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【6】

「冗談、だろ……?」

 発した言葉は、渇いた喉に張り付いてほとんど音にならなかった。全身に纏った冷たい汗が体から熱を奪っていく。肺が酸素を求めて喘ぐのに呼吸が上手くできない。

 赤い眼が、ぐるりと桃河を取り囲んでいた。

 仰ぎ見た数人の男たちは、誰ひとりまともな姿をしていない。手にはそれぞれ武器を携え、こちらを無感情に見下ろしている。

 桃河の真正面に立つ男の手には、長年使い込んだ感じのする合金製のバットが握られていた。無残な形に姿を変えて、もう本来の目的で使うことはかなわないだろう。俗に言う金属バットの強度がどれほどかは知らないが、形状を変えてしまうほどに強い衝撃が与えられたのは確かだった。

 桃河の傍らに立つオレンジ色の柱には真新しい傷が刻まれている。強かに落ち窪んだそこは、塗装が剥げて黒くなっていた。上部に取り付けられたミラーが、まだ余韻を残して震えている。

 あ……ありえない。

 青天の霹靂とは、こんなときに使う言葉なのだろう。突きつけられた現状は、あまりにも非常識すぎて。桃河の頭で理解できる領域を軽く突き抜けていた。

 十七年間。桃河は多くの一般人と同じく地味に平穏な日々を送ってきた。人生を終えるときまで変わることのない、それが在るべき己の日常だと漠然と信じていたのだ。もちろん、今日まで自分が金属バットで襲撃される日が来るなんて思いもしていなかった。運悪く――この場合は運が良かったとも言えるが――バランスを崩して転倒していなければ、渾身のフルスイングは間違いなく桃河に直撃していたはずだ。折れ曲がった凶器と、身代わりになったカーブミラーの鉄柱を見れば一目瞭然。下手をすれば、命を落としていたかもしれない。

 桃河はアスファルトに突いていた手を固く握り締めた。

 知らなかった。あたりまえの日常が、こんなにも脆いものだったなんて。悪い夢なら早く終わってほしいと、桃河は切に願った。しかし倒れたときに擦れた手のひらがじわじわと痛んで、現実から目を逸らすことを許してくれない。

 いつのことだったか、現実逃避などするだけ時間の無駄だと祖父に諭されたことがあった。どんなに具合の悪いことだろうが、受け入れなければ一歩も前に進めない。よそ見をしても所詮はその場凌ぎにしかならないのだから、目を瞑って突撃するぐらいの気概を持て。そんな厳しいことを言いつつ穏やかな祖父の顔が浮かぶ。隣にはいつも祖母が微笑んでいて、今日もきっと手製の甘団子を用意して桃河の帰りを待っているだろう――。



「何してるの、早く立って!」

 夢うつつの頭に、霞をはらう凛とした声が響いた。それを合図に、止まっていた時間がいっせいに動き出す。

 はっと意識を上げた桃河の目に飛び込んできたのは、高々と振り上げられた鉛色の鉄管。桃河は弾かれたように身を起こし、声のした方へ駆け出した。飛び退いた場所を、空を切った凶器が勢いよく打ちつける。

 耳障りな金属音が耳に届き、桃河は顔をしかめた。

「鉄パイプなんてどっから拾ってきたんだよっ!」

 大音声で愚痴るが、それに応える者はない。後方からは声高な唸り声が聞こえてくるばかりだ。

 もう勘弁してくれよ!

 桃河は自分を先導して走る人物を見やった。

 緑髪をなびかせる少女の背中。桃河は、彼女ならこのありえない現状を説明できるのだと直感した。

「なあ! あいつら何者――っ」

「話はあとよ! いまはとにかく走って!」

 ぴしゃりと言い放たれて、それ以上問うことはできなかった。少女は振り返ることなく前だけを見て走っている。

 知りたいことは山ほどあった。だが、いまは逃げるしかないらしい。桃河は乱れた呼吸の中に諦めの吐息を混ぜた。

 ふと、一時間ほど前に別れた級友の顔がよぎる。ここにあいつがいたら、どんな顔をするだろう。見る人を無条件に和ませてしまうと評判の、タンポポの綿毛みたいに柔らかな笑み。見飽きるほどに慣れ親しんだ顔なのに、なぜか無性に懐かしかった。




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