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ドライブ!  作者: 野生
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第二章

第二章

「コレ、どうやって開けルんだ?」

「まさか……知らねぇのか?」

 近くのコンビニで朝ごはんを仕入れて数分。いつまで経っても梱包されたおにぎりを見つめたまま食べようとしないルイが、ようやく言った一言がそれだった。てっきり安物の食べ物が口に合わないかと思っていたら、どうやらビニール包みの開け方が分からなかったらしい。

 ――コンビニおにぎりの開け方を知らないなんて、軽く奇跡だな。

 ある意味、国宝級の時代遅れに驚きながら、俺は「貸してみろ」とルイからおにぎりを受け取った。

「ほら、この角んとこのつまみを引っ張ってだな……」

 説明しながら、角のビニールをつまみ一気に引っ張り、おにぎりを取り出してやる。すると、その様子を見ていたルイは、まるで手品を見るかのように目を煌めかせて声を上げた。

「凄い。まるで魔法だナ」

 ルイの言葉に、俺は思わず苦笑。ずいぶん安い魔法もあったもんだ。

 開けたおにぎりを渡すと、ルイはしげしげと観察しながら小さく一口だけ食べた。そして無言で食べ続ける。余程お腹が空いていたのか、無心でおにぎりをかじり続ける姿は、口いっぱいにひまわりの種を頬張るハムスターだ。

 なんとも微笑ましい姿に、知らず知らずのうちに頬が緩む。改めて見て、ルイは相当可愛い子だった。世間じゃ中学生や高校生のアイドルが騒がれているが、彼女たちとならんでも、ルイは断然可愛いんじゃないかと思う。

 事情を知らないタクシー仲間が見れば、まず間違いなく「羨ましい」と怨嗟の言葉投げられていることだろう。

 ルイから視線を外した俺は、自分の分の朝食に意識を向けた。だが、どうにも安心できない。バックミラーに写るルイの左手には、未だにスタンガンがしっかりと握られていた。

「なぁ、いいかげんスタンガン放せよ? 食べにくいだろ」

 ――主に俺が。

 心の中で付け足すと、頬にご飯粒を付けたルイが毅然とした態度で答えた。

「それは出来ない」

「なんでだよ?」

「いつ襲われるか分からないからナ」

「あのなぁ……」

「ママがいつも言ってた。男は女に苦労を背負いこませル病原菌だって」

「いや、それは言い過ぎだろ?」

 ――男に苦労を押し付ける女だって、世の中にはごまんといるぞ。一番分かりやすい例はうちの社長とか。

 あの人ほど、男を使うが堂に入った人を俺は見たことがない。

 なんとなくビクビクするのがばからしくなった俺は、スタンガンのことなどを完全に忘れ、サンドウィッチを口の中に放り込んだ。市販の味を味わうこともせず、四・五噛みしたら後はお茶で流し込む。

 そんな俺を見て、未だにひとつ目のおにぎりを食べていたルイは非難するように細めた。

「もっと、良く噛んだ方が良いゾ」

「ご忠告ありがとよ。今度から良く噛む。だから首筋にスタンガンを押し付けるのは止めろ」

 首筋に当たるスタンガンの冷たい鉄心。恐怖とストレスに、今食べたばかりのサンドウィッチが口の中に逆流し、酸っぱい胃液が口の中に広がった。

 ――やべ、気持ち悪ぅ。

 咄嗟に口を押さえる俺をよそに、「約束だぞ」と念を押したルイは再び食事を開始。

 ――胃に穴開きそうだな。こりゃ。

 どこかで胃腸薬を買おうかと考えながら、ペットボトルのお茶で口の中を軽く濯ぐ。

 ――まぁ、コイツの言うことももっともか。

 どうにも以前から早食い癖はあったが、いつ客が来るか分からないタクシー業を始めてからというもの、俺の早食いは確かに悪化していた。よくよく考えれば、食生活もめちゃくちゃだ。

 ――一回、生活習慣見直すか……

 ルイが食べ終わるのを待つ間、ふと、そんなことを考えていた。

 ようやくルイが朝食を食べ終わったところで、俺は本来の仕事に入る。

「さてと。それで、ダイゴってヤツはどこに居るんだ?」

 とりあえず都内の地図を取り出しながら、ルイに目的地の場所を訊ねる。しかし、いつまで経っても返事が返ってこない。振り返ると、ルイは空々しく窓の外へ目をやり、テディベアを抱きしめていた。

「ちょっと待て。まさか、どこにいるか分からないとか言わないよな」

「い、いくら私でも。そこまで無鉄砲じゃないゾっ!」

 まるで威嚇するかのように突然俺を睨みつけ、ルイがびっくりするほどの大声で否定する。どこからどう見ても、嘘をついているのはバレバレだ。その証拠に、無言のまま睨み返していると、ルイは直ぐに逃げるように視線を窓の外に外し、どこかで聞いたことのある歌を歌い出した。

「分かりやす過ぎるんだよ」

 呆れた調子で声を掛けると、今度は顔を真っ赤にしたルイが、狭い車内でスタンガンを振り回して暴れ始めた。

「ウルサイ。ウルサイ、ウルサイ。私は昔ちょっとしか日本にいたことが無いんダ。分からなくて悪いかっ!」

「おい、こら。あぶねぇから、振り回す……ウギャァぁ――――っ!」

身体を貫いた電流に、喉から焼けるような悲鳴が迸った。明滅する視界。一瞬意識が飛ぶ。

「あ……出力最高にナってる」

「洒落に……なんねぇぞ……コラっ」

 舌先がしびれて上手く喋れない俺に、ルイは申し訳なさそうにしながらも、気丈に表情を固めた。

「イヤなこと言った、ソラが悪い」

「何で……俺が……悪いんだよ」

 本気でこのままここに置き去りにしてやろうかと心底考えた。が、職務放棄で与えられる罰、具体的には減給もまた電撃に増して恐ろしい。

 なけなしの根性を振り絞って気合いで持ち直した俺は、軽く拳を握って体の状態を確かめ、今後のことについて考えた。

 ――まずは目的を割り出さないと話しになんねぇな

 思わず溜息が洩れた。前途多難……というか暗中模索だ。

「取りあえず、手紙に場所とか書かれてないのか? そうだ、便箋。便箋見せてみろ」

「便箋……忘れてきた」

 ハッとした顔をして、ルイが力なく俯く。便箋があればハンコで手紙を出した地域が分かるが、ないモノはしょうがない。

「じゃあ、病院の名前と手紙に書いてなかったのか?」

「なんで病院なんだ?」

 俺の質問に、ルイが怪訝な顔をする。

「その友達は怪我したんだろ。入院とかしてないのか」

 俺の質問に、ルイはややあって「ああ」と頷いた。

「脚骨折したらしいけど、家で大人しくしてたら治ルんだって。入院はしてない」

 ――人間かソイツ?

 思わず突っ込みそうになったが、大切な友達をバカにするとルイが怒りそうなので止めておいた。さすがにこれ以上電撃を喰らうのはごめんだ。俺だって命は惜しい。

「つーことは、これで手掛かりなしか。マジでどうすっかな」

 背中を椅子に預け、頭を捻る。すると、背後で同じく悩んでいたルイが小さく声を上げ、ベルトポーチの中から一枚の写真を取り出した。

「これ見て分からないカ?」

「ん、どれどれ……」

 写真を受け取ろうと手を伸ばす。だが、俺が写真を受け取る瞬間、ルイは慌てて写真を引っ込めた。

「どうした? 何かヒントになるかもしれないから、見せてくれよ」

 催促する俺に、ユイは俺と写真を交互に見比べて何やら悩み始める。

 悩む、悩む悩む。何をそんなに悩むんだってくらい悩む。

 そして、悩んだ挙句、究極の選択を迫られたかのように、苦悶の表情で呟いた。

「……病原菌移ったラどうしよう」

「移るかよっ!」

 ――コイツ。人をなんだと思ってんだ!

「いや、でも。万が一……」

「大丈夫だっつーの。ほら、手袋もしてるだろ」

 埒の明かないルイに、俺は真っ白なドラーバー手袋を掲げて見せた。それでもユイが写真を渡したのは、それからしばらくたった後だ。

「つーか。さっきお前、俺が開けてやったおにぎり食べただろ」

 写真を受け取りながら、俺はなんとか無くさっきのことを思い出し指摘する。

 それが大きな愚行であることを理解したのは、その数秒後だった。

「ふぇ……?」

 ルイの口から、ひどく間の抜けた声が響く。

 そして、次の瞬間。

「Ahhhhhhーッ!」

 耳をつんざく悲鳴が、ルイの褐色の喉から迸った。

「うるさっ!」

「Ahhh。もうダメだーっ。ルイ、犯されたーっ!」

「なっ! こら、何言ってんだ。やめろっ!」

「Ahhhhっ!」

 俺の言葉を無視して、ルイが「犯された」だの「感染する」だの言いながら悲鳴を上げ続ける。しかもさらに間の悪いことに、いつの間にか工場の駐車場には多数の従業員が出社していた。ただタクシーが止まっているだけならともかく、その中から女の子の叫び声が聞こえれば騒ぎにならないはずがない。

「おい、ちょっとなんだ? 今の悲鳴」

「あのタクシーから聞こえて来たぞ!」

 続々と好奇の視線が集まってくる。

――おいおい、ちょっとやばいぞ!

「なぁ。あのタクシー、朝ニュースでやってたやつじゃ」

 ――バレたかっ!

 考えた時には、俺の右手はキーを捻っていた。エンジンが始動し、すぐにギアを操作する。徐々に大きさを増す喧騒を置き去りに、俺はその場から急いでタクシーを走らせた。

 ――ちくしょう。警察に囲まれたらアウトだな。

 さすがにことの異変に気が付いたのか、ルイはすでに叫び声を納めている。もし構わず叫んでいるなら、置いて行ったところだ。

 時計を見れば、すでに通勤ラッシュのど真ん中。ヘタに大通りに出れば、確実に足止めを食らう。出来る限り狭い通りを選択して工場団地を離れると、少し張られたところにある神社の駐車場の木陰に車を止めた。

「ご、ごめん。ソラ」

 さすがに騒いだ自分が悪かったのだと感じたのか、ルイが申し訳そうに頭を下げる。

「お願い……ルイを見捨てないで」

 テディベアを抱き、眼に涙を溜めながらルイが懇願する。

 ――なんて顔してんだよ。

 その姿を見た俺は、湧きあがっていた怒りを吐きだすこともできず、荒々しく髪を掻き乱した。涙に瞳を濡らす少女をさらに追い詰めるようなことができるほど、俺は女に対して無情になれない。

 喉の奥に抱えたモヤモヤと、怯えるようにさらに強くテディベアを抱き締めるルイ。ジレンマに挟まれた俺は、苦し紛れに運転席の窓を下ろした。重たい空気の車内に風が舞い込み、新鮮な空気が入ってくる。神社の駐車場に止めたのもよかった。都心で数少なくなった緑園が、初夏の暑さを和らげる涼しい風が、俺の頭も冷やしてくれる。

 風に合わせて形を返る緑影を見ながら、俺は静かに呟いた。

「もう忘れろ。俺も忘れる」

 女との経験が多いやつならもっとましな言い回しが出来たかもしれないが、あいにくと俺にはそんな経験はまったくない。

 自分でも情けなくなるほど不器用な言葉だったが、それでもお腹が見えることも厭わずシャツの裾で涙を拭うと、何が嬉しいのかさっきまでの泣き顔が嘘のように笑った。

「うん。忘れた。――はい、写真」

 満面の笑みを浮かべたルイは、何のためらいもなく写真を差し出した。

「お、おう」

 コロコロと良く変わる表情に若干戸惑いながら、俺は写真を受け取る。写真は二枚。一枚目はどこかの浜辺で取られたものだ。白い砂浜に、波打つ渚。澄み渡る空に、絵に描いたような入道雲。その写真の中央では、サーフボードを立てた青年が立っていた。

 精悍そうな顔立ちの青年はよく焼けていて、彼の足元にいる白い犬と見比べるとそこだけまるで白黒写真だ。こいつがダイゴ。年は二十歳前後ぐらいといったところか。

 もう一枚の方には、浜辺を一望できるテラスを構えた小洒落たカフェが写っていた。白を基調とした落ち着きのある佇まいで、センスが良い。

「ダイゴ、今はそのカフェで働いてるんだって。どう、何か分かル?」

「分かるかって聞かれてもな……」

 運転席と助手席の間から顔を覗かせるルイに、俺は頭を掻きながら、まずはダイゴ本人が映っている写真に注目した。

「とりあえず東京じゃないな」

「えっ? そうナのか?」

 ルイはダイゴも東京にいると思っていたのか、俺の言葉に驚き声を上げる。

「何で分かるンだ?」

 不思議そうに首を傾げるルイに、ダイゴの持つサーフボードを指差して答えた。

「東京にも浜辺は幾つかある。でもな、東京湾は波が入り難くてサーフィンには向ねぇんだよ。東京近辺でサーフィンをするなら、神奈川の湘南とか、千葉の外房とか」

「へ~。ソラもサーフィンやるのか?」

「いや、俺はやらねぇよ。カナヅチだからな」

「カナヅチ?」

「……泳げねぇんだよ」

 少しむくれて答えると、ルイは一瞬きょとんとした後に慌てて俺から顔をそむけた。その肩が小刻みに震えている。笑いを我慢しているのが丸分かりだ。

 口が滑ったことを後悔していると、ようやく笑いの発作を抑えたルイが、まだ口元に笑いの残滓を残しながら不思議そうに尋ねてきた。

「じゃあ、なんでソラはそんなこと知ってルんだ?」

「タクシーの仕事をしてると、いろんな奴に逢うんだよ。サーフィンのインストラクターだとか、隠れてデートする芸能人とか。わけのわからないことばっかり言う芸術家とかも乗せたな」

 まだ新米なのにいろんな奴を乗せてきたなと自分自身に感心しながら、どっちに車を転がすか考えた。神奈川と千葉じゃ方向も反対だ。それに、もしかしたらもっと遠い別の場所かもしれない。

 ――もうちょっと情報が欲しいな。

 そこで俺は、二枚目の方に写っていたカフェに目を付けた。

「なあ、このカフェの名前って分かるか?」

「潮風カフェ・《アルティメットウエポン》」

「ちょっと待て。このカフェは戦争でもする気か?」

 ――小洒落たカフェになんちゅう名前付けてんだよ!

 なんとも思いきったネーミングに、アキバで見かけるオタクカフェが脳裏を過る。

「まぁ、見つけやすそうでよかったけどよ」

 名付け親の顔が見てみたいと思いながら、俺はスマートフォンを取り出した。

「ねえ、ソラ。ソラはカーナビ積んでナいのか?」

「ん、ああ。見た通り積んでねぇよ」

「なんでダ?」

 不思議そうに首を傾げるルイに、俺は『潮風カフェ・《アルティメットウエポン》』で検索を掛けながら答えた。

「都内の地理はだいたい覚えてるからな。分からなけりゃ地図もあるし」

「でも、カーナビがあると便利じゃないのカ? 近道とか、渋滞情報とか」

「あはははは。近道に渋滞ねぇ」

 ルイの質問に、俺は思わず笑ってしまった。

「タクシードライバーを舐めんなよ。ここら一帯の近道なんて、衛星なんかよりも知り尽くしてるっつーの。それに渋滞なんて情報がなくても、だいたいは習慣と時間帯で分かるんだよ。むしろ、カーナビに頼って渋滞に巻き込まれることだってある。カーナビ泣かせのタクシードライバーが、俺たちの合言葉だ」

得意げに応えながら、俺は検索を掛けた画面を操作する。

 ――まっ、俺の場合はもう一つ理由があるんだけどな。

 心の中で呟きながら、俺はなかなか見つからない情報に頭を掻いた。すぐに見つかると思いきや、検索エンジンの最初に出てきたのは、ゲームなんかのアイテムに関するものばかりだ。その辺のものを外して検索を掛け直しても、カフェの情報なんて影も形も見つからない。

考えられる可能性は二つ。

 ひとつは、ルイが間違って名前を覚えているということ。でも、たぶんこれは無い。『潮風カフェ・《アルティメットウエポン》』なんて、一度聴いたらそうそう忘れたり間違ったりする名前じゃない。となると残る可能性は、《アルティメットウエポン》のオーナーが、ネットにHPを作ってないということ。まぁ、こっちにしても、個人ブログや穴場スポットのサイトに名前の一つくらいは乗りそうなものなんだけどな。

「見つからない……のか」

 ルイが深い落胆の表情を見せる。家を逃げ出してまで会いに行こうとしたのに、場所が分からないと来れば落ち込みもするだろう。

「そんな顔すんな。まだ、こっちには別の手があるんだよ」

「別の手?」

「ああ、とっておきの情報網がな」

 萎れた顔を輝かせるルイに笑いかけながら無線機を手に取り、都内はもとより全国に幅を利かせる、熟練の運転手に連絡を入れた。

 ザザザザザッという混雑音の後、年を感じさせない快活とした笑い声が響く。

「がはははは。よお、指名手配犯。景気はどうだ?」

「誰が指名手配犯だっ。誰がっ! それより、ゲンじぃ。『潮風カフェ《アルティメットウエポン》』て店、知らないか?」

「何だそりゃ。アキバに出来た、新しいすれ違いスポットか?」

「そりゃ『タイーガの酒場』だろ。つーか、ゲンじぃ。タイガークエストやってんの?」

 還暦を過ぎた熟練ドラーバーが暇つぶしに携帯ゲームをしている姿を想像して、俺は思わず吹き出した。

「酒場じゃなくて、カフェだよ。『潮風カフェ《アルティメットウエポン》。客の目的地なんだけど、場所が分かんないんだよ。サーフィンが出来る海辺にあるはずなんだけどな」

「サーフィン? そりゃ、東京じゃねぇな。近場なら湘南か外房か?」

「ああ、俺もそう考えてるんだけど、方向が真逆だろ。ネットで調べても、全然情報がねぇし」

 スマートフォンを指先で弄びながら答えると、通信機越しにゲンじいの喝が叩きつけられた。

「バカヤロー、おめぇ。タクシーがネット何かに頼んじゃねぇぞっ!」

「うがっ! ゲンじぃ、声でけぇってっ!」

 限界を越えた声の大きさに、耳がキーンとし通信機から高音のノイズが混じる。

 ゲンじぃは、そんな俺の批判も通信機の危険信号も無視し、さらに叩きつけるように野太い声で叫んだ。

「ちょっと待てろ。すぐにタクシー仲間に問い合わせてやるっ。見てろぉ~、ネット野郎。現役タクシーの底力見せてやるっ!」

 なにやらネットに大きな対抗意識を見せたゲンじぃは、そこまで一気に捲し立てると通信を一方的に切った。

 本当に元気だな、と感心すること数分。

 まるでゲンじぃの活気が乗り移ったかのように、けたたましい音を立てて通信機が鳴った。

「ソラ坊。聞こえてっか?」

「ああ、よく聞こえてるよ。それで、見つかったのか?」

「ああ、ばっちりだ。そいつは静岡にある」

「静岡だって!」

 ゲンじいの言葉に、俺は思わず声を上げた。てっきりもっと近場だと思ってたのに。

 面倒な仕事を引き受けてしまったと、俺は改めて公開した。

「静岡ってことは……熱海か?」

「いんや、そのちょっと先の伊東だ。今から住所言うぞ」

「住所まで分かったのかよ」

「当り前だ。ワシを誰だと思っている」

 通信機の向こうで得意げに禿頭を撫ぜる姿を想像しながら、俺は口元に笑みを浮かべ、助手席のボックスにしまっておいた全国区の地図を取り出した。

「OK。んじゃ、頼む」

「おし、言うぞ。住所は、静岡県伊東…………」

「うん、うん。うん。わかった、ありがとうゲンじぃ。恩に着る」

 ゲンじぃの言った住所に丸を付け、俺は通信機を握りながら頭を下げる。すると、再び通信機から笑い声が響いてきた。

「がはははは。なんのなんの、気にするな。それよりもソラ坊。道中には気を付けろよ」

 付け足す言葉が厳しいモノになるのを感じ、俺はすぐさま気を引き締めた。

「気を付けろって、どういう意味だ?」

「検問……というほどでもないが、かなり警察がうろうろしとるらしい。お前さんたちを探し取るんだろう」

「マジかよ……。わかった、なるべく裏道から行くわ。情報サンキュー」

「その意気よし! まぁ、人生何事も経験だからな。そうだ、ソラ坊。お前に一つアドバイスをくれてやる」

 ゲンじいは一度言葉を切ると、咳払いを一つ入れた。

「いいか、よく聞けよソラ坊。タクシーの運転手はな、道を覚えて三人前、人を乗せて運んでも半人前だ」

「え、なんでだよ? 客を運ぶのが俺たちの仕事だろ?」

「バカヤロー。おんめぇ、そんなもん初心者マーク付けたガキでもできるだろうが。いいか? 一人前のタクシードライバーはな、客じゃなくて空気を運ぶんだよ」

「空気?」

 言葉の意味が分からず、俺は思わず聞き返した。ゲンじいがこうして独自の考えを教えてくれることはよくあるが、今回は前半はともかく後半がまったく分からない。

「ゲンじぃ、どうい……」

「がはははは。じゃあ、頑張れよ! ソラ坊」

 意味を訊ねる間もなく、ゲンじいはいつもの笑い声を響かせて通信を切った。

「空気を運ぶ……ねぇ」

 捉えどころのない問題の意味を考えながら通信機を戻す。答えを見つけられないのは、やはり俺が半人前だからか。

 残された難しいなぞなぞに苦笑を漏らしつつ、先ほど印を付けた地図を手繰り寄せる。

 ――場所さえ分かればこっちのもんだ。

 俺は十秒ほど地図を眺め続けると、それを元の位置に戻し、鍵を捻ってすっかり冷えたエンジンを呼び起こした。小気味の良い稼働音が鳴り、心地よい振動が腰から背中にかけてを包み込む。

 エンジン状態は良好。天候は晴天。目的地は決って、あとは客を送るだけ。

「ルイ、行くか」

「頼ンだっ!」

「よし、頼まれた」

 ルイの声に、俺は右足に力を込め、いよいよ車を発進させる。

 ――帰ってくるまでに、なんとか『空気』のことを見つけ出すか……

 新たな課題を胸に、俺たちはようやく目的地に向け走り出した。


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