第一章(2)
「マーレ大佐と言えば、大の魔導士嫌い。ここの魔導士らだって、何回、涙を呑んだことやら……」
マーカスの言葉にも悲壮感と同情が漂う。
「そのような相手と私のかわいいアンが結婚だなんて……不幸になるのが目に見えている」
そこでやっとアリスタが顔をあげた。四捨五入すれば五十歳になる彼の目尻には悲しそうにしわが寄っていた。
「国王陛下からの命令なのですよね?」
アンヌッカが確認しようとすれば、父も兄も黙る。つまり、この件に関しては何も言えないということだろう。
「ですが、なぜわたしなのでしょう?」
それが疑問だった。
なぜライオネル・マーレの伴侶としてアンヌッカが選ばれたのか。しかもわざわざ国王が指名してきているわけだ。
「間違いなく、アレだろうなぁ」
今度は大きくため息を吐きながら、アリスタが言った。
「アレ? アレってなんです?」
残念ながらアンヌッカには心当たりがなかった。
「アレと言ったらアレだ。古代魔法の件だろうな」
ここでマーカスもうんうんと首を振っているから、アレが指すのは古代魔法で間違いないだろう。
古代魔法とはその名のとおり、魔法が成り立った頃の初期の魔法のことだ。現代の魔法は、火の玉を投げつけたり、氷の槍を放ったりと攻撃的な魔法と、魔獣からの攻撃に備えて魔法を避ける風や水の壁を築くなど、物理的な攻撃に関するものが多い。そこまではいかなくても、火をつける、明かりを灯すと言った、生活に必要な魔法も現代魔法の一種。これらは生活魔法と呼ばれ、成長するにつれ自然と使えるようになる。
しかし、古代魔法は魔法の始まりの基本的なもの。今では廃れている土壌改良や、水質改善の魔法といった自然に関するものだ。この魔法があれば、農作物の不作を回避できたり、洪水や土砂崩れといった災害を事前に防止したりすることも可能だと言われている。
それ以外にも効果のある魔法はあるようだが、なにしろ古代魔法は古代文字で書かれているため、なかなか解読できないというのが難点であった。
その古代魔法及び古代文字を専門としている人物が、このメリネ魔法研究所にはいる。その甲斐もあってか、古代魔法に関する問い合わせが国内外問わず、やってくる。開示できるものは対応しているが、曖昧な内容については伏せており、その伏せられた内容をいち早く手に入れようとしている者たちもすり寄ってくる。
そのすり寄ってくるものたちの筆頭が、国家魔法研究所でもある。
そこからの縁談であれば、アンヌッカも納得できるが、今回は軍人との縁談なのだ。相手が魔導士ではない。
「噂では、軍は古代魔法研究に力を入れているらしい」
アリスタの言葉におもわずアンヌッカも「そうなんですか?」と聞き返していた。
「噂だけどね。軍のなかに魔法研究部門を立ち上げたという話だ」
「なぜ研究所があるのに、別に研究部門に立ち上げたのでしょう?」
マーカスが尋ねるものの、アンヌッカもそう思う。
「私も噂でしか知らないが、軍の魔法研究部門に所属するのは魔導士たちではないらしい。どうやら、古代文字の解読を専門とするため、魔導士ではないがそれなりに優秀な者たちを囲ったみたいだ」
「つまり、国の研究所にいるのは魔導士で、軍の研究部門にいるのは魔導士でない普通の人ということですか?」
普通の人間であっても簡単な魔法は使えるものの、やはり専門的で強力な魔法を使うことはできない。研究所と呼ばれる場所に所属するのは、そういった魔法に長けている者が多いというのがアンヌッカの認識だった。
だが、古代文字の解読なんては魔導士でなくたってできるのだ。
アンヌッカがいい例だろう。彼女は生活魔法を使えるが、魔導士たちのような攻撃的な魔法は使えない。そして、それを不便だとは思っていない。
「そういうことだ」
「だから、軍とメリネ魔法研究所が手を結ぶようにと、国王陛下が命じたわけですね?」
「こちらからしたら、脅しだがな」
ははっと笑った父親だが、もちろんその笑いに覇気はないし、アンヌッカも笑う気にはなれない。
「これは、断れない縁談ということですよね?」
今の話を聞いただけでも、軍がメリネ魔法研究所と繋がりを持ちたいという意図をひしひしと感じた。
「いや、だが……アンがどうしてもいやだというのならば、こちらだって、いろいろと脅しをかけて……」
父親の言わんとしていることも、アンヌッカは理解できる。だが、いっときの感情でこの縁談を断ったその後、多くの人に迷惑をかけるのが目に見えていた。特に、研究所に所属する魔導士たちは、今後の仕事にすら影響があるだろう。
ただでさえ、勉学に励んできても、環境のせいで国家魔導士にすらなれなかった彼らだ。
「……お父様。結婚は家のためでもあるものです。特に昔は、家と家の繋がりを重要視したものが多かったと聞いております。ですから、今回の縁談もこの研究所と軍を繋ぐためのもの。そう割り切ってしまえばいいのです」
アンヌッカが名案だとでも言うかのように、パチンと手を叩く。
「お父様。お兄様。わたし、この縁談をお受けします」