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6・絶望の扉

 秋津さんと和解し、撮影スタジオに戻ってきたあたしたち。どうやら脚本に大きな変更があったようで、スタッフさんが新しいものを配っていた。受け取り、中を確認する。撮影中に脚本が変更になるのは、この世界ではよくあることなのかな? せっかく覚えたセリフが大きく変わってたら大変だ。早いとこ覚え直さないといけない。ぱらぱらと脚本をめくる。


 …………。


 ……あれ?


 あたしの役名が無いぞ?


 中盤まで目を通したけれど、あたしの役・望月夕子の名前が、全く無い。


 代わりに、松田千夏、という、初めて見る役名。


 しかし、その千夏という役のセリフには覚えがあった。それもそのはず、そのセリフはすべて、昨日まであたしが必死に覚えたセリフだった。


 つまり、望月夕子のセリフだ。


 ……どういうことだ? 脚本家さんが、役名を間違えたのかな? もう。自分の作品なのに、しっかりしてよ。


 あたしは、脚本家さんに声をかけた。「あの、スミマセン。新しい脚本、望月夕子が、違う名前になってますよ?」


 脚本家さんはチラリと脚本を見ると。「いや、間違いじゃない。望月夕子のセリフは、全部、松田千夏に変更になったんだ」


 ――え?


 望月夕子のセリフは、全部、松田千夏に変更になった?


 それって、どういう……。


「秦野君には、悪いんだけどね」と、脚本家さんは続ける。「望月夕子は、今回の話の冒頭で、殉職することにしたんだよ」


 ――殉職?


 殉職って、警察官や消防士が、職務中に死亡することだよな?


 え? あたしの役が死ぬ? そんな話、聞いてないけど……。


 あたしは、脚本の最初のページを開いた。


 そこには、朝、警察署で夕子が同僚とお喋りしているところを、謎の組織が襲撃。銃弾を浴び、死亡する、というシーンが追加されていた。


 脚本家さんは、すまなさそうな口調で言う。「いろいろ考えたんだけどね。このままじゃあまり視聴率を稼げそうにないから、ちょっと、派手な展開を入れることにしたんだよ」


 派手な展開? 何を言ってるんだ? 全然理解できない。あたしは、助けを求めるように、監督さんを見た。


 監督さんは、ふう、と、大きく息を吐くと。「彼の言う通りだよ。僕も、最初から話の展開が弱いな、と、思ってたんだ。だから、秦野君には申し訳ないんだけど、君の出演は、今日でおしまいだ」



 ――――。


 何、言ってるの……?


 あたしの出演が、今日でおしまい?


 そんな……そんなのって……。


「松田千夏役の娘は、秋津さんの紹介で、もう決まっててね。もうすぐ到着するみたいだから、撮影開始まで、もうちょっと待ってね」


「そ……そんなのって……おかしくないですか……」


 あたしは、ようやくそれだけ言うことができた。


「うん? おかしいって、何がだい?」


「……だって……まだ、第3話ですよ……? それまでメインだった役の人がいきなり死んだら……見てる人は戸惑うんじゃないですか……?」


「そうだね。でも、それが狙いさ」監督さんは、当然のことのように言う。「ほら、海外ドラマとかでよくあるだろう? 重要そうなポジションのキャラクターを、いきなり殺す。ああいうのがウケるんだよ。それに、若い刑事の殉職シーンは、昔から視聴率が取れるからね」


「でも……冒頭以外のシーンは、変更ないですよね……そんなの、やっぱりおかしいですよ……警察署が襲われて、仲間が殺されたのに、何も無かったかのように別の事件の捜査をするなんて……絶対に、おかしいです……」


「大丈夫だよ。最近の視聴者はバカだから、そのくらいのことなら、気が付かないよ」


 ……バカ? ドラマを見てくれている人を、バカって言ったの……?


 信じられない。


 それが、ドラマを作る人間の言葉なの?


「ま、そういうことだね」脚本家さんも言う。「これは、僕と、監督と、秋津さんで話し合って決めたことなんだ」


 ……秋津さん……秋津さんが!?


 秋津さんを見る。


 秋津さんは新しい脚本にパラパラと目を通しながら、満足そうに笑っていた。


「……秋津さんの指示ですか……?」震える声で言う。


「え? なんだって?」とぼけたような表情の秋津さん。


「秋津さんが、望月夕子を殺すように指示したんですか!?」


「指示したとは大げさだなぁ。脚本が弱くて視聴率が取れそうにない、と、相談されたから、アイデアを出しただけだよ。それが採用されただけさ」


 やっぱり、この人が……。


 この人が、望月夕子を殺した。


 このドラマの監督も脚本家もまだ若い。秋津さんほどのベテラン俳優の言うことには逆らえないのだ。


 でも、何故……。


 ドラマをより良いものにするため、脚本を変更する、それは分かる。本当に良いものを作るなら、当然のことだ。しかし、今日のこの変更は、どう考えてもおかしい。警察署が謎の組織に襲われて殉職? 『オヤジ刑事』は、中年刑事と若い女性刑事という噛み合いそうにない2人が、事件の捜査を通して次第に打ち解けていくという、人間ドラマを重視した作品だ。アクションや謎解きがメインの作品ではない。殉職シーンを入れるにしても、もっと感動的なものにしなければ、ドラマの作風に合わない。こんなのが、視聴者に受けるとは思えない。なのに、どうしてこんな変更を……。


 考えられることは1つだ。


「――あたしが、セクハラで訴えようとしたからですか?」まっすぐに秋津さんを見つめ、言った。


「あん? なんだって?」とぼけたような口調。


「あたしが、秋津さんのセクハラ行為を訴えようとしたから、その腹いせに、こんなことをしたのかって言ってるんです!」


「人聞きの悪いことを言わないでくれよ」笑う秋津さん。「そんなこと、僕はしてないよ。君は新人だから知らないだろうけど、撮影現場で突然脚本が変わることは、よくあることだよ。配役が変わることもね」


 と、秋津さんがスタジオ入口の方を見て手を挙げた。


 あたしもそちらを見る。


「おはようございまぁす! 今日から松田千夏役をやらせてもらう、竹田マリナでーす。よろしくおねがいしまーす」


 胸元が大きく開いた黒のスーツに下着が見えそうなほどの短いスカート、派手な化粧とデコネイルをした女の人が、舌足らずなしゃべり方であいさつしながら入ってきた。


「いやあ、マリナ君。突然呼び出して、悪かったね」秋津さんが笑顔で迎える。


「あー。あきつさーん。マリナを呼んでくれて、ありがとー」マリナと呼ばれた人は、秋津さんに駆け寄る。


「……今日もセクシーだね」


 秋津さんは鼻の下を伸ばしながら、マリナと呼ばれた娘のおしりを触った。


「いやーん、あきつさんのエッチー」マリナは、嬉しそうに身体をよじる。


 ……あの娘が……刑事役……?


 どう見てもキャバ嬢かヤンギャルだ。刑事役に合ってるとは思えない。


「まあ、そういうわけだ」秋津さんがあたしを見た。「これからは、このマリナ君とドラマをやるから。秦野君は、今日でおしまいだ、機会があった、また一緒にやろう。お疲れさん」


 秋津さんは、マリナの肩を抱き、嬉しそうに言った。


 あの娘と、ドラマをやる……?


 つまり……あたしは、クビってこと……?


 そんなの……そんなの! おかしい!!


「何? 何か、問題あるかね?」とぼけたような口調の秋津さん。


「こんなの、絶対おかしいです! あたしがセクハラ行為を訴えようとしたから、その腹いせに脚本を変えて、あたしをクビにするなんて、こんなことが、許されるはずがない!!」


「だから、人聞きの悪いことを言うのはやめたまえ。僕は、セクハラなんてしてないし、その腹いせに君をクビにするなんて、被害妄想もいいところだよ」


 ダメだ。話にならない。監督も脚本家も言いなりだし、あたしなんかが何を言ってもムダだろう。


「ちょっと待っててください。瑞姫さんに……弁護士に、相談しますから!」


 スマホを取り出し、瑞姫さんにかけようとする。


 しかし。


「無駄だぞ」


 ぴしゃり、と、秋津さんが言った。


 無駄? 何で? 秋津さんを見る。


 秋津さんは、それまでと喋り方をガラリと変え、ヤクザみたいな口調で言う。「お前、さっき楽屋で、セクハラ行為は無いって認めたじゃねぇか」


「そんな!? あたしはそんなこと、認めてません!!」


「でも、書類にサインしただろ。なぁ? 木村」木村弁護士を見る。


 木村弁護士は、内ポケットからさっきの書類を出した。「はい。確かにサインを頂きました。セクハラ行為は無かったが、誤解を招く行為があり、そのお詫びとして、100万円を受け取る、と。秦野さんのサインはここに」


「ち……ちがう! あたしはそんなつもりじゃ……!!」


「何が違うって?」ギロリ、と睨む秋津さん。「ちゃんとサインしてあるじゃねぇか。こっちは何もしてねぇのに100万円払ったんだぞ? それなのに、いまさら蒸し返そうってのか? ふざけるなよ」


「そんな!? あたしは、お金なんて受け取ってません!! ちゃんと返しました!!」


「受け取った後、金をどうしたかは知らねぇよ。とにかく、お前はセクハラがないことを認めて、金を受け取ったんだ」


 そんな……あたしは……あたしはそんなつもりでサインしたんじゃない。あたしはただ、書類にサインをすれば、秋津さんはもうセクハラ行為をしないと約束してくれたから……。


 だが、そう言っても、秋津さんも木村弁護士も取り合ってはくれない。


「――ちょっと待っててください! とにかく、瑞姫さんに連絡しますから!」


 あたしは秋津さんに背を向け、瑞姫さんに電話を掛けた。


 ……1回……2回……コール音が鳴る。


 チラリと後ろを見ると、秋津さんは、ニヤニヤしながらあたしを見ていた。


 ……6回……7回……コール音は鳴り続けるが、瑞姫さんは出ない。


「お前の弁護士、今日は忙しいって言ってたから、出ないんじゃないのか?」バカにしたように笑う。


 ……14回……15回……。


 お願い! 瑞姫さん! 電話に出て!! じゃないと、あたし――。


 ……22回……23……。


 そして、24回目で。


《――何? 今日は忙しいから連絡しないでって、言ったわよね?》


 不機嫌そうな声で、瑞姫さんは出てくれた。


「瑞姫さん! 助けてください!! あたし、このままじゃ、このドラマを降ろされちゃいます!!」


 瑞姫さんの言葉を遮るように、あたしは叫んだ。


《――詳しく説明しなさい》


 あたしは、大きく深呼吸して、今日のことを最初から説明した。楽屋で、秋津さんたちと和解の話をしたこと。秋津さんはセクハラ行為は認めなかったものの、誤解を招く行為があったことは認め、謝罪し、慰謝料として100万円を支払う準備をしていたこと。あたしは慰謝料の受け取りは拒否したけど、受け取らないと書類を書き直さないといけないので、やむなく受け取り、書類にサインし、その後、お金は返還したこと。急にドラマの脚本が変わり、あたしがドラマから降ろされそうなこと。


《――なるほど。そういう手で来たのね。どこの三流弁護士か知らないけど、なかなかやるじゃない》瑞姫さんは、つまらなそうな口調で言った。


「瑞姫さん、お願いです。今すぐこっちに来てください。あたし、このドラマ、辞めたくない……」


 そうだ。あたしは、このドラマを辞めたくない。続けたい。


 たとえ深夜放送のドラマでも。たとえ視聴率が期待されてないドラマでも。


 やっとつかんだチャンスなのだ。


 アイドル・ヴァルキリーズを卒業し、3年間、必死で努力して、ようやくつかんだチャンスなんだ。


 こんなことで失いたくはない。


 あたしの言葉は、秋津さんには決して届かないだろう。頼れるのは瑞姫さんしかいない。


 しかし――。


《――ムリね。どうにもならないわ》


 冷たい言葉。


「そんな……そんな言い方……」


《だって、あなたは書類にサインして、100万円を受け取ったんでしょ?》


「確かにサインはしましたけど、でも――」


《セクハラ行為は無かった、って、あなた自身が認めたのよ。お金だって受け取ったんだし、もう、訴えることはできないわ》


「そんな!? あたしはお金は返しました! それに、書類にサインをしたのは、もう2度とセクハラをしないって約束してくれたからで――」


《相手がその約束を破って、またセクハラ行為をしてきたのならともかく、今の状態じゃ、どうにもならないわね》


「でも! こんなのどう考えたっておかしいでしょ!? 腹いせにドラマから降ろすなんて、ヒドすぎます!! そうだ! これ、パワハラってやつですよね!? それで訴えましょう!」


《パワハラだという証拠は?》


「それは……セクハラで訴えようとして、その後突然脚本が変わって出演を降ろされたら、誰だってパワハラだと思うじゃないですか!」


《あなたがそう思うのと、裁判所がどう判断するかは別よ。セクハラで訴えようとしたことと、脚本が変わったことの因果関係を証明しなければ、例え訴えても、勝つのはまずムリね。ドラマの撮影現場で突然脚本が変わるなんて、よくあることよ。あたしも、以前出演した推理ドラマの脚本があまりにも非論理的だったから、その場で書き直させてやったわ》


「そんな……だったら、あたしはどうしたらいいんですか……?」


《だから、どうにもならないって言ってるでしょ。同じことを何度も言わせないで》


「そんな冷たいこと、言わないでください……あたし、瑞姫さんしか頼れる人がいないんです。あたしは、女優になりたくて、ヴァルキリーズを卒業したんです。卒業してからの3年間、いろいろなオーディションを受けて来たけど、全然ダメだった。ようやくつかんだチャンスなんです! 大事な大事な、夢への第1歩なんです!! こんな形で失うなんて、全然納得できない!!」


《知らないわよ、そんなこと》瑞姫さんの口調が、苛立ちを含み始める。《あたし、昨日言ったわよね? 交渉はあたしがするから、絶対に1人で相手側と話すな、って。 それを守らず、自分で勝手に行動して、その結果ドラマをクビにされて、それでどうしてあたしが助けないといけないの? 自分がやったことでしょうが。自分でなんとかしなさい》


 ……そんな。


 これは、あたしが悪いというの?


 確かに、あたしは瑞姫さんに言われたことを守らず、1人で秋津さんと話をした。


 秋津さんが「もう2度とセクハラ行為はしない」と言ったので、あたしはそれを信じ、書類にサインをしたのだ。


 お金なんていらないけど、受け取ってもらわないと手間がかかるというから、形だけ受け取り、その後返したのだ。


 全て、相手の言うことを信用してのことだ。


 その信用を、裏切られた。


 信用したあたしが悪かったということなの?


 立場の弱い相手を選んでセクハラ行為を繰り返し、反抗すれば、権力を振りかざして排除する人よりも。


 その人の言うことを信じて、騙されたあたしの方が、悪いというの?


《――あなたが悪いとは言わないわ》瑞姫さんが言う。《でも、あなたはあたしの忠告を無視し、自分勝手に行動した。最初に言ったはずよ。あたし、頭の悪い人と、その頭の悪い人の相手をして貴重な時間をムダすることが嫌いなの。言ったことも守れないような人を相手にするほど、あたしはヒマじゃないの。もう2度と連絡してこないで》


 プツリ、と、電話は切れ。


 どんなに呼びかけても、もう、瑞姫さんは応えてくれなかった。


 背後で、フン、と、鼻を鳴らす音。


 振り返ると、秋津さんが、勝ち誇った顔で笑っていた。


「よし、じゃあ、そろそろ撮影を始めるか。マリナちゃん、その格好もいいけど、一応、刑事ドラマだから、早く着替えておいで、なんなら、僕が手伝ってあげようか?」


「もう。あきつさんったら、ホントにエッチなんだからぁ」


 マリナは嬉しそうに言うと、腰をくねらせ、スタジオを出て行った。


 本当に、この脚本でやるの?


 監督を見る。


 監督は、苦笑いで応えるだけだった。


 脚本家を見る。


 こちらを見ようともしない。


 こんな勝手なことが、許されるはずがない。間違っている。そう思っている人はいるはずだ。そうだ。昨日、瑞姫さんと一緒にこのスタジオ訪ねた時、秋津さんに対する不満を言ってくれた人がいた。きっと味方になってくれるはずだ。助けを求めるように、他のスタッフ、共演者の人を見る。


 しかし。


 みんな、あたしと目が合うと、気まずそうに目を逸らし、忙しそうにドラマの準備を進めるだけだった。


 それで悟る。


 みんな、秋津さんには逆らえないのだ。


 秋津さんに逆らうと、仕事を失うから。


 あたしの味方をすると、あたしのように、仕事を失うから。


 あたしは1人、その場に呆然と立ち尽くしていた。




 ドラマの撮影が始まった。


 あたしの出演は、一番最初のシーンのはずなのに、なぜか後回しにされた。


 新しく配役されたマリナという娘の演技は、新人のあたしから見てもヒドイものだった。セリフは全く感情がこもっておらず棒読み。そもそもセリフを覚えてないのでADがカンペを出しているのだが、それをガン見するというありさま。しかし、昨日まであたしの演技には厳しかった監督が、その娘に対しては優しく、ほとんどのシーンが一発OK。


 そして。


 撮影の合間はもちろん、撮影中でも、秋津さんはその娘の身体に触れるなどの行為を繰り返しているが、その度にマリナは嬉しそうに身体をくねらせ、秋津さんは満足そうに笑った。


 その後、あたしは8時間近く待機させられ、ようやく始まった望月夕子殉職シーンの撮影は、わずか10分ほどで終わった。




「――それでは、秦野香織さんの出演は、本日で終了となります。お疲れ様でした」


 ADの浦木さんが小さな声で言う。スタジオ内の数人が、つぶやくように「お疲れ様でした」と言い、ぱらぱらと拍手が鳴り、それで、あたしの撮影は終了となった。


 ……これで……終わり……?


 3年間努力し続け、ようやくつかんだ大きなチャンスが、これで終わり?


 辺りを見回す。監督さんと脚本家さんは、次のシーンの撮影について話し合っていた。ADの浦木さんをはじめとしたスタッフは、次の撮影の準備をしている。共演者は、脚本を読んでセリフの確認をしている。秋津さんは、マリナの肩を抱き、嬉しそうに話をしていた。もう誰も、あたしの方を見ない。誰も、あたしのことを気にしていない。あたしなんて、最初からいなかったような扱い。


 ……何なんのよ、これは……。


「何なのよこれは!!」


 思わず、叫んでしまう。


 みんなの視線が、一瞬だけ、あたしに注がれたけれど。


「あん? まだ何かあるのか?」


 秋津さんがドスの効いた声で言うと、みんな目を逸らし、それぞれの作業に戻った。


 あたしは、秋津さんを睨みつける。「……これが、秋津さんのやり方なんですか?」


「……やり方? 何のことだ?」


「セクハラ行為をして、逆らう人はクビにして、自分のやりたいようにやる……それが、あなたのやり方なんですか!?」


 あたしの叫びに。


 秋津さんは、フン、と、鼻を鳴らした。「俺はそんなことはしていないと言っているだろう。いい加減にしねぇと、名誉棄損で訴えるぞ」


 名誉棄損? あたしが訴えられるって言うの? こんなヒドイ仕打ちをされたのに、あたしの方が訴えられるって言うの? そんな理不尽なこと――。


 秋津さんは、嘲笑うような視線をあたしに向ける。「まあ仮に、お前の言う通りだとして、それの何が悪いんだ? 俺はな、お前が生まれるよりも前から、この業界で活動してきたんだ。最初の頃はな、気に入らねぇ監督やディレクターや役者どもにも、ペコペコ頭を下げ機嫌を取ったもんさ。そうやって、今の地位を築いたんだ。自分のやりたいようにやる? 当たり前だろうが。この番組の監督も、脚本家も、役者どもも、みんな、俺が世話してきたんだ。俺がいるから、コイツらの仕事があるんだ。俺がここで一番偉いんだよ。俺に逆らうなんてことが、許されると思ってるのか? はん、お前も、おとなしく言うこと聞いてりゃ悪い様にはしなかったのによ。女優になりたい? 笑わせるな。男にケツを触られたくらいでごちゃごちゃ言ってるようなガキが、女優になれるとでも思ってんのか? 演技を舐めてんじゃねぇぞ」


 ――演技を舐めてる?


 舐めてるのはどっちだ!!


 言うことを聞かない人をクビにするために不自然に脚本を変更させるあなたに、そんなことを言う資格は無い!


 もちろん。


 そんなことを言ったところで、秋津さんに届くはずも無く。


「ケッ。てめぇみたいな素人が演技を語るとは笑わせる」鼻で笑う。「まあいい。どうせこれっきりだからな。知り合いの監督やディレクターに、お前のことは言っておいたから、他のドラマで頑張ればいい、なんて希望は持たない方がいいぞ。まあ、お前が俺に対する非礼を詫びて、心を入れ替えるって言うんなら、使ってくれそうな監督を紹介してやってもいいがな。ちょうど、知り合いのAV監督が新人を探してたからな。元アイドルが落ちぶれてAV出演。話題になりそうじゃねぇか? どうせアイドル時代は、水着のグラビアで、ガキのオカズになる仕事してたんだろう? あれと似たようなもんだ」


 ――――!!


 あたしは、思わず手を振り上げた。


 しかし。


「おっと、俺をひっぱたくのか? おい、みんなちゃんと見ておけよ。いくら女とは言え、暴力を振るえば立派な傷害罪だからな。まして俺は天下の俳優・秋津剛志、しかも今はドラマ撮影中だ。顔にキズでもついたりしたら、ドラマの撮影に影響が出るからな。慰謝料は1千万2千万じゃきかねぇぞ? それでも良ければ、さあどうぞひっぱたいてくれ」


 あたしは、振り上げた手のひらを。


 ――――。


 力なく、下ろすしかなかった。


「はは。そんな度胸はねぇか。まあ、賢明な判断だな」勝ち誇ったように笑う。「じゃあ、そういうことで、撮影終了、お疲れ様でした」


 秋津さんは両手を広げてそう言った。


 あたしは、秋津さんに背を向け。


 スタジオの出入り口に向かって歩く。


 何も、できなかった。


 セクハラ行為をされ、理不尽にドラマを降ろされ、屈辱的な言葉を浴びせられたのに、ひっぱたくことも許されない。


 あたしに、権力が無いから。


 相手に、権力があるから。


 権力の無い人は、権力のある人の言いなりになるしかないのか。


 それがどんなに理不尽なことでも、黙って耐えるしかないのか。


 権力の無い人は、権力のある人に取り入り、ゴマを擦り、機嫌を取って行かなければいけないのか。


 そうしないと、生き残っていけないのか。


 それが、芸能界なのか。


 目の前に、扉がある。


 ほんの10日前、女優になる夢への大きな1歩として、希望を持って、この扉を開けた。


 今、あの扉を開け、スタジオを出たら。


 それでもう、あたしの夢は終わるだろう。


 あたしはもう、女優にはなれないだろう。


 女優になることを夢見て頑張った3年間も、女優という夢を見つけるために活動したアイドル・ヴァルキリーズでの3年間も。


 全て、ムダに終わるだろう。


 ただ、あたしが弱い人間だったばかりに。


 弱い人間は、芸能界では生き残れないのか。


 だったら、あたしはもう――。


 扉に、手を掛けようとした。




 ――――。




 でも、その前に。


 扉が、開き。


 誰かが、スタジオに入って来た。


 うつむいていたあたしの目に見えたのは、その人物の足だけだったけど。


 それは、見覚えのある、ニーハイブーツだった。


 その人物は、あたしの側を通り過ぎ。


 コツコツとブーツを鳴らしながら、スタジオの奥へと歩いて行った。


 その足音にも、聞き覚えがあった。


 顔を上げ、振り返ると――。




「――秋津剛士さん。お話があります」




 弁護士の資格を持つアイドル・緋山瑞姫さんは、右手に腰を当て、挑発するように顎を上げた――。







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