第一話 思いがけない異世界旅行
上代暁人はただの高校生だ。少し特殊な家に生まれたが、その方面での才能には恵まれず、普通の生活を送っている。
幼いころに家族を失い、今は親戚の家で養子となっていた。気のいい、新しい両親と、一歳年下の気立てのよい義妹。たまに喧嘩しつつも、楽しく暮らしている。
部活には入っていないが運動が好きで、早朝にはお気に入りのジャージに着替え、ジョギングをするのが日課だ。春休み前からは少し距離を伸ばした。連休を使って一人旅に出る予定だからだ。体力はつけておきたい。
コースの途中、トンネルをくぐる。山をくりぬいて作った国道で、二〇〇メートルと少し長い。
今日は少し霧が出ているようだ。視界が悪いが問題ないだろうと、いつも通りに走り続ける。
ふと、いつまで走っても視界が晴れないことに気付く。距離的にはトンネルを抜け、海が見えるはずだ。しかしその様子はない。暁人は走るのを止め、辺りを見渡す。視界は白一面。
これは困った。方向感覚すら失い、途方に暮れる。時計を見るとまだ六時。寒さの残る季節のためか、立ち止まっていると身体が冷えてきた。
と、囁く声が聞こえる。歌うような、澄んだ声。外国の歌なのか、意味は分からなかった。ふらふらと声に誘われ足を進める。
どれくらい歩いたか。気付けば辺りは深い森。いつの間にか足を踏み入れてしまったようだ。足をいったん止めるも、帰り道がわからない。このままでは帰れなくなってしまう。歌声の主に会い、帰り道を教えてもらおう。
扉が見えた。重厚な木製の扉。歌はこの奥から聞こえる。ノックをするも、反応はない。わずかに扉が開いているのに気付く。このまま深い森の中、彷徨うのも馬鹿らしい。
暁人は意を決し、 扉を開けた 。
気付くと、アキトは複雑な紋様の上に立っていた。アニメや漫画でよく見る魔方陣というものだろうか。実際に見ると少し気味が悪い。
目の前にはフードをかぶった人物がいた。顔を伏せているためわからないが、背格好から察するに同世代くらいの女性だろうか。
「初めまして。ルーティ=アージェと申します。そのたびは我が召喚に応えていただき――」
目の前の少女の名前はルーティというようだ。召喚どうこうはわからなかったが、それよりもここがどこか聞かなくては。そう判断し、目の前のルーティという少女に尋ねる。
「――ここはどこだ?」
緊張のせいか、不躾な言葉になってしまった。わずかにルーティの肩が震える。
「僭越ながらお答えします。ここはフローリア公国の西に位置するアージェ領。その領主館です」
「フローリア……?」
知らない名前だった。少なくとも日本の地名ではない。どういう意味か考えていると、ルーティから声をかけられた。
「失礼ながら、御身の名を伺ってもよろしいでしょうか」
「上代暁人だ。顔を見せてもらっても?」
顔をあげたルーティにアキトは、はっと息を飲んだ。
ルーティのこちらを覗く瞳は蒼く、その眼差しから少し勝気な印象を受ける。長く茶色い髪。整った顔は少し緊張の色が出ているようだ。勝手に部屋に入った暁人に戸惑っているのだろうか。薄桃色の唇を少し震わせている。
そして、ルーティはアキトに剣を差し出した。物騒だなと思いつつも、彼の親戚には仕事柄、刀を日常振り回している人物もいるため、この子もその筋かなと無理やり納得する。
それよりも、差し出された剣を見る。西洋風の片手剣。蒼い鞘に納められているが、その高い品格が一目でわかる。さぞ名だたる一品だろう。無意識に、剣を手に取った。
右腕が光と共に熱を発する。一瞬で消えたため、声には出なかった。状態を確認するため服をめくる。右腕には、複雑な痣が浮き出ていた。
「それが私との契約の刻印です。これから悠久の時を、よろしくお願いします」
ルーティは白い顔を少しだけ赤くし、花のような笑みを浮かべた。
「すまないが、ここは日本か?」
地下とはいえ、空気のにおいが違う。そして目の前の少女。あきらかに外人だ。ということは、なんらかの魔術的な事故により、どこかへ転移してしまった可能性を考えたのだ。先ほどの会話から、日本語が通じることはわかっている。
アキトの疑問にルーティは首を傾げる。フードはすでに脱いでおり、長く美しいブラウンの髪が揺れた。
「日本……。神想界の地名でしょうか。ここは現界にある国の一つ、フローリアです」
「…………そうか」
どうやらここは日本、というより地球ですらないらしい。たまに異世界に行って帰ってきたという人の話を聞いたことを思いだす。どうやらこれが噂に聞く異世界召喚というものだろうか。
「大変失礼ながら、御身はどのような神話を持つのでしょうか。よければお聞かせいただきたいのですが」
先ほどから聞いていると、どうやらたいそうなものと間違えてしまったようだ。見れば自分と比べ、ルーティからはそこまで大きな魔力を感じない。アキトの家系は特殊とはいえ、その道の平均と比べて多少多いくらいだろうか。
それよりもここで勘違いですよと指摘するか、アキトは悩む。逆切れされて放り出されたら元の世界へと戻ることが難しくなる気がしたのだ。
「あの……?」
不安げな声が聞こえる。
不審を抱かれるのはまずい。かといって魔力が大きいだけでろくに運用できないアキトでは、どこまで役に立てるかわからない。うまく話を合わせ、情報を集めるのが大事だろう、そう判断する。
「ああ、すまない。それで、どのような用事で俺を呼び出したんだ?」
わざと尊大に答える。先ほどまでは混乱していたため、うっかりと敬語が抜けてしまったが、これで通すことにする。少なくとも当分の間は。
「実は大きな災いが現れるという予言が託されまして、ぜひ私とともに戦っていただきたいのです」
「大きな災い?」
「詳しいことはわかりません。ただ最近魔物が活発化していまして、魔王ではないかという噂が流れています」
「噂か……」
噂ほど当てにならないものはない。裏付けのない情報に踊らされているのか。予言とやらも怪しいが、どうやら絶対の信頼をおいているようだ。ここは話を先に進めよう。
「どれほど力になれるかはわからんが、協力するのはやぶさかではない」
その言葉にルーティにほっとした表情を出す。
「ところで、元の世界へ戻る方法は知っているか?」
安心させたところで本命の質問をさらっと出す。口に出したアキトの心臓は不安で高鳴りっぱなしだが。
「…………?」
不思議そうな顔をするルーティ。確認するまでもなく、知らないのだと悟る。その無垢な様子を見て、不安が一気にアキトに押し寄せる。膝をつかなかったことが奇跡的だ。
(いや、異世界に行って帰ってきたという人もいたんだ。ルーティが知らないだけできっとあるはずだ!)
強くそう信じ、とにかく元の世界へ帰る方法を探そうと思い立った。しばらくは、この世界を旅するのも構わないだろう。迫っていた春休みには、旅に出るつもりだったのだから。