【2】
朝の教室。短いホームルームが始まる前の緩やかな時間帯。
日ごと冷たさを増していく清々しい空気は、すでに若い活気に暖められている。教室を出入りする足音。気の合う友人同士で交わす雑多な会話。教壇を囲んだ小さな人だかりからは、ときおり楽しそうな笑い声が弾ける。それは、隣向こうの教室でもさほど変わらない、ありふれた日常の風景だった。
そして、陽あたりのいい窓際の最後尾の席に。
「あふっ」
気の抜けきった欠伸が、ひとつ。
机に片肘を突き、気だるげに頭を預けた少年が窓の外を眺めていた。特に興味深いものがそこにあるわけでもない。眠そうに瞬かせた目の端に涙を浮かべて、ぼぅっとしているだけ。それが彼のお決まりのスタイルであり、特徴だった。
良く言えば無造作ヘアー、悪く言えば寝起きとも思えるボサボサの黒髪。袖を通しているだけの制服の上着。胸元まで開けた白いシャツと、赤いアンダーシャツ。これらのモノが覇気のない表情と相まって、どことなく、だらけた雰囲気を醸し出している。
柴原桃河。17歳。朝は苦手なのである。
桃河がまた、ふあっと欠伸をすると、
「おっはよー!」
ざわついていた教室の中に、ひときわ明るい声が響き渡った。自然とクラスの大半の視線が集まる。室内に入ってきたのは、朗らかな笑みを湛える小柄な少年だった。それを認めてクラスメイトたちから次々に声が上がる。
「走太くんおはよー」
「おーっす、走太ぁ」
「うん。おっはよぅ」
走太――と親しげに声をかけられる少年は、机の間を縫うように移動しながら、笑顔でそれに応えていく。そうして自分の席まで辿り着くと、体を折るようにして後ろの席に座る生徒の顔を覗き込んだ。
「おはよ、桃河!」
「……」
視界いっぱいに満面の笑みを割り込ませてきた走太の顔を、桃河は半眼になって睨んだ。
そんな視線を微塵も気にせず、走太は何かを期待したような眼差しで桃河を見つめる。その曇りのない大きな瞳は、年のわりに幼い顔と評される最たる要因だった。
桃河は今日こそ何か言ってやろうと思考を巡らせたが、残念なことに朝は三割り増しで頭の回転が悪い。結局、効果のありそうな言葉は何も思いつかなかった。
疲れたように息をついて、
「……おう」
「あははっ。今日はいちだんと不機嫌だねぇ」
「うるせぇ。今日も朝からムダに元気だな、おまえは」
「朝は元気なのが普通だと思うよ?」
ちょこんと小首を傾げて笑うと、走太はようやく席に落ち着いた。
「そういえば、今朝はずいぶんと遅いな。もうとっくに鐘は鳴っただろ?」
そもそも桃河よりもあとに走太が登校してくるなど、いままで一度もなかったことだ。
「え? ああー……そうだね。うん。ちょっと、ね」
「ふーん……」
わかりやすく言葉を濁した走太を訝しみながらも、桃河はそれ以上追求しなかった。走太はもともと隠し事のできない性格だ。無理に聞かなくても、そのうち自分から打ち明けてくるだろう。というより、こんな態度を取るときの走太は、何かロクでもないことを抱えている確率が高い。天性の人好きとお人好しがそうさせるのか、彼は面倒ごとを拾ってくる天才。本人に自覚はないが立派なトラブルメーカーなのである。
触らぬ神になんとやら。また厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだと、桃河は気のないふりをして、窓の外に視線を戻した。