プロローグ2 召喚の儀式
魔力で作られた光が照らす薄暗い部屋の中、フードをかぶった影が一つ。
その眼前には水銀で描かれた複雑怪奇な魔方陣。作られるのにどれほどの時間が費やされたのか。
ナイフで自らの指を少し切り、魔方陣に赤い血を垂らしながら唱える。
「――廻れ、廻れ、廻れ。循環する大海。輝ける宵の明星。捧げるは月の涙、龍の鱗、ユニコーンの角、ヒュンメルの樹皮、時の砂。そして十重よりなるアージェの血統。
出でよ、時に埋もれた強きもの。ここに其を必要とするものがいる。我が魔力を喰らい、顕現せよ――」
静ひつな歌。それに応えるかのように、魔方陣が光り出す。いや、魔方陣だけではない。それを中心とした空間自体が光り出し、門が作られた。
溢れんばかりの光を目の前にして、ルーティ=アージェは今までの努力を思い、目をうるませた。繋げた世界は最も強大な力を持つ神想界。その世界に住むのは神話の住人達。すなわち神や神獣、またはそれらに認められた英雄だ。その力はまさしく強大無比。召喚されたものは例外なく歴史に名を残す。
門が開きはじめる。その奥からわずかな息吹を感じ、ルーティは成功を確信する。
失敗は許されない儀式だ。その第一段階である門の出現は、難易度が高い召喚術の中でも、もっとも難しい秘法だ。現すだけでも神秘に数えられる霊媒をいくつも揃えなければならない。その準備のために、ルーティは三年という年月を費やした。アージェ家という侯爵としての地位を最大限に使って、三年だ。
召喚は門を開くだけではなく、召喚されたものが召喚者の意思に応えなければならない。門からもれてくる強い魔力は、自分の声に耳を傾けてくれたものがいるということ。ルーティはこれまでの努力と、これから自らが歩むであろう栄光に、胸に熱いものがこみ上げてくる。
門が完全に開き、溢れんばかりの光と魔力が漏れる。いや、漏れるという優しい表現を通りこして、ルーティの身を叩きつけた。
(いよいよだ。アージェの……いや、この国の歴史が変わる……!)
そして――。
ルーティの目の前に、一人の若い男性がいた。目を閉じている。だが神想界の住人にふさわしく、整った鼻梁。男性としてはやや長めの髪。その色は夜のように黒い。女性として少し身長の高めであるルーティから見ても、頭一つは高い引き締まった身体。
黒い髪とは対照的に、着ている服は白い。見たこともない材質。ところどころに精密な刺繍が施され、神秘的な雰囲気を感じる。そして何より、その身から発せられる圧倒的な魔力。まさしく神話の住人にふさわしい。きっと夜の女神ノルに属する眷属だろう。
ルーティは目の前の神族に、頭を垂れた。無論、最敬礼だ。
「初めまして。私はルーティ=アージェと申します。そのたびは我が召喚に応えていただき――」
「――ここはどこだ?」
少し高く、よく通る声。
ルーティは少しだけ身をすくませるも、すぐに答える。
「僭越ながらお答えします。ここはフローリア公国の西に位置するアージェ領。その領主館です」
「フローリア……?」
ぶつぶつと独り言が聞こえる。混乱しているのだろうか? だがいつまでもここにいる必要はない。契約の儀を進める。
「失礼ながら、御身の名を伺ってもよろしいでしょうか」
「カミシロ、アキトだ。顔を見せてもらっても?」
許しを得、顔を上げる。
先ほどまで閉じられていた瞳が開いている。髪の色と同じ、深遠な黒。涼しげな眼尻にルーティの心が波打つ。
高く鳴り響く鼓動を無理やり抑え、ルーティは契約の最後の言葉を口にする。
「私、ルーティ=アージェは、カミシロアキト、御身と共に覇道を歩むことをここに誓います」
そう言い、契約の剣を差し出す。一年の時をかけて作り上げた自信作だ。神話の住人とはいえ、満足させられる自信がルーティにはあった。
アキトの目に驚きの色が映り、そして剣を手に取るのを見て、ルーティは満足げに微笑んだ。