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第五章(1)

 アンヌッカがメリネ魔法研究所に顔を出すと、アリスタもマーカスも驚いたような安心したような表情を浮かべて迎えてくれた。


「まぁ。あれだな、その格好も似合っているな」

「ですがね、お兄様」


 そう言いながら、アンヌッカはくるっと一つにまとめていた髪の毛を、パサリとおろす。


「旦那様は、まったくわたしに気づいていなかったのです。変装しなくてもよかったのでは? と思ったのですが、王太子殿下とばったり会ってしまったので」

「もしかして、バレたのか?」


 焦って身を乗り出したのは、マーカスである。


「いいえ」


 アンヌッカはゆっくりと首を振った。


「あの髪型がよかったのか、殿下はカタリーナ・ホランがアンヌッカ・メリネ……マーレ? まあ、どちらもいいのですが。とにかく、気がついていないようです」


 あの結婚式でたった一回、ほんの数秒顔を合わせたきりだから、覚えてもいないのだろう。


「おつかれさま」


 プリシラが、お茶の入ったカップを手渡してくれた。


「ありがとうございます。ふぅ、やっぱり、慣れた場所だと安心します」

「どうなの? 向こうは。軍だから、男性ばかりでしょ?」

「そうですね。ですが、まぁ。仕事に関してはこことあまり変わりはないですね。ただ、向こうのほうが貴重な魔導書はたくさんありましたけど」

「そりゃそうだろ。あっちは国の機関だからな。こっちは民間」


 マーカスが呆れたような声を出した。


「だからですよ、お兄様。あそこはわたしにとっては天国です。今、対応している魔導書は……って守秘義務がありました。まぁ、とにかく、すごい魔導書がたくさんあるんですよ!」

「わかったわかった。アン、そんなに興奮するな。だけど、アンが向こうの仕事を気に入ってくれてよかったよ」

「いやぁ、最高ですね。できれば、他の魔導書も読んでみたいところですが、わたしはあの魔導書一冊を解読すれば、終わりですよね?」


 そう言ったアンヌッカが、アリスタに向かって首を傾げると、アリスタも苦笑を浮かべながら「そうだな」と答える。


「あぁ……。最長で半年。だけどあれなら、半年もかからない。その分、他の魔導書を読みたい!」

 そんなふうに気持ちを爆発させるアンヌッカを、他の三人はあたたかな眼差しを向けて見守っていた。


 お茶を飲み終えたアンヌッカは、マーレ家の屋敷に帰る準備をする。


「お義姉様。明日も髪の毛、お願いします」

「まかせておきなさい」


 マーレ家の屋敷からメリネ魔法研究所の間はアンヌッカとして、メリネ研究所から軍の魔法研究部門の間はカタリーナとして。

 それに見合った格好をする。





 次の日も、髪をびしっとシニヨンにまとめたアンヌッカは、軍の魔法研究部門へ顔を出した。顔を出したとたん。


「あぁ、よかった……カタリーナさんが来てくれて安心しました」


 イノンが泣きそうな表情でアンヌッカを迎え入れた。


「おはようございます、ディオケル大尉。いったい、どうされたのです?」

「いや、昨日、アンヌッカさんがマーレ少将に提出するはずの日誌を持って帰ってきたため、ちょっと不安になっていただけです」


 昨日、ライオネルから日誌を突き返されたアンヌッカは、その日誌を自席に置いて帰ろうとしたため、もう一度研究室へと顔を出したのだ。


 そのとき、ざわっと誰もが驚いたようにも見えた。誰も何も言わなかったから、そのまま「お先に失礼します」と言葉をかけて帰ったのだが。


「どういうことでしょう?」


 イノンが言った言葉の意図がよくわからない。日誌はきちんとライオネルに確認してもらったし、押印もしてもらった。いや、中身をきちんと読んで理解してくれたかどうかは怪しいけれど、とにかく「見ました」という証拠の押印だけはもらえたはず。


「ええ、日誌はその場でマーレ少将にお渡しするだけなのです。マーレ少将もお忙しい方ですから、マーレ少将のお時間が空いたときに確認してもらい、その日誌は荷置き場のボックスに置かれます」


 荷置き場というのは、軍宛に届いた荷物や手紙、書類などをそれぞれの部署に割り当てて保管しておくところだ。そこから各自宛、部署宛の手紙などを事務官が持ってきて配ってくれるのだ。


「だけど昨日、マーレ少将から日誌を突き返されたようでしたので……その……見てもらえなかった。もしくは暴言を吐かれた……とか。とにかく、カタリーナさんにとってよくないことが行われたのではないかと思って、それで心配していたわけです……」


 なるほど。ようはライオネルからカタリーナが嫌われたと、そう解釈したのだろう。挙げ句、暴言などを吐かれたと。

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