惜離
雪深く純白なあの日の記憶。あたしは罪を犯しました……
あぁ、神様……
サラの所からの帰り道、夢斗は口笛を吹きながらそりを走らせていた。
「今日は素晴らしい日だ!世界はなんて素晴らしいんだろう、なぁお前達」
ドリームはやはり嬉しそうに鼻を鳴らすだけで、ブランカに至っては返事すらしない。と、言っても妖精はもともと人の言葉は話せないのだからあたりまえか。
それでも夢斗は満足だった。
こんこんと降り続く雪の中、もうすぐ家に着くという頃に、夢斗は激しい胸騒ぎを感じた。ゾクリと背筋が冷える感触。
「*@S./+¥ZO%……!!」
突然、ブランカが寒さも気にせず懐から飛び出し、夢斗に必死で何かを伝えようとした。
「何だ?ブランカ、お前も何か感じたか?」
ブランカは伝わらない事が歯痒そうに、夢斗を今来た方へ引っ張った。もちろん、小さな妖精の手でそりが動く筈はなかったが。夢斗は手綱を引きそりを一時停止した。
「ドリーム……戻るぞ!急げ!!」
ブランカは安堵の表情を浮かべ、また早々と懐に帰っていった。
夢斗は冷や汗をかきながら、今来た道をとにかく急いだ。
(……間に合ってくれ!)
深夜。少年、蔆は不快な物音に目を覚ました。
「……蔆!おま…、ま…開け…!!」
窓を叩く音に、混ざるように聞こえるのは聞き覚えのある声。
「何だよ……」
窓を開けた蔆は、すぐに自分の目を疑う事になった。
「蔆!大変なんだ!サラが……」
「サンタクロース!?」
蔆は驚愕して、夢斗の言葉を遮った。夢斗の方は、今の自分がサンタの姿をしていることなどすっかり忘れていたのだ。
「ええい!俺だ!野宮だよ!」
「は?夢斗のおっちゃん??どこがだよ!」
「信じなくたっていいから来い!サラちゃんの一大事だ!」
さすがに蔆も従わざるを得なく、パジャマの上にジャンパーを羽織った。が、窓の外にフワフワと浮かぶ真っ赤なそりに、自分から乗り込むほど状況に慣れてはいなかった……。
「乗んの?俺が、これに?ヤだよ!!落ちるって!!」
「サラちゃんが病院に運び込まれた。行くか、行かないのか、はっきりしろ!」
蔆は唇を噛みしめた。
「行くよ!!」
夢斗も手伝い蔆がそりに乗り込むと、ドリームは大空へと急発進した。
静まり返った空間に、女の涙混じりの金切り声だけが響いていた。
「どうして……。こんな時まで仕事が大事なんですか?私のようなただの使用人が言えることではないんでしょうが、今日だけは言わせて頂きます!お嬢様は、今生死の縁をさまよってるんですよ!?朝一の便で戻って来るべきでしょう!!ええ、ええ!クビになったって構いません!それであの子が助かるのなら……!」
メイドは、悔しそうに電話を叩き切った。
医者の「覚悟はして下さい」という無情な言葉が、彼女の頭を支配する。サラの笑顔が脳裏に映し出された。
まだ若いメイドにとって、1人で迎えるかもしれない少女の死は、あまりに過酷なものだった。
サラのたった1人の肉親だからこそ、どうしても父親にだけは来て欲しかったのだ。
「どうして……」
メイドは肩を落として長椅子に腰掛ける。
目の前の病室では、少女が必死に病魔と闘っている。メイドは、まだ泣けないと、強く思った。
「あの、お静かにお願いします!」
バタバタと駆け込んでくる足音。看護士の声が響いた。
それらはメイドのいる病室にだんだんと近づいてきた。
「サラは?」
聞き慣れた声にメイドは顔を上げる。彼女は一気に年をとってしまったような、そんな表情を浮かべていた。
「品崎くん……。どうしてここに?」
メイドはその後ろに立つサンタクロースに目をやった。
「……そちらは?」
「野宮です。あ〜、こいつの、保護者みたいなもんで。あまり気になさらないで下さい」
夢斗は蔆の頭をぐりぐりと撫でながら言った。
「そうでしたか……」
サンタの格好のおじいさんに、なんだか腑に落ちないような様子だったが、メイドは何とか納得したようだ。
「それで、サラは!?どうなったんだよ!」
蔆が尋ねると、メイドは辛そうに、
「まだ分かりません」
と、呟くだけだった。
時は刻々と過ぎて行く。
メイドは椅子に項垂れるように腰掛けたままで、夢斗はその横に立っていた。蔆は、落ち着かないようで、病室前を行ったりきたり。時折ドアに耳をくっつけて中の様子を伺っていた。
みんなそれぞれに、サラの無事を祈っていた。
一体、何時間たった頃か。それは、長く感じただけで、本当はそれほどでもない長さだったのかもしれない。
病室の、扉が開いた。
誰も何も言葉を発しない。
ひたすらの沈黙。
本当は、分かっていたんだ。すでに。
それでも、奇跡を信じて。
ピ――――――――――……‥
「残念ですが……」
メイドは堪えていた涙を零す。
蔆は、医師を押しのけて病室に駆け込む。
夢斗は……、その場に立ちつくした。
「サラ?おい、起きろよ!……俺まだ、話したいこといっぱいあんだからな!」
蔆の双瞳から、止めどなくあふれ出す涙。
「ずりぃよ……、俺まだ…サラに大事なこと言えてねぇのに…」
サラの細い体を揺する蔆の肩を、メイドはそっと掴んだ。
首を横に振るその動作に、すべての意味が込められているようで、蔆は腕をダラリと落とした。
やっと病室に入ってきた夢斗は、ゆっくり、ゆっくりとサラの元へと歩を進める。
「神様……。なぜこの子が?」
そこにいる全員が、夢斗に目を奪われた。
「こんなに素晴らしい少女を、どうして連れていってしまわれるのです……?俺みたいなのがのうのうと生きて、どうしてこの子が死んでしまう?」
夢斗はサラの手を握る。懐から顔を出したブランカも、夢斗と一緒に涙を流す。妖精の涙は、虹色の輝きを放ちながらベットに吸い込まれてゆく。
「本物の……サンタクロース?」
メイドはぼそりと呟いた。
「サラ。俺からの、最後のクリスマスプレゼントだ……!」
夢斗の体が、銀色に輝き、氷のように弾けて消えた。
メイドも、蔆も、医師でさえ、その美しさに目を奪われた。サラの両頬に、元通り赤みが戻っていることにすら気づかずに。
「明日香さん?どうして泣いているの?」
サラが不思議そうに呟いた、それは若いメイドの名前。
――後に残ったのは、ダイヤモンドダスト