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4・宣戦布告

 ――と、いうわけで。


 あたしは瑞姫さんとタクシーに乗り、再びJTVにやって来た。関係者用の入口から中に入る。あたしは警備員の人の指示で、来局者名簿に名前や事務所なんかを記入させられたけど、瑞姫さんは素通りだった。さすがは国民的アイドルグループの人気メンバー。顔パスというわけである。


 局内に入った瑞姫さんは、ブーツをコツコツと鳴らしながら、優雅な足取りで、まっすぐニューススタジオの方へ歩いて行った。


 ニューススタジオの前は、何やら物々しい雰囲気だった。大勢の警備員が出入口の前に立ち、行き交う人をチェックしている。あたしたちがドラマを撮影しているスタジオには警備員なんかいない。他のスタジオも同じだ。警備員がスタジオの前にいるなんて、あまりないことだ。何かあったのかな?


 瑞姫さんはそんな雰囲気にも臆することなく、コツコツと足音を響かせ歩いて行った。


 けど。


「――失礼します。入室許可証は、お持ちですか?」


 案の定、警備員に止められた。


「入室許可証? そんなもの、無いわよ」不機嫌そうな口調で応える。


「申し訳ありませんが、それが無いとスタジオ内には入れません」


「今までそんなものの提示を求められたことは無いけど?」


「今日は特別ですので」


 立ちはだかる警備員さん。今日はどう特別なのかは分からないけど、警備員さんもお仕事だから、通してくれないだろう。瑞姫さんは小さく舌打ちすると、スマホを取り出し、誰かに電話し始めた。


 しばらくして、スタジオの中から、若い男の人が出て来た。ADさんのようだ。


「――緋山さん! どうも! お待たせしました!」出て来るなり、ものすごい低姿勢で頭を下げるADさん。「今日は、番組に出演の予定でしたか?」


「いえ、今日は、別の用事で来たの。俳優の秋津剛志さん、今晩出演予定よね? 会いたいんだけど、入っていいかしら?」


「許可証が無い人は、今日はちょっと……」


「面倒ね。一体何があるの?」


「はい。今日は番組内で、人民党総裁と民衆党党首とのテレビ討論会がありまして」


 大物政治家が来るのか。どうりで警備が厳しいわけだ。


「ああ。そう言えば、そんなこと言ってたわね」瑞姫さんは腕を組んだ。「なんとかならないの?」


「緋山さんなら、ディレクターも許可を出すと思うんですが、今は打ち合わせ中で……許可証の発行には、少なくとも30分はかかります」


「仕方ないわね。それで構わないから、なるべく早くしてちょうだい」


「はい! では、少しお待ちください!」


 ADさんは、再びスタジオへ戻った。


 ……なんかスゴイな。ADさん、瑞姫さんにペコペコしまくりだった。まるで、大物タレントのような扱いだ。でも、何故だろう? アイドル・ヴァルキリーズは、今、大人気のアイドルグループとは言え、所詮はデビュー6年目の新人で、その上瑞姫さんはその三期生だ。あそこまで低姿勢になるような身分ではないと思うんだけど?


 あたしの視線に気づき、瑞姫さんが首を傾げる。「――何?」


「あ、いえ。瑞姫さんって、この番組のスタッフと知り合いなんですか?」


「そうよ。この番組には、コメンテーターとして、よく呼ばれるわ」


 ああ、そうか。瑞姫さんはインテリアイドルとして人気で、情報番組や討論番組などに引っ張りだこだ。とは言え、それだけであんな腫物を扱うみたいな対応になるのも、よく分からない話だけど。


「それより――」と、瑞姫さんがあたしを見る。「ドラマの撮影スタジオに案内してちょうだい」


「へ? ドラマのスタジオ、ですか?」


「そうよ。被害者はあなただけじゃないんでしょ? その人たちにも、話を聞いておきたいの」


 ナルホド。確かに、秋津さんのセクハラ被害に遭っているのはあたしだけじゃない。若い女性は大体被害者のはず。役者さんはもうとっくに帰っただろうけど、スタッフさんは明日の準備とかで、まだ残ってるだろうからな。


 と、いうことで、あたしたちは入室許可証が発行されるまでの間、ドラマのスタッフさんに話を聞くことにした。




 ☆




 多くの人が口を堅く閉ざす中、瑞姫さんは、なんとか3人の方から証言を得ることができた。




証言者A(女性)「秋津さんですか? そりゃあ、困ってますよ。いっつも身体を触るし、食事に誘われるし、食事に言ったら今度はホテルに誘われるし……さすがにそれは断りましたけどね。まあ、食事は美味しかったし、いろいろお仕事のお世話もしてくれるんで、あたしはガマンできないことは無いんですけどね。知り合いには、ハッキリ断って秋津さんの機嫌を損ねて、この業界から干された娘もいますし、精神的に追い詰められて、辞めて行った娘もいます。そりゃあセクハラはやめてほしいですけど、仕事を失いたくないですからね」




証言者B(男性)「秋津さんのセクハラですか……オフレコでお願いしますよ? そりゃあみんな、愉快には思ってないはずですよ? でも、この業界では、あの人のお世話になってる人、多いんですよ。なんせ、いろんなところにコネを持ってるから。気に入った芸能人なんかは、自分の陣営に囲い込んで、自分のドラマやバラエティ番組に出演させるんです。秋津ファミリーってやつですよ。なので、あの人を敵に回すと、業界の大部分を敵に回しかねないんです。そうなることが分かっていて、それでもセクハラを注意する人なんて、いないんじゃないですかね?」




証言者C(男性)「秋津さんねぇ。最近は、まだおとなしい方ですよ? 昔は、もっと酷かったんだから。セクハラくらいならカワイイ方だよ。本番中に殴られた娘もいるんだから。あと、バックにヤクザがいるとか、マフィアに資金提供してるとか、そんなウワサが絶えなかったな。何年か前に、そのことを週刊誌に書かれて、裁判になったこともあったなぁ。今はかなりおとなしくなった方だよ。どうも、政界へ進出する予定らしくてね。あまり表沙汰にならない程度のセクハラにとどめてるよ。ヤクザ? さあ? 裁判では勝ったみたいだから、ただのウワサだったと思いたいけど、実際は分かんないよ。さすがにもう手は切ったと思うけど」




 ☆




 話を聞き終えた瑞姫さん。腕を組み、うーんと唸った。「……思った以上に口が堅かったわね。まあ、これだけ証言が取れれば、良しとしましょう」


 その時、ピピピと、ケータイが鳴った。瑞姫さんのスマホだ。ピッ。電話に出る。


「緋山よ……ええ……ええ……分かった。すぐに行くわ」


 ピッ。スマホを切り、あたしを見る瑞姫さん。


「許可証が出たみたい。ニューススタジオへ戻るわよ」


 そのままコツコツと足音を響かせ行ってしまう。忙しい人だな。あたしは慌てて後を追った。


 ニューススタジオの前で、さっきのADさんから入室許可証をもらい、中に入る。


 時間は10時過ぎ。番組は既に始まっていた。男性キャスターと女性キャスターが挨拶をし、コメンテーターの秋津さんと、その隣の女性コメンテーターを紹介する。その後、男性キャスターがニュース原稿を読み始めた。最近都内で暴力団同士の抗争とみられる事件が頻発しており、警察は、関東一帯を取り仕切る暴力団組織・嘉十組が中心となった犯行とみて、近々都内の嘉十組事務所を一斉捜索する予定、とのこと。そう言えば、この前もこの近くのファミレスで暴力団組員っぽい人が襲撃されたとかどうとか言ってた。物騒な世の中になったものだ。


 ちなみに、男性キャスターがそのニュースを読んでいる間。


 秋津さんは、カメラに映らない所で、女性キャスターの手を握ったり、何やら耳打ちしたりしていた。キャスターは笑顔で対応しているものの、嫌がっているのは誰の目にも明らかだった。


 しばらく男性キャスターと女性キャスターが交互にニュース原稿を読み、その後、秋津さんたちにコメントを求める。そんなやり取りが15分ほど続き、いよいよ、本日の目玉である、人民党総裁と民衆党代表とのテレビ討論へ。


 が、討論を始める前に、今の日本の現状をまとめたVTRを流すようだ。これが、CMを挟んで約10分。その間に総裁たちがスタジオ入りし、VTR明けに討論するとのこと。


「じゃあ、行くわよ」


 VTRが始まった途端、瑞姫さんは秋津さんの方へ歩いて行った。


 ……って、VTRが流れているとは言え本番中だぞ? 大丈夫か?


「ディレクターの許可は取ってあるわ。いいから行くわよ」


 VTR中でもワイプとかには映ると思うんだが。どうなっても知らんぞ。


 瑞姫さんは相変わらず優雅な足取りで歩き、秋津さんの側に立った。本番中にも関わらず相変わらずセクハラ行為を続けていた秋津さん。突然現れた人物に、何事かと不快そうな視線を向けた。しかし、それが若い女性だと分かると、一転、柔和な笑顔になる。


「秋津剛士さん、はじめまして。アイドル・ヴァルキリーズの緋山瑞姫です」右手を腰に当て、椅子に座る秋津さんを見下ろす。


「アイドル・ヴァルキリーズというと……あの綺麗なおねーちゃんがいっぱいいるグループだよね? 何? 今、本番中なんだけど?」


「今日は、弁護士として来ました。秦野香織さんから依頼があり、あなたを、セクハラ行為で訴えます」


 その瞬間。


 スタジオ中の視線が、瑞姫さんと秋津さんに注がれた。


 秋津さんの視線も鋭くなる。普段の、どちらかと言えば紳士的な顔から一転、まるでヤクザのように睨みを利かす。


 でも、そんな鋭い視線も、瑞姫さんは気にした風も無く、挑発するように顎を上げた。


「……セクハラとは、穏やかじゃないね」秋津さんは、ゆっくりとした口調で言う。「秦野君って、今、ドラマで共演してる娘だよね? あの娘が、僕を訴えるって?」


「ええ。そこに来ています」


 顎であたしの方を示す瑞姫さん。


 秋津さんの鋭い視線が、あたしに向けられた。鋭い眼光に、思わずすくみ上がってしまいそうだ。


 しかし、すぐにその表情が崩れる。「ハハハ。面白い冗談だね。ドッキリか何かかな? 最近はドラマの番宣も、手が込んできてるからね」


「冗談でもドッキリでも番宣でもありませんよ?」ハッキリとした口調で言い返す瑞姫さん「我々は、本気です」


 秋津さんの表情がまた険しくなった。ゆっくりとイスから立つ。身長はブーツをはいた瑞姫さんよりも頭一つ分高いから、今度は秋津さんが見下ろす格好だ。


「――ツッコミどころが多くて、何からツッコんだものやら、という感じなんだがね」ドスの効いた低い声で言う。


「質問があるなら、どうぞ? お答えできる範囲で、お答えします」


「まず――」ギロリ、と再びあたしを睨む秋津さん。「秦野君が、俺からセクハラを受けたって?」


「そうです」


「何を証拠に?」


「それに関しては、お答えできません。証拠は、裁判になった時、裁判所に提出します」


「俺はセクハラなんかしてねぇぞ? なぁ? 秦野君よ?」


 再び睨まれ、すくみ上がるあたし。思わず目を伏せてしまう。


「依頼人の話では――」瑞姫さんは、さっきあたしがヴァルキリーズの事務所で書いたノートを取り出し、めくった。「2013年11月10日、ドラマ撮影初日。秋津さんにあいさつをした後、お尻を触られる。同11日、撮影終了後、身体に触れられ、しつこく食事に誘われる。同12日、髪と胸を触られる……他にもたくさんありますが、覚えはないですか?」


 それを聞いた秋津さんは、ふん、と、鼻で笑った。「さあ、どうだったかな? やったかもしれんが、そんなもの、コミュニケーションの一環だろ? ドラマ撮影はチームワークが命なんだ。お互い早く打ち解けるためにやったことだ。お前らだって、合コンの時、男の気を引くためにボディタッチをするだろ? それと同じだ。それをセクハラだなんて言われたら、たまんねぇな。どうやって信頼関係を築けって言うんだ?」


「男女雇用機会均等法によると――」パタン、と、ノートを閉じる瑞姫さん。「セクハラとは、『職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により、当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されること』と記されています。要するに、受けた側が不快に感じれば、それはすべてセクハラになります」


「ナルホド。だが逆に言えば、不快に感じてさえいなければ、それはセクハラにはならない、と言うんだな?」


「まあ、そうなりますね」


「だったら、俺はセクハラなんかしちゃあいない。相手は、嫌がってなんかいなかった。むしろ、楽しそうだったぜ? なぁ? 秦野君よ?」


 また、視線があたしに向けられる。


 何と答えていいか分からず、助けを求めるように、瑞姫さんを見た。


 瑞姫さんは、右手を腰に当てた格好のまま、あたしの方を見るだけだった。何も言ってはくれない。当然だろう。セクハラを受けたのはあたしだ。それが嫌だったかそうでないかの意思表示は、あたしがしなければいけない。


「――どうなんだ? 秦野君」秋津さんが返事を促す。


 ――俺に逆らったら、どうなるか分かっているな?


 そんな視線。


 相手はこの芸能界で大きな力を持っている人だ。逆らって機嫌を損ねたりしたら、あたしみたいな新米は、容赦なく干されるだろう。実際に干された人も多い。この先、芸能界で生き残っていくためには、秋津さんのような大物を、敵に回してはいけない。


 ――でも。


 それで、いいのだろうか?


 相手が大物だから、逆らってはいけないのか? 相手が権力を持っているから、イヤなことをされてもおとなしくしていなければいけないのか? そんなことが許されていいのか?


 いいわけが無い。


 あたしだけではない。ドラマの共演者、スタッフ、このニュース番組のキャスターさんもそうだ。


 多くの人が、秋津さんの行為に迷惑している。


 イヤなことを、イヤと言って、何が悪い。それで干されるなんて、どう考えてもおかしいんだ。


 だから。


「――あたしは、男の人に身体を触られるのは、イヤです。もちろん、演技で身体に触れられるのは大丈夫です。でも、演技と関係ないところでは……できれば、やめてほしいと思っています」勇気を出して、そう言った。


 瑞姫さんが秋津さんに視線を戻す。「――とのことです。訴状はこれから準備しますが、慰謝料その他もろもろ合わせて、1千万円を請求する予定です」


 1千万円!? いや、そんなお金が欲しいんじゃなくて、あたしはただ、秋津さんにセクハラ行為をやめてほしいだけなんだってば!


 と、言おうとしたけど、瑞姫さんが「黙ってて」という感じで手のひらを向けたので、何も言えなかった。


 瑞姫さんは言葉を継ぐ。「まあ、そちらがセクハラを認めないと主張するのであれば、判断は司法に委ねるだけです。こちらは、その準備もできておりますので」


 しばらく瑞姫さんを睨んでいた秋津さんだったけど、突然、大声を上げて笑い始めた。「――冗談もほどほどにしておけよ、ねぇちゃん」


「冗談のつもりはありませんが」相変わらず淡々とした口調の瑞姫さん。


「はん。これが冗談でなくて何なんだ? 俺は、そもそもお前みたいな小娘が弁護士だっていうことが、信じられないんだがね?」


 ……まあ、正直それは、あたしも思う。


「あたしが本当に弁護士かどうかは、大きな問題ではないと思いますが――」瑞姫さんは、白衣のポケットから、小さなボタンのようなものを取り出した。「弁護士記章なら、ここに」


 弁護士記章。いわゆる弁護士バッジだ。


 秋津さんはまじまじとバッジを見たが、やがて鼻で笑った。「そんなもん、テレビ局の小道具スタッフに言えば、いくらでも作れるだろ。信用できないね」


「では、登録番号を言いますので、弁護士会にお問い合わせください」


「はん! そんなこと、知ったことか! ガキのごっこ遊びに付き合うほど、俺はヒマじゃないんだ。さっさと帰りな」秋津さんは、まるで犬でも追い払うかのように、手のひらをひらひらと振った。


「仮にあたしが弁護士じゃなかったとしても、あなたのセクハラ行為が許されて、訴えられないということにはならにと思いますけどね……まあ、いいでしょう。どうすれば、信用してもらえますか?」


「そうだな……総理大臣が、お前が弁護士だ、と言えば、信じてやるよ」


 笑いながら言う秋津さん。まるで小学生のような言い分だな。どっちが子供なんだか。


 瑞姫さんは呆れたようにため息をつくと、「――分かりました」と言って、今度はニュース番組のスタッフに声をかける。「総理は、いつスタジオ入りするの?」


 なんだ? ホントに総理大臣に証明してもらうつもりか? まさか、ね。


「えっと……間もなく来られると思いますが……あ、来ました」


 スタジオのドアが開き、黒服にサングラスの大男に囲まれ、第96代内閣総理大臣・井部寛三首相がスタジオ入りした。うわー。テレビではよく見かけるけど、ホンモノを見るのは初めてだ。ニュースのキャスターと、番組のディレクターの人たちが笑顔で迎える。しばらく何かを話した後、首相がこちらを見た。


「やあ、久しぶりだね」手を挙げる首相。


 すると、それまで厳しい表情で瑞姫さんとあたしを睨んでいた秋津さんの顔が、一転、ものすごい笑顔になった。


「首相。ご無沙汰しております」


 頭を低くし、揉み手をしながら首相の方へ近づいて行く。


 ウワサでは、秋津さんは近々政界に進出するらしい。もしかしたら、首相とは知り合いなのかもしれない。やはり、大物俳優は違うな。


 井部総理も笑顔でこちらへ歩いてくる。そして。


 ――――。


 揉み手をする秋津さんのそばを通り過ぎ。


「緋山君、会いたかったよ」


 瑞姫さんに向かって、右手を差し出した。


「――総理、お久しぶりです」


 瑞姫さんが笑顔で言い、そして首相と握手を交わした。


 ――はい? なんだコレ?


 あたしも秋津さんも……と言うか、スタジオ中のみんなの目が、点になる。


「しかし、今日の討論会に、緋山君が出席するとは聞いてなかったが……」と、首相。


「今日は、違う用事があって、ここにいます。総理、ちょうど良かった。あちらの方に、あたしが弁護士だということを、証明していただけませんか?」


 総理が振り返り、秋津さんを見た。「……ええっと、彼は誰だったかな?」


「俳優の、秋津剛士さんです。今回、知り合いから依頼があって、秋津さんをセクハラ行為で訴――」


「わあああぁぁ!! ああああああぁぁぁぁ!!」突然奇声をあげ、瑞姫さんの言葉を遮る秋津さん。「総理! 間もなく討論会が始まりますので、どうぞあちらへ!!」


 慌てた様子で首相を誘導する秋津さん。この先政界に進出する予定の秋津さんにとって、セクハラ行為をしているなんてことが知れ渡ったら、致命的だからな。セクハラで辞職に追い込まれた政治家は沢山いる。


「そうか――では、緋山君。今度、ゆっくり食事でも」


 首相は笑顔で瑞姫さんにそう言った。秋津さんは「ちょっと待ってろ」と、目で合図すると、首相を討論会場の方へ案内した。


 …………。


 えーっと、今、何が起こったんだ?


 考えても分かりそうにないので、直接訊いてみることにする。


「あの、瑞姫さん」


「何?」


「井部首相と、お知り合いなんですか?」


「そうよ」当然のことのように言う。「来年の夏、アメリカの航空宇宙局で、人類を火星に移住させるプロジェクトが始動するんだけど、そのプロジェクトメンバーにぜひ参加してくれって、総理直々に依頼されてるの。日本の科学力を、世界に知らしめたいんでしょうね。そんな政治目的で利用されるのは気に入らないけど、まあ、プロジェクト自体はおもしろそうだから、受けるつもりよ」


 ……ダメだ。聞いても理解できない。瑞姫さんいわく、これはあたしの頭が悪いから理解できないらしいのだけど、本当にそうなのだろうか? わからん。


 しばらくして、秋津さんが戻って来た。


 瑞姫さんが勝ち誇ったような顔で言う。「あたしが弁護士だと、信じてもらえますか?」


「分かった。信じるから」そう言って、スマホを取り出す。「知り合いの弁護士に相談するから、ちょっと待って」


「当然の権利ですので、どうぞ」


 秋津さんはあたしたちに背を向け、スマホで話し始めた。


 向こうも弁護士を立てるようだ。裁判になるなら当然だけど、どうしよう? あたし、そんなつもりじゃなかったんだけどな。


 しばらく電話する秋津さんを見ていた瑞姫さんだったけど。


 突然秋津さんへ近づき、そして、スマホを取り上げた。


「――弁護士の、緋山瑞姫です」秋津さんのスマホで、相手の弁護士と話す。「話は秋津さんから聞きましたね? どこの三流弁護士か知りませんが、こちらは和解や示談などに応じるつもりはありませんので、どうぞそのつもりで」


 ピッ。勝手に電話を切り、秋津さんに返した。


「では、法廷でお会いしましょう」


 そのまま、コツコツとブーツを鳴らし、スタジオを出て行った。あたしは秋津さんにぺこりと頭を下げると、慌てて瑞姫さんを追った。






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