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【11】

 涼やかな湧水の流れを思わせる流麗な動作。ひらめく扇は風に舞う桜の花弁のように。

 襲い来る虚鬼たちを最低限の動きでいなし、一飛が一線を描いた。短い悲鳴が轟く。ほの碧い光の尾を引きながら扇子がひらりと翻って、虚鬼が地面に崩れ落ちた。

 一飛と背中合わせに、双子の姉弟は息の合ったステップで虚鬼を翻弄する。軽快でアクロバティックな動きは、ときに宙返りまで披露して相手をからかっているようだ。

 若い男の虚鬼が死角から金属の棒で殴りかかる。「杏樹っ」と鋭い声が飛んだ。杏樹が紙一重で攻撃をかわすと、男は地面を叩いてたたらを踏んだ。杏樹はその隙を見逃さなかった。たっと踏み込んで跳躍。身を屈めた男の両肩に手をつくと、頭上を転回して背中側に降り立った。背後に気を取られた男の前に、志登がすかさず躍り出る。その瞬間を待っていたかのように、姉弟の手甲がぽうっと淡い光を灯した。剥き出しだった指先が瞬く間に金色の爪甲で覆われる。二人は寸分と違わないタイミングで――男を挟んで前と後ろから――袈裟懸けに金爪を振り下ろした。

 倒れゆく男の向こうでは、走太が五人の虚鬼と切り結んでいた。

 突きつけられたナイフにも走太は怯む様子を見せない。摺り足で間合いを詰めると紫電のごとき一閃で相手を斬り捨てた。手首を返して脇を払う。一片の淀みもない銀の軌跡が、幾筋も刻まれる。一般的な男子高校生の平均身長を、20センチ近く下回る小柄な少年が携えるは、刃渡り60センチ程もある日本刀だ。一人を斬って、また一人。酷薄な鋭さを伴って切っ先が踊った。つぶらな瞳に氷刃を宿らせて、次の太刀が放たれる。

 次々に斬り伏せられていく虚鬼は、鮮血の代わりに黒い靄を噴き上げた。


「なんだあれ……っ」

 桃河は思わず身を乗り出して声をあげた。

「あれが彼らを虚鬼に貶めた元凶よ。人の負の感情から生まれ、人の心に悪意を植え付ける――現代の世に人知れず蔓延っている悪鬼の本性」

「本性って、あんな煙みたいのがか?」

「本物を見るのは初めてだけど、人に憑いている時の方がよっぽど鬼らしいわね」

「まて。……おまえ、ひょっとして『鬼』が見えてるのか?」

「ちゃんと見えているわ。桃弧の結界のおかげでね。たぶんあなたと同じくらいには見えていると思うけど?」

 なんでもないことのように平然と少女は答えた。何をいまさらとでも言いたげに首を傾げる。

 桃河は「この女……」と口に出さずに毒づいた。桃弧の結界には鬼を可視化する効果もあったらしい。少女にそれらしい反応がなかったせいで、気がつかなかったのだ。彼女はこれまで鬼を見たことがないと言っていた。にも拘らず、少女は初めて目にしたはずの異形を前に顔色ひとつ変えなかったのか。男の桃河でさえ驚愕に震えたというのに。実に……かわいげがない。

「見てのとおり鬼は自分の肉体を持たないわ。あれは乱を求める鬼の本能だけが残った亡霊みたいなもの。奴らを浄化できるのは、あなたと桃弧以外この世に存在しないのよ」

「だったら、あいつらがやってることはなんなんだよ」

「人の身から一時的に鬼を切り離しているの。それが彼らの魂に秘められた力。あの刃器はそれが具現化したものよ。刃器は人に憑いた鬼だけを切り裂き、強制的に引き剥がすことができるの」

 彼女の言が真実か否かは、すぐに形となって証明された。黒い靄を噴き出す虚鬼のツノが、水に落とした角砂糖のように崩れ始めた。凶器と化していた爪や牙が抜け落ち、顔に生気が満ちていく。虚鬼は見る間に本来の人の姿を取り戻していった。やがて虚鬼の中に凝っていた闇が全て放出されると、彼らの体は透けるようにその場から消えてしまった。

「き、消えた?」

「結界の外に解放されたのよ。心配はいらないわ。鬼に乗っ取られていた記憶は残らないけれど、すぐに意識も回復して元の生活に戻っていくはずだから」

 器を失った鬼は彷徨うように浮遊して、くるくると頭上を旋回していた。桃弧の結界に阻まれ外に出ることができないのだろう。

「ラーストーっ!」

 元気な掛け声と共に、残っていた虚鬼が杏樹と志登に吹っ飛ばされた。もんどりをうって地面に投げ出された虚鬼から、また黒い靄状の影が立ちのぼる。器が結界の外へ出されると、あとに残った人間は桃河たちだけになった。

 すると、それまで好き勝手に漂っていた黒い靄が、一処に集まりひとつの塊となった。伸縮を繰り返し不規則にうねりながら、塊は何かの形を取り始める。

 桃河は頬が引き攣るのを感じながら、声も出せずにそれを見ていた。

 蠢く黒い塊から現れたのは、身の丈3メートルはあるかと思われる巨大な影法師――のようなもの。人の輪郭をとったそれには、目も口も鼻もない。空間に人型の穴が開いたようだった。頭頂部にぽつんと、円錐形のツノだけが白く浮き立っている。

 桃河が呆気にとられて見上げると、巨大な黒鬼もこちらを見下ろしてきた。目はないが、気配でそれとわかった。言いようのない悪寒が走り全身が総毛立つ。


「うわぁ。おっきいねぇ」

 致命的に空気の読めない走太が、気の抜ける感想を述べる。

「おまえなっ、もうちょっと緊張感とか持てないのかよ!」

「ええっ? だって桃河はすごいと思わないの?」

「はいはい。すげーよびっくりだよ――次から次へと本っ当に! ああもう俺がいったい何をしたってんだよ!」

 パニックに陥る寸前、桃河の頭上に影が落ちた。抱えていた頭を上げてみると――硬いのか軟らかいのかも分からない黒い物体が、まさに振り落とされようとしていた。桃河は悲鳴を上げてその場から飛び退いた。地面を転がるように移動してなんとか体制を立て直す。

 巨大な拳が重々しい音を立てて大地を叩いた。一呼吸おいて。黒鬼の右足が持ち上がる。今度は桃河たちを踏みつけにかかる気でいるようだ。動きに素早さはないが威力は十二分にある。桃河は全速力で黒鬼から距離を取った。

「ど、どうすんだよ、あれ!」

 息を切らせながら、叫ぶ。

「どうするもこうするも、逃げてるばかりじゃ何も解決しないわ。このままじゃ、いずれみんなぺしゃんこよ」

 こんなときでも彼女の声は落ち着いていた。少女は一飛の腕の中にいた。一飛は、人ひとりを抱えているとは思えないほどの快速で、桃河の隣を併走する。一飛に横抱きにされたまま少女は続けた。

「この国ではね、昔から悪い鬼は退治されるものと決まっているの。そしていま、その鬼を退治できるのは他の誰でもない、あなただけなのよ」

「またそれかよ! 俺にそんな力あるわけないだろ。弓の使い方だってロクに知らないってのにっ。第一、矢もないのにどうやってあいつを倒せるっていうんだよ!」

 本来、弓と矢はワンセット。共に揃って初めて役に立つものだ。どちらが欠けていても武器としての真価を見ることはない。だが標的を射るために番えるべき矢がここにはなかった。

「桃弧に矢など必要ないわ。桃弧のことはあなたが一番よく知っているはずよ。落ち着いて、心を傾ければ聞こえてくるわ。答えはあなたの中にあるのよ」

「ああもおぉぉっ! なんで話が通じないんだチクショー!」

「あなたは覚えていなくても、あなたの魂は忘れていない。あなたにいま必要なのは覚悟よ。あとはただ思うままに動けばいいの」

 ただでさえ展開に置いていかれているのに、また訳のわからないことを並べ立てられ桃河は叫び出しそうになった。




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