第一章(1)
大陸の中央にあるブラックソーン国は、広大な土地を有し、自然も人も豊かな国である。国の西側にはアリオラ山脈が連なっているが、ここには魔獣の住み家とも言われていた。
魔獣とは魔力を備えた獣のこと。人を燃やし尽くすような炎を吐き、建物を吹き飛ばすような風を起こし、人間に対して攻撃的な生き物で、人々の生活をおびやかす。
魔力には魔法で対抗すればよい。
そう考えた人々は、魔獣を倒せるような魔法を身につけるようになった。魔獣に向かって火の玉を投げつけたり、氷の矢を飛ばしたりといった攻撃性の高い魔法だ。また、他にも魔獣からの攻撃を防ぐように物理的に壁を築いたり、何もないところに穴を掘って魔獣を落としたり。そのような魔法を使える者を魔導士と呼ぶ。
魔導士らは、たいてい国によって管理された魔法研究所に所属し国家魔導士となるが、ここに入るにはある程度の条件があった。それは家柄だったり、学歴だったり。
つまり、条件を満たせない魔導士たちの行き場がない。そういった魔導士たちの受け皿として立ち上げられたのがメリネ魔法研究所である。
所長のアリスタ・メリネは人がよく、困った人を放っておけない性格だ。だから働き先に困っている魔導士がいれば、ほいほいと彼らを受け入れてしまう。その結果、メリネ魔法研究所は国内だけでなく国外にも名を知られるようになった。
木の匂いの立ちこめる研究室は、風情溢れるといえば聞こえはいいが、当時の予算の関係で木造になった。しかし、建て替えようかという話も出ている。最近になって、そうできるだけの儲けが出てきたためだ。
「……はぁ」
それでもアリスタの表情は暗く、先ほどから何度目かわからないため息をつく。
「お父様、どうかされました?」
所長室で父の仕事を手伝っていたアンヌッカだが、アリスタのため息が五十回を過ぎた頃、そろそろ声をかけたほうがいいだろうかと、兄のマーカスと顔を見合わせた。
すると兄が、視線でアンヌッカに声をかけろと訴えてきたため、仕方なく彼女が父親にそう尋ねたというわけだ。
父親は書類から顔をあげてアンヌッカの顔を見るとため息をつき、再び書類に視線を落として、ため息をつく。
「お父様……?」
もう一度声をかけてみれば、小さく「すまない……」と返事があった。
「何が、ありました?」
「……アンに縁談がきている」
「え?」
いったい何を言われているのか、アンヌッカには理解ができなかった。驚きパチパチと目を瞬かせている間に、マーカスがすっと立ち上がり、父親の席へと向かう。
アリスタが両手で握りしめていた書類を、上からさっと奪い取ったマーカスは、それに素早く視線を走らせた。すぐに彼の顔色も変わる。
「父さん。これを、アンに……? しかもこれ、陛下の名前で……つまり、王命?」
アンヌッカよりもマーカスのほうが動揺しているように見える。そうなれば、アンヌッカだって不安になってしまう。
「お兄様、わたしにもそれを見せていただけませんか?」
なによりもアンヌッカに届いた縁談なのだ。それを確認する権利はあるだろう。
マーカスは眉間に深くしわを刻みながら、渋々といった様子で書類をアンヌッカに手渡した。文字を追うたびに、彼女の紫眼が大きく開かれていく。
「このお相手の方……」
――ライオネル・マーレとの結婚を命じる。
書類にはそう書かれていた。このライオネル・マーレという相手がくせ者だ。
「そうだ。ライオネル・マーレ大佐だ」
アリスタは顔をあげず答えた。
大佐。それは国軍に属する軍人が使う階級だ。つまり、アンヌッカの相手は軍人。
「……マーレ大佐」
その名は、幾度かアンヌッカも聞いたことがある。
各地で暴れる魔獣を討伐するために、剣を振るいまくると。
魔獣に対抗するために魔導士という存在があるというのに、ライオネルは大の魔導士嫌い。そのため彼は、魔導士らをないがしろにしているという話すら聞く。いや、そういった話だからこそ、ここの研究所にも届くのだ。
つまり魔導士らの中で伝わっているのは『マーレ大佐には気をつけろ』
メリネ魔法研究所では、必要に応じて魔導士の派遣業務も行っている。それは魔獣討伐へ同行してくれる国家魔導士の手が足りないからという軍の要請であっても断らない。
金持ちの国家魔導士というのは泥臭い仕事を嫌うようで、地位が上がるにつれその傾向が強くなる。
結果、一気に魔獣討伐に同行する魔導士不足という状態に陥った。
そんなときのためにメリネ魔法研究所の魔導士派遣というのが役に立つのだ。そもそも魔獣は魔法を使ってくるため、魔導士の同行は必須というもの。
軍人と呼ばれる彼らは武器や拳を駆使して戦闘を行うため、魔獣が魔法を使ってきたときには物理的に防ぐしかない。だから肉弾戦のみで魔獣討伐というのはなかなかに骨が折れる仕事である。
軍人の彼らを補佐するのが魔導士だというのに、その魔導士に対して敵対心を剥き出しにしていると言われているのがライオネル・マーレなのだ。
「あの、マーレ大佐ですよね?」
「私が記憶しているかぎり、ライオネル・マーレは軍に一人しか存在しない」
先ほどから父親は顔をあげようとしない。