表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ドライブ!  作者: 野生
1/2

”お前の名ハ”

 タクシードライバーである九里空矢は、親の目を盗んで抜け出した化粧品会社社長の娘を乗せたことにより指名手配される目に遭う。少女の目的は、怪我をした友達のダイゴに逢うこと。

 追われる身となった空也は、無事少女を友達の元へ連れていけるのか。


プロローグ

 大学を卒業して今のタクシー会社に勤めて半年。破天荒な社長に捕まった時にはどうなるかと思ったけど、今じゃタクシーの仲間もたくさん出来た。

 お得意さんも出来て仕事は上々。

 今日だっていつも通りに出社して、いつも通りに俺用の社タクシー『は』の二三八三号――語呂合わせで爺さん婆さん号――に乗り込んで担当地区へ。

 今日もいつも通りに営業して、いつも通りに帰宅して、いつも通りに寝るはずだった。

 なのに……なのにっ!

「なんでこんなことになってんだよっ!」

 制限速度オーバーの速度計、猛スピードで後方へ流れて行く景色、眼を丸くして身を仰け反らせる早朝ランシングをしていたおっちゃん。

 そして、俺のタクシーのすぐ後ろに張り付いて離れない黒塗りの高級車に、後部座席に乗るとんでもない大荷物。

 九里空矢、二十二歳、独身。

 今年の春からタクシードライバーになった俺は、今最大のピンチを迎えていた。


第一章 “お前の名ハ?” 

 背後から猛スピードで追ってくる黒塗りの車を撒こうと躍起になっていると、不意に通信機が鳴った。聞こえてくるのは、聞き馴染んだドライバー仲間の声だ。

「よお、ソラ坊。今日は駅前に来なかったな、どうしたんだ?」

「タクシージャックされて逃走中だよっ!」

 通信機から聴こえた渋い声に、俺はハンドルを切りながら鬱憤をぶちまけた。

「がはははは。相変わらず、厄介なことに巻き込まれてるようだな」

「羨ましいなら、今すぐトラブルを届けてやるぞ」

 苦み走った声で答える俺に、通信機の先に居る大先輩は年季の入った渋い声が轟く。

「がはははは、それは遠慮するな。その変わり、助けが欲しかったらいつでも声を掛けろ」

「それは、サンキューッ!」

 ありがたい言葉に礼を言いながら、俺は再び大きくハンドルを切った。意識を通信機から追跡してくる黒塗りの高級車を離すことに集中する。

 俺は道路の真ん中に置かれた中央分離帯の隙間に強引に滑り込んだ。遠心力に身体を持って行かれながら、無事対向車線に車体を移す。

 だが、敵もさる者。俺のタクシーに合わせてハンドルを切ると、全く同じドリフトでUターンしてきやがった。

「チッ。何で俺がこんな目に」

 泣きごとを漏らしながら、俺は信号機へ侵入するタイミングを計る。都内でもこの辺は俺の庭だ。信号が変わるタイミングは、この身体に沁みついている。まだ、朝が早いだけに他の車も少ないのも経験から分かっている。

 ここだっ!

 タイミングを見極め、俺は一気にアクセルを踏みつけた。グンッと身体が後ろへ押し付けられ、続けて速度メーターの針が一気に振れる。信号が黄色から赤色に変わる絶妙のタイミングで、俺のタクシーは交差点を横切った。

「どうだっ!」

 見つかれば免停確実の荒技を成功させ、会心の笑みを浮かべながらサイドミラーを確認。そして、俺は自分の読みが甘すぎることを悟った。

 黒塗りの高級車は信号などまるで無視して交差点を突破しやがった。

 鳴り響くクラクションをBGMに、追ってはなおも追跡を続行してきやがる。

「くそっ!」

 思わず俺が悪態を漏らした、その時。

「なにシてる。もと急げ」

 微妙にイントネーションの違う甲高い声が、後部座席から叩きつけられた。

「うるさい。ちょっと黙ってろ。大体、誰のせいでこんなことになっ……アバビバベッ!」

 苛立ちに声を荒げた瞬間、俺の首筋を電撃が殴打した。一瞬気が遠くなる電流が全身を駆け廻り、視界が明滅する。だが、慣れってやつは便利なもんだ。今回は回復が早い。危うくガードレールにぶつかりそうになった車体をすぐさま安定させると、俺はバックミラーに映った暴客を睨みつけた。

「いい加減にしろ。死にてぇのかっ?」

 怒りの形相で怒鳴る俺に、今のこのタクシーの客はフンと鼻を鳴らして見せた。

「大丈夫。死ぬギリギリで電圧を調整シた」

「そういうことを言ってんじゃねぇ!」

 俺は噛み殺さんばかりに、お手製の特別スタンガンを構える少女を罵った。

日焼けとは異なる艶やかな褐色の肌。意志の強さが現れた狼のような琥珀の瞳。彫りの深いラテン系の顔立ちに、深みのある漆黒の長い三つ編みを揺らす高校生徒ぐらいの美少女。

 俺のタクシーをジャックした張本人は情熱的な瞳で睨み返してくると、背後から追ってきている追跡者を指差した。

「あれ、何とかシろ」

「やってんだろがっ! 黙ってろ、舌噛むぞ」

 焦りの中に散らばった優しさを掻き集めて警告すると、俺は再び大きくハンドルを切った。「Ah」っと叫び声を上げながら、少女が後部座席を転がる。

「シートベルトしろって言っただろうが」

 もう一度シートベルトを着けるように促すと、さすがに学習したのか少女は聞き慣れない単語――英語じゃない。おそらく彼女の母国語――を呟きながら、しぶしぶとシートベルトを着けた。

 その様子を確認しながら、俺は再びサイドミラーを確認した。見飽きた車が、いやらしいほどにぴったりとくっついてきやがる。サングラスを掛けた運転手のハゲ男はよっぽど女のケツを追い掛けるのが好きらしい。

「クソッ。キリがねぇな」

 追い掛けられて約二十分。追っては一向に追跡の手を緩めない。ついでにいえば馬力は向こうの方が上。正攻法じゃ、幾ら走っても撒けやしない。

「だったら、腕で勝負しようや!」

 俺は自分の頬が不敵に吊り上がるのを感じながら、鋭くハンドルを切り、細い路地へと飛び込んだ。後続車もすぐさま飛び込んできたが、車体のデカイ輸入車だ。小回りの利く俺たちの会社の小型タクシーの方に利がある。

 俺の思惑通り、図体のデカイ追手の車は小刻みなカーブの連続に速度を落とした。だが、追跡を諦めるつもりは無さそうだ。細い路地で器用にハンドルを操作し、全く車体を擦らせない技術は驚嘆の一言に尽きる。

 しかも、徐々に狭い路地の運転にも慣れてきたのか、一度開いた距離が徐々に縮まり始めていた。

 ちくしょう、腕まで俺と同等以上かよ。

「さーて、どうするか?」

 ギリギリの速度を維持しながら電柱の刻まれた団地を確認し、現在地を頭の中の地図を照合する。腕と車の性能で負けたなら、あと俺が勝負できるのは土地勘だ。

「おっし。決めたっ!」

 俺は自分自身に喝を入れると、脳内で導き出した逃走ルートに賭けた。

 十字路を二度ほど曲がり、俺は大通りの方へ車の先頭傾ける。そして、大通りへ飛び出す最後の角を曲がった瞬間。

「オラッ!」

 九十度折れた車体をさらに曲げ、俺は地下駐車場のあるアパートへと逃げ込んだ。この地下駐車場の入り口はかなり目立ちにくい上に、今の角からは死角になっている。初見の奴はほぼ百パーセント気付けない。それは、昔ここのアパートの住人を乗せた時に体験済みだ。

 予想通り、黒塗りの車は地下への入り口を通り過ぎ大通りへ入って行く。

 その姿を見届けた俺は、すぐさまアクセルを踏み込み、地下から駆け上がった。大通りに出てこっちの姿がなかったら、すぐに引き返してくるかもしれない。その前に、出来るだけここから離れるのが先決だ。

 俺は素早く路地を抜け別の大通りに出ると、少し距離を稼いでから再び別の路地へ滑り込み、とある工場の駐車場に車を止めた。タクシーなら、止めていてもそう怪しまれることはない。

「ふぅ~、とりあえずは一安心だな」

 昂った気持ちを溜息と共に吐きだすと、こんな逃走劇を繰り広げる原因となった少女を覗き込んだ、

「さーて、そろそろ訳を話してもらおうか。お客さん」

 背後を振り返ると、ジーパンにTシャツというラフな格好に身を包んだ少女は、テディベアを抱きながら警戒心丸出しに俺を睨みつけてきた。しかも、片手に持ったお手製スタンダンで威嚇するのも忘れずに。

 顔つきには大人っぽさが出てきているだけに、その警戒する姿はひどくアンバランスだった。

とは言うものの、このままじゃ埒が明かん。

「お嬢さん。事情を説明してもらえませんか」

 今度は営業用の声色で声を掛けてみる。

 すると少女は、勝ち気な顔を引き攣らせて、物凄い剣幕でスタンガンを振り回し始めた。

「な、こら。危ねっ。やめろっ!」

「よ、寄ルな。男、寄るな」

「わかった。分かったから落ち着け」

 眼の前を掠める警棒に戦きつつ、両手を上げて無抵抗をアピールする。

「変な動きシたら、最大出力にすルからな」

 少女はスタンガンを振り回すのは止めたものの、警戒心を全く緩めないままテディベアを抱き寄せた。威嚇する姿は敵意を露わにした小動物である。

 ――あ~あ。今日は厄日だな。

 溜息交じりに頭を掻くと、少女はビクッと身体を緊張させスタンガンを突き出した。

「う、動くな!」

「頭ぐらい掻かせろよ」

 突きつけられた棒状のスタンガンを避ける俺に、少女は必要以上に反応する。それは、追手に怯えているというだけじゃなさそうだ。

 どういうことだと考えた時、俺は今さっき少女の発したある言葉を思い出した。

「ひょっとして、男が恐いのか?」

 俺の言葉に、少女は狭い車内で懸命に距離を取りながらコクコクと小さく頷いた。逃走中に騒いでいた時は本当に無我夢中で、ようやく理性が戻ってきた今になって恐くなったというところか。

「じゃあ、なんで俺のタクシーに乗ってきたんだよ」

 取り損ねた朝食を買おうとコンビニの前でタクシーを止めた時、この少女は迷うことなく俺のタクシーに飛び乗ってきた。走ってきた方向から考えて、運転席に座る俺は見えていたはずだ。男が嫌なら、すぐ後ろに止まっていた女性の車の方に飛び乗ればいい。

 俺の質問に、少女は恨めしそうに車体を指差すと、消え入りそうな声で答えた。

「可愛い車。女が運転シてると思った」

「ああ、なるほどな」

 どこか悔しそうなその表情に、俺は深い同情を示しながら頷いた。

 俺の所属している(株)タクシー会社『レッドクイーン』の社タクシーは、小型の車体に真っ赤な塗装を施した特別製だ。これを可愛いと表現すべきなのかは良く分からんが、確かに普通のタクシーよりも親しみがある。

 ちなみに、この界隈ではうちのタクシーのことは、かのロボットアニメからもじって『赤い彗星』の呼称で呼ばれていたりする。

「それで、これからどこ行くんだ?」

 俺の質問に、少女は一瞬キョトンとした表情を見せた後、思いだしたように呟いた。

「ダイゴのところに行きたい」

「ダイゴ? 誰だそりゃ?」

「ともだち。怪我シた」

 俺の質問に、少女男物のベルトポーチの中から取り出した一通の手紙を広げた。

 広げられた手紙を見つめて数秒。

「……とりあえず、和訳してくれねぇか?」

 俺は、唸るように敗北宣言を絞り出した。

「お前、頭悪イのか」

 ――なっ!

 少女の言葉に、俺は引き攣りかかった頬を無理やり押さえつける。

 いや、それは俺だって英語は得意な方じゃねぇぞ。でもなぁ、手紙に書かれてる文字は、英語じゃないんだよ。つーか、どこの言葉だよ。

 ――だあああぁぁー。俺が何したってんだよ。

 理不尽な運命に悶絶していると、少女は変な生き物でも見るような眼で俺を眺め、そして小さく呟いた。

「ダイゴ、日本のルイのともだちだ。事故に遭って怪我シたって、手紙に書いてあった。ルイはダイゴのところに行きたい」

「じゃあ、なんで追われてんだよ」

「…………」

 ――だんまりね。

 目を逸らして黙秘を決め込む少女に、俺は再び頭を掻く。

 その時、会社からの連絡を知らせる無線機のランプが光った。

「はい。こちら二三八三ご……」

『ソラさん、ソラさん。一体何したんですか?』

 俺の声を遮ったのは、一瞬中学生かと思うほど幼さが抜け切ってない同僚の切羽詰まった声だった。

「長瀬か?」

『ソラさん、自首、すぐに自首してください。今なら罪も軽いはずです!』

「ちょっと待て、何のことだ?」

『え? 九里さん、ニュース、ニュース。ニュース聞いてないんですか?』

 長瀬は焦った時に言葉を繰り返す癖がある。しかも、今は三回も繰り返した。ただならぬ予感が俺の身体を駆け巡る。

 ――この上、まだ厄介事が起きたっていうのかよ?

 聞かない方が幸せと知りつつも、俺は恐る恐るラジオを入れる。すると、いつもなら朝の芸能コーナーを担当しているアナウンサーの口から、とんでもないニュースが語られていた。

『本日未明、化粧品大企業ハニエルの女社長の一人娘、ルイシナ・アルビオル・長谷川さんが誘拐されました。犯人は都内のタクシー会社に勤める男性で、犯行に使われた車は容疑者のタクシー会社のモノです。車のカラーは赤、車種は……』

 ……………………

 ………………………………

 …………………………………………へ?

「はあああああぁぁぁぁああぁぁあ~~~~~~~~~~っ!」

『きゃあっ。ちょっと、ソラさん?』

「ちょっと待てぇ―いっ! ふざけんなっ! 何で俺が指名手配犯にされてんだよ。つーか、タクシーに乗せて何で誘拐になんだよ。普通に仕事のうちだろうが!」

『え、違うんですか……』

「当り前だっ!」

『ああ、よかった。そ、そうですよね。ソラさんが誘拐なんてするわけないですよね。あ。もちろん、私は信じてましたよ』

「自首を勧めてなかったか?」

 声色を固くする俺に、通信機越しで長瀬が「あはははは」と乾いた声で笑う。

すると今度は、妙に威圧感のある、それでいて艶を損なわない大人の女性の声が聞こえてきた。

『ソラ、聞こえるか?』

「社長っ!」

『大丈夫だ、安心しろ。私は分かっているさ』

 いつもの苛めてくる声とは違う優しい声に、俺は思わず目頭を押さえた。俺を無理やり入社させたり、特訓と称して稚内まで不眠不休で運転させたり、自分の飲み会の足として――もちろん社長が飲んでいる間は車待機――翌日の早番に関わらず連れ回すくせに、こういうときはちゃんと社員のことを信じてくれる。

 ――ああ、俺この会社に入社して良かった。

「社長、俺……」

『分かっていると言ったろ』

 俺が震える声で感謝の言葉を返そうとすると、社長は柔らかな声色で優しく遮り、聖母のような声で続けた。

『お前がロリコンだということは、ちゃんと分かってる』

「会社辞めさせていただきますっ!」

 反射的に叫んだ俺は、思いっ切り受話器を通信機に叩きつけた。

「ふざけんなっ。ただでさえこっちは苛立ってんだぞっ!」

「お前、ロリコンなのか?」

「ちがーうっ!」

 警戒心をさらに数倍強めて身を固くする少女に、俺は今までの生涯で一番キレのあるツッコミを入れる。漫才のコンクールに出れば、かなりの高得点を叩きだせそうな、素晴らしいツッコミだ。

 そして再び無線機が鳴る。

「はい。こちら二三八三号」

 反射的にきちんと応対をしてしまうあたり、本当に俺は律義な性格をしていた。

『よう、襲ってないだろ……』

 ガシャンッ!

 再び、受話器が通信機に叩きつけられる荒々しい音が車内に木霊する。こんなもん壊れようが知ったことか。

 三度鳴る無線。

「はい、こちら二三八三号っ」

 俺は自分の律義さを呪った。

『そう癇癪立てるなよ。イライラは運転の敵だぞ。カルシウム不足じゃないのか?』

「煽ってるのは社長でしょうが。つーか、俺はロリコンじゃありません」

『中学生を誘拐しておいてよく言うな』

「だから、誘拐じゃ……って。中学生!?」

 俺は眼を丸くして後部座席を振り返った。びっくりして身体を縮込ませスタンガンで牽制してくる少女は、どう見たって高校生くらいに見える。

『最近の子は発育が良いだろ』

 まるでこっちの心情を読み取ったかのようなに、笑いを噛み殺した社長の声が通信機から流れてくる。

 ――ダメだ、このままこの人のペースに乗ったら、またエライな目に遭う。

 俺は今の会社に入社を決められたことを思い出し、大きく深呼吸をした。こっちだって、入社して三カ月。いろんな客に対応してきたんだ。精神力だって鍛えられた。

 ――売り言葉に買い言葉で知らないうちに入社させられていたあの頃の俺とは違うぞ。

 胸に手を当て動悸が緩やかになったのを確認すると、俺はこの後にことについて社長に相談することにした。

「それで、この客はどうしますか?」

『本人は何て言ってる?』

「ダイゴとかいう友達のところに連れて行けって言ってます」

『だったら連れて行ってやれよ』

「連れて行けって……本気で言ってるんですかっ?」

 今更ながら正気を疑う言葉に、社長は当り前だと言わんばかりに返してきた。

『何を驚いてる。お前はタクシードライバーだろ。客の要望なら、地獄の底まで付き合うのが礼儀ってもんだろ』

「すでに地獄の底に叩き落とされている気がするんですけど」

 いつものように目が覚めて、数時間後に指名手配犯。

 これ以上の地獄があるっていうのか?

「それに、親御さんだって心配してますよ。きっと、このまま連れてくのは問題じゃ……」

「ママは心配なんてシない」

 俺の言葉に、意外なところから返答があった。振り返ると、さっきまで警戒心剥き出しだった少女が、どこか悲しげな表情をしながらテディベアに顔を埋めている。

 守ってあげたい。

 有無を言わさずそう思わせる雰囲気を少女は纏っていた。

『まぁ、その辺はなんとかなるだろ』

 俺の気持ちを後押しするように、社長が少しいつもと違った声色で呟く。

「なにかツテでもあるんですか?」

 タクシー業をやっていれば、自然と人脈は広くなる。その点でいえば、うちの社長の人脈はアマゾン川と言っても過言じゃないくらい広い。政治家から医療、教育委員会から一流企業にいたるまで、普通の人間には一生かかっても築けないようなパイプをもっていることを、俺は今までに何度も見せつけられた。

『ちょっと知り合いがいるからな』

 声色から、通信機の向こうにで口元がつり上げる社長が見えた気がした。絶対にちょっとレベルの知り合いじゃないな。

 そして、その答えは同時に、俺の今日の仕事が決定した瞬間でもあった。

『とりあえず稼いでこい』

「本当にいいんですか? 会社にマスコミとか殺到するんじゃ」

鬼梨きりが丁重に応対してるから大丈夫だろ』

「……うちの会社の悪評が、また一つ増えるんですね」

 夢之原鬼梨。元関東最大勢力を誇ったレディース総長。

 俺はうちの会社に向かわされた記者の方々に深々と合掌した。

『あ、あの。ソラさん、頑張ってください』

「そっちの方もな。電話の対応まかせたぞ」

『はい』

 元気いい返事を長瀬が返し、そこで通信は切れる。

 俺はこれからやらなきゃいけない大仕事に向けて深く息を吐くと、未だに警戒心を解いてくれない今日の客の方を振り返った。

「と言うわけだ。そのダイゴとかいう友達のところに連れてってやるよ。ちなみに、途中下車は自由だぞ」

「……行く」

「それは残念だな」

 普通の客に対してはあるまじき態度と言葉使いだが、指名手配の犯人にまでされたらもうどうでもよくなってきた。

 ――え~っと、まずはダイゴとかいう奴の場所を調べて……ルート探って、それから……

キュルルルルゥ~

「ん?」

 頭の中で今後の作戦を練ってると、妙に可愛らしい音が車内に響いた。振り返ると、少女が真っ赤な顔をしながらお腹を擦っている。

「み、み、み、見るナ。お腹何なんか減ってナ……」

 キュルルルルゥ~

 再び鳴る腹の虫の大合唱。少女は耳まで真っ赤にしながら、スタンガンを振り回した。

「き、聞くナ」

 大慌てでスタンガンを振り回す少女。だが、やはり力が乗ってない。

 ――安心して、急に腹が減ったってことか。

「うぅ~。見るなぁ~、バカ~」

「まぁ、生理現象だ。気にする……」

 グゥ~~

 少女とは違う太い声の腹の虫が鳴く。

 ――そういや、コイツ乗せたから朝飯買ってなかったんだっけ。

 そしてようやく、俺もまだ朝食を取ってないことを思い出した。

「バカでも腹が減るのカ?」

「バカは腹減っちゃいけねぇのか?」

 声を固くして答える俺を少女はまるで新種の生き物でも見るような目つきで観察し、

「お前、悪い男じゃナさそう。バカだけど」

 本当にかすかにだが微笑んだ。

 ――なんだ、笑えるんじゃないか。

「バカは余計だ」

 声を柔らかくしながら、俺は辺りに視線を走らせる。すると、ちょうどいい具合に工場駐車場すぐ傍にあるコンビニを発見した。

「ちょっと待ってろ。なんか喰いもん買ってきてやるよ」

 飯代は後でしっかり請求しようと考えながら俺はタクシーから出て、あることを思い出し中の少女を覗き込んだ。

「あ、そういえば。えーっと、名前なんていったっけ?」

 さっきラジオで一度流れてきたが、あんなもんで覚えられるほど残念ながら俺の記憶力は優れていない。

 もしかしたら答えてくれねぇんじゃないか、という俺の杞憂をよそに、少女はよく澄んだ声でハッキリと答えた。

「ルイシナ・アルビオル・長谷川」

「ルイし……長……。悪い、もう一回頼む」

「覚えられナいなら、ルイでイい」

 聞き慣れない発音に俺がもう一度訊ねると、少女、ルイは呆れたような表情を浮かべて呟いた。

 ――なんかムカつく。

 口をへの字に曲げていると、今度はルイが俺のことを指差し、訊ねてきた。

「お前の名前ハ?」

「俺か? 俺は九里空矢」

「?」

 フロント部分にある証明書を指差して答えると、ルイは不思議そうな表情を浮かべて小さく首を傾げた。

「さっき、ソラって呼ばれてた?」

「ああ、そりゃあだ名だよ。空矢の空は、ソラって読めるんだ」

 小学生の時から延々と続くあだ名だ。どれだけ人の思考回路は貧相なんだと、いつも疑問に思う。

 答えてやると、ルイはじっと空を見上げ、良く透る声で呟いた。

「私もソラが良い」

「もう好きに呼んでくれ、お嬢様」

 空腹が我慢できなくなってきたので、俺は早々に話を切り上げ足早にコンビニへ足を向ける。

 ソラとルイ

 俺たち二人の長いドライブは、こうして幕を開けたのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ