第九章(1)
アンヌッカが軍服を身にまとうのはもちろん初めてだ。カタリーナとして軍で働くアンヌッカだが、さらにカタリーナが男装してユースタスの護衛役の軍人となっている。いつもは一つにくるっとまとめてシニヨンにしていた髪をローポニーテールにした。これで、カタリーナがアンヌッカだと知られたらどうしようかと焦ったが、カタリーナは黒縁眼鏡もかけている。それだけで印象はがらっと変わるもので、ユースタスですら男装カタリーナがアンヌッカであるとは疑っていないようだ。
結婚したのも一年近くも前。となれば、ユースタスだってあのときのアンヌッカを忘れているにちがいない。
ユースタスは、あれ以降、定期的に礼拝堂へ足を運び、祈りを捧げているらしい。これは、隠し部屋を探すための偽装のようなもの。
最近、王城内では王太子ユースタスが神に祈りを捧げるようになったと噂になっている。その理由も、素敵な伴侶と出会うためだと言いふらし始めたのは、ユースタス本人であると知っているのはアンヌッカとライオネルくらいだろう。
ユースタスに結婚願望が生まれたのは、部下のライオネルが結婚したためだと、それらしい話を作っているところは感心してしまう。
それもあってか、ユースタスには釣書が大量に届き始めたとも聞いている。そもそも王太子という身分を持ち、今まで婚約者の一人も決めていなかったのだから、ここぞとばかりに年頃の娘を持つ権力者や、彼に思いを馳せる令嬢らが売り込んでくるのだ。
それすら楽しんでいるユースタスはさすがとしか言いようがない。
ただ定期に礼拝堂に祈りを捧げたことで、山のような縁談がやってきたのであれば、祈った甲斐があったというもの。
それでもたった一人の運命の女性と会えますようにと、そういった願いを込めてユースタスは礼拝堂へ通っていると、周囲の者は思っている。
そんなユースタスの護衛についているのが彼と乳兄弟でもあったライオネル・マーレ少将である。ユースタスが結婚に興味を持ったのも、彼が先に結婚したからという話も広まっているため、この二人が礼拝堂に行っても、誰も何も疑っていない。
「まさか、ここまでうまくいくとはな」
ユースタスが礼拝堂へ向かうのは、太陽が大きく西に傾き、空が橙色から紫色に変わっていくような夕方。定刻の鐘が鳴り、王城やら軍本部で勤めている者が、帰路につく時間帯だ。
「周囲の期待に答えて、おまえも結婚するしかないな」
「ま。焦って結婚したところで、その結婚生活がうまくいかないというのも問題だからね。だから私は、じっくりと相手を選ばせてもらうつもりだよ」
そうは言っても、結局ユースタスも国益となるような伴侶を選ぶに違いない。口調や言動は軽いが、彼は自分の立場をよくわかっている。
「まぁ、そろそろ本題にはいろうかね。おそらく、あの魔導書から書き起こした見取り図によると、ここに隠し部屋へと通じる入り口があるはずなんだ。リーナ、何かわかるかい?」
いつものふわっとしたワンピースとは異なり、軍服に袖を通しただけでアンヌッカの身もビシッと引き締まる。
「そうですね。わたしは魔導士ではないため、よくわからないのですが……」
力ある魔導士であれば、もしかしたら封印されている入り口を魔力で検知できたかもしれない。だが、残念ながらアンヌッカは人並みの魔力しかない。
「おまえは何か感じるのか?」
この場にいるのがユースタスとアンヌッカだけであるため、ライオネルはいつもと同じ口調でユースタスに声をかける。
「う~ん。よくわからないな」
「使えないやつだな」
「私以上に使えないやつに言われたくないな」
「王族だから魔法を使えるんじゃなかったのか? 口だけのやつだな」
「魔法は使えるさ。それは君だって知っているだろう? だけどな、ここに隠し扉があるとかそういったのはまったく感じない。だから、わからない」
「威張って言うな」
威厳溢れる王太子。そしてどこか怖い感じのするライオネル。この二人は、お互いに顔を合わせると、真面目な話をしつつも軽口を叩くような仲である。
そんな二人のやりとりを聞きつつも、アンヌッカは隠し扉があるだろう箇所に手を触れては、その手触りを確認していた。
きっと何かしらヒントはあるはず。まして、ユースタスが魔力とかそういったものを感じないと言うのであれば、余計に何かが隠されていると確信していた。
すると、とある場所で、手のひらから今までよりも強く凹凸を感じた。
「ここに、何か文字のようなものが掘られていませんか?」
アンヌッカの言葉に、じゃれ合っていた二人も口を引き締める。そしてアンヌッカが指し示した場所にじっくりと視線を這わせた。
「これ、壁の模様のようにも見えるのですが……やはり、何か書かれていますね」
アンヌッカは床に紙を広げ、そこに読み取った文字を書いていく。肉眼で見ようとしてもかすれている箇所もあってよくわからない。そのかわり、しっかりと掘られているため、そこに手を這わせ、その感触から文字を想像する。
「これは、古代文字か?」
アンヌッカの書いた文字を見て、ライオネルが呟く。




