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【3】

「そうそう、桃河知ってる?」

「んー?」

 鞄の中身を丁寧に机の中へと移しながら、走太は後方に向かって声だけを投げかけた。

「駅前の連続通り魔事件、犯人が捕まったんだって。今度は高校生だったらしいよ」

「へぇ。まっさかウチの生徒じゃないよな」

「それは違うけど、ひょっとしたらどこかで擦れ違ってるかもしれないよね。僕たちだって駅前モールとかよく行くし。そう考えると、ちょっと怖いなぁ。クラスで隣の席の子とか、どんな気持ちなんだろう」

「まあ、普通に驚くだろうな。そういう奴って真面目で大人しい生徒ってのがセオリーだし?」

「……なんでそんなことしなくちゃいけなかったのかな、その子。同じ高校生なのに僕たちと何が違うんだろ」

「さあな。どうせまた、むしゃくしゃしてやっちまったとかそんな理由だろ。そんな奴の気持ちなんてわかんねーよ」

「最近、そういうの多いよね。昨日もテレビで見たよ。子供が家族を刺して家に火をつけたとか、男がいきなり刃物を振り回して暴れ出したとか。やっぱり人間関係なんかでイライラしてたんだって」

「ったく。こうも似た話ばっかだと、正直またかって感じになるよなぁ」

 事実、そんな事件は飽きるほど見聞きしていた。人が人を安易に傷つけ、命を奪う。いつのころからか、テレビをつければ毎日そんなニュースばかりが流れていた。

 突発的な衝動による暴行、弱者への非道な虐待、鬱積した感情を晴らすためだけに軽んじられる命。日々繰り返される凶行は、いまや未成年による殺傷事件すら珍しくないのが現状だ。急増する殺伐とした事件は、もはや日常的なものになりつつあった。まるで自分が人であることを忘れてしまったかのように、大人も子供も瑣末なことで見境を失くし、他人に刃を向ける。己の欲望の赴くまま人の命を奪う血も涙もない行為は、さながら鬼の所業と言えた。不安と不信が渦巻き混迷する現代社会。見えない闇に取り憑かれ隣人や同級生、さらには肉親すらもいつ豹変するかわからない。人の世は、乱れているのだ。

「クラスメートがある日、突然、鬼と化す――かぁ。世知辛いっていうか、ホント怖い世の中だよな」

 桃河が冗談めかして言うと、ふいに頬杖を突いていた腕が強い力で引っ張られた。支えを失った頭部は重力に逆らうことなく、かくんと落ちる。

 腕を引いたのは前の席に座っている少年だ。走太は体ごと振り向いて、桃河の右手を両手でしっかと握っている。

 桃河は机に突っ伏すような体勢で、低く唸った。

「おーまーえーはぁー……っ」

「桃河」

 頭上から降る声に常にない切迫さを感じ取った桃河は、出かかっていた苦情を呑み込み顔を上げた。

 幼子のような柔らかな髪が、窓から差し込む光に透けて薄茶色に輝いて見える。眉を寄せ、くりくりとよく動く瞳に、心持ち影を落とした走太の表情は真剣だ。

 ぎゅっと桃河の手を掴む力が強まる。

「もしも、人の心の隙間に入り込んで悪さをする奴らがいたら、桃河はどうする?」

「どうって……おまえなぁ」

「戦う?」

 いつもと正反対の硬い声音でなんの脈絡もないことを言い出した少年を、桃河は無言で見つめた。珍しく真面目な顔で何を言い出すのかと思えば、今日はまたずいぶん抽象的な物言いだ。まったくもって意味がわからない。走太の性質を知らなければ、困惑は必死だろう。とかく想像力を必要とする走太の発言だが、一年以上も付き合っていれば耐性もつく。ここで理解しようと頭を働かせても疲れるだけだと、桃河は十分に心得ていた。

 深々と息を吐き出したあと、

「なんで戦う以外の選択肢が出てこないんだよ。知ってるだろ? メンドーなのは嫌いなんだよ、俺は」

 しかめっ面を作ってぶっきらぼうに答えると、走太は緊張していた頬をふっと緩めた。

「そうは言うけど、桃河は僕が困ってるといつも助けてくれるよね?」

「好きで助けてるわけじゃないって俺もいつも言ってるだろ」

「わかってる。見るに見かねて、なんでしょ? 桃河って優しいよね」

「ばっ……!」

 狼狽えたように、声を詰まらせた桃河と。

 ついさっきまで纏っていた緊張感など欠片も見えない顔で微笑む走太。

 二人が出会ったのは去年の四月。入学してまだ間もない時期のこと。

 校内でうかっり迷子になっていた走太を、偶然通りかかった桃河が成り行きで目的の場所まで連れて行ったことが始まりだった。以来、なんの因果か桃河は行く先々で――しかも決まって何かに困窮している走太に遭遇した。絵に描いたような八の字眉で困った顔をしている走太を見て、桃河が思わず手を貸してしまったのは一度や二度ではない。

 そうこうするうちに時は過ぎ――クラスを同じにしてからも、自然と時間を共有するようになっていまに至るのだが。

 こうして純真無垢な眼差しで賛辞を述べられるのに、桃河は未だに慣れないでいた。仕方なく手を貸している気でいるのに、面と向かって優しいだのと言われるのは、どうにもむず痒くてならないのである。

 決まりが悪くなった桃河は、依然として右手を掴んで離さない走太の頭を、空いている方の手で叩いてやった。

 腹いせの代わりに叩かれた額を両手で覆い、走太はむぅと頬を膨らませる。次いで開きかけた抗議の口を、桃河が開放された手をパタパタと振って遮った。

「ほら、先生来たぞ」

 前方に目を向けると、ちょうど教室に担任が入ってきたところだった。前を向けとなおも無言で促され、走太は恨みがまし気な視線を残しつつ、渋々と前に向き直った。




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