第二章(3)
「ヘレナ。とりあえず屋敷内をひととおり見てまわろうと思うのだけれど」
ライオネルは、両親を若くして失っている。彼が軍人を目指したのも、それが理由の一つだと、釣書には書いてあった。いや、あれは釣書というよりは、彼が軍の入隊試験を受けるために提出した身上書のようなものだろう。そのまま、志望動機と書いてあった気がする。
「そうですね。まずは、浴室の場所を探さなくてはなりませんね」
あの使用人は、アンヌッカを部屋に案内したらさっさと帰ってしまったのだから、この屋敷のどこにどんな部屋があるのか把握できていない。
ヘレナの言うように、まずは浴室を探して湯浴みをしたいところだ。
ここは二階の西側にある部屋。エントランスから階段をあがってすぐの部屋だった。とにかく、ランプを手にして廊下に出る。広間があり、その向こう側に厠所があるのを見つけた。だが、浴室はここにはないようだ。
そうやって二階をぐるぐるまわったところで、やっと浴室にたどり着いた。
「明かりはどうやってつけるのかしら?」
さすがに手持ちの明かりだけでは心許ない。上に掲げれば天井から浴室内を照らすランプが見えた。
「奥様。これでは?」
ヘレナが壁についている明かりのボタンを見つけた。それを押すと、浴室内が明るく照らされる。
「廊下の明かりもつけたいわね。この屋敷の明かりは、すべて魔法具のようね」
これで浴室とアンヌッカの部屋が明るくなったわけだが、そこを行き来する空間がまだ暗い。
ライオネルは屋敷で自由に過ごしていいと手紙に書いてきたのだ。となれば、夜間に屋敷中をびかびかに光らせても文句は言わないだろう。
「奥様。廊下にもありました」
ヘレナの言葉と同時に、廊下も明るくなる。
「とりあえず、これだけわかればなんとかなるわね。あとは、明日。明るくなってから屋敷内を見て回りましょう。ヘレナも疲れたでしょう?」
ヘレナには廊下を挟んだ向かい側にある部屋を当てた。
屋敷といっても大きな建物ではない。二階には寝室と客室、そして広間があったのは確認した。一階はまだ確認していないため、何がどこにあるのかわからない。
でも、それも明日だ。今夜はもう、ゆっくりと休みたい。
「奥様ほどではありませんよ。すぐに、浴室の用意をしますね」
人の気配のない屋敷は静まり返っているし、空気もどこかひんやりとしている。だけどこれから夏を迎えようとするこの季節は、火を入れる必要もない。ただ、人がいなかったことで空気が冷えているだけ。
ヘレナが浴室の用意をしている間に、アンヌッカは与えられた部屋をひととおり確認した。寝具も整えられており、すぐに休める状態になっている。
快く受け入れられたとは思っていないが、拒まれているわけでもなさそうだ。その事実にほっと安堵の息をもらす。
メリネ家の屋敷のいたときのように、使用人がじゅうぶんとは言い難い。自分でできることは自分でやらなければならないだろう。
「浴室の用意が整いました」
ヘレナの声を聞きながら、明日からどうすごそうかと思案する。
「おはようございます、奥様」
ヘレナの声ではっと目を開ける。カーテンで光は遮られているものの、その向こうが明るい世界だというのはわかった。
「おはよう、ヘレナ」
「お着替えを……」
ヘレナの手を借りながら、アンヌッカは動きやすいドレスに着替える。
どうせ誰もいないのだから、もう少し楽な格好でもいいかとも思ったが、一応、軍人の妻となったのだ。いつ、誰がこの屋敷を訪れるかわからない。
「これから、わたしも一人で着替えなければね」
ヘレナとの二人暮らしである。そう考えれば、悪いものではないだろう。
「後ろの鈎くらいは、お手伝いしますね」
アンヌッカの心の内を悟ったかのようなヘレナのくだけた対応が、嬉しかった。
「ヘレナ。一階は見てきたのかしら?」
「はい。ざっくりとですが、食料があるかどうかを確認するために」
なぜかヘレナはばつが悪そうだ。抜け駆けしてしまったという負い目でもあるのだろうか。
「それで、食料はあったのかしら? わたしたち、無事に朝食にありつけそう?」
明るい声で尋ねると、ヘレナは大きく頷いた。
「はい。幸いにも、パンと野菜、卵にお肉とある程度のものは揃っておりました」
それは幸いなのではなく、昨日の使用人が準備していったのではないかと、勘ぐってしまう。
「そう。だったら、早速、朝食の準備をしましょう。食事が終わったら、この屋敷を見て回らないと。ヘレナ、案内してちょうだいね」
「はい。ですが、奥様。朝食は私が準備しますから、奥様はまだお休みになっていてください」
「何を言うの。ここにはわたしとあなたの二人きり。自分でできることは自分でやらないとね」




