8・夢の途中
秋津をブッ飛ばしてから、1週間が過ぎ――。
☆
あたしは、再びアイドル・ヴァルキリーズ事務所の、3階の研究室を訪れた。
ノックしても返事が無かったけど、人の気配はあった。あたしはゆっくりとドアを開けた。
「――おじゃましまーす」
警戒しながら中を覗く。前回訪れた時は、ドアを開けた瞬間部屋が爆発したけど、今回は大丈夫なようだ。
瑞姫さんは、部屋の奥でパソコンに向かっていた。キーボードの上をものすごい速さで指が踊っている。よく知らないけど、タイピングの大会があったら結構な成績を収めそうなスピードだ。
あたしはしばらく、作業をする瑞姫さんの背中を見つめていた。
「――何?」
パソコンのモニターを見つめたまま、不機嫌そうな口調で言う瑞姫さん。
「あ、お邪魔してます」ぺこり、と頭を下げる。
「挨拶はいいから、何しに来たの? 用が無いなら、帰ってくれる? 見ての通り、今忙しいの」
「えっと、1週間前の、セクハラ問題のその後の経過報告に来たんですけど」
「……別に興味ないけど、まあ、報告だけは受けておくわ」
口ではそう言ったものの、手は止まらない。目もモニターに向けられたままだ。
「忙しいなら、手が空くまで待ってますけど」遠慮がちに言ってみる。
「バカにしてるの? プログラムを組みながらでも、報告くらい聞けるわよ。さっさと話しなさい」
相変わらずの態度だな。まあ、もう慣れたけどね。
あたしは、あの後のことをゆっくりと話した。
瑞姫さんによって、暴力団との黒い交際の証拠をバラ撒かれた秋津は、翌日のお昼前に記者会見を開き、芸能界からの引退を発表した。その理由として、「嘉十組組長とは決して深い関係ではなかったが、食事をしたり連絡をしたのは事実であり、芸能界のモラルに反した行為だった。そのけじめをつけるため引退する」としている。その言い分が「これが男の美学だ」的な雰囲気を出そうとしているようでなんか気に入らないけど、それを言ってる秋津の顔を見ていると、笑って許せてしまう。あの日のあたしの怒りの蹴りコンボは思いのほか強烈だったようで、秋津さんは顔中包帯ぐるぐる巻き。まるで、某一族のスケキヨのような姿だった。そのケガに関して、秋津は一貫してノーコメントを貫き通した。まあ、女の子に蹴り飛ばされてKOされた、なんて、大物俳優としてのプライドが許さなかったのだろう。それに、先に手を出したのは秋津だから、瑞姫さんがその気になれば傷害罪で逮捕されかねないのだ。
秋津の引退により、ドラマ『オヤジ刑事』はお蔵入りになってしまった。せっかく掴んだ大きなチャンスだっただけに残念ではあるけど、主演の1人が不祥事で引退となったら、それも仕方ないだろう。それに、このドラマの監督も脚本家も、秋津に言われるがままに脚本を書き換え、あろうことか視聴者をバカにする発言もしていた。あたしは新人女優だからあまり偉そうなことを言える立場ではないけれど、正直、一緒にお仕事をしたくなかったので、まあ、良しとしよう。
それに。
お蔵入りとなった『オヤジ刑事』の穴埋めの番組として、急遽、夢に向けて頑張る人の姿を追ったドキュメンタリー番組が制作されることになったんだけど、その第1回目の放送に、なんと、あたしが選ばれたのだ。突然の決定だったから撮影時間は3日間と短く、あたしが所属している劇団での稽古風景や、お仕事が終わってアルバイトをする様子くらいしか撮影できなかったけど、女優に対する憧れや夢へ踏み出す勇気なんかを大いに語り、すごく楽しい撮影だった。放送が楽しみだ。もしかしたら、放送を見たハリウッドの映画監督があたしを気に入り、最新作にお声がかかるなんてこともあるかもしれない。
「――そう。良かったわね」
興味無さそうな口調で言う瑞姫さん。相変わらず冷たいな。「そうなるといいわね」と言って優しく微笑んだり、「そんなわけないでしょ」とツッコミを入れてくれてもいいじゃないか。
――でも。
良い人か悪い人か分からないし、すごく謎の多い人だけど。
この人がいなければ、きっとあたしは、夢を諦めていただろう。秋津によって、道が閉ざされていたことだろう。
あたしは今度、ドラマのオーディションを受けることになっている。決して大きなドラマではないし、他にそのオーディションを受ける人の中には、何年も芸能界で活躍している女優やタレントも多い。
それでもあたしは、挑み続ける。女優になることが、あたしの夢だから。
夢への道のりはまだまだ遠い。これからもっと、辛いことがあるかもしれない。
でもきっと、それ以上に、嬉しいこともあるのだろう。
あたしがまだ、笑顔で夢へ向かって走ることができるのは、この人のおかげだ。
「瑞姫さん――本当に、ありがとうございました」
あたしは、深く、深く、頭を下げた。
「――お礼なんていいわよ。あんなもの、10分もあれば作れるんだから。たいした手間じゃないわ」
「そうなんですか。さすが瑞姫さんですね」
……と、なんとなく相槌を打ったけど。
…………。
……はい? 作る? 作るって、何を?
「――どうかした?」モニターを見つめたまま言う瑞姫さん。
「あ、いえ。作る、って、どういうことですか? 何を作るんですか?」
「秋津と嘉十組組長の写真に決まってるでしょうが。ここで筋肉ムキムキのゾンビを作る話をするわけないでしょ」
…………。
……え?
「だから、どうかしたの?」
「いえ……ひょっとしてあの写真、合成だったんですか?」
「当たり前じゃないの」さらっと言う瑞姫さん。
「……でも、パソコンのデータを復元したって、言いませんでしたっけ? 完全に削除したデータでも、復元できるって」
「まあ、できなくはないけど、時間はかかるわね。さすがに1日じゃ無理よ。そんな面倒なことをするより、作った方が早いじゃない。ネットを検索すれば、秋津の写真も組長の写真も、簡単に手に入るんだし」
「じゃあ、ホントに合成写真だったんですか?」
「そうよ」
「それって、マズくないですか? 証拠を偽装したってことですよね?」
「別に裁判するわけじゃないんだし、問題ないわ」
「でも、向こうが名誉棄損で訴えたら、ヤバいんじゃないですか?」
「秋津は組長との交際を認めたんだし、今さら訴えたりしないわよ。仮に訴えられたとしても、あたしが作った合成写真よ? バレるわけないでしょ」
瑞姫さんは自信満々に、そして、悪びれた風も無く、相変わらずモニターを見つめたまま言った。
いいのかな、そんなことして。瑞姫さんは自信満々だけど、なんだか不安になってきた。
「……じゃあ、ICレコーダーの音声も、合成だったんですか?」あたしは恐る恐る訊いた。
「いえ、アレは合成じゃないわ。合成音声の技術はかなり発達してきてるけど、まだまだ自然な声にはならないわね。どうしても機械っぽさが残ってしまう。だから、アレは秋津の携帯電話に盗聴器を仕掛けて録音した、正真正銘、本物の音声データよ」
「そうですか。なら、良かった」
…………。
……はい? 盗聴器、だと?
「だから、どうしたのよ?」
「いえ……盗聴器で録音したんですか? 壊れた携帯電話からデータを復元したんじゃなくて?」
「そうよ? 壊れた携帯電話からデータを復元するのも、できなくはないけど、めんどくさいじゃない」相変わらず、悪びれた風も無く言う瑞姫さん。
……秋津の携帯電話に盗聴器を仕掛けた? いつの間にそんなことを。考える。ニューススタジオに乗り込んで、秋津が弁護士に連絡した時だろうか? あの時、瑞姫さんは秋津から携帯電話を取り上げて、勝手に話をしてたっけ。
「でも、盗聴とか、違法な手段で得た証拠は、裁判では無効になるんじゃないんですか? だったら、やっぱりマズくないですか?」
「それは刑事事件の捜査での話よ。民事では関係ないわ」
「でも、違法行為ですよね?」
「バレやしないわよ。時間さえかければ、壊れた携帯電話からデータを復元することはできるんだから。手間を省いただけ。あたし、時間は無駄にしない主義なの」
ダメだこの人は。まったく悪いことをしたと思っていない。
……でもまあ。
秋津に対してなら、別にいいか。あんなクズ男に同情することなど無いだろう。
「報告は終わり?」瑞姫さんが言った。
「え? あ、はい。まあ、そんなところです」
「そう。ご苦労様。じゃあ、帰っていいわよ」相変わらずモニターを見つめ、キーボードを叩きながら言う。
「はい。どうも、お邪魔しました」ぺこり、と頭を下げる。
「まあ、また何かあったら、連絡してきなさい。忙しいから出ないと思うけど」
「え? いいんですか? もう2度と連絡しないで、って、言ってたのに」
「そうね。あなたみたいに頭の悪い人はキライだけど、武術が強い人は、キライじゃないわ。イロイロと利用価値があるから」
……何だよ、利用価値って。あたしをどうするつもりだ。おかしな薬品を注射して、あたしを筋肉の化物に改造したりしないだろうな。
……なんて。
――――。
あたしは、もう1度。
瑞姫さんに、頭を下げた。
本当に。
この人がいてくれて、良かった。
決して、良い人とは言えないかもしれないけど。
でも、この人のおかげで、あたしはまだ、夢を追いかけることができるのだから。
どんなに感謝の言葉を並べても、足りない。
だからあたしは、無言で頭を下げ続けた。
――と。
それまでせわしなくキーボードの上を走っていた指が、ピタリと止まった。
うん? どうしたんだろう? 顔を上げると。
突然、瑞姫さんの指が、それまでの3倍くらいのスピードでキーボードの上を走った。
そして。
「――伏せて!!」
叫び、瑞姫さんは床に伏せた。
何!? と思う前に、防衛本能が身体を動かした。あたしも床に伏せる。
次の瞬間――。
ちゅどーん。
研究室は、強烈な爆音と閃光に包まれた。
……何が起こったんだ? 顔を上げる。部屋中煙だらけで、何も見えない。
「――瑞姫さん。大丈夫ですか?」瑞姫さんが伏せたと思われる辺りに声をかける。
「平気よ」姿は見えないが声が聞こえた。「――ナルホド。あの兵器は、この手のプログラムを書き加えると、爆発するのね」
何の兵器にどんなプログラムを施したのだろう? 聞いても分からないだろうけど。
と、1階からドタドタと怒りのこもった足音が響いて来て。
「――みいいぃぃずううぅぅきいいぃぃ!!」
怒りを含んだ声で、アイドル・ヴァルキリーズキャプテン・橘由香里が怒鳴り込んできた。
「あんた! 研究室を壊すなって、こないだ言ったばかりでしょうが!! 何度言えば分かるの!!」
少しずつ煙が晴れ、室内の様子が明らかになってくる。前回の爆発は轟音だけで建物に被害は無かったけど、今度の爆発では、部屋中のガラスが割れ、壁にヒビまでは行っていた。こりゃ、ヤバイな。
「科学の進歩に犠牲は付きものよ」瑞姫さん、やっぱり反省の色は無い。「それに、兵器の規模を考えたら、このくらいの被害で済んでよかったじゃない。本当なら、半径10キロ以内の全ての生物が死滅していたところよ。これも全部、爆発の3秒前に、あたしがプログラムを書き換えたおかげ。感謝してほしいくらいだわ」
……だから、この人は一体何を言ってるんだ。
「そもそもあんたがおかしな研究をしなければ爆発しなかったのよ!! 今日と言う今日は許さないわ!! 今後一切、研究室の使用は禁止!! いいわね!?」
「まあ、明日からNASSAへ応援に行く予定だから、別にかまわないけど」
その、瑞姫さんの言葉に。
どっかーん。今度は由香里の頭が爆発した。
……あたしが在籍していたころのヴァルキリーズも、問題児だらけで大変だったけど、今はその比じゃないな。キャプテンも大変だ。
――――。
あたしは、両手を振り上げて怒る由香里と、全く反省する気配のない瑞姫さんのほのぼのしたやり取りを見ながら。
もう1度、心の中、で瑞姫さんにお礼を言った。
(アイドル・ヴァルキリーズ法律相談所~少女たちは、セクハラオヤジの徘徊する芸能界で戦い続ける~ 終わり)