせません」

 もう一人の自分を止めようと立ち上がった桃花美仙に、日幟の能力によって支配された天羅(てら)の攻撃が走る

「――っ、天羅(てら)さん……」

 しかし天羅(てら)が放った斬撃は、桃花美仙に触れた瞬間にその力をすべて失い、無力な力の残滓となって霧散する

 形を失った鬼の力の残滓を視界に捉えながら、完全に操られている天羅(てら)を見た桃花美仙は悲哀の情でその姿を見る

「鬼や仙人はその力の源に等しいわたくしを傷つける事は出来ない……その絶対条件は今でも有効と言う事ですか」

 完全に不意を衝いて放たれた天羅(てら)の攻撃が全く効かなかったも桃花美仙を見たもう一人の桃花美仙はわずかにその目を細めて呟く

「桃花美仙様……!」

 その言葉によって我に返った仙人たちは、もう一人の桃花美仙の周りに次々集まっていく鬼達を見不安と恐怖に彩られた声を漏らす

「――っ」

 その声を聴いて唇を引き結んだ桃花美仙を見て、日幟を手にしたもう一人の桃花美仙が、しとやかにどこまでも慈愛に満ちた声で微笑みかける

「心配いりません。わたくしは静かに見ていなさい。わたくしと鬼達が世の人間たち全てを滅ぼすところを……」

「日幟を取り返してください! 彼女をこのままにはできません!」

「はっ!」

 人類を滅ぼす宣言を下した桃花美仙の言葉に焦燥にかられる桃花美仙の声を受け、日幟の影響を受けない仙人族の戦士たちが一斉に戦闘体勢に入る


 自分が望んでいなかったわけではない、しかしそれを望んではいけないと分かっている自分の意思が、叶えたくて叶えてはならない願いを叶えてしまうであろうことを察している桃花美仙の願いに応え、仙人族たちは一斉にもう一人の桃花美仙と鬼たちに向かっていく


「日幟を奪え! そうすれば天羅たちは元に戻る!!」

「おおおおおっ!!」

 仙人の誰かが発した声に、全員が首肯して咆哮を上げる


 鬼達を操っているのは「霊具・日幟」。ならばそれさえ奪えれば、もう一人の桃花美仙の暴挙をここで止める事が出来る

 それを分かっている仙人族たちと桃花美仙は、その狙いをもう一人の桃花美仙が持っている日幟に限定し、決戦を仕掛ける


「困ったわたくしですね。鬼は仙人を殺せるというのに」

 もう一人の自分――桃花美仙の願いに応え、自分に向かってくる仙人族たちを見据えた桃花美仙は、小さなため息とともに憐れみに満ちた声で独白する

 それは、これから散ることになる仙人族への追悼と同時に、事ここにいたってもなお正常な判断力を失っているもう一人の自分に対する憐れみから出たものだった


 各々が霊樹から力を与えられた仙人族は基本的に不老不死だが、仙人となっても人でなくなるわけではない。

 不老不死の痛みに耐えられず霊樹の実を奪おうとする愚かな者たちがいるように、彼らは霊樹の化身でもある鬼とは違って、いつ何時過ちを犯すか分からない存在だ。

 だからこそ霊樹を守る役割を与えられている鬼には、桃花美仙の名においてその霊樹の実の力を奪う力がある――仙人が仙人を殺せるように、鬼もまた仙人を殺す力を持っているのだ


「させません」

 しかしもう一人の桃花美仙の思惑など見通している桃花美仙は、腕の中に抱きしめた桃太郎の重みと温もりをか確かめながら霊樹の力を解放する


 子供の未来のためにも世界を戦乱に巻き込めないと願う桃花美仙の祈りに答えるように、その体からほとばしった桜色の力が、もう一人の桃花美仙へと向かってほとばしる

 桜吹雪を彷彿とさせるような霊樹の力がもう一人の桃花美仙を守るために壁となった鬼達を難なく薙ぎ払い、桜色の花で構築された龍のごとくうねりとなって吹き荒れる

「……それはそうでしょうね。いかに鬼でも、わたくしの力には勝てないですから」

 眼前に迫った霊桃花の龍嵐に視線を向けて微笑をうかべたもう一人の桃花美仙からも桜吹雪が巻き起こり、今まさに自身に食らいつこうとしていた桃花美仙の力を相殺する

「――っ」

 まったく同等の力を見て、その絶世の美貌に浮かんだ焦燥の色を強める桃花美仙とは対照的に、しとやかな笑みを浮かべたままもう一人の桃花美仙は、涼やかに言葉を続けていく

「わたくしはわたくしを倒せない。なぜならわたくしだから」

 相殺しあい、雨が降る空に桜色の風花となって舞い散った力の破片を見ながら穏やかに語りかけたもう一人の桃花美仙は、桃花美仙をその澄み切った瞳に映したまま、白い肌に咲く薄紅色の唇花から言葉を紡ぎだしていく

「ですが、わたくしにはわたくしを倒せる。なぜなら――」

 戦闘中とは思えないほどに慈愛に満ちた優しい微笑みを浮かべたもう一人の桃花美仙から放たれた無数の光の矢は、無数に枝分かれし地面に横たわっている愛しい人の亡骸へと向かって迸る

「――っ!」

 すでに命を失っているとはいえ、夫の亡骸を破壊されることを拒否した桃花美仙は、桜色の風花の力によってそれを相殺する

「っ!」

 しかしその瞬間、それとは別の軌道を描いて奔った光の矢が、自身の腕の抱えた愛の結晶へ向かっているのを見た桃花美仙は、反射的に身体を使ってその攻撃から愛する子供を庇う

「くっ……」

「――わたくしだから」

 自身の身体に次々に突き刺さった桜色の光矢の痛みに、桃花美仙はその美貌を苦悶に歪め、その場に膝から崩れ落ちる

「桃花美仙様!」

 自分の攻撃を受けて崩れ落ちる桃花美仙を見て、もう一人の桃花美仙は、美貌に憐れみの色を浮かべてその様子を見つめる

「愛しいでしょう? 愛惜(いとお)しいでしょう? ――あなたはわたくしなのです。その心の内など、手に取るようにわかるというのに」

霊刀(黍団子)霊珠(吉備津)も使えないほど動揺しているあなたに、わたくしを止めることはできないのですよ)

 もう一人の桃花美仙の心中にあるのは、愛する子供を抱きしめて膝をつく桃花美仙への同情と憐憫の想い


 愛する夫を失い、絶望と裏切りにあった桃花美仙は、大切なものを失うことを恐れるばかりに守護の霊珠「吉備津」を使うこともできないほど混乱し、愚かにも自らの身を挺して大切なものを守ってしまった

 その身に起きた不幸から立ち直る間もなく戦っている今の桃花美仙の混乱した心中は、もう一人の桃花美仙には己の心そのものとして理解し、把握し、裏をかくことができる


「――っ」

 もう一人の自分が言わんとしていることを察し、桃花美仙は苦痛の色を帯びた美貌で一輪の花のようにしとやかに佇むその姿を見つめる


 姿形はもちろん、その能力までも全く同じ二人の桃花美仙にある決定的な違いは、その心を占める意志の差。

 愛するものを殺した者たちへ憎しみを押し殺したか、押し殺さなかったかの差。懸命に理性で自身の中にある後悔と自責と憎悪を抑えている桃花美仙に、迷いなくその心に従っているもう一人の桃花美仙を抑えることなどできるはずがなかった


「お逃げください。桃花美仙様」

 戦場にしとやかに佇んでいる桃花美仙を見て唇を引き結んだ桃花美仙が立ち上がろうとした瞬間、仙人族の戦士達がその前に立ちはだかる

「しかし……っ」

 仙人族の戦士の言葉に、桃花美仙はもう一人の桃花美仙と彼女に操られた天羅(てら)をはじめとする鬼たちを交互に見て唇を引き結ぶ

 無意識にとはいえ、己の罪科から逃れるために自身を二つに分けてしまった過ちと、その所為でもう一人の自分の手に落ちてしまった同胞たち。

 そして、その手で滅ぼされようとしている人間の世界を守るために、桃花美仙は霊樹の巫女としてこの場を離れることなどできなかった

「ここは我々が食い止めます。このままでは若君までこの戦いに巻き込まれてしまいます。急いでください」

 しかし、そんな桃花美仙の心情を見通しているかのように、仙人の戦士たちはその腕に抱かれたこの地の未来そのものである子供を見て優しく微笑みかける

「しかし……」

「急いでください。若を連れたままではあなたは戦えません。それでは犠牲が増えるだけです」

 優しく、しかし有無を言わせないような強い語気で発せられたその言葉に、桃花美仙は薄く紅を引いた唇を噛みしめる


 霊樹の巫女として、この場を放置して逃げるなどできるはずがない。しかし、夫の亡骸と幼い我が子を抱いたままでは満足に戦うこともできないのもゆるぎない事実だった

 仙人の戦士の言葉に、夫を失ったばかりの桃花美仙の脳裏によぎったのは、このままここで戦い続けては、何かのはずみで夫だけではなく愛する人の忘れ形見である子供まで失うかもしれないという恐怖だった


「……分かりました。すぐに戻りますからお願いします」

 仙人たちの言葉に後押しされた桃花美仙あ、腕の中の幼い桃太郎を失う恐怖からその言葉に甘えて、光と共に霊樹に作られた自身の居城――鬼灯城の最上階へ飛翔する

「……本当に、愚かなわたくし」

 光の隆盛となって鬼灯城の天守閣へと飛び去った桃花美仙には、自分を見送りながら憐れみの言葉と共に独白したもう一人の桃花美仙の声が届くことはなかった



◆◆◆



 光の流星と化し、瞬き一度ほどのごく短時間で鬼灯城の最上階へお移動した桃花美仙は、不意に背後で起きた桜色の力の本流による爆発――もう一人の自分の力によって引き起こされたそれを感じ取って目を瞠る

「っ……!」

 鬼灯城から見下ろす事が出来る桃源郷は炎に包まれ、この世の楽園であるはずのこの地は、今や阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた

(まさか……)

 そしてその光景を瞳に焼き付けた桃花美仙は言葉を失うと同時に、己の愚かさに気づいてこんな簡単なことを見落としていた自分に公開と自責の念を向ける

「また、わたくしは……」

 自分が戦線から離脱して、あの場に残された者達に天羅(てら)を含めた鬼達や、自分と同等の力を持つもう一人の桃花美仙を止める手段などあるはずが無い

 あれはあの場から自分と腕の中のこの子を逃がすための彼らの優しい嘘。しかし自分はそんな事にすら気づく事ができなかったのだ


 自身の判断の甘さが愛する人を殺してしまったというのに、自分の腕の中にいる小さな愛しい息子を守りたいあまりに、そんなことにさえ気付けなかった自分に、桃花美仙は内心で絶望していた

 この地と霊樹を守らなければならないはずの自分が、守るべきものをすべて傷つけているという状況を前に、桃花美仙は腕の中にいる愛しい息子を見てその美貌に強い決意を宿す


「このままではこの桃源郷が世界に害をなす者たちの巣窟と化してしまう……それだけは何としても阻止しなくてはなりません」

(そのためには……)

 戦う決意を固めた桃花美仙は、この地を統べる者として、もう一人の自分と鬼たちを止める事が出来る決意と同時に、とある一つの悲壮な決意を固める

「桃花美仙様。鬼達が突如桃源郷を……っ、そのお怪我は!?」

 これだけの騒動になれば、あの場にいなかった者たちも異変に気付かないはずはない。それを察知し、慌ててこの島の統治者で桃花美仙の下へやってきた城に使える女性の仙人族は、霊樹の巫女の体を赤く染め上げている鮮血を見て言葉を失う

「かすり傷です。大したことではありません。それよりもお願いがあります」

「はっ」

 女性仙人に応じた桃花美仙は、そう言うと自身の腕に抱いた小さく幼い、愛しい息子に視線を向け、悲しげに微笑みかける

「ごめんなさい……」

 腕に抱きしめた桃太郎を一度だけ優しく抱きしめた桃花美仙は、その手に「霊刀・黍団子」を召喚し、子供にそっと添える

「この子を連れてこの地を離れてください」

「なっ!? 何を仰っているのですか!?」

 静かだが、決して冗談で言っているとは思えない真剣な眼差しを受けた女性仙人は、幼い桃太郎を黍団子を自分に差し出す桃花美仙を見て、困惑と混乱の声を上げる

「敵はあまりにも強大です。その子がいてはわたくしは十分に戦えません。そしてもしわたくしの身に何かあれば、その子に……あの方と私の力を持つその子に最後の希望を託します」

「桃花美仙様……」

 女性仙人に桃太郎を差し出した桃花美仙は、有無を言わさぬ強い眼差しで言葉を紡ぐ


 もう一人の自分とは、おそらく命がけの戦いになるだろう。力が全く同じであるのならば、その勝率は単純に五分。向こうに天羅(てら)達鬼がいることを考えれば、勝算はもっと低くなる。

 だが、自分はこの桃源郷の主にして霊樹「桃楼樹」の巫女。命をかけてでも、もう一人の自分の暴挙を止める義務と責任がある


「お願いします。その子までここで失っては何にもならないのです。その子は希望です。世界にとって、わたくしにとって……」

 神妙な面持ちで呟いた桃花美仙は、不安な表情を浮かべている女性仙人を見て、その憂いを取り払うように優しく微笑む

「大丈夫です。この戦いに勝ったらすぐに呼び戻します」

 最悪の可能性を危惧し、万が一の時のために自身の子供にこの世界を託してこの場から逃がすという決断を下した桃花美仙の言葉に宿る強い決意と、この地に起きている以上の重大さを痛感した女性仙人は、その場で恭しく傅く

「……かしこまりました。もしもの時は、私が責任を持ってこの子をあなたとあの方に恥じない子供に育てて見せます」

「お願いします」

 そのこと叔母に微笑をうかべた桃花美仙は、女性仙人に幼い桃太郎と黍団子を手渡すと、愛しい息子の額に桜色の力を優しく注ぎ込む

「これで、しばらくの間この子は眠り続けるでしょう」

 幼い桃太郎が目覚めないように優しくまどろみの中に包み込んだ桃花美仙は、女性仙人の腕の中で安らかな寝息を立てている息子を記憶に焼き付けるように母性に満ちた視線で見つめ、優しく撫でる

「では、行ってください」

「はい」

 桃花美仙の言葉を受けた女性仙人は、その背に光の翼を宿して中空に舞い上がり、愛しい息子との別れを惜しんで寂しげな表情を浮かべる桃花美仙に視線を向ける

「御武運を」



 桃太郎と吉備津を抱いて天の彼方へと消え去った仙人の女性を見送った桃花美仙は、静かに目を伏せて心の中に刻まれている愛しい息子に優しく語りかける

「きっとまた会えますよね……」

「ええ。ただし、わたくしではなくわたくしが、ですが」

 まるで自分を奮い立たせるように紡がれた桃花美仙は、誰もいなくなった室内でもう一人の自分を背中で出迎える

「あの子を逃がしたのですか……」

 桃花美仙の腕の中に桃太郎がいないことを見て取ったもう一人の桃花美仙は、目の前にいる自分が何をしたのかを瞬時に理解して穏やかな声で問いかける

「鬼達の包囲網を潜り抜けられると思っているのですか?」

「ええ。何といってもあの子はわたくしとあの方の子供ですから。霊樹の加護があるんですよ」

 もう一人の桃花美仙の言葉に、憂いを払った穏やかな表情で応じた桃花美仙は、自分と全く同じ姿をしているその人物に向かい合う

「あなたは、ここでわたくしが止めます」

 まるで鏡を見ているような錯覚を覚える自分自身を前にそう言葉を紡いだ二人の桃花美仙の身体から、同時に桜色の光が吹き上がる

「言ったはずですよ? あなたにはわたくしを倒せない、と」

 強い決意を宿す桃花美仙と、普段と変わらない聖母のような慈愛に満ちた優しい微笑みを浮かべるもう一人の桃花美仙。――互いの信念をもって対峙する二人の巫女の力がぶつかり合い、その力によって世界が桃桜色へと塗り替えられた





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